(犬目)
犬目宿
犬目も甲州街道の宿場町である。往年賑やかだった宿場町も、今や高速道路や国道から離れた場所にある寒村である。
やはり明治十三年(1880)の行幸の際、明治天皇が休息をとった本陣跡地に石碑が建てられている。残念ながら本陣の遺構はまったく残っていない。
明治天皇御小休所址
義民「犬目宿兵助」の生家跡
犬目は義民犬目宿の兵助を生んだ町である。今も町には兵助の生家跡や墓が残されている。
天保七年(1836)、犬目宿で旅籠「水田屋」を営んでいた兵助は、下和田村(現・山梨県大月市)の武七とともに、天保の大飢饉と商人の米買い占めで苦しむ村人たちを救うため百姓一揆を起こした。兵助は一揆に先立ち、幕府の厳しい処分を覚悟して、妻りんと離縁し、生後間もない娘たきが水田屋を継げるように書き置きを残した。一揆は兵助らの意図に反して暴徒化し、甲斐一国を巻き込む激しい打ち毀しに発展した。世にいう天保の甲州一揆(甲州騒動)である。因みに同年には大阪で大塩平八郎が叛乱を起こしている。
兵助は絶望し、一揆を離れて逃亡の旅にでた。兵助直筆の日記には、一年余りの苦しい旅の様子が記録されている。望郷の念がつのり、時には野宿先で娘たきを抱く夢を見ている。
その後の兵助の足取りは定かではなく、一説では犬目に戻って家族とひっそり暮らし、慶応三年(1867)、七十一歳で亡くなったといわれる。
町の墓地には奈良家の墓域に兵助の墓がある。
犬目村兵助之碑
(野田尻)
野田尻宿
野田尻宿も甲州街道中の宿場である。天保十四年(1842)には、本陣一、脇本陣一、旅籠は大二、中三、小四計九という比較的小さな宿場であった。今も何となく宿場町の風情が残っている。
明治天皇御小休所址
本陣跡には明治十三年(1880)六月の明治天皇の行幸の際の記念碑が建てられている。
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