和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

徒然草の矛盾への招待。

2017-01-12 | 道しるべ
Voice2月号をひらく。
曽野綾子の連載「私日記」205に
ポリティカル・コレクトネス(PC)の説明があったので引用。

「・・『ポリティカル・コレクトネス(PC)』と言うのだと知った。
我が家にまだ残存している一番古い形式の電子辞書には、
この言葉自体が全く出てこないから、
新しいトレンドで生まれた単語なのだ。
このPCという語は、
『政治的、社会的に公正・公平・中立的で、なおかつ
差別・偏見が含まれていない言葉や用語のことで、
職業・性別・文化・人種・民族・宗教・ハンディキャップ・
年齢・婚姻状況などに基づく差別・偏見を防ぐ目的の表現を指す』
ものだそうだ。
もちろん多くの偏見は、さしたる理由がないままに、
人間理解を妨げる大きな原因になる。
しかし一切の偏見のない人などどこにいるというのだ。
こういう極端な理想主義が一方ではびこると、
人は嘘ばかり口にするようになり、
それを聞く人は、発言者を信じなくなるか、
内心で反感を覚えるようになる。
それも恐ろしいことだ。」(p27)


これからが連載はおもしろいのですが、
それはそれとして、
ここでは、新春の気になる徒然草(笑)。


外山滋比古著「俳句的」(みすず書房)に
「切れ」と題する文が載っております。
そのはじまりを引用。

「徒然草のある解説を見たら、
冒頭に『徒然草には矛盾が多いということは
よく聞くのであるが・・・』とあって、びっくりした。
第六段では子供はない方がいいと言ったかと思うと、
第一四二段では子供のない人にはもののあわれが
わからないという話に賛同したりしている。
これを『矛盾というなら確かに矛盾である』と
続けている。その先を読む気をなくしてしまった。
『渡る世間に鬼はなし』も真なら、
『人を見たら泥棒と思え』というのも、
残念ながらやはり真である。
一見いかにも矛盾であるが、
一方を立てて他を棄てるようなことがあれば、
残った方の正当性も怪しくなってしまう。
両方そろってはじめてそれぞれが生きる。
幸いなことに、諺の解説をして、
その矛盾をあげつらう人はすくない。
諺の理解は胸で行なわれるが、
作品の理解は頭でなされる。
頭の理解では、論理とか矛盾とかが気になりやすい。」(p121)



うん。現代に読む徒然草。
徒然草を読むのは今でしょ(笑)。

ということで、今年は徒然草からのはじまり。

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