和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

目次。メニュー。色紙。

2021-05-08 | 枝葉末節
古本を買う楽しみは。安くてしかも早い。
ネットで注文する古本は最近はキレイですね。
それに簡単に注文できて、選べて、早く届く。
うん。ついつい買ってしまいます。
新刊書を一冊買う値段だと、古本は数冊から十冊も
手にはいると思ってしまうと、もういけません(笑)。

さて、この頃は、杉本秀太郎氏の古本を、
しかも安い本をめがけて買っております。
その本が並ぶと、その目次をひらく。
料理屋で、メニューをひらくように。
そのメニューというか目次から読みたい箇所を選ぶ。
小説類はダメでもエッセイ類は目次を選べる楽しみ。

たとえば、杉本秀太郎著「文学の紋帖」(構想社・1977年)の
目次と、それに、本の後にある「収録論文初出一覧」をひらく。

目次と初出一覧とを見比べると、「文学の紋帖」の目次にある
「伊東静雄の詩」は、1960年6月号に掲載されたもので。
「伊東静雄の地図」は、1975年10月に掲載のものとわかる。
ちなみに、
杉本秀太郎著「伊東静雄」(筑摩書房)は1985年7月に本が出ております。
テーマが決まった本が木ならば。幹が太く、枝が伸びて、葉が茂るような
ものだとして、この「文学の紋帖」に書かれた短文は、その木が成長する
その発芽まえの固い種のような感じでよめる。

たとえば、目次にある「太田垣蓮月」は1972年2月1日に書かれていて、
淡交選書にはいった杉本秀太郎著「太田垣蓮月」は1975年5月に刊行。
さらに補訂が加わって小沢書店から出たのが、1982年8月なのでした。

どちらも『文学の紋帖』では、木に育つ前の種のような感じで読める。
けれども『文学の紋帖』には、発芽しなかったと思ぼしき種もある。
そんな気持ちで目次を読めるのも、安い古本が並ぶおかげです。

うん。そんなことを思いながら目次をみているのでした。
さてっと、最後はこの箇所を引用。

『文学の紋帖』の目次のはじめには
「植物的なもの」(桑原武夫編『文学理論の研究』1967年)が載ってる。
杉本秀太郎氏は、2015年に亡くなっておられますが、
杉本秀太郎著「見る悦び」(中央公論新社・2014年)の目次は
「宗達のこと」と「宗達経験」とからはじまっておりました。
その「宗達経験」は「ベルリン色紙」に関することからはじまります。
そのなかに

「1966年5月のことだが、『植物的なもの――文学と文様』と題する
試論を書いた。・・・冒頭部分で草花文様図案を取り上げ、
『植物的なもの』というカテゴリーと宗達との接点をめぐって
一つの論を組み立てた。・・

ここからあと暫くはその冒頭部分を自己添削し文脈をととのえて、
新しい読者の供覧に呈してみようと思う。
そうまでするのは、いまなおこの小文に対して些かの惻隠(そくいん)の
情をみずから禁じ得ないからで、未練がましいことである。」

はい。『文学の紋帖』にはじまりに置かれ試論は、どうやら、
発芽したけれども、そのままに成長しなかった種のようです。
では、ベルリン色紙とは、どのようなものだったのか。
それを引用して、今回はおしまいにします。

「・・明治41年に国外に流出しベルリン東洋美術館の所蔵に帰した
色紙群、いわゆる『ベルリン色紙』があった。
宗達およびその工房の職人の手になる下絵に
36首いずれも『新古今和歌集』中の四季の歌を光悦が散らし書きした
36枚一組の色紙である。

我が国の祭儀的な含みをもった言い慣わしによれば、
松籟(しょうらい)の聞かれる日、よくととのえた琴一面を
軒端に立てかけておくと、弦は風に和して妙音を発するという。
『ベルリン色紙』には、めぐまれた時間のあいだ共鳴し、即興の
快楽を分かち合うかのように文字と彩画が幸運に偶合していた。
しかも色紙36枚はいずれも仕上っているという印象を強く与えた。
・・・・」(「見る悦び」p35)



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