和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

わからない。

2021-07-16 | 本棚並べ
藤本ますみ著「知的生産者たちの現場」(講談社)に
『遅筆の梅棹さん』とある。短いので引用。

「『遅筆の梅棹さん』の評判は、わたしなどがくる前から、
知る人ぞ知る、有名な事実だったのである。」(p238)

はい。こういうのなんて新書の「知的生産の技術」を
読んでも気づきにくい。けれど、藤本さんは、
じつは、新書のなかにも書かれていると指摘します。
それは、新書の第11章「文章」にありました。

「失文症や文章アレルギーの人を、どうしたら
すくうことができるのか、それはわたしにもわからない。

まるで、ひとごとのようないいかたをしているが、
じつは、わたし自身がそういうタイプにちかいのである。

どちらかというと、行動的なほうであるせいか、
文章をかくのは、正直のところ不得意である。

仕事の性質上、しばしば文章をかかねばならないことになるのだが、
そのつど、たいへんくるしいおもいをする。原稿用紙をまえにして、

おおげさにいえば、七転八倒する。結果的には、ひじょうな
遅筆ということになって、編集者にめいわくをかけがちである。」
(p199)

この箇所について、藤本さんは語ります。

「先生が原稿を執筆されるのは、自宅の書斎である。
だから、わたしは、執筆中の先生の姿を見たことはない。

ただ、たいへん苦しい思いをなさるらしいことは
しめきりのぎりぎりのところにくると、よく脈が
結滞して医者にかかられることからも、察せられた。

本人も『知的生産の技術』のなかで・・・
七転八倒すると、告白しておられる。ところが、
本人はそういっているのに、読者はそうは思わない。」
(p238~239)

はい。新書読者の私も、やはりそうは思わなかった。

このあとに、藤本さんは加藤秀俊氏を引き合いに出しております。

「きくところによれば、加藤先生は、なんであれ、
原稿のしめきりにおくれたことのないかたで、その点からいえば、
 梅棹先生とは対照的な存在である。」(p239)

はい。加藤秀俊氏といえば、ある一場面を記録されております。

「北白川の梅棹邸には、わたしをふくめて、何人も足をはこび、
深更にいたるまで、きわめて雑多な議論をつづけた。
例外なしに酒を飲んだ。米山俊直、石毛直道、谷泰そして、
ややおくれて松原正毅――いろんな人物が入り乱れた。

そんなある晩、突如として伊谷純一郎さんがとびこんできた。
何の論文だったか忘れたが、梅棹さんの原稿だけがおくれている
ために本が出ない、早く書け、というのが伊谷さんの用件であった。

梅棹さんは、大文章家であるが、執筆にとりかかるまでの
ウォーミング・アップの手つづきや条件がなかなかむずかしいかたである。
一種のキツネつき状態になって、そこではじめて、あの名文ができあがる。

伊谷さんもそのことはご存知だ。ご存知であっても、
梅棹論文がなければ本ができないのであるから、これもしかたがない。

その伊谷さんにむかって、梅棹さんは、
あとひと月のうちにかならず書く、といわれた。

伊谷さんは、その場に居合わせたわたしをジロリと睨み、
加藤君、おまえが証人や、梅棹は書く、と言いよった。
おまえは唯一の証人やで、とおっしゃるのであった。

わたしは梅棹さんが、絶対に書かないという信念を持ちながら、
伊谷さんには、ハイ、と返事をした。
その原稿がどうなったか、わたしは知らない。」
(p84「わが師わが友」にある、社会人類学研究班の章)


新書の『知的生産の技術』が、私には、
脈打ち、立ちあがるような気がします。





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2 コメント

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Unknown (びこ)
2021-07-16 09:57:49
非常に示唆に富んだ文章でした。締切に間に合わないような人に限って名文を書くというのは一面の真理だと思います。短歌でもそうで、締切に遅れがちの人のほうが秀歌を作られる人であることが多いのです。それは名文家と同様、ウオーミングアップに時間がかかるということなのでしょうね。
返信する
ブログ再開。 (和田浦海岸)
2021-07-16 10:12:10
こんにちは。びこさん。

しばらくブログを休んでいたので、
再開に際してちょうど思い浮かぶ、
そんな気持ちで、とりあげました。
返信する

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