鶴見俊輔著「期待と回想」(朝日文庫・2008年)。
この本の副題は「語り下ろし伝」とあります。
この朝日文庫の解説が津野海太郎。解説の題は
『マチガイ主義がわかりにくかった時代』(p602~608)。
ところで、おさらい。
鶴見俊輔は、1922年東京生まれ。
「鶴見さんに質問をぶつけて、じっくり話を聞いてみたい。
それをまとめて本にしたらどうか。 」(p596・塩沢由典)
その質問の会が10回(1993年~1996年)。
ちょうど、鶴見俊輔が70歳を過ぎてからの語りが
この本となっておりました。
解説の津野さんの文には、
「 60年代から70年代にかけて、同年配の友人たちにくらべれば、
私(津野)は鶴見の著作にけっこう持続的にしたしんでいた
ほうだと思う。 」(p606~607)
そして、こうありました。
「 むかしの私に『マチガイ主義』がのみこみにくかったのは、
おそらく私のうちに、なんらかの『マチガッテハイケナイ主義』が
根をはっていたからにちがいない。・・・・
なんにせよ私は、まちがいに価値をみいだす習慣を身につけることなく、
まちがうことをおそれ、正しいことをいわなければとのみ思いつづけて
若い時代をすごしてしまったらしいや。 ]
それでは、鶴見さんのいう『マチガイ主義』の定義とは。
そこも、解説に引用されておりました。
「 マチガイ主義(falliblism)
絶対的な確かさ、絶対的な精密さ、絶対的な普遍性、
これらは、われわれの経験的知識の達し得ない所にある。
われわれの知識は、マチガイを何度も重ねながら、
マチガイの度合の少ない方向に向かって進む。
マチガイこそは、われわれの知識の向上のために最も良い機会である。
したがって、われわれが思索に際して仮説を選ぶ場合には、
それがマチガイであったなら最もやさしく論破できる
ような仮説をこそ採用すべきだ。 」(p603)
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