はい。読まない癖して、つい買ってしまう本。そんな一冊に、
「サザエさんの〈昭和〉」(柏書房・2006年)がありました。
すぐ読めるかと思いながら、そのままになっておりました。
うん。それが読み頃をむかえたようです(笑)。
最初は、サザエさんの両親の名前を知ろうと本棚から
だしてきました。それは1ページ目にありました。
草森紳一の文が、はじまりにあります。そこを引用。
「・・・長谷川町子の『サザエさん』は、私たちの心の裏側に、
一つの風景となってはりついている。珍妙なヘアースタイルの
サザエさんの顔、夫のマスオ、父の磯野浪平、母お舟、弟のカツオ、
妹のワカメの姿が私たちの内側にペッタリ・・・・」(p6)
ちなみに、この本には新聞の切り抜きをはさんでありました。
忘れていたのですが、朝日新聞夕刊1992年7月2日の文化欄の切り抜きで、
鶴見俊輔の「長谷川町子さん追悼」とあります。
はい。以前のものを、この本にはさんでおいた記憶があります。
そのくせ、本自体は読んでいなかった。
この本については、長谷川洋子著「サザエさんの東京物語」で、
洋子さんが、あとがきで触れられておられました。
「しかし今、改めて『サザエさんの〈昭和〉』を読み返してみて、
視点は読む人の数だけあることを、当たり前のことながら学ばせて
いただいた。・・四コマ漫画の作品だけから町子の深層心理を分析
したり洞察したりされる先生方があり、そういう視点もあるのかと
驚かされたことだった。・・・」(p219)
はい。この機会に「いじわるばあさん」も読んでみたいし、
せめても、「よりぬきサザエさん」も読んでみたくなります。
そういう気にさせる視点が「サザエさんの〈昭和〉」にあるのでした。
ひょっとしたら、長谷川洋子さんの本は
「サザエさんの〈昭和〉」が、ニガリで豆腐がかたまるように
作用して、まとまったのかもしれないなあ。そんなのことを
つい思い浮かべてしまうような箇所が要所要所にあります。
おそらく、洋子さんの無数にある三姉妹とお母さんの思い出は、
このニガリがなければ、まとめられなかったかもしれないなあ。
そう思える本として「サザエさんの〈昭和〉」があります。
さいごには、鶴見俊輔氏の言葉を一箇所引用。
「 家庭の日常の雑事の中に生きがいがあるという
サザエさんの哲学が、・・よく生かされている。 」(p67)
『神道のこころ』届いたのですね。
はい。持っていることでもう充分。
読まなくても、いつでもひらける。
そんな神棚の扉があるようなもの。
私なんか、所持した時点ですでに、
半分読んだような気分になります。
はい。楽しくてコメントしました。
ご連絡ありがとうございます。
ああそうそう。活字が小さいというと、
文庫本でしょうか?