和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

ほとんど唯二人

2025-02-08 | 本棚並べ
雑誌『諸君!』2009年6月最終号の特集
「『諸君!』と私」は、中曽根康弘の文からはじまっておりました。
中曽根氏のはじまりだけを引用。

「 40年前、『文芸春秋』が総合的雑誌で思想的には中道であるのに対して、
  『諸君!』はやや右のラインをとり、当時全盛だった岩波書店を中心と
  する左派に対抗する恰好で誕生した。激動の時代を迎えた日本で、
  保守言論人にとっては胸のつかえを晴らす場所が与えられたわけである。」

つぎに、池辺良・山本卓眞・渡邉恒雄・勝田吉太郎・田中健五・岡崎久彦・
佐々淳行とならび、佐々さんのつぎが曽野綾子でした。

はい。今日は曽野綾子さんの文の後半を紹介。

「 ・・・私は『ある神話の背景』という題で、
  『諸君』の1971年10月号から1年間連載させてもらった。

  『諸君』編集部に対する言論界の風当たりは強かっただろう。
  沖縄の言うことはすべて正しく、それに対していささかの反論でも
  試みる者は徹底して叩くというのが沖縄マスコミの姿勢だったが、

  その私を終始庇ってくれたのが、
  田中健五編集長と、私の担当だった村田耕二氏だった。

  或る日、一度だけ私は遠回しに村田氏に、
  『 多分ご迷惑をおかけしているんですね 』と
  言ったことがある。すると村田氏は
  『 社の前に赤旗の波が立ってもかまいませんよ 』と
  言う意味のことを言った。
  反対する人たちがいたらどうぞご自由に、という感じだった。

  田中編集長と村田氏は時の潮流に流されなかった
  ほとんど唯二人の気骨ある編集者だった。

  私は『諸君』の終巻を心から悼むが、
  経済的な理由で終わりを告げることには、
  むしろ自然なものを感じる。
  これが思想的な弾圧でなくて良かった、と喜んでいる。
  と同時に歴代の編集者たちの苦労を深く労いたい。   」(p166)


はい。今回は、曽野さんのこの引用で終わります。


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