読売の古新聞が3年分たまっていたのが、
束ねて、今度の回収に出すことに。
月一回の『磯田道史の古今をちこち』も切り取ってあります。
この磯田氏の連載は、途中挿絵の描き手が亡くなってしまい、
現在は磯田氏本人が描いておられて、以前の挿画が素晴らしかったせいか、
何とも物足りないのでした。
挿画といえば、司馬遼太郎「街道をゆく」での連載での、
須田剋太氏が思い浮びます。
読売新聞の読書欄(日曜日)も、読売歌壇俳壇(月曜日)とともに、
ちゃんとページごときりとっておいたのですが、この頃書評欄は
見ないからなあ。でも3年分で一冊の本とめぐり合えたらそれでOK。
読書欄といえば、月刊雑誌連載の蒟蒻問答で、
堤堯氏が語っておりました。
堤】 ナベツネが読売新聞の社長になった時に俺は
「文芸春秋」の編集長で、「いろいろ知恵を貸してくれ」と
言われて一席設けられたことがある。・・・・
ここで、全五段の広告の値段が、朝日新聞の方が高いことに、
腹を立てており『何とかならないか』と言われて
対して、俺はこう答えた。
「 それはクレディビリティ(信頼性)の問題ですよ 」
「 どうやったら高められる? 」
「 手っ取り早いのは読書欄の拡充です。
これを拡充すれば、新聞の格が上がる 」
そうしたらほどなく、1ページだった読書欄が2ページに増えた。
彼って素直なところもあったね。
その頃に来たナベツネの年賀状は、
「 YとBでAをやっつけましょう 」 と書いてあったよ。
Yは読売、Bは文春、Aは朝日だ。
( P121 月刊Hanada令和7年3月号 )
今回の読売新聞切り抜きでは
関谷直也氏の「 災害記憶防災に 忘却前提に伝え継ぐ 」
という文化欄のインタビュー記事が読めてよかった(2024年2月1日)
そうそう、2023年9月27日の特別面には
『 横尾忠則 寒山百得展 開催中 』というのがありました。
そのはじまりを紹介しておくことに
「 寒山と拾得は、世間の規範にとらわれない
『 風狂 』の象徴として伝統的な画題となっている。
日本でも鎌倉時代から描かれている。
横尾さんは、2019年からこの詩僧を描くようになった。
本展のための制作は
『 寒山拾得の「拾(十)」を「百」にしてみよう 』
という思いつきから始まった。
1年5か月間の早さで100点を完成させ・・・
『 アーティストではなく、アスリートになったようだった 』
と語る。 ・・・・・・ 」
何だか面白そうで、古本で「寒山百得展」カタログを注文しました(笑)。
あと、気になったのが2024年9月29日「本よみうり堂」でした。
「ネットと書評の現在」とあり、書評サイト「HONZ」が13年間の
運営を終えたことを紹介しておりました。
はい。私はHONZのことを知りませんでした。
それはそうと、ネット書評の経験について、こんな箇所がありました。
「 見出しから計算し、最初の1段落目から2段落目で
読者の心をつかまないと、読むのをやめられる。
何を紹介し、どこで止めるかといったことも考えます 」
はい。読売の古新聞を3年分とりあえず、ひらきましたが、
どうしたかって、めくりながら見出しと写真とを見るだけ
( 朝日新聞のように、見出しを誤魔化すのはいけません )。
見出しといえば、鷲尾賢也「編集とはどのような仕事なのか」に
小見出しへの言及があったことを思い出しました。
「 ひとつには眼の休息をとり、読みやすい印象をつくるためである。
・・・・・
小見出しはそういった装飾的側面だけではない。
人間の思考能力は高いものがあるが、じつは
二、三ページ以上、誌面を眺めつづけていると、
誰しもが少し飽きてしまうところがある。
書く方も同様である。せいぜい
四、五枚(400字詰め)ほどで、ひとまとまりのはなしになる。
それを越すと、またべつの素材が必要になってくるのではないか。
・・・・
読み手、書き手の意向が合致して、
書き手は思考が転換するところ、
読み手は少し眼が疲れ、読むのに飽きる地点に区切りをいれる。
これが小見出しということになる。・・・・ 」
( P129「編集とはどのような仕事なのか」トランスビュー・2004年)
はい。ちなみに、鷲尾賢也氏は、小高賢の名で歌集も出されておりました。
ということで、見出しから小見出し、そして歌壇俳壇へとつながるようで、
古新聞の整理も無駄ではありませんでした。