和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

読む。読まない。

2007-02-23 | Weblog
ブログに書き込みをして、読みたい本を並べるのでした。
ですが、私の場合、読みたいと思っている本は、読まずに終わる可能性が高い(笑)。

たとえば、ドナルド・キーン著「日本文学の歴史」(中央公論社)という十数冊の本があります。読みたいと思っているのですが、読んでいない。全集本は、ちょっと手が出しづらいですね。
そうするうちに、どなたか、この本について紹介している人がいないかと、そちらの方へと興味がいきました。谷沢永一著「いつ、何を読むか」(KKロングセラーズ)には、五十歳代で読みたい本として、小西甚一著「日本文藝史」五冊(講談社)を取り上げておりました。
う~ん。もし読むとすると小西甚一氏の本を読むのが、よいのかなあ。
けれど、小西さんの本は古本でも値段が高そうだし、第一に難しそうです。
それで、いったい谷沢永一氏は、ドナルド・キーン氏を推薦してるのかどうか。
たとえば、「紙つぶて 自作自注最終版」では、二ヵ所、キーンさんが登場します。
一ヵ所は名前だけ。もう一ヵ所はというと、これがスゴイのでした。
題して「理解できない作品を褒め上げる論法」(p672)。
その書き出しは「ドナルド・キーンの『日本文学史 近世篇』上下(徳岡孝夫訳、中央公論社)は、迎合的な前評判を裏切って、独自の発見や切り込みの殆ど見られぬ大味な通説随順の教科書調。・・・自分は『一代男』を読んでも納得評価できないのだが、文学史に君臨する名作には敬意を表しておかぬと都合が悪いので、お座なりの屁理屈で調子だけ合わせておこうという算段らしい。・・・我が国での受賞を心待ちにする遠い配慮は完璧だ。」とあります。

さて、困ったなあ。と思っていたのでした。
ところが、「山片蟠桃賞の軌跡 1982-1991」(大阪府)を開くと、
1982年の最初の受賞者ドナルド・キーンの記念講演が掲載されて、
そこにこんな言葉があります。
「ケンブリッジ大学にいた時分は、私の最大の目的は、もっとも尊敬されている学術雑誌のために一つの完璧な論文を書くことでしたが、日本でいろんな友達ができまして、彼らのおかげで、専門家のために書くことよりも、一般の読者のためにものを書くことにむいているということが分かりました。そして、その発見と同時に、一種の解放感もありました。自分のほんとうの可能性を発揮できることが、日本で初めて分かったのです。」(p43)
その講演のあとに司馬遼太郎のお祝いのことばがあり。
つづいて谷沢永一氏のお祝いのことばが掲載されておりました。
谷沢さんは「独創的な日本文学史観」と題したお祝いのことばをこう始めるのでした。

「さきほどキーン先生が、百科事典のために日本の文学者の中なら十名をピックアップせよと言われて、紀貫之の名をあげたとおっしゃいました。これはたいへんな見識でごさいまして、その当時、同時代の日本の国文学者を一堂に集めて、そして日本文学ベストテンをあげろといった場合、紀貫之をあげるというへそまがりはほとんどいなかったのではないでしょうか。しかし、『古今集』というものがどれほど日本の文学を規定し、大切な要素であったかということが、昭和四十年代から五十年代にかけまして、多くの俊才の研究の結果、大岡信さんの『紀貫之』が出たりしたこともありまして、おそまきながら日本の国文学者の気づくところとなりました。国文学者の大多数はいつも時代のずっと後からついていくものですが、それをキーン先生がさきに見抜いておられたということをいま承りまして、非常に感動したわけでございます。それでもどうしてそんなお考えができたかと言いますと、これは、日本でできている日本文学史の枠組みというものをキーン先生が頭から度外視してかかられたという、この勇断の結果であります。」
こうはじまっておりました。
終わりの方には、こうあります。
「キーン先生の『日本文学史 近世篇』を読みますと、ここに書いてある具体的な作家をもういっぺん自分の手で、自分の目で、読み直して、そして紙面を通じてキーン先生と対話してみたいと、そういう気持ちを猛然と起させる不思議な魅力がございます。近世文学史の特色は、近世において俳諧精神というものが文芸の中心をなしておりますが、この一大動脈をあらかじめバシッとつかんである・・・
キーン先生は、日本の文学史を縦に見る場合に、勅撰和歌集から俳諧へつないでいく、こういう連想文学の精神というものが、これが土壌をなしておって、そこからいろんなものがこんこんとわきでているのだという意味のことを書いておられます。あくまでも日本の文学の実際のダイナミックなエネルギーに即した、日本文学のための日本文学史観。それをまずうちたれられ、同時にそれを朗々と読むに値する文章で、読者に語りかける。日本で一般むけのとか啓蒙的とか言いますと、だいたい調子をおとしてある。あるいは孫引きの、誰か専門学者が書いたことをやさしくほぐしたという場合が多いんでありますが、キーン先生の場合はそうではございません。実はそうではなくて高度な内容を、平易に、しかし含蓄をもって書いたといこと。それを一般むけとおっしゃっているわけであります。・・・
つまり、あまり専門に偏したちんぷんかんぷんの、そしてまた、ひとりよがりのいわゆる専門学というものではなく、むしろ広く世界の人びとが、あるいは私ども日本人が逆に、さっきの紀貫之の場合と同じでありますが、『ああ、そういうふうに見たらおもしろい』と教わるような、しかもそれがほんとうに熟読玩味できるような文体をもって、書かれているかどうかであります。私どもは、キーン先生のお仕事をそのような観点から高く評価し、尊敬しているわけでございます。・・・」

よかった。「紙つぶて」の書きぶりと見事に違っておりました。

ちなみに、キーンさんの「日本文学史」は、のちにあらためて「日本文学の歴史」として書かれているようです。
大岡信著「しおり草」(世界文化社)には、そのドナルド・キーン著「日本文学の歴史」を評した文章が載っております。
はじまりはというと、
「文学作品は多彩で豊かなものだが、文学史は無味乾燥であり、それが当然だ、という一種の固定観念が存在する。たぶん日本だけではなく、広く世界各地にも似たような固定観念があるだろうと思う。・・」
「魅力的で啓発的な文学史は、一人のすぐれた学者が、全力をふるって書き切ったものにとどめをさす。その学者は、豊かで繊細な感受性の翼を思う存分ひろげ、学問的誠実さと批評的自信、そして責任感をもち、自らこの仕事を限りなく楽しみ、かつまた、この楽しみを独占することなく、人々とともに分かち合いたいという愛情と野心をいだき、したがって格調ある平易な言葉で書くことを当然の義務と考え、しかも一国の文学を、その発生の時点から現代にいたるまで、つぶさに読み、かつ知っている人でなければならない。
これではまるで、魅力的に語られた文学史がないのはなぜか、その諸条件を列挙しているようなものである。ドナルド・キーンの『日本文学の歴史』の完結が、日本文学全体にとっての一事件でさえあるのは、そのためである。彼はいま私が列挙した諸条件を具備しているほとんど唯一の例外なのだから。しかもこれは、日本人学者を含めての話である。」

「もちろんここで、小西甚一の大著『日本文藝史』全五巻を、キーン氏の業績に先立つ特筆すべき個人著者による通史として挙げておく必要があろう。キーン氏の親友でもある小西氏の著述は・・・古典文学研究の第一人者の、長期にわたる研究の総決算として書きあげられた、刺激的呼びかけにみちた著書である。
キーン氏の著書との相違を言えば、小西氏の著作は流麗な文章で書かれた通史だが、いわば『専門家に対する啓蒙書』といった理論書的性格を多分にもていて、そこがキーン氏の場合とだいぶ異質である。・・・・全体に高度に研究的であり専門的であって、読者にもある程度の高い教養を要求する。小西氏の仕事の先駆性がそこにある。
これに対し、キーン氏の著書は、いわば日本文学についての専門的知識も予断ももたない一般人向けの本である点が、ほとんどほかに類例を見ないという意味でも貴重である。外国人である無類の読み巧者が、万人に向って日本文学の魅力を語っている。そのこと自体のなかに、この仕事のまことに独特な魅力がある。・・・」

ちなみにドナルド・キーン著「日本文学は世界のかけ橋」(たちばな出版)には
キーン氏が小西氏の本を説明している箇所があります(P119~120)。





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評価のぶれ (北祭)
2007-02-24 01:38:49
こんにちは和田浦海岸さん。
谷沢さんにしては珍しい事に、ドナルド・キーンさんへの評価には、ぶれが見られますね。ぼくは、それは、そのとおりの意味に捉えています。良い面も、足りない面も、両方あると谷沢さんは考えているのだろうと。キーンさんの広い人間関係、小西甚一さんに強烈な刺激を与えるほどの著作、それらを考えたなら、ふつう、『紙つぶて』のような文は書けません。正直なかたです。
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両面。 (和田浦海岸)
2007-02-24 03:59:02
こんにちは北祭さん。
私はこれを書きながら、映画「硫黄島からの手紙」のことを思い浮べておりました(見てませんが)。たとえば、上坂冬子さんの映画評に、まずこれは硫黄島とは違っている。という実際硫黄島に行って来た視点での感想を述べておりました。それはまた実際に硫黄島の戦争に参加された兵士の方が御覧になったら、これが硫黄島の戦いではないと、まず語られるだろうと思うのです。つまり、まず違和感から始まるだろう。ところが硫黄島をアメリカ人が、きちんと取り上げたことに対しては、判断が及ばないのじゃないか?

これは面白いテーマだと思います。
たとえば、キーン著「声の残り」に谷崎潤一郎を取り上げた箇所があります。そこの会話に映画が取りあげられて印象深いのです。こうでした。

「例えば森鴎外の小説を映像化した『雁』という映画。あれを私が、褒めそやしたことがあった。特に高峰秀子のすばらしい演技のことを褒めたのだと思う。谷崎も同じ映画を観ていて、高峰秀子に感銘を受けた点では、私と同じであった。しかし彼によると、明治末葉の本郷という背景とは、まったくちぐはぐなセットに気分をこわされて、この映画のなにもかもが、あまり面白くなかったのだという。」

ここが、面白く感じられるのです。
映画評の賛否両論における。好悪の問題というのは面白いテーマだと思うのでした。
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訃報 (北祭)
2007-05-31 22:50:27
和田浦海岸さん。
小西甚一さんが他界されました。
享年91。
ショックです。
偉大な方を失いました。
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ご連絡どうも。 (和田浦海岸)
2007-06-01 18:08:04
北祭さん。
ご連絡ありがとうございます。
読む機会がないうちに、亡くなられてしまったのが残念です。今思いつくことをブログに書き込んでみたいと思います。
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