小林信彦著「植木等と藤山寛美」(新潮社・1992年)が
帯つき、きれいで、古本で300円だったと思います。
読まないけれども、なにげに、買ってあった。
気になって、植木等の箇所をパラリとひらく。
こんな箇所があります。
「・・ちなみに、『等』という名は『平等』からきている。
植木等にきいた話で忘れられないのは、
ステテコいっちょうの父君が少年だった彼を
仏様の前につれてゆき、物差しで仏様の頭を叩きながら、
『こら、ヒトシ、この音をきいてみろ。
金ピカだけど、中は木だ。金じゃないぞ。
おまえ、寺を継ぐとしても、こんなものを拝んで、
どうにかなると思ったら、大間違いだ。
これだけは覚えておけ』
と諭した話だ。この話は今でこそ知られているが、
初めてきかされた時には、ひっくりかえった。」(p29)
その前にこうもありました。
「植木等の父親がユニークな反骨の士であったことは有名だが、
ここでは触れない。興味のある読者は植木等自身が書いた
『夢を食いつづけた男』(朝日文庫)を読むべきだ。」
(p28~29)
とあるのでした。はい。本棚にその文庫はありました。
うん。『夢を食いつづけた男』の、この箇所を引用。
「昭和34年、フジテレビが開局して・・・・
私は、クレイジー・キャッツの一員として、
日曜から土曜までの昼、この番組に出ていた。
そうこうしているうちに、36年、突然、
『スーダラ節』という歌を歌えといわれた。
私は断り続けた。しかし、とうとうねじ伏せられて、
その年の夏、半袖シャツ、ステテコ、腹巻き、ゴム草履
といういでたちで録音した。
この歌の反響は大きかった。・・・・・
東宝が・・私のところに出演依頼に来た。
なにしろ主役というのだから、私はもう、天にも昇る心持ちだ。
『おい、おやじ。えらいことになったよ。俺、
«日本無責任時代»って映画で主役を演ることになった』
ところが、おやじは渋い顔で言ったものだ。
『そんな映画、誰が見るものか』
しかし、おやじの予言に反して歌も映画もヒットした。
こうなると、おやじは、しろっとして言ったものである。
『だいいち、«日本無責任時代»というタイトルが面白いからなあ。
それに«スーダラ節»の文句は真理を突いているぞ。・・・・
あの歌詞には、親鸞の教えに通じるものがある』
『へえー、どこが親鸞に通じているんだい』
そう聞くと、おやじは言った。
『わかっちゃいるけど、やめられない。
ここのところが人間の弱さを言い当てている。
親鸞の生き方を見てみろ。
葷酒(くんしゅ)山門に入るを許さずとか、
肉食妻帯を許さずとか、そういうことをいろいろな人が
言ったけれど、親鸞は自分の生き方を貫いた。
おそらく親鸞は、そんな生き方を選ぶたびに、
わかっちゃいるけどやめられない、と思ったことだろう。
・・・・・』 」(朝日文庫・p222~223)
ちなみに、植木等著「夢を食いつづけた男」(朝日文庫)
の副題は『おやじ徹誠一代記』となっており、父親は、
植木等よりも、もっともっと植木等なのでした。
しゃちくんさん。
お二人からコメントいただきました。
ありがとうございます。
引用してると、読んで気づかないことに
気づかされます。
「日曜から土曜まで」とあって、
植木等さんは要するに休みなしで
働いていたのだと気づかされる。
う~ん。増谷文雄氏の道元を
読もうとしていたのですが、
脱線してしまうと、それが面白い
となると、もどるのが億劫になります。
お二人のブログ拝見させていただいて
おります。この頃、水曜日のブログは
休んでいるのですが、「日曜から土曜まで」
というのが気になりました。
植木さんも 大好きでした。
スーダラ節も 歌ってました。
当時まだ 子供だったので(笑)
お父様も 楽しいお坊様だったのね~
コメントありがとうございます。
植木等さんの顔は、
よく見ると、二枚目なんですね。
つい、印象で見てしまいます。
植木さんが、お父さんを表現するのに
「夢を食いつづけた男」とするのでした。
もう、この題名だけで満腹なのですが。
はい。また、あらためて読んでみます。