和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

20歳前後に読んだ本。

2025-02-19 | 本棚並べ
内村鑑三は、1861年(万延2年)~1930年(昭和5年)
正宗白鳥は、1879年(明治12年)~1962年(昭和37年)

年譜を見ると、正宗白鳥は70歳(昭和24年)の時に、
「内村鑑三」を雑誌に連載しておられる。
そこから、引用しておくことに。

「 ・・私も少年期青年期には、いろいろな方面に渡って
  さまざまな人間に心酔したのであった。
  そのうちで誰にもまして私が心酔したのは、
  内村鑑三であったように思われる。何故であるか。

  20歳前後の数年間、内村の筆に成る者はすべて熟読し、
  その講演は聴き得られる限り聴いた。
  青年期にそれほどに心酔していたとすると、私の一生に
  彼の及ぼした感化影響は容易ならぬものであった筈だ、
  と想像されるが、果して異常の感化を受けていたであろうか。
 
  老後の私はそれを考えている。そして、
  昔読んだ初期の内村の作品を読み返して、
  わが受けた感化の真相を検討しようとしている。 」
   ( p22 正宗白鳥著「内村鑑三 わが生涯と文学」講談社文芸文庫)


あと一か所引用しておきます。

「 私は病後、まだ癒り切らぬ弱い身体を引提げて上京した。
  下宿屋の粗末な食事に安んじて学校通いしていたが、
  私の身体は見掛けは弱いようでも、心は強いところがあるのか、
  次第に気力は回復し、学問修行に堪えられるようになった。
  ・・・・・・・
  あの頃の私には内村第一であった。彼によって刺激され、
  彼によって智慧をつけられ、彼によって心の平和を得る
  道を見つけんとしたのであった。
  内村は演説がうまかった。
  植村(正久)の説教を聴いていると、眠くなるようであったが、
  内村は我々を昂奮させ、眠い眼をも醒まさせるのであった。
  押川方義はあの頃の基督教界の雄弁家であったが、
  これは世俗的雄弁家で、内村は精神的雄弁家であった。
   ・・・・・
  私は独りとぼとぼと読んでいたのであったが、
  内村の聖書の解釈が直裁であり、基督教観に、
  他の伝道者の説と異った独自一己の趣があるのに心惹かれ、
  それによって、我が聖書の読み方が生きて来るような
  気がしたのであった。 」 ( p23∼24 同上 )


20歳前後に読んだ本は、私は何だったかなあ。
「日本人とユダヤ人」は、読んでおりました。
さてっと、これくらいにして、これから未読の
内村鑑三の著作を文庫本でもって、読んでみようと思うのでした。


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