(森武七墓碑)
的翁了端信士(森武七の墓)
森武七(武七)は、下和田村次左衛門とも呼ばれる。天保七年(1836)の郡内の農民により端を発した、甲斐一国の農民一揆となった天保騒動(郡内騒動)の中心的人物である。郡内の農民たちと国中の米穀商へ交渉にいくときに頭取に選ばれ、農民を率いて笹子峠を越えたが、人数が増えて暴徒化し、頭取の指揮に従わなくなった一揆勢に見切りをつけ、途中で引き返した。
その後、罪を被って役人のもとに出頭し、天保七年(1836)十一月十六日、石和牢舎に送られ、同日牢死した。
墓石は高さ九十五センチ、幅六十五センチの自然石で作られている。
桂川
森武七の墓の近くを桂川の清流が流れている。
(上大月)
富士急行線上大月駅の近くにやはり明治天皇の御召換碑が建てられている。
明治天皇御召換所趾
明治天皇が当地を訪ねたのは明治十三年(1880)六月十六日のことである。天皇に供奉したのは、伏見宮貞愛親王、太政大臣三条実美、参議寺島宗則、伊藤博文、山田顕義、宮内卿徳大寺實則、文部卿河野敏鎌、内務卿松方正義、侍従長米田虎雄、山口正定、陸軍中将三浦梧楼、宮内少輔土方久元、元太政少書記官伊藤巳代治といった錚々たる人々であった。
(鳥沢)
鳥沢駅付近において、JR中央線に並行して甲州街道(国道20号線)が走っている。その甲州街道に面しているセブンイレブンの近くに明治天皇駐蹕地碑が建てられている。
明治天皇駐蹕地碑
(初狩)
初狩駅から甲州街道を西へ一㎞ほど行くと、中初狩宿に行き着く。旧本陣小林家の前に明治天皇御小休遺跡碑が建てられている。
石碑は直ぐに見つけることができるが、近くに自動車を停めるところがない。道路脇に寄せて後ろから来る自動車をやり過ごそうとしたが、道幅が狭いため、ちょっとした渋滞を引き起こしてしまった。自動車で行く場合は、駐車場所を事前に探しておくことをお勧めする。
明治天皇御小休遺跡
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