和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

石井桃子選。

2008-05-12 | Weblog
毎日新聞2008年5月11日の今週の本棚。
そこに松岡亨子が選ぶ石井桃子「この人・この3冊」が掲載されておりました。
その松岡さんの文の最後に、こうあります。
「ご参考までに、石井さんご自身が、これらの作品によって記憶されることをよしとして選び、お墓の脇の石に刻ませたのは、次の六作品である。すなわち
『ノンちゃん雲に乗る』
『幼ものがたり』
『幻の朱い実』
『クマのプーさん』
『ピーターラビットのおはなし』
『ムギと王さま』                」

「お墓の脇の石に刻ませた」というのがいいですね。
うん。機会があったら読んでみたいなあ。

石井桃子さんについて語られているのを見ると、何だかどなたのも中途半端で物足りなく、私には「群盲象を撫でる」という言葉が思い浮かびます。それでも晩年の石井桃子さんなら、焦点が定まりそうな気がします。
ちょっとそれについて触れてみたいとおもいます。
今年「朝日賞」を受賞なさっておりました。
その受賞スピーチが(1月30日朝日新聞)に、ほかの方々と共に掲載されておりました。それを読んでもピンとこなかったのですが、この前、新聞の整理をしていて出て来たその箇所を、気分新たに読み直してみました。

スピーチだけで、あれこれと判断しちゃうと、誤ることがありますね。
たとえば中川季枝子さんは石井桃子さんの言葉を紹介しております。
「95歳になったら頭で考えたことが筆先に来るまでに変ったりするわよ、とさらりとおっしゃる。」「『私は一日三枚でいいから書きたいんですけど、頭と手がつながらないの』ともおっしゃっていました、書きたい気持ちがあるけれど、表現できない。自分の老いてゆく様子を客観的に見ていて、折に触れて私に教えてくださる。」

独身生活を続けていたため、3年ほど前、周囲の勧めで老人福祉施設(石神井の老人ホーム)に入ったのだそうです。松岡享子さんの言葉によると「おおげさなことや肩書きがお嫌いで、ご自身の影響力の大きさを自覚しておられませんでした」。

朝日賞の受賞スピーチ。新聞に掲載されている全文を引用したいのですが、そのまえに犬養康彦さんの文から引用しておきます。「今年の一月の朝日賞の授賞式では、控え室にベッドを用意して休まれておられるというので、そのそばで少し話しました。会場には車椅子で入られました。予定にはなかったのですが、最後にみなさんにお礼を言いたい、と希望なさって、壇上から車椅子で、大きな声でご挨拶をなさいました。」

さて、こういう石井桃子さんの晩年の雰囲気を写し取ってから、
受賞スピーチを引用してみることにいたします。

「初め、この賞をいただきましたときは、なぜ私がこれをいただかなくちゃならないのか、という疑問にさえ包まれたのでした。その賞と、ひと月以上の間、一緒に寝てみました。私の上に賞をくだされるという大きなショック、それこそばくだんとも言うべきショックとなって現れたのです。それがみるみる大きな輝きとなって、私のところまで飛んできて、そしてみるみる私の体内に入り込むと、それが体の中心、自分のおへその中心あたりまで沈み込み、そして『ことっ』と落ちたと思うと、そこで動かなくなったのです。そのとき、やはり私の声で、お礼を申し上げてこなければいけない、と思いました。『朝日賞をいただいた人間です』といってこの世を去るよりも、六つ七つの星に美しく頭の上を飾られて次の世の中に行きたいと思っています。栄えある賞の受け手として私をお定めになったとき、地面の上にひれ伏すような気持ちを味わわせてくれました。ありがとうございました。」


私には分かりにくい石井桃子さんの言葉なのですが、
「六つ七つの星に美しく頭の上を飾られて」という言葉のヒントが
きっと「お墓の脇の石に刻ませた」六作品のなかに隠されているのじゃないかと思ってみるのでした。
コメント
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