増谷文雄著「臨済と道元」(春秋社・1971年)には、
もうひとりの、典座のことも出てきます。
船の中での、阿育王山の典座とのやりとりでした。
それについて、増谷氏は語ります。
『それは、すばらしい場面であり、すばらしい文章である。
わたしもまた、幾度となく読み幾度となく味わいいたって、
いまでは、ほとんど諳んじるまでにいたっている。』(p101)
では、その箇所を増谷氏の文章で引用していきます。
「その時、道元はまだ23歳の若僧であった。その若僧が、
すでに60歳をこえる老典座に向かって、
『座尊年、何ぞ坐禅弁道し、古人の話頭を看せずして、
煩わしく典座に充てて、只管に作務す。甚(なん)の好事か有る』
と詰問した。・・・
その詰問を迎えて、かの老典座は、呵々として笑っていった。
『外国の好人、未だ弁道を了得せざること在り』
日本からおいでのお若いのは、まだ仏教というものが
おわかりになっていないようだ、というのである。
それを聞いた道元は・・・・・心が仰天するような思いをして、
では、いったい、仏教とはどんなことでありましょうかと、
取りすがるようにして問うた。
すると、かの老典座の答えは、
『若し問処を蹉過せずんば、豈其の人に非ざらんや』
ということであった。蹉過というのは、
躓きころんで通りすぎるというほどのことであろう。
そこのところは、躓(つまず)きころんで
自分で越えてみなければ、物にはなりませんわい、
というほどのことであったが、その時の道元には、
そのいう意味すらも、よく合点がゆかなかったという。」
(p101~102)
はい。23歳の時に読むのと、
60歳を過ぎてから読むのと、
では別の味わいがあります。
ちなみに道元(1200~1253)は、
60歳まで生きませんでした。
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