映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「女ばかりの夜」原知佐子&田中絹代

2021-01-30 10:55:04 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「女ばかりの夜」は昭和36年(1961年)の東京映画(東宝)、名画座で観てきました。


原知佐子特集を渋谷の名画座でやっている。昨年亡くなったようだが、中年過ぎてからはTVドラマでの意地悪なババア役が多かった。特撮で有名な実相寺昭雄監督の奥さんとは当然知らなかった。この特集の中でも池部良と加賀まりこコンビの乾いた花はすでに観ている。原知佐子は池部良を服役中ずっと待っている情の厚い女を演じていた。「女ばかりの夜」田中絹代の数少ない監督作品で、今まで観たことはない。TV連続小説に作品を提供している田中澄代の脚本で、当時の東宝を代表する豪華キャストが揃っている中で原知佐子は主演を演じている。

昭和33年の赤線廃止の後も街娼で生計を立てる女はたくさんいたようだ。元赤線で働いていた女が堅気の職にありつけようとするが、なかなか上手くはいかないというのがこのストーリーの趣旨である。こういう映画化されるのも、同じような女たちがこの当時多かったということであろう。今のように独身女性が自立する時代と違って、結婚こそが幸せという時代なのに、年上の男たちの数多くが戦争で死んでしまい相手が少ない中、独り身でつらい思いをした女性は多かったに違いない。


元赤線などで働いていた女性が街娼にまわった時に摘発され収容される厚生施設の一つに白菊婦人寮がある。寮長の野上(淡島千景)や北村(沢村貞子)たち寮母たちと摘発された女性たちが更生をめざしていた。邦子(原知佐子)はその中の一人である。ある食料品店から住み込みの女性を求むという照会があり、邦子に白羽の矢がたち働くことになった。

食料品店の店主(桂小金治)と妻(中北千枝子)には2人の子どもがいて、一緒に住み込むなるが近所にある店の男たちが美貌の邦子をみて色めきだつ。寮長は更生した邦子の手紙がくると、周囲の寮生に見せつけ喜ぶ。しかし、元いた白菊婦人寮がどういうところかを近所の男たちが知るようになり、みんなの態度がかわってくる。それに嫌気をさして店主を誘惑したりして家庭をバラバラにした上で店を飛び出す。行くあてもなく、街をさまよう邦子は歩いている男を誘うと警察手帳を見せつけられ、捕らわれてしまうのであるが。。。

寮長に諭された後に工場の女工になったけど、やはり元赤線ということで差別を受けてやめてしまう。ここでは大丈夫かと平田昭彦と香川京子演じる夫婦が営むバラ園に行き、後の青春スター夏木陽介が演じる男に惚れられたりするが、昔の売春の元締めが訪ねてきたりまあ何をやっても上手くいかない。言いたいのは赤線や街娼に落ち込んだ女たちは堅気の世界に戻ろうとしてもそうは簡単にいかないということなんだろう。

この映画でのおばさまたちの話す言葉が昔のザアマス東京弁である。こういう言葉遣いの人減ったなあ。つい先日、昔の自分のお客様にちょっとしたお世話したらお礼をいただき連絡したら90歳過ぎても同じような正統派ザアマス東京弁だった。きっと抜けきれないのであろう。それも今の80代までであろう。「ございます」「~よ」など、美しい香川京子が話しているきれいな言葉も含めて、もしかして徐々に死語になりつつあるのかもしれない。


1.昭和40年代のTVドラマを彷彿させる出演者
この映画の昭和36年となると、さすがに小さすぎて記憶はない。でも、ここで出演している東宝の俳優たちはほとんどが自分が小学生時代のTVドラマで見かけた人ばかりである。寮長の淡島千景はどちらかというと、東宝の喜劇映画でおなじみという感じだが、寮の幹部の沢村貞子はよく見かけた。

彼女の小説「おていちゃん」は朝のTV小説にもなった。その昔は毎日のように沢村貞子の顔をTVで見かけたが、「犬神家の一族」が映画で超メジャーになる前に横溝正史の同じ小説を元にしたTVの火曜サスペンスドラマ「蒼いけものたち」で映画の高峰三枝子に対応する役柄を沢村貞子が演じていたのが個人的には極めて印象深い。そのときに沢村貞子の妹役を演じた千石規子がここでは元売春婦の寮生を演じている。死ぬまで活躍した脇役として欠かせない俳優で、「蒼いけものたち」で演じた宗教に狂う役柄がもう50年くらい前だけど頭にこびりついて離れない。


あとは浪花千栄子の怪演だ。これには驚いた。上方の俳優なので関西を舞台にした映画には溝口健二作品をはじめとして昭和20年代から目立った活躍をしているが、売春の元締めとかやりそうでも、元売春婦の59歳の女なんて役柄、良く引き受けたかと思う。

映画館でも彼女の奇怪な動きに観客がうなり、どよめいていた。それってすごくよくわかる。なんと今、朝のTV小説のモデルになっているんだって、これには本当ビックリ!東京人の自分にとっては、松竹新喜劇というより「オロナイン軟膏」のおばあちゃんのイメージが強すぎる。


2.原知佐子
性格の悪い近所のおばさんとか姑なんて役柄は絶妙のうまさだ。私生活ではどうだったのであろう。小林桂樹主演の名作「黒い画集 あるサラリーマンの証言」では小林桂樹の浮気相手という役柄だった。こうやってみると、当時25歳の原知佐子はきれいだ。略歴をみたら、この年で同志社大学を中退して映画界に入ったとのこと、この年代で4大卒の女性はおそらくは3%もいないと思うので、ある意味インテリだったのかな?

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映画「白い巨塔(1966年)」田宮二郎

2021-01-06 20:19:57 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「白い巨塔」は昭和41年(1966年)の大映映画


山崎豊子のベストセラー小説「白い巨塔」山本薩夫監督により最初に映画化した作品である。もちろん原作は読了、大々的にリバイバルされたときに映画館で観ている。その後田宮二郎自らテレビでも主演している。直近のテレビ放映は縁がなかった。フィクションということであるが、明らかに大阪大学をモデルにしている浪速大学医学部第一外科の後任人事をめぐる裏のやりとりが描かれている。

Netflix映画の中に入ってきたので、思わず見てしまう。田宮二郎というこの映画を撮るために生まれてきたような適役を得て、キネマ旬報ベスト1位になった。いつみても新しい発見があるいい映画である。

浪速大学医学部第一外科の財前助教授(田宮二郎)は、週刊誌にも取りあげられるくらい手術の腕前に優れていた。翌年、第一外科の東教授(東野英治郞)が定年になるので、その後任が誰になるのかが学内で話題になっていた。財前助教授はその能力から当然後任候補と見られていた。しかし、東教授は財前助教授が目立った行動をとるのが気にくわなかった。そこで、医学部長の鵜飼医学部長(小沢栄太郎)に相談すると、他の大学から推薦してもらうのも手だろうと言われ、医学界の大御所である東教授の母校東都大学教授の船尾(滝沢修)に有力な人物を推薦してもらおうとした。


その動きを察した財前は財前産婦人科を経営し、大阪医師会副会長である義父財前又一(石山健二郎)に相談する。もともとは岡山で生まれ母子家庭で育った財前は養子縁組で財前家に入った。義父の財前からすると、娘婿が浪速大学医学部教授となるのが夢で、医師会の会長ともども金に糸目をつけず協力すると言ってくれた。早速に義父たちは医学部長の鵜飼を懐柔しようとする。

一方、東教授は東京に行き船尾教授から金沢大学医学部の菊川(船越英二)を紹介してもらう。東教授は学内で第二外科教授の今津(下条正巳)に声をかけ、財前の動きを良く思っていないメンバーに投票を依頼する。また、その両方の動きに属さない野坂教授(加藤武)が浪速大学出身で別の候補者を立てて対抗し、三つ巴の選挙戦となった。

財前助教授が第一内科の里見助教授(田村高広)から様子を見てほしいと言われた患者がいた。がんがあり、第一外科で面倒をみることになり結局手術することになった。その際に、里見から今一度検査をしてほしいという要望があったが、もうすでに第一外科の管轄なのでそれは不要だということになった。しかし、このことがその後問題になっていくのであるが。。。

1.田宮二郎
当時まだ31歳だったということに驚く。昇進する大学教授とすればいくら何でも40代であろう。10歳上の役柄を演じていたのだ。大映では勝新太郎とのコンビで「悪名」シリーズ、梶山季之の「黒」シリーズで主役を張っていた。でも、こんな適役はないだろう。


渡辺淳一原作のテレビシリーズ「白い影」の医師役が個人的にはいちばん印象に残る。その後でテレビシリーズの「白い巨塔」で演じるが、テレビの「白」シリーズの中でパイロットを演じた「白い滑走路」も人気あったなあ。クールで二枚目のそのスタイルで亡くなるまで演じていたのに、何で自殺したんだろうか?

2.山本薩夫監督と俳優の起用
山本薩夫監督といえば、まさにアカ監督という印象が強い。実際に戦後の東宝争議をリードしたのは山本薩夫だといわれている。レーニン顔からして典型的一時代前の共産党員である。思想的には自分とまったく合わない監督だが、山本薩夫作品は割と好きである。実は市川雷蔵の「忍びの者」が子どものころ大好きで五反田にあった大映に両親と通っていた。にっぽん泥棒物語での後半にかけての裁判場面の躍動感も印象に残るし、政財界の暗黒な部分を描くと抜群にうまかった。同じくレーニン顔のアカ役をやらせると抜群に上手いここでの原告側弁護士役鈴木瑞穂といいコンビである。

山崎豊子の小説といえばかなりの長編であり、それを2時間半程度にまとめるのは容易ではない。ここでの編集はうまく、要旨がわかるように手際よくカットされている。共産党員としてはまったく真逆な部分と言えるだろうが、裏工作で芸者を上げたり、夜のバーでのシーンもうまくまとめている。東野英治郞、小沢栄太郎など俳優座などの劇団員がそれ相応の上手い芝居をみせる。その中で思わずそのパフォーマンスに笑ってしまうのは財前の義父を演じた石山健二郎である。「天国と地獄」でのハゲ刑事役は印象に残る。この作品でのパフォーマンスはまさに明治の男って感じで裏芸も何でもありという一時代前の男を実に上手く演じる。


3.昭和41年の大阪
昭和41年の大阪がずいぶんと映し出される。梅田の駅前に立ち並ぶ建物だけでなくや実際の旧大阪大学病院まででてくる。里見助教授を演じる田村高広と藤村志保が二人並んで歩くのは中之島あたりであろうか?これはこれでいい。ある程度まではセットかもしれないが、財前の義父御用達の料亭でのシーンがいい感じだ。義父の情夫である女将がいて今まったく消えたわけではないだろうが、芸者を呼んでぱーっと宴会をするなんていうのが普通の時代ってそれはそれで素敵かもしれない。
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映画「豚と軍艦」今村昌平&長門裕之&吉村実子

2020-12-15 18:56:50 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「豚と軍艦」は1961年(昭和36年)の監督に昇格して3年目の今村昌平監督作品である。助監督は翌年「キューポラのある街」を撮る浦山桐郎がつとめる。日米安保条約の改定が終了した翌年の横須賀で地元のヤクザがシノギのため養豚を始めてあたふたするドタバタ話である。


昭和40年代前半自分がまだ小学校低学年だった頃、東京品川で育った自分は父に連れられてよく久里浜沖の火力発電所が見えるところで釣りをしたものだ。行く道中車が横須賀を通るとき英語文字の大きな看板が続く横須賀の街並みに異様な光景だと思ったものであった。

ここではもう少し時代が遡る。まさに戦後を引きずっている横須賀の街を山の上から鳥瞰する映像を織り交ぜ、まだ貧しく米国軍人に食い扶持を頼りっぱなしの横須賀住民が、貧乏長屋でギリギリで生活している姿も映し出している。安保闘争翌年の終わりには政治色は少ない。むしろ裏社会で悪いことをして生き抜こうとするヤクザに焦点を当てる。

港に軍艦が停泊する米海軍基地がある横須賀では、中心地のドブ板通りに米軍兵相手のキャバレーが立ちならんでいる。裏売春の元締め日森(三島雅夫)率いる一家は当局の取締りで根こそぎやられてしまった。そこでハワイからきた崎山(山内明)が基地の残飯を提供する話もあって大量の豚を飼育するしてしのぐことを考えついた。

チンピラの欣太(長門裕之)は兄貴分の鉄次(丹波哲郎)や軍治(小沢昭一)大八(加藤武)、そして星野(大坂志郎)とともにゆすったり、押し売りしたり、労働者のスト潰しまでやって金をつくり「日米畜産協会」なんてもっともらしい名前をつけて事業をスタートしようとした。


そんな時、やくざの春駒が勝手なことをするなとばかりに横須賀に戻ってきた。鉄次たちは面倒なやつを始末すると、春駒の死体を沖合まで捨てに船を出した。そして、兄貴分たちは欣太には万一のことがあったら代わりにムショに行け、そうすれば出所したら幹部になれるとおだてる。

使い走りの欣太は豚の飼育係をやらされる。春子(吉村実子)という彼女がいて、ハラまして中絶もさせている。春子は母(菅井きん)とオンリーの姉の弘美(中原早苗)と暮らしている。ハチャメチャな暮らしに嫌気がさして早くこの境遇から脱して欣太と横須賀から逃げたいと思っていた。

ある夜、鉄次が吐血して病院に担ぎこまれる。胃癌で余命短いとされ診断結果を受けた鉄次はがっかり、失意のあまり線路に飛び込んで自殺までしようとした。でも結局誤診で、鉄次は単なる胃潰瘍だったのだ。鉄次は、あとが短いから殺してくれよと頼んだ殺し屋に殺されるのではとまた血を吐いてしまう。

鉄次がよたっているうちに日森一家は組長の日森と、軍治・大八とに分裂してしまう。その上、崎山はハワイに逃げ帰ってしまうのだ。分裂したどちらも豚を売りとばそうと企み、トラックに乗せた豚を巡って取り合いの争いが起きて板挟みの欣太は右往左往するばかりであるが。。。

⒈昭和40年代のTVドラマで活躍する人たち
自分が小中学生時代にTVドラマでみる常連たちが演じているので、昭和36年の映画という感じがしない。後年は偉そうだった長門裕之もここではヤクザの下っ端というよりチンピラじみているし、長門よりももっと偉そうだったその兄貴分の丹波哲郎もまったくヤクザらしくなくオドオドする。胃がんになって失意のあまり京浜急行に飛び込もうとするシーンがご愛嬌だ。線路脇にある生命保険の宣伝看板の横であたふたするところが面白い。

長門裕之の奥さん南田洋子はここでは丹波哲郎の姐さん役、昭和40年代のドラマではむしろ善人のおじさん役であった三島雅夫や大坂志郎がヤクザ役で、今村作品の常連小沢昭一と加藤武の麻布中学同級生コンビも悪さをしまくる。


ここでは吉村実子のはち切れんばかりの若さが際立つ。当時17歳としてはかなり大胆、深作欣二夫人で意地悪おばさん的役柄が多かった姉役中原早苗もまだ若くてキレイだ。50年以上個性的脇役で欠かせない存在だった菅井きんもお母さん役で出ている。

⒉どぶ板通りに放たれる豚の群
街に豚が放たれることで有名な作品である。やけっぱちになった欣太(長門裕之)が機関銃を撃ちまくりながら、トラックにいる豚を道路に放り出す。そのシーンが有名なわりには豚が疾走はしない。ゆっくりと走っているだけである。


このどぶ板通り半分はセットだとは思うけど、イスラム教徒が大嫌いなこんな臭い豚が街に放たれたらたいへんだろうなあ。
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映画「肉体の学校」三島由紀夫&岸田今日子&山崎努

2020-11-22 06:13:25 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「肉体の学校」を名画座で観てきました。


映画「肉体の学校」は昭和39年の三島由紀夫の小説を映画化した昭和40年の作品、岸田今日子と山崎努の主演である。名画座で同時上映された美徳のよろめきと違い三島由紀夫の原作に忠実である。ハイソサエティーの主人公をセンスよく描いている小説が見事にそのまま映像になっている。昭和40年を描いた映画の中では都会的モダンな作風であったと感じる。


六本木でブティックを営む元華族の浅野妙子(岸田今日子)は離婚後自由気ままに生きている。池袋のゲイバーで働く21歳の学生佐藤千吉(山崎努)に惹かれ一緒に暮らすようになる。パーティなどで千吉を紹介するときには甥といっている。お互いの自由を尊重するあまり、意外な恋愛の進展を見せる話である。

⒈岸田今日子と山崎努
岸田今日子:この当時35歳前年「砂の女」で賞を総なめしていた。アニメ「ムーミン」の声ということで名高いが、自分にとっては「傷だらけの天使」の綾部女史のけだるいイメージが強い。この映画での岸田今日子は洗練されて美しい。服装のセンスが抜群にいい。文学座の結成に関わった岸田國士の娘という血筋の良さが三島由紀夫の原作の妙子とまさにイメージがぴったりである。付けまつ毛が長い。


山崎努:昭和38年の黒澤明作品天国と地獄での誘拐犯人役で一躍有名になった。同じ昭和40年には赤ひげにも出演している。当時28歳で21歳の学生を演じるというのはずうずうしい感じもする。「天国と地獄」の金持ちに反発する貧乏医学生のような世の中への反発はない。三島由紀夫の小説だけに当時蔓延している左翼思想もない。荒々しいバンカラタイプという意味では適役だと思う。

ゲイバーのスマートなバーテンダーなのに最初のデートに下駄を履いて現れ、デートの最中にパチンコ屋に入ったりして相手を戸惑わせる。と思ったら次のデートでは三揃いのスーツで颯爽と現れたりする。ゲイの仲間があいつは誰ともやるよという。即物的な男だ。


この2人のことを語るナレーションは久米明である。TVのノンフィクションでは名ナレーターだったなあ。声を聞いているだけでわくわくする。

⒉三島由紀夫と上流の生活
上流の気取った生活を描くことができるのは戦前の学習院高等部出身で育ちの良い三島由紀夫ならではだ。垢抜けたセリフ自体がどれもこれも不自然ではない。美徳のよろめきで脚本に新藤兼人を起用して上流生活を描こうとするのが失敗であって、原作に忠実に三島由紀夫ならではのセリフをそのまましゃべらせるのが良い方策というのがよくわかる。ある意味一つの戯曲を見るようでもある。


単に年上女と年下男の恋と言うだけではなく上流女と下流男との異質な付き合いというギャップを三島由紀夫が描いている。自立して生計を立てられる離婚経験者3人の女が男の値踏みをする会話が頻繁に出てくるが、専業主婦率が高いこの当時にしては随分と進歩的に映ったであろう。

⒊昭和40年の風景
主人公が通う大学をホテルから見下ろすシーンがある。階段のある大学のキャンパスを見て一瞬大隈講堂から撮影した早稲田大学と思ったが、冷静に考えてみると明治大学を見下ろすと考えればそのほうが間違いない。原作を読み返すと大学は駿河台にあると言う記述があった。高層の駿河台校舎しか見慣れていない現代の明大生からはありえない風景かも知れない。

岸田今日子と山崎努が一緒に暮らすアパートメントはハイセンスな佇まいである。どこなんだろう?赤坂プリンスホテルでイヴサンローランのファッションショーをやっているシーンがある。そこに映る日本のモデルもずいぶんと垢抜けている。岸田今日子がホテルの外の弁慶橋あたりから赤坂見附の交差点付近を見回すシーンがある。今と違うなあ。車の量がかなり閑散としている。2人で一緒に行った熱海の旅館で岸田今日子が貸切風呂に入っている姿がある。これも粋で優雅に感じるものがある。
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映画「ひき裂かれた盛装」成田三樹夫&藤村志保

2020-11-14 19:17:13 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「ひき裂かれた盛装」成田三樹夫特集の名画座で見てきました

「ひき裂かれた盛装」は昭和42年(1967年)の大映映画、数ある作品の中でも藤村志保共演ということでこの作品を見た。共演にはまだ若き21歳の安田道代や悪役として小沢栄太郎、小松方正の芸達者が出演している。車は兵庫ナンバーで関西が舞台だ。40年代前半のテイストが満載でオースチンのミニが印象的である。


鉄鋼会社の土地の払い下げの入札説明会中に不動産会社が集まっている画面が映し出される。会議が終わった時、ブローカー佐倉恭(成田三樹夫)がおもむろに入ってきて鉄鋼会社の責任者のもとに来て自分たちに買わせてくれという。そして、テープレコーダーを持ち出しこれを聞いてくれと差し出す。そこではその土地が売渡に関する男女の秘めた会話が聞こえていた。責任者はあわてる。

巧みに裏取引を成功させた佐倉はテープの声のレストラン経営者秋原かおり(藤村志保)の元へ向かう。そして彼女の帰り道を追っていく。かおりは佐倉を巻いて日本開発の社長納谷(小沢栄太郎)の元へ向かう。かおりは納谷の情婦であった。
その後佐倉はかおりに呼び出される。かおりは裏社会で巧みに生きる佐倉と一儲けするために手を結ぼうと思っていたのである。

納谷社長の娘倫子(安田道代)は大手化学会社瀬戸化学の御曹司(山下旬一郎)から求婚されていた。倫子はその縁談を嫌がっていた。御曹司とのデートを早々に切り上げてしまい、偶然佐倉と知り合うことになる。やがて倫子はかおりのレストランで佐倉と再会し、ゴーゴーに行き関係がより急接近する。

その後佐倉は納谷社長が四国のある土地の公共開発用地買収に絡んでいることを知る。倫子に近づきながら開発予定地を鳴門と読み、一足先に現地で値上げを見込んで有り金をはたいて土地買収にあたるのであるが。。。

⒈藤村志保
藤村志保は前々年の「太閤記」のねね及び「三姉妹」で大河ドラマに出演したころの人気絶頂の時期である。大映では時代劇中心で和服が似合う和のテイストで人気があった。京都の街に溶け込んでいるので上方女のイメージが強い。しかし彼女はフェリス女学院高等部出身で横浜のお嬢様である。人気作詞家故安井かずみの同級生でもある。

余談になるけど、写真↓は昭和41年この映画の前年だ。昨年の日本経済新聞「私の履歴書」のコシノジュンコの回で、加賀まりこと安井かずみの3人で夜な夜な遊び回ったことが書いてあったが、安井かずみの遊び人ぶりがこの写真からもにじみ出る感じがする。


この映画でも和装が素敵だ。清楚なイメージが強いので今回の作品での男を翻弄する悪女ぶりは藤村志保にしては珍しい役柄だ。当時28歳時代劇のお姫様役からの脱却を図ろうとしている時期なのであろうか。まだ小学校の低学年だった自分は藤村志保に魅せられる何かを感じていた。生意気にもファンだった。こうやって改めてみるとその美貌に幼少時以上に引き寄せられる何かを感じる。

⒉成田三樹夫
成田三樹夫は大映の名脇役である。このブログでは市川雷蔵ある殺し屋勝新太郎座頭市地獄旅をアップしている。大映映画が倒産した後は東映のやくざ映画に出演して特に「仁義なき戦い」では実業家に転身をした松永というヤクザを演じている。 東大を中退して山形大学に行ったと言う変わった履歴を持つ成田三樹夫は、我々の世代にとっては探偵物語松田優作とともに刑事役で出たのがリアルタイムだっただけに1番印象深い。

ここではめずらしい主役である。しかも、藤村志保、安田道代と二人の美人女優からモテモテで、たまには役得もあるかといった感じかな。


⒊安田道代
今ではドスの効いた声で飲み屋のママのような役が得意である。結婚してから大楠道代と名前が変わっている。大映末期に江波杏子とともに女賭博師の映画を撮る前でセックスチェック第二の性という男と女の中性のようなスプリンターを演じる今でいうLGBTまがいの傑作を撮る前の年である。金持ちのお嬢さんで背中に傷がある影のある男成田三樹夫に抱かれる。その翌年からの大人びた活躍からすると、彼女にとっても脱却の一歩となる作品だ。

あとここで注目したいのは脚本の池田一朗である。これは後の小説家隆慶一郎である。立教大講師までやったインテリで早死が惜しまれる「吉原御免状」などの傑作を書いていた。 これはめちゃくちゃ面白い。 そういった意味で奥が深い映画だとも言える。
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映画「キューポラのある街」吉永小百合&浦山桐郎

2020-10-02 08:21:27 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「キューポラのある街」は昭和37年(1962年)の日活映画


吉永小百合の若き日の代表作といえば「キューポラのある街」と言われることが多い。川口の町の話から「キューポラのある街」の話題になり、これってひどい差別用語が飛び交う映画と話すと、ほとんどの人は知らない。吉永小百合と浜田光夫の輝かしい青春物語だと思っているようだ。先日も自分より年長で埼玉で育った人と話して同じような話になった。これまでも2回ほどブログで取り上げたが、踏み込んでもう一度見てみたい。

中学3年の主人公ジュン(吉永小百合)は鋳物工場で働く父辰五郎(東野英治郎)と母トミ(杉山徳子)、タカユキ,テツハルの弟2人と川口の荒川沿いに近いエリアで暮らしている。飲んだくれの父は働いている鋳物工場で人員整理が行われることになり辞めることになる。そんな時妊娠している母が破水して赤ちゃんが生まれるが、父親は飲みに行ったきりだ。無職になる父を若い元同僚の塚本(浜田光夫)が心配して、同僚からカンパを集め、組合からの給付金を渡そうとするが「オレは職人だ。アカの金はもらえない」と受け取らない。


父の失業を心配して、娘のジュンは朝鮮人の同級生がパチンコ屋の台裏で玉の補充をするバイトをしていると聞き、こっそりとバイトを始める。母は飲み屋で働くが、娘にはちょっとお店の手伝いをすると言ってある。長男は朝鮮人の同級生サンキチと一緒に悪さをして、年上の不良少年グループの言われるままに盗みを働いている。

ジュンは勉強ができる。同じクラスの社長令嬢ノブコにも自宅に呼ばれて教えてあげたりしている。浦和にある県立第一高校を志望している。先生にも合格すると太鼓判を押されているが、父親は「女は高校に行く必要はない。中学でて働け」という。それでも逆らって勉強をしている。ただ、職人気質の父親は紹介された別の鋳物工場をすぐさまやめている。


クラスでは修学旅行にいくら小遣いを持参するかが話題になっている。しょげているジュンを担任の教師(加藤武)が心配する。そして、修学旅行の公的な補助金がでる制度を教えてジュンは修学旅行に行けるようになる。しかも、同級生ノブコの父上が大きな鋳物工場の職をジュンの父親に紹介してくれた。これで安心して修学旅行に行けるのだ。

修学旅行の当日朝、意気揚々としていたが、寝ている父親を起こそうとすると、会社を辞めたという。家の中でケンカが始まりジュンは飛び出していく。向かった先は集合場所でなく、荒川の土手を目指すのであるが。。。

⒈川口の原風景
京浜東北線の車両がこげ茶である。自分が幼少時確かにそうだった。今から26年前和歌山から埼玉に転勤することになり、事務所は大宮だが、浦和川口を担当することになった。その時、アシスタントで会社に来ていた川口に住むおばさんに「キューポラのある街」のビデオを借りてみたのが最初だ。吉永小百合のイメージと違うストーリーに驚いた。

川口で働くようになった頃キューポラは今より見かけた。すでに駅前にはそごうデパートがあった。鋳物工場はマンションに変貌している途中だ。当時ロケ地である金山町付近は映画の名残を残していたが、現在この映画の面影はない。浦和川口と比較すると、浦和の方が格上に見えるが、川口は自営業者が多く前近代的資本主義が残る町だ。比較すると川口の事業主の方が金を持っている。家にもお金をかける。浦和はプライドだけ高く所詮サラリーマンの住処にすぎない。

マルクスの世界に近い川口の前近代的資本主義とは貧富の差が激しいということだ。この映画でのステレオがあって、ケーキがおやつに出てくる親友ノブコの家とジュンの家を比較して格差を浮き彫りにする。最近格差が激しいというが、この映画の頃と比較すると比べ物にならない。


ジュンが通った中学校は建替えて荒川の川沿いに今もある。川口市役所や川口陸橋は変わっていない。でもそごうは閉店が決まっている。埼玉は浦和伊勢丹、それと大宮高島屋、川越丸広などの一部除いてデパートがなくなってしまうかもしれない。東京から荒川を越えると、ショッピングモール文化になるのだ。当然、昭和36年には予想もしなかったことだと思うが。
すばらしいyoutubeがある↓


⒉吉永小百合の悲しい1日
修学旅行に行く朝、先生に用意してもらった旅行の補助金を鞄に入れて意気揚々と出かけようとする。ところが、ジュンの友人の父親に紹介してもらった転職先も父親がやめてしまったことがわかる。ガッカリして、修学旅行に行く気をなくしてしまう。ケンカして思わず飛び出す。

ジュンは荒川の土手に佇んでいるが、同級生が乗っているのかと思い横を通る京浜東北線から目をそらす。すると、腹痛がする。慌てて鉄橋の下に向かう。草むらの陰に行くと初潮を迎えたことに気づくのだ。血を見てたじろぐ吉永小百合。みんなが集合場所から出たのを見届けて駅に行く。「浦和一枚ちょうだい」切符を買って、目指している県立第一高校に向かう。校庭の裏から女子生徒が体操着を着て隊列を組んでダンスするのを見る。

本当は行きたかったのにという歯がゆい気持ちが強い。ここが一番悲しい。

川口に戻って、飲み屋街の前を通るとジュンの母親がいた。男の酔客の中でいちゃついている姿を見てショックを受ける。家には帰れない。そう思った時に女友達とばったり会いダンスホールへ行こうと誘われる。そこでは不良グループがたむろっていた。ジュンは女友達と楽しくダンスを踊っていたが、興味半分で飲んだお酒に睡眠薬を入れられていたのだ。薬が効いて女友達共々寝てしまう。別部屋に担ぎ込まれるのである。吉永小百合のピンチだ。

浦和へ向かって、志望校の校庭から体操を眺めるこのシーンがいちばんせつない。架空の県立第一高校としているが、映像を見れば明らかに名門「浦和第一女子高校」の校舎をロケに使っていることがわかる。吉永小百合が体操を眺める石積みの擁壁は今なおある。ダンスをしているのは本物の浦和一女の高校生なんだろうか?


勉強ができるのに家が貧しくて高校へ行けない。悲しい物語だ。昭和30年代にはこんな話がいくらでも転がっていたかもしれない。

⒊北朝鮮への帰還とその人たちは今
ジュンの同級生と弟の同級生サンキチは朝鮮人の姉弟である。屑鉄の回収を行う朝鮮人の父と名脇役菅井きん演じる日本人の母親から生まれる。当時北朝鮮への帰還事業が行われていた。父親は帰国に合意するが、母親は日本人でそのまま残る。「こっちにいても貧乏なんだから向こうへ行っても同じさ」とサンキチは言う。会話の中で北鮮という呼び名で、また戦争が起きるのではと、びくびくしている。この頃は停戦から時間がたってはいない。

サンキチは学芸会の演劇でその後「サインはⅤ」で一世を風靡する岡田可愛と一緒に演じるが、ミスってしまうとほかの生徒たちから「朝鮮人参」とからかわれる。のちの水戸黄門、東野英治郎演じるジュンの父親が「あんな朝鮮野郎と付き合うな」と厳しい言葉を姉弟に言う。 最近では考えられないような差別用語が飛び交う。 この映画はNG用語だらけで昔はTV放映できただろうが、 ちょっと今は難しいだろうなあ。

田舎の駅丸出しの川口駅の前に、北朝鮮への帰還を祝ってみんな集まる。ジュン姉弟もやってくる。最近は隣の西川口、ワラビを含めて中国人が多いが、この当時、川口駅は朝鮮人が多く住んでいたと聞く。自分の記憶では昭和42年ごろに王子駅のすぐそばを歩いたことがあり、今は音無親水公園になっている石神井川のほとりにも朝鮮人居住地の掘っ立て小屋が並んでいたのを違和感のある光景だったので鮮明に覚えている。

朝鮮本国帰還事業のお見送りが繰り返し実際に川口駅の前で行われていたのであろう。この時北朝鮮に帰った人たちはどんな運命をたどったのであろうか?サンキチはどうなったのであろう。想像するだけで気の毒になる。社会党のトップまで拉致はないと言っていたし、北朝鮮が地上の楽園というのは大嘘だとわかるのは平成に入ってからだ。情報が少なかったとはいえ、社会主義者たちの偽りの称賛には今更ながら呆れる。

ここで注目すべきなのは、駅のホームにある駅名標である。乗船する新潟に向かう朝鮮人の弟が 大宮駅で降りたとき、ちらっと駅名標が見える。大宮駅の次が宮原と蓮田となっている。宮原は同じだが、今は大宮と蓮田の間に土呂と東大宮の2駅ある。東京側が赤羽と書いてある。これは驚きだ。浦和駅には停車しない。昭和43年まで東北本線と京浜東北線は一緒の線路を走っていたようだ。時代を感じさせる。


担任の先生から定時制でも勉強できるよと勧められて、その昔バレーボールで有名だった日立武蔵工場に見学に行く。そこで吉行和子演じる先輩の勧めもあり、ジュンは働きながら学ぶ道を選ぶ。ラストはいい方向に持ってきてはいるが、約60年近くなって本当に良かったのかと考えされる。

2020年9月の日経新聞私の履歴書はアート引越センターの寺田千代乃氏だった。寺田氏は中学校卒で誰もが知っている運送会社を築き上げた。実はこの映画のジュンと同じ年である。
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映画「白と黒」仲代達矢&小林桂樹&橋本忍

2020-09-11 05:43:35 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「白と黒」を名画座で見てきました。
これは実によくできたサスペンスである!


映画「白と黒」は昭和38年(1963年)の東宝映画である。昭和38年のキネマ旬報ベスト10の1位はにっぽん昆虫記で2位が黒沢明監督の天国と地獄とハイレベルな戦いである。その年の9位にDVDその他で見かけない作品があった。映画「白と黒」である。名画座での上映に思わず駆け込み、名脚本家橋本忍のオリジナルシナリオでサスペンスという先入観だけで見た。

先輩弁護士の奥様を男女関係のもつれから殺してしまった主人公の弁護士が、警察に捕まり自白した容疑者の弁護をひきうけながら、その罪の意識に心を乱すという話である。単純にはいかない展開と仲代達矢、小林桂樹という東宝の看板スターの演技合戦に息をのむ。

いきなり男女2人が言い合っている姿を映す。「あなたは私の男妾よ」といわれながら、男は女のクビを締めて殺す。男は浜野弁護士(仲代達矢)で、女は浜野がお世話になった宗方弁護士の妻靖江(淡島千景)である。浜野はすぐさま中目黒の宗方邸を立ち去り、自宅へ戻ると宗方宅のお手伝い(菅井きん)から奥様が亡くなったと電話を受ける。事件現場にいくと、浜野がその日に訪問したと聞いた刑事(西村晃)から何時に宗方邸をでたのかと事情徴収を受ける。そのとき、容疑者が捕まったという知らせが入り、浜野は驚く。

捕まった容疑者脇田(井川比佐志)は前科四犯の窃盗常習犯であり、送検され事件を担当する落合検事(小林桂樹)から事情徴収をうけた。脇田は現場から金目の貴金属や現金の証拠品を持ち去っていった。自分は盗みはしたけど、殺しはしていないよと主張する。それでも、執拗な落合検事の取り調べが続き、やがて自白した。弁護には殺された妻の夫である宗方弁護士(千田是也)と浜野弁護士があたることになる。宗方は死刑反対論者であった。

法廷検事に引き継いでいったん仕事を終えた落合検事が、夜のバーで顧問先の建設会社社長(東野英治郞)と一緒だった浜野弁護士と一緒になる。その席で酩酊した浜野弁護士が落合検事に対して、自白の根拠だけで殺しをやったと決めつけるのはおかしいのではないか。自白しても、物証はないではないかと浜野弁護士は主張する。その場では強く反発した落合検事であったが、確かに気になる点があると上司の部長検事(小沢栄太郎)の許可を得て、再度捜査を開始する。しかし、すでに法廷では脇田は死刑の求刑を受けているのであった。


その日に宗方邸のお屋敷に入ったのは浜野とお手伝い、2人と夫人の身辺を洗うと意外なことがわかってくる。徐々に浜野と婦人との関係を匂わせる証拠が出てきたのであるが。。。

1.橋本忍の緻密な脚本
いきなり殺しの場面がでる。犯人がすぐわかるわけである。早めに犯人を観客に知らせてどうやってその犯人が捕まるのか?または無罪放免になるのか?そういうことを観客に考えさせるという映画もある。「飢餓海峡」なんて映画は比較的中間地点で三國連太郎を犯人だと判明させる。でも、この映画では井川比佐志演じる別の犯人を放つ。現場から金目のものを奪って捕まってしかも自白しているのだ。われわれは仲代達矢が犯人だとわかっているから、これって冤罪モノかと考える。そんな感じで見ながら映画の行く先を考える。

しかし、筋立ては単純でない。映画の至る所に伏線を張りながら、少しずつ自分の予想をはずしていく。橋本忍は実にうまい。そして、特別出演で大宅壮一松本清張を登場させる。大宅壮一は当時当代きっての評論家だったけど、この時代のテレビの映像は意外に残っていないからこれって貴重な映像だよね。松本清張が特別出演する。この二人の存在が映画の中で生きる。

2.仲代達矢と小林桂樹のすばらしい演技
一連の黒澤明作品がピークに達している時期である。仲代達矢用心棒、椿三十郎という時代劇、捜査責任者を演じた「天国と地獄」、同じ時期にそういった名作はあれど、演技レベルでいえばこの作品がいちばんだと思う。

仲代達矢小林桂樹が対峙する場面がある。電車がとおる音が響く個室で、小林桂樹が迫る。そのセリフの一つ一つは橋本忍に緻密に設計され、それに対して仲代達矢が対処する顔つきはすごい迫力を持つ。すばらしい!小林桂樹成瀬巳喜男監督「女の中にいる他人」で逆に殺人犯を演じたが、そのときと同じような匂いを感じた。社長シリーズのおちゃらけた姿とは違ううまみがある。

3.60年代が匂う映画
マツダの三輪車トラックや外車の黒塗り送迎車などで「三丁目の夕日」を地でいっている60年代の光景が映る。殺された邸宅もいかにも一時代前のお屋敷の雰囲気を持つのだ。設定自体も山茶花究演じる建設省の役人と東野英治郞演じる建設会社の社長が夜の接待で一緒になったりするのは最近ではあまり見ない光景だろう。そこに絡む特殊音の使い方のうまさ、武満徹の不安を感じさせる音楽が効果的に使われる。映画会社専属がいわれていた時期に、こういうシリアスな映画では俳優座の団員たちなしでは成立しなかったのもよくわかる。

仲代達矢がにげきれるのか?捕まるのか?このあたりに緊迫感をわれわれに感じさせる。そうやって迷彩をつくりながら、一瞬にして思わぬ死角をつくる。ネタバレになるからいえないが、橋本忍の脚本は実にお見事である。松本清張がゲスト出演したのもそう思ったからであろう。自ら犯した殺人事件に別の犯人が現れ、その人物の弁護をする弁護士が主人公なんて設定はありそうでなく現代にリメイクされてもおかしくない。

今日はボロボロのフィルム上映だったけど、AMAZONプライムにあった。ただ、この映画は大画面で観た方がいいと思う。

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映画「女は二度生まれる」若尾文子

2020-08-28 05:28:48 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「女は二度生まれる」は1961年(昭和36年)の大映映画


九段下に行くと、坂を登れば靖国神社だ。靖国神社は諸外国からみて右翼の象徴みたいになっているが、軍人を祀るということなのにちょっと大げさである。その靖国神社の参拝シーンが多い映画がある。川島雄三監督若尾文子主演「女は二度生まれる」である。靖国神社の近くにあった富士見町の花街の芸者を演じている。てっきりブログアップしていると思っていた。60年前の東京にタイムスリップするのも悪くない。

芸者小えん(若尾文子)が筒井(山村聡)と床を共にしていると、太鼓の音が聞こえる。なんだこれは?と筒井は驚くが、靖国神社で朝5時に鳴る太鼓の音だ。その場限りのお付き合いだが、売春防止法もあり、自由恋愛なのに名前を知らないのもおかしいと筒井の名刺を求める。建築設計士だった。小えんは芸者といっても芸のできない不見転(みずてん)芸者、御座敷の後でお呼びがかかると一夜を過ごす。


小えんは花街で顔を合わせる大学生牧純一郎(藤巻潤)に心を寄せるが、店を贔屓にするお偉いさんに同伴して御座敷に来た新橋烏森の寿司屋の板前、野崎(フランキー堺)とは気があった。一緒に熱海に遠出する仲の正体不明の社長矢島(山茶花究)と銀座に行った後野崎の鮨屋へ押しかける。自ら誘って酉の市に鷲神社へ一緒に行き商売をはなれて泊ったりした。


そんなある日、彼女のいた置屋の売春がばれて警察の呼び出しがかかった。やむなく、小えんは芸者仲間に以前から誘われていた新宿のバーにつとめると、思いがけず筒井に再会する。やがて、渋谷のアパートで筒井を待つ生活をすることになる。それでも、映画館で知り合った17歳の少年工と遊ぶと、それがバレて筒井から大目玉をくらったりした。そんなとき、筒井がガンになってしまう。不治の病にたおれると本妻の目をぬすんで看病したりもしたのであるが。。。

1.富士見町九段三業地
現在だと、千代田区富士見の地名は靖国神社から見て北側で飯田橋駅に接近するが、靖国神社から靖国通りを渡ったあたりに九段三業地富士見町の花街があったようだ。富士見という名前はでてこないが、神楽坂では靖国神社の太鼓は聞こえない。昔から神社のそばには花街があるという。九段下には旧軍人会館のちの九段会館がある。軍人がいるところにも花街は絡むものである。今から約60年前に靖国神社に参拝する人が映し出される。貴重な映像である。


とは言うものの最初に若尾文子が登場するこの階段はたぶん神楽坂の風呂屋裏芸者小道の階段ではないか。最初に銭湯から色街の姐さんがでてくるシーンもあるけど、今もある風呂屋だと思う。はっきり富士見花街が舞台といいきらないのはこのように混ぜ合わせているからだろう。


現在の階段(筆者撮影)
若尾文子の位置から向かって右に映る壁に縦にパイプのようなものがある。60年前と現在の写真とほぼ同じ位置だ。その壁から階下に向けて階段が広がるように見えるのも同じだ。


2.若尾文子演じる女たちの性的観念
若尾文子が演じる昭和35年の作品では女経ぼんちをブログにアップした。
この辺りの自由奔放さは最近では考えられない。自分の母と同世代なので気分は複雑だ。自由恋愛、売春防止法というのがキーワードである。

若尾文子は美しい。その美貌と併せて、着物のセンスがいい。昭和35年当時に20代半ばとすると、昭和一桁生まれか?昭和8年生まれの若尾文子と同じくらいの年齢であろう。両親は空襲で両方とも死んだとセリフにあり、「筒井の奥さんは女学校出身」なんて台詞もあるので小学校卒業を超える学歴はないと思われる。昭和9年生まれは義務教育で中学校に行けたが、それよりも上の人は行っていない。いつ置屋に入ったのであろう。女の武器で生計を立てるというのが当たり前の世界なのか。


ここでよくわからないのが、若尾文子が寿司職人や17歳の工員に惹かれるところだ。映画観客動員数のピークは1958年の112万人、TVは普及しているが1960年はまだそれなりに多い。新制高校進学率は男女合わせて1950年で46%、1960年は57%(文部省資料 1962)である。観客の学歴は決して高くない。そうなれば、観客の目線にも合わせる必要がある。大学の制服を着た藤巻潤を登場させるが、一方で職人や工員を美女の若尾文子とカップリングさせないと観客とレベルが合わない。そんなことなんだろう。

現代の映画と違って、露骨に男女の絡みはみせない。ふすまや雨戸を閉めてこれからスタートということで画面は変わる。若尾文子はこれからどう抱かれるのだろうと次のことを連想させる。それはそれでいいのかもしれない。
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映画「女囚701号 さそり」梶芽衣子

2020-08-20 05:37:53 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「女囚701号 さそり」は1972年(昭和47年)の東映映画


「女囚701号 さそり」梶芽衣子の代表作と知りながら、なぜかご縁がなかった。怖いもの見たさに覗いてみると、これがまた凄い。梶芽衣子本人の存在感は言うまでもないが、 扇ひろ子 、横山リエ、三原葉子、渡辺やよいと女性の脇役が粒ぞろいでそれぞれにインパクトが強い。女性刑務所内での女囚同士のつばぜり合いが激しい。女囚への強いお仕置きがエロ系の匂いもさせながら酷く映す。

日の丸国旗が映し出される中、刑務所所長(渡辺文雄)が表彰状をもらっているところに大きなサイレンの音が響き、式に出席の刑務官が一斉に向かう。松島ナミ(梶芽衣子)と木田由紀子(渡辺やよい)が懸命に脱走している。刑務官が取り押さえようとしても、簡単には捕まえられない。追いかける警察犬もたたき殺す。しかし、結局2人は捕まり懲罰房に押し込まれる。


松島ナミは警察官の恋人杉見(夏八木勲)に頼まれ、麻薬組織が関わるナイトクラブに潜入していた。ところが、身元がばれ、組織の人間たちに強姦される。その場に杉見が捜査に立ち入り、麻薬を押収して組織の人間たちは逮捕される。しかし、組織幹部と杉見が裏でつながっていて不要なメンバーを追い出すためだった。組織からの杉見への分け前を少しだけ強姦された松島に渡したが、復讐の念しか起きなかった。松島は杉見を殺そうとして捕まり、刑務所に入ったのである。


懲罰房では半裸で手足を縛られた状態である。色の違う囚人服を着たグループが給仕に来て熱い味噌汁を松島にかけようとしたら、逆に足をすくって味噌汁の入った大きな鍋を浴びせ返す。こういった感じで何かやられたらやり返す。味方が敵になったりの繰り返しだ。

この映画のストーリーは書きづらい。
逆転に次ぐ逆転で女囚も、刑務官も、刑務所の所長の誰もがハマる。グロな感じがすごい!

1.梶芽衣子
代表作である。無口でニヒル、その美貌は彼女のピークであろう。子ども心に芸名が途中で梶芽衣子に変わった記憶がある。主題歌の「怨み節」はこの当時街でよく流れていた。まだ中学生の自分には暗い音楽としか感じられなかった。この当時の女囚だけに、男性刑務官からずいぶんといたぶられるし、周囲との折り合いも悪く闘争が絶えない。それでもしのいでいく。

片山由美子という女優がいた。少年たちが親に隠れてこっそり観ていた12chの「プレイガール」にでていた。その片山由美子は女性刑務官役で梶芽衣子の懲罰房にはいって、最終的には落とし込めるつもりだったのだが、若干レズビアンの気がある彼女を梶芽衣子がいかせまくるシーンがある。当時「プレイガール」で見せてくれなかった弾力性のあるバストを披露していきまくっているシーンには、エロの匂いを感じさせる。


最後にはニヒルな帽子姿がわれわれを虜にする。クエンティン・タランチーノが彼女のファンであるのはあまりに有名だ。会ったら手を握って離さなかったという。「キル・ビル」でも梶芽衣子にオマージュを捧げている。


2.横山リエ
新宿泥棒物語遠雷での印象が強い。まだ20代そこそこだった新宿泥棒物語よりも遠雷でのジョニー大倉がハマるスナックのママ役が適役だ。この数年前まで新宿3丁目でバーのママをやっていたが、60代も半ばになりやめた。自分も数回行ったが、年齢には勝てない。


この映画の当時24歳、ほかの作品と違うのは眉毛をそっていかにも女囚らしさを出しているところだ。高橋洋子主演の名作旅の重さも1972年、ほぼ同時期に撮影されているが、「旅の重さ」のドサ回りの劇団員役が横山リエらしいといえるかもしれない。

3.三原葉子
昭和30年代中盤に、その後TVで大活躍した宇津井健天地茂とともに新東宝のエロ路線の看板女優であった。この映画では横山リエ率いるグループに所属して、まったく三原葉子とは気づかず見ていた。いかさま博打で金を巻きようとしているところを見破られ、気が付くと大ゲンカ。鬼の血相のメイクがちょっとホラーぽく狂気じみている。昭和8年生まれというと、当時中学生だった自分の母より年上である。それを思うと、風呂に入る場面で豊満なバストを披露しているのには複雑な気分だ。


4.扇ひろ子
ものすごい貫禄である。周囲に群れない、一匹狼のような女囚だ。新宿ブルースの大ヒットでTVで顔と名前は知られるようになっていた。小学生の自分も記憶がある。ヒットした当時22歳だというのには驚く。その後日活で女任侠映画の俠客をいくつかの作品で演じている。これは見ていない。


日活は1971年にロマンポルノに方向転換するわけで、この映画が撮られた1972年は東映がそのキャラで引っ張るのにいい時期だったのかもしれない。この映画でも、女囚の1人がサイコロ賭博でイカサマをやっているのを見抜く。そこからの三原葉子とのドタバタはある意味怪談のようだ。

5.渡辺やよい
梶芽衣子扮する主人公の相棒のような存在である。当時の性に目ざめようとする少年たちには大人気だった「ハレンチ学園」児島美ゆきが退いた後の十兵衛役をやった。当時自分も友人と映画を見に行っている。ませたガキだなあ。児島美ゆきがなかなか脱いでいないのに対して、渡辺やよいはあっさりバストトップを見せて友人とニッコリ。美乳には少年の頃ずいぶんお世話になった。その後、相撲の蔵間と結婚したけど、死に別れはかわいそう。


いずれにせよ、梶芽衣子の最後に向けてのかっこよさは時代を超えてすごい!意外にもバストトップを見せるその過剰サービスぶりもあって、一見の価値がある。こんなに見せてくれるとは知らなかった。
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映画「社長外遊記」森繁久弥

2019-12-31 06:52:00 | 映画(日本 昭和35年~49年)
社長外遊記は1963年(昭和38年)の東宝映画


おなじみ森繁久弥の社長シリーズである。外国旅行自体が持ち出し外貨の規制で容易には行けなかった1963年では、ハワイは日本人にとってはまさに夢の楽園である。その時代に社長シリーズの森繁久弥の社長、加東大介の常務、三木のり平の営業部長、小林桂樹の社長秘書のおなじみ4人組を中心に海外ロケを張るのは画期的だったろう。そこに加わるのがフランキー堺である。日系三世の設定で異質な日本語を話しながら酒を飲んで大暴れ、この奇想天外なパフォーマンスもこの映画の見どころである。

銀座に店を構える丸急デパートの風間社長(森繁久弥)には先代からの補佐である大島常務(加東大介)、宴会部長こと珍田営業部長(三木のり平)、社長直属の秘書(小林桂樹)の腹心が周囲を固める。家庭では妻(久慈あさみ)との間には5人の女ばかりの5姉妹がいる。ハワイから日系三世の雑貨商ジョージ沖津(フランキー堺)が来日してきた。風間社長の自宅が進駐軍に接収された時にジョージが住んだという旧知の仲である。今回は商品仕入れに来日したのだ。

社長からジョージを紹介された珍田部長は早速「パーとやりましょう!」と上機嫌で新橋の料亭を芸者付きでセットする。社長はその夜銀座のマダム(草笛光子)から折り入って相談があると逢引きの約束があり、秘書の中村も心を寄せていた春江(藤山陽子)と会う約束だった。珍田部長が2人に有無も言わせずに一気に宴会に突入する。酒を飲むとヒートアップするというジョージは大暴れ、社長はそそくさと帰り、幹事役の珍田部長も中村秘書に任せて早めに退散して宴席がとんでもないことに。

ある日大島常務が大慌てで社長室に飛び込んできた。商売敵の福助屋が香港へ進出するという情報が入ったのだ。先に海外進出への一歩を踏み出したと聞き、ならばこちらはハワイ進出でと作戦を練る。結局秘書の中村に現地で開業準備するように白羽の矢が立ち、結婚を申し込んだ春江と泣く泣く別れハワイへ単身駐在する。

やがて出店用地買収の候補地が見つかり社長、常務、営業部長の3人もハワイへ現地視察に向かう。到着早々さくら亭という現地の割烹で歓迎会をやる。社長は女将(新珠三千代)と知り合い、密会を試みるようになるのであるが。。。


この社長シリーズも30作以上続いた。美女を見るとすぐ鼻の下を伸ばす森繁久弥社長がどんな美女とお近づきになれるかというのが毎度のテーマである。今回は銀座のマダム(草笛光子)に開店資金の援助を頼まれ、ハワイの割烹の女将(新珠三千代)と知り合いデートに結びつく2つの浮気がストーリーの鍵だ。


「男はつらいよ」渥美清演じる寅さんはいつも飛び切りの美女とお知り合いになるが、結局結ばれない。それと同じで、美女と一歩先のいい仲になれそうになるところで妻(久慈あさみ)が登場するのが毎度の構図である。この惜しさがキーポイント。

村上春樹都築響一との対談の中で
「森繁の社長は人ごとながらとてもかわいそうな気がする。あともうちょっとのところなのに。」と同情する。

今回は娘が5人もいる。
長女の中真千子が父親に銀座のマダムといい仲なのをママにばらすと脅迫する。
自分の世代では次女の桜井浩子「ウルトラマン」で、三女の岡田可愛「サインはV」で活躍していたのをリアルタイムで見ていたので親しみがわく。なんと五女は上原ゆかりである。小さい頃「マーブルチョコ」のCMにでていて自分より少し年上だが、同じ子供なので羨望のまなざしで見ていた。


あとは今の宴会では全く見ることができなくなった三木のり平宴会部長の宴会芸だ。古き良き日本の伝統を見せつけてくれる。フランキー堺演じる日系三世の歓迎会をセットする際、芸者は若い子でねと再三注文したにもかかわらず、きたのはババア芸者だ。昭和40年代に意地悪なおばあさんを演じさせたら天下一品だった武智豊子が芸者役で主演、それ自体ギャグだが、顔を見て落胆する三木のり平が笑える。


ハワイへの渡航時には三木は周りに隠して宴会用カツラを荷物にしのばせる。おどける姿はハワイでも同じだ。加東大介常務は風呂敷の中に炊飯器を隠して渡航して、ご飯を炊いて社長にも日本式朝食を振る舞う。今じゃ考えられない話だ。

この映画には続編があって終わり方が中途半端だが、良き時代の東宝映画の楽しみが味わえる。

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映画「霧の旗」 山田洋次&倍賞千恵子

2019-12-25 08:51:37 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「霧の旗」は1965年(昭和40年)の松竹映画


松本清張の原作「霧の旗」を名脚本家橋本忍がシナリオとし、当時34歳の山田洋次監督がメガホンを取るミステリー映画である。その後「男はつらいよ」などで長期にわたってコンビを組む倍賞千恵子が主人公を演じる。山田洋次は助監督から監督に昇進したあとに喜劇作品を主に撮っていた。後年にわたっても珍しいミステリー作品である。「下町の太陽」でもコンビを組んだ倍賞千恵子もまだ若い。しかし、ここでの倍賞千恵子は我々が知る彼女のイメージよりも強い女を演じる。


映画の存在は知っていたが、「男はつらいよ」の50作目が今週公開するのにあたってはじめてDVDを手にとる。原作はもちろん未読、全くの先入観なしに見てみた。これがまたよくできている。テンポがよくおもしろい!話の展開に吸い寄せられ、まったく飽きない。自分がまだ子供だったころの東京の懐かしい風景がでてきて、まさに適役といえる滝沢修と新珠三千代がいい仕事をする。

熊本に住む柳田桐子(倍賞千恵子)が夜行列車を乗り継ぎ上京する。高利貸しの老婆を殺した容疑で逮捕された兄柳田正夫(露口茂)の弁護を依頼するため、大塚欽三(滝沢修)の弁護士事務所を訪ねた。しかし有名弁護士である大塚事務所の弁護料は概算で80万円、桐子にはそんな多額の金はない。兄は絶対無実であるからなんとか弁護してほしいと大塚弁護士に懇願するが、結局断られる。町の公衆電話で繰り返し懇願する桐子を見た雑誌社の記者阿部(近藤洋介)が声をかける。桐子から事情を聴き問題にしようとしたがそのままとなった。結局兄は死刑判決を受けた後獄死した。

一年後、大塚欽三は柳田桐子から結局兄は死んでしまったとはがきを受領する。大塚弁護士ははがきには反応しなかったが、何となく胸騒ぎがする。事件のことが気になり熊本から事件の裁判記録を取り寄せる。自分なりに事件を追っていき、資料と証言その他を読み込むと自分が弁護を引き受けても無罪にはできなかったと感じる。

心のもやもやが消えて大塚欽三は愛人のレストランオーナー河野径子(新珠三千代)と会食をする。そのとき隣で食事をしている人の仕草をみながら殺人事件に関わるあることに気づくのである。一方で桐子は上京して銀座のバーに勤めていた。そこで雑誌社の阿部に再会、バーのママの弟(川津祐介)も絡んだおかしな事件に桐子は巻き込まれていくのである。

映画が始まり上熊本駅に立つ倍賞千恵子を映す。列車を乗り継ぎ博多や八幡製鉄所、瀬戸の町並みなどを映し東京に向かう情景は、野村芳太郎監督「張り込み」や後の山田洋次監督「家族」の冒頭を思わせる。そのあと理不尽な依頼を滝沢修演じる弁護士に申し立てる。先入観なく見ていきながら、こんな依頼を受諾するのかな?と感じていくと当然受けない。東京の街をあてなくさまよう倍賞千恵子には同情の気持ちは起きない。


1.弁護依頼
桐子は熊本からわざわざ上京して、何で大塚弁護士に絞って依頼しに来たんだろう。そのあたりは何も語られない。ただ、有名弁護士であるというだけだ。弁護料は高いのは当たり前。弁護士事務所の職員が弁護費用はざっと80万円だという。昭和40年の80万円って今だったらどのくらいになるんだろう。昭和40年の日経平均株価の年間平均が1200円、現在が24000円なので、ざっと20倍。こういう計算が適切なのかわからないが、80×20なら1600万円になる。それは小娘が持っている金ではなかろう。

映画の中で、大塚弁護士が海外貿易に関する訴訟の依頼を受けているシーンが出る。刑事罰で依頼するとなると弁護といっても畑違いじゃないかと思う。そう考えるとますます桐子の行動はピント外れだ。

最終的に桐子に恨まれる格好にはなるが、世間一般の常識で言えば、この弁護士の行動はまったく理不尽でない。でもこの女は映画の最終に向け徹底的に弁護士に対する恨みを見せる。この映画はミステリーであると同時に悪女映画といえるのではなかろうか。

2.殺人容疑
裁きを受ける露口茂演じる兄は修学旅行のために生徒から回収したお金を落としてしまったという間抜けな教師である。誰にもいえず、高利貸しの老婆のところへお金を借りにいく。でも返せる見込みはない。老婆の督促はきびしい。返済時期を延ばしてもらおうと老婆の自宅に行くと殺されていた。ただ、この兄貴もうかつである。借入証を持ち帰るのだ。しかも、取り調べのきびしさに思わず自白もしてしまっている。

その後「太陽にほえろ」で名刑事を演じた露口茂もここでは情けない役だ。


兄が殺しをやるわけないと妹は無罪を勝ち取ろうとする。国選弁護人はまったく活躍しない。
大塚欽三弁護士は裁判記録を取り寄せる。記録を読んでこの裁判を勝ち取るのは無理だと思ったところで、あるきっかけでこの殺しは左利きしかできない犯罪ということに気づく。兄は左利きなのか、右利きなのか?でもそのときには兄は亡くなっている。どうしようもないのだ。

3.滝沢修と新珠三千代
適役というのはまさに2人のことである。自分がはじめて滝沢修を知ったのはこの映画が公開された翌年のNHK大河ドラマ尾上菊之助(現菊五郎)主演「源義経」である。前年の「太閤記」に引き続き圧倒的な人気であった。低学年の小学生だった自分も食い入るように見て歴史好きになった。そこで義経を助ける正義の味方東北の武将藤原秀衡を演じていた。それ以来、いつも老練な演技にうなった。ここでみせる弁護士先生の貫禄はさすがである。このときの滝沢とほぼ同年齢となった自分にはこの貫禄はない。


新珠三千代もぴったりの役である。東宝社長シリーズで社長の森繁久弥がぞっこんになる料理屋のママ役、同じ松本清張原作映画「黒い画集 寒流」で演じた料亭の女将など30年代後半からこういう役を次から次へと演じている。でも殺人犯にさせられてしまうのは他では見ていない。これが起点となり翌年成瀬巳喜男監督「女の中にいる他人」での悪女と言うべき主婦役を演じられたのかもしれない。自分の無実を嘆願する姿はその後大人気だったTV「細うで繁盛記」の加代を思わせる。


いろんな場面で犯罪のシーンや法廷シーンを再現映像にしてに交互映し出していく。
このあたりの編集は巧みである。テンポよく映像が流れているので見やすい。想像以上によかった。
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映画「私が棄てた女」 浦山桐郎

2019-10-20 10:53:45 | 映画(日本 昭和35年~49年)

映画「私が棄てた女」は1969年(昭和44年)の浦山桐郎監督作品である。


1969年(昭和44年)のキネマ旬報ベスト10の2位の作品である。これも長らく見れなかったが、ようやくDVD化された。浅丘ルリ子が主演であるような映画ポスターであり、クレジットもトップである。今は妖怪のようになった浅丘ルリ子もこのころは美しかった。バストトップは見せないが、入浴シーンもある。実際には小林トシエがまさに「棄てた女」である。この映画で映る東京を見ているだけで懐かしく面白い。

自動車会社に勤める吉岡努(河原崎長一郎)は、社長の姪のマリ子(浅丘ルリ子)と社内恋愛をしていた。ある夜、かつては学生運動の仲間だった長島(江守徹)らとクラブに行きホステスの女(夏海千佳子)を抱いた。その女は努と会ったことがあるという。そしてミツ(小林トシエ)の噂を聞いて驚いた。ミツは努が学生時代に遊び相手として見つけた女工である。努が海岸におきざりにして逃げて別れたのだ。


マリ子と一緒に社長一家の別荘に向かう途中の道で、努は偶然ミツを見かけて追いかける。突然の再会にミツは泣き崩れた。ミツが子供を中絶したことなど努は知る由もなかった。社長一族との宴で努はかなり泥酔した。それでも努はマリ子と結婚した。しかし、努の心には、ミツを無残に見捨てたことへの思いがあったのだ。一方、ミツはその頃、借金をかかえて飲み屋で働いていたが、女工時代からの仲間しま子から努の結婚のニュースを聞いた。それでも彼女は努との思い出を大事にしていた。

ミツはひょんなことから知り合ったキネ婆さんが入った老人ホームに住み込みで働くようになる。ある日、努は業者の接待にきたホステスのしま子からミツの近況を聞き、会った。二人は結ばれた。その様子をしま子の情夫が撮影していた。マリ子の許にかつて努がミツに送ったラブレターが送られてきた。マリ子は、老人ホームで働くミツを訪ね罵倒し、手切金をつきつけた。手紙はしま子の仕業だったのだが。。。

1.浦山桐郎 キューポラのある街との比較
浦山の前作「キューポラのある街」では、川口の鋳物工場で働く父親東野英治郎をもつ中学生吉永小百合が主人公だ。川口の貧民エリアに住み、修学旅行にも貧しくて行けず、成績がいいのに高校にも行きたいのに行けない。まさに実際の浦和一女をロケして、校庭で体操する女子学生を恨めしそうに見つめる吉永小百合の姿を映す。これがせつない。その貧しい吉永小百合の友人である川口の富裕層のお嬢さんを登場させ観客に格差社会を訴える。
キューポラのある街
浦山桐郎


主人公河原崎長一郎は名前は出ないが、大隈翁の銅像が映る早大校舎と早稲田独特の学部章をつけた学ランで早稲田出身を示す。1960年の回想シーンが出てくる。安保闘争にうつつを抜かし、雑誌のペンフレンド募集の欄を見て町工場の女工であるミツと待ち合わせる。そして、処女のミツと無理やり交わる。当然相手のミツは積極的になる。でも河原崎は本気ではない。そして、関係を断ち切る。今は社長のメイである浅丘ルリ子と付き合っている。社長一族のお供で葉山の別荘に行く。みんなは横須賀線の一等車に乗って葉山に向かう。社長兄弟と一族が一家団らんする光景はいかにもブルジョアの世界だ。


川口と東京のブルジョア、レベルが違うかもしれない。でも、浦山桐郎が強調したいのは同じ格差社会である。今、盛んに格差社会について言われるが、昭和30年代から40年代の格差に比べればマシだと思う。

2.1969年の五反田
浅丘ルリ子河原崎長一郎が2人で乗っている自動車の車窓に移る山手線のガードは五反田駅みたいだ。信号待ちしていると横断歩道にミツの姿が見える。あわてて車から飛び出し追いかける。行き着くのは目黒川沿いの五反田の歓楽街だ。今はもうない。その昔は青線エリアともいわれた飲み屋でミツは働いている。このエリアは浅丘ルリ子がマドンナの映画「男はつらいよ 忘れな草」にも出たことがある。近くのガード上を古い型の池上線が走る。


自分はこの飲み屋街の目黒川を隔てて反対側にあった産婦人科で生まれた。今はラブホテルになっている。信号待ちしていた駅前の交差点横に当時大人気の不二家があった。その近くに自分の家はあった。この映画が公開された昭和44年は祖父が死んだ年、思い出はつきない。


3.1960年代の老人
ミツはひょんなきっかけで老人ホームに勤めるようになる。そこにいる老人たちはみんな和装だ。昭和40年代前半であれば、このおばあさんたちは明治生まれである可能性が高い。自分が子供のころのおばあさんというのはみんなこんな感じだった。この映画の数年後自分は小学校を卒業する。その写真に写る母親は全員絵に描いたように和装である。明治大正生まれが減るたびに和装は減る。昭和一桁だった母親たちが境目だったのかもしれない。



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映画「エロ事師より人類学入門」今村昌平&小沢昭一

2019-09-18 05:28:50 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「エロ事師より人類学入門」は野坂昭如の小説を映画化した作品である。

この小説で三島由紀夫の激奨を受けた。今村昌平監督作品で昭和41年のキネマ旬報ベスト10の第2位となっている。以前今村昌平監督の日本経済新聞「私の履歴書」でエロ事師の制作過程の話を読んだことがあり、気になっていた。8ミリ映写機を4つ重ねて撮る姿が滑稽、神保町名画座の小沢昭一特集で見れてラッキーである。


大阪ドブ川横に建つ長屋の一角に未亡人松田春(坂本スミ子)が経営する理髪店がある。そこに居候する緒方(小沢昭一)はアパート隣家の性行為を盗聴したテープや即席俳優でつくったブルーフィルムを裏でつくってまわしているエロ事師である。相棒のカメラマン伴的(田中春男)とつくって割烹など安心できるところへ回す。裏商売にはヤクザと関わらずに身を隠して商売している。


未亡人春には高校を卒業して浪人生活をしている長男幸一(近藤正臣)と15才の長女がいる。緒方はたまに長女のセーラー服をこっそり拝借して撮影に使っている。 春は長男を可愛がっているが、勉学に身が入らずぶらぶらしている。ところが、肺の疾患にかかっていることがわかり、入院してしまう。次第に娘は不良の友人と遊んでグレてくるし、長男は裏口で大学を行こうと金の無心をしてきて訳わからなくなる。

時代が違うのであろう。エロ事師の題材とはいえ、強烈な絡みはない。
90年代で言えば村西とおるのような人物だと思うが、もっと根が暗い。それでも、大阪弁が妙に軽快で悪いことも悪く聞こえない。
個別の俳優の起用に巧さを感じる。

1.中村鴈治郎、ミヤコ蝶々、内田高雄
処女相手にこだわる会社役員を演じる中村鴈治郎、一度でいいからウブな子としたいと言う関西のエロ重役は鴈治郎しかできない。その女を調達するにはミヤコ蝶々だ。子どもを産んだばかりの女を調達して、そんなわからしませんと平然とセーラー服を着させて中村鴈治郎のもとへ行かせる。こういうやり手ババアやらせると実に上手い。


あとは、内田高雄だ。時代劇の悪代官や現代劇では政財界のワルな黒幕など長い間活躍してくれた。ここでは緒方がダッチワイフ研究のため、理髪店裏のドブ川に着けているボロな小船で閉じこもっているところに乗り込もうとしてドブ川に転落するシーンがある。思わず笑ってしまう。ただ、こんな汚いドブ川落ちて大丈夫だったのかな?

2.近藤正臣
近藤正臣柔道一直線でブレイクするのはこの3年先、入学するのには30万円かかると金をせびる。義父的な存在の緒方と仲がいいのかどうかよくわからない。妹のけいこは夜の酒場に出入りしたりして、不良と付き合っている。その仲間が良からぬ筋を連れてきて緒方と仲間の金を盗む。そんなことをされても緒方は憎まない。

3.坂本スミ子

ここで凄みを見せるのは坂本スミ子であろう。自分は紅白歌合戦で彼女を見た記憶がある。小沢昭一が35才で坂本スミ子が38才の設定だ。情の厚い大阪女を地で演じられるところがすごい。性欲たっぷりの未亡人の色気をプンプンさせて、小沢昭一にベッタリする。でも、肺病で体の調子を崩したので弱気になる。この土地と建物今売るんだったら250万円だと言いはじめる。加えて今中学生の娘を高校卒業したらもらってくれなんていう。この辺りのセリフが現代的でない。そして、一つのクライマックスである。病室から外へ向かって叫ぶシーンとなる。この時代には珍しく、オッパイがポロリ



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映画「経営学入門より ネオン太平記」小沢昭一

2019-09-16 17:36:37 | 映画(日本 昭和35年~49年)
経営学入門より ネオン太平記 [DVD]
小沢昭一


「経営学入門 ネオン太平記」は昭和43年の日活映画だ。

まだ日活はロマンポルノ路線にはなっていない。大阪のアルサロのマネジャーを小沢昭一が演じる。大阪万博開催2年前の猥雑な大阪の夜を映し出す。脚本は今村昌平だ。たぶんアルサロに実際に行ってしっかり取材してきたんだろう。大勢の女性をアルサロで稼がせる小沢昭一のセリフに取材の跡が見える。監督は今村昌平の下にいた磯見忠彦である。ゲストが超豪華で、渥美清三國連太郎野坂昭如黛敏郎だ。今村昌平人脈で北村和夫小沢昭一人脈で加藤武も出演している。かしまし娘も歌いだす。

アルサロすなわちアルバイトサロンである。プロのホステスではなくアルバイトの素人が男性陣のお相手をする。ボックスに入ってぶちゅっと激しいサービスだ。グランドキャバレーよりサービスは過剰である。東京近郊で以前は見た気もするが、キャバクラの繁栄のあと熟女パブの登場で首都圏では死語に近いものがある。この映画大勢のアルサロの女性が出ているけど、松尾嘉代、吉村実子という一部女優陣以外はホンモノのアルサロの女の人かもしれない。


ストーリーはあるようでないようなものだ。大阪郊外の街にあるアルサロはライバルのクラブとの競争が激しい。素人さが受けるんだよと過激なサービスをマネジャー(小沢昭一)が要求している。アルサロの経営者は市議会議員を自分の店で過剰接待して、キャバレーにトルコ風呂が加わったような飲み屋ビルを計画している。その計画を聞きつけたヒステリーばばあたちが店に怒鳴り込んできているが、マネジャーは軽くあしらっている。

マネジャーには妻(園佳也子)と娘がいるが、妻とは内縁状態だ。籍を入れていない。夜を妻に求められても逃げるばかり。それもそのはず、キレイどころはしっかりと自分のものにしている。双子の美人姉妹(古川潤子、由子)が入店してきて姉の方に手をつける。そんな関係も次第にわかって大騒ぎなんてよくある話だ。


いきなり2人の顧客をアルサロの女性が取り囲んでボックスで激しいサービス、おや、この2人見たことあるぞ。かたや落語家桂米朝でもう1人メガネをかけているのは小松左京だ。まだ日本沈没は書いていない。小沢昭一が演じるマネジャーが夕礼でホステスたちに客からしっかりと金をふんだるよう激励している。指名が入ればチップが出るぞとばかりに指導する。これ以上ふんだくられたらヤバイと客は飛び出そうとする。そうはいかないオンナたち、いきなりその攻防だ。


大阪郊外の街を映し出す。これは京阪電車であろうか?最初は守口という看板が見える。飲食店の看板にある価格が安い。ボーリングは朝が100円、昼は150円、6時過ぎが200円となっている。ボーリングブームはこの2年後だ。万博も始まっていないし、狂乱物価の時代でもない。

一流のホステスは日給1000円は稼ぐぞ!とマネジャーがせっつく。収入も少ないかもしれないが、いい時代である。最後に大阪の中心部中之島あたりをアルサロの店員がマラソンで行進するシーンが印象的だ。首から下げているゼッケンに仁丹とかパイオニアとかバヤリースなんて会社名が書いてあるのは笑える。

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映画「約束」岸恵子&萩原健一

2019-06-23 08:47:02 | 映画(日本 昭和35年~49年)

映画「約束」を名画座で観てきました。
約束
岸恵子,萩原健一


岸恵子と萩原健一のコンビ、名作の誉れが高い1972年の映画「約束」はなかなかDVD化されず観そびれていた。名画座での「萩原健一特集」でいきなり「約束」が放映されるとなるといくしかない。列車の中で偶然出会った男女のつかの間の恋を映す。日本映画自体が下火になっていたころで、岸恵子と萩原健一の組み合わせは話題になった記憶もある。


海辺を走る急行列車の座席に蛍子(岸恵子)の前にチンピラ風の青年朗(あきら)(萩原健一)が座る。朗は盛んに話しかけるが、蛍子は何も答えない。停車駅で外に飛び出した朗は駅弁を三つ買ってきて蛍子と横に座る中年女性に渡す。そこで初めて言葉を発し、その弁当を食べる。列車の中では護送犯(中山仁)が刑事とともに乗車してきた。朗は護送犯に何をやったの?とちょっかいを出すが、警官に止められる。どこまでいくのと蛍子に聞くと、羽越までと答える。朗も羽越まで向かっているのであった。そのあとトイレに向かう蛍子の姿を横に静かに座っている中年女性が目で追っている。


駅をおりて用事を済まそうとしていた朗だが、横に座っていた中年女性と一緒に旅館の中に入る蛍子を見つける。しばらくして旅館から外出した蛍子の後を追っていく。蛍子は海辺の墓に向かい参拝するが、朗はそのあとを追う。同時に蛍子の付き添いの中年女性もひそかに追っていく。朗がさかんに蛍子に話しかける中、次第に朗と気があっていく。お互いにひかれつつあって翌日に旅館で待ち合わせる約束をするのである。

しかし、翌日の定刻には朗は来れなかった。戻るべきところがある蛍子は付き添いの女性とともに駅に向かい列車に乗車する。すると、朗も駅にきて、しばらくこの町に一緒にいようよと言うが、蛍子はかたくなに列車に向かう。そこで蛍子ははじめて自分の身の上を話す。そして列車に乗車するが、朗も改札を強引に入り込み、走り出す列車に無理やり乗車するのであるが。。。


1.萩原健一
小学生の時にGS全盛時代を経験している。比較的後発でテンプターズがデビューした。1968年「神様お願い」がヒットし、直後の「エメラルドの伝説」がヒットチャートナンバー1になる。まさに頂点のころ、クラスメイトの女子小学生はキャーキャーうるさかった。自分も幼心にリードボーカルがかっこいいと思っていた。しばらくしてGSが下火になり、沢田研二とのツインボーカルで「PYG」というバンドが結成される。でもバンドデビュー以降にマスコミに取り上げられたことは少なかったんじゃなかろうか?


そのころに制作されたのが「約束」である。当時22歳、顔の形成が中途半端な感じがする。ここで演じるチンピラのキャラは「傷だらけの天使」の木暮修とまさに同じだ。このころもGS時代からの女性ファンは数多いと思う。でも「太陽にほえろ」と「傷だらけの天使」でのショーケンはまだ中学生だった我々少年たちから圧倒的支持を受けていた。なんせ菊池武夫デザインによる「メンズ・ビギ」をここまでかっこよく着こなせる男はいない。真似をしようと思っても足元にも及ばなかった。まったく色彩の違う美しい女性芸能人とのゴシップが流れることが多かったが、彼女たちが魅かれる気持ちがよくわかる。



2.岸恵子

昭和40年代前半まで海外へはそう簡単には行けなかった。そんな中フランスの映画監督にもとへ嫁いだ岸恵子はあらゆる日本人から羨望のまなざしで見られた女性であったろう。まだフランスに住んでいたころにこの映画に出演している。「約束」の翌年1973年に上映された「男はつらいよ 私の寅さん」がシリーズ歴代最高の観客動員だという。それだけ岸恵子に対する思いが強い男性は多いのであろう。萩原健一との激しいキスシーンを見て動揺したオールドファンもいるかもしれない。

男はつらいよ 私の寅さん
渥美清,岸恵子


ただ、寅さん映画の時にもコメントしたが、自分はここでの岸恵子自体に華を感じない。陰りのある登場人物なのでそう見えるように演じているのだろうか。ただ、ここで陰のある女性を演じたことが市川崑監督「悪魔の手毬唄」での名演につながったのかもしれない。この下の写真は当時の写真であろう。萩原健一と一緒でうきうきしているリアルな女岸恵子は美しい。


3.海辺を走る急行列車
荒波の横を走り抜ける急行列車の映像が映る。これはどこかな?日本海かな?と思っていると、糸魚川駅に停車するシーンが出てくる。その後、柏崎駅も映る。なるほど、日本海沿いに北陸から新潟、東北方面へ向かっているのだなと感じる。萩原健一と岸恵子の2人は行き先が一緒でうえつ駅に向かうというセリフがある。とっさに「うえつ」って地名あったかな?と思うが、そのまま列車は進み、2人は下車する。

この映画の海をとらえるカメラ構図はなかなかいい。ワイドスクリーンであることを有効に活用して海辺の町を情緒あふれる映し方をする。建物の古い手書き看板に昭和の匂いがたちこめる。映画館で観たほうが断然いいタイプの映画だ。

うえつってどこかなと検索する。羽越本線の名称はあれど羽越という駅はない。そういえば2人が到着したとき敦賀って表示が見えた気がした。あれ?方角反対じゃない?このあたりはフィクションらしく架空の駅を用いてストーリーを描いているんだなと思う。

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