映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「山口組三代目」 高倉健

2017-02-15 08:45:08 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「山口組三代目」は1973年(昭和48年)の東映映画である。


その名の通り山口組三代目組長田岡一雄氏の幼少期から山口組二代目時代に幹部にのぼりつめていこうとする時期までを描いた作品である。当時男盛りの高倉健が田岡組長を演じる。現在のように暴力団対策法が浸透する前の時代なのでできた映画だろう。現在ではさすがにこの実録物はつくれないだろう。

山口組三代目田岡一雄は下から這い上がった男で世襲ではない。これはある意味立身出世物語だといえよう。最近のやくざ映画のようにかなり裏の世界に入り込んでいるわけではない。創価学会の「人間革命」に通じる部分がある。

田岡一雄は幼くして父を亡くし、6歳の時に母が過労でなくなってしまい孤児となってしまう。叔父が見かねて引き取ったが、その妻はそんな子はいらないとばかりに冷遇されて育った。神戸の川崎造船に就職するが、上司の理不尽な指導に腹を立て田岡(高倉健)は会社を辞めてしまう。一雄の給料をあてにする叔父一家のもとには帰れないと市内の歓楽街を歩いていると、小学校の同級だった山口組二代目の弟とばったり会う。家に帰れない田岡を事務所に連れていき、めしを食わせてあげる。親切な仲間たちに感激し、組の下部組織の連中と一緒に暮らすようになる。

先輩たちにかわいがられ福原遊郭に遊びに行った田岡がごつい身体をした柔道家にからまれる。最初は投げられるばかりであったが、目つぶしで相手を倒す。こうしているうちに山口組の舎弟たちにも認められ、やがて二代目山口組の組員となる。

このあとはいくつかの逸話が続く。
山口組二代目がかわいがっていた大関(玉錦がモデル)がある幕内力士といざこざが起きたときに、その幕内力士のところへ殴り込みに行き、短刀で頭を割った話や海員組合の労使抗争を解決しようとして乗り込んだ先輩組員が殺されてしまったのに対して、復讐する話などが続く。そこに居酒屋の看板娘だった女性と田岡とのロマンスが絡むといった構図だ。

1.1973年の東映実録路線
前年藤純子(現:富司純子)が引退し、東映のやくざ映画路線も難しい局面にあった。そのとき、73年正月第二週の「仁義なき戦い」が大ヒットする。評論家筋からも絶賛の評価を受け、すぐさま4月には続編が公開される。テレビに押されて日本映画の衰退がいわれていた時期に、東映はこの年映画全盛時代の以来の興行収入を得る。その時期、任侠映画の名プロデューサー俊藤浩滋は山口組三代目を引っ張り出すことを考える。早速高倉健を連れて田岡一雄組長にあいさつに向かい、快諾を得るのだ。当時の東映岡田社長も子息の田岡満氏を企画プロデューサーとして映画化を進める。上場会社の社長とやくざの親分の合意なんて話は今じゃ絶対あり得ないよね。

2.警察の反発
1973年のお盆映画「山口組三代目」「仁義なき戦い」を超える大ヒットとなる。まだ中学生だった自分からすると、これを放映している映画館に入ることすら怖かった。やくざにコテンパンにされてしまうような感じを持っていた。もっともそのころ、未成年を超越する少年だったのにこっそり日活ポルノは観ていた。
続いて「山口組三代目襲名」も大ヒット、「仁義なき戦い」同様続編を企画するところで、さすがに警察から東映に手入れが入る。田岡満経由で山口組にお金が流れたという疑惑である。岡田茂社長、俊藤浩滋プロデューサーをはじめとして徹底的に兵庫県警に絞られ、このあとは続編はつくられなかった。(映画の奈落 完結編 伊藤彰彦著 引用)

「仁義なき戦い」でこの年突如大スターになった菅原文太と高倉健が男を張り合う決闘シーンがこの映画の最大の山場だ。さすがに格上の健さんがいい男っぷりを見せる。

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映画「江分利満氏の優雅な生活」 小林桂樹&新珠三千代

2017-01-01 22:09:09 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「江分利満氏の優雅な生活」は昭和38年(1963年)の東宝映画


この年山口瞳がサントリーの宣伝部に勤めているまま「江分利満氏の優雅な生活」で直木賞を受賞した。原作を若干変えて、むしろ山口瞳のプロフィルに近い脚本としている。昭和38年当時のサラリーマン生活が浮き彫りにされるが、大正15年生まれでむしろ戦中派ともいえる江分利満のグータラぶりが見ていて楽しい。オリンピックを控えた東京周辺の住宅地の道路がまだ砂利道だというのもよくわかる。

江分利満はevery manのもじりである。

主人公江分利満(小林桂樹)はサントリーの宣伝部に勤める36歳のサラリーマンで妻夏子(新珠三千代)と子供庄助、父(東野英治郎)と川崎の社宅で暮らしている。どちらかというと、不器用で仕事がバリバリできるというタイプではない。酒好きで週に一度は深酒をしている。その日も夕方5時の退社時間になり、周りの同僚の動きをみて飲みに誘う態勢にはいっているが、新婚の隣人(江原達怡)をはじめ、みなそそくさと帰り支度をはじめている。気がつくと、一人で飲み屋のはしごをはじめて馴染みのママの店で深酒になっている。そんな時、男女2人の酔客(中丸忠雄、横山道代)と意気投合して飲みはじめる。


翌朝、気がつくと婦人画報社の編集者の名刺があり、訪問の約束の電話をすると書いてあったが、江分利はまったく覚えていない。その2人が来ると、江分利に小説を書いてほしいと言ってきた。普段から飲み屋でくだをまいている江分利に注目していて、何か書いてもらおうとしたという。当然拒絶する江分利であったが、とりあえずやってみるかと、自分や親族のことなど書き始めるのだが。。。

1.昭和38年の会社生活
いきなりの映像は会社屋上で社員たちが合唱をしたり、バレーボールをしたり、バトミントンをしたり、ゴルフ練習をしている。地方の人たちに東京都心での会社生活って楽しんだろうなあと思わせるのが主旨だというわけではないだろう。くどいけど、最後まで出てくる。「キューポラのある街」で映るプロレタリア風な会社生活じゃあるまいか。これはよくわからん。


映画の中での江分利満の給料は基本給3万6000円で、手当その他を加えた後税金などを引かれて手取り約4万円だという。資料によれば当時の大卒初任給は平均1万8930円だという。現在の大卒初任給で約20万円~22万円程度だ。当時国鉄初乗り運賃が10円で今は130円、昭和38年の日経平均の平均値が1400円これを基準にすると、現在は当時の13倍くらい。そう考えると給料手取り約50万は越すわけだから、1週間に1回の銀座はしご飲み会はもしかしたら奥さんのクレームにならないだろう。しかも、酒会社は飲み屋向けの販路拡大接待費もあるはず。サントリーは高給なのは今も昔も同じだろうし、この水準は当時としては上級かもしれない。

その数年後、自営業の息子である自分はお年玉1万円もらった。正月あけて小学校の先生がみんないくらもらったと聞いたときに、自分が1万円と答えたら、そんなことありえないと先生がいったのは鮮明に覚えている。

2.小林桂樹
江分利満役を演じるのに小林桂樹以外の人選はありえないだろう。やっぱりピッタリだ。現在演じるなら誰なんだろう?ぴんとこない。社長シリーズの秘書課長とは違うムードでこなす。むしろ画家の山下清役の雰囲気でこなしているのかもしれない。


3.新珠三千代
江分利満の妻役は新珠三千代である。彼女はやっぱりきれいだ。この当時の東宝映画での活躍はすごい。社長シリーズで森繁久彌演じる社長がちょっと浮気しようとする芸者やホステスを演じるのだが、いい女だよね。ここでの奥さん役もさっぱりして好感を持てる。でも小林桂樹と新珠三千代はこのあと「女の中にいる他人」でもう一度夫婦役を演じる。これは若干違うムードだ。新珠三千代が女のずるさを巧みに演じている。このコンビは絶妙だ。


4.東野英治郎
小林桂樹の父親役は東野英治郎だ。それにしてもこの当時彼は至るところに出てくる。映画会社同士の協定がある中で、俳優座に属し演劇系で自由に映画会社を渡り歩く東野英治郎の活躍には驚くしかない。われわれには水戸黄門の印象が強すぎるけど、この当時彼が演じる役は泥臭い。映画「キューポラのある街」での吉永小百合の父親役で星一徹のようにちゃぶ台をひっくり返す鋳物工場の職人役がいい例だ。
会社役員になったり、会社をつぶして借金取りに追いまわされたりというこの役も適役だ。でもそんな男によく金を貸す奴がいるなあという印象を持つ。


5.多彩な出演者
この映画で目を引くのはこのあと3年後に「ウルトラマン」の隊員役になる二瓶正也と桜井浩子江分利満の同僚役で出演していることだ。子供時代にリアルで「ウルトラマン」を見た自分からすると、この2人の存在感はいまだにすごい。というより姿を見てうれしくなる。二瓶正也は多彩な才能があることで有名だったが、ここでは江分利満のお祝いをやるのにくだをまくのにいやいや聞かされて朝までつきあわされるつらい後輩を演じているのが滑稽だ。


銀座を思わせるバーを江分利満がはしご酒をする。いくつかのバーが映るが、その中で若き日の伊丹十三や作家の梶山季之山口瞳本人がお客役で映るのが御愛嬌。名画座で見れば見逃してしまったろうが、DVDだとその後怪優として有名になった塩澤ときがバーのマダム役で、後ろで飲んでいるのが山口瞳本人だとわかる。

 
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映画「社長洋行記」 森繁久彌&新珠三千代

2016-12-07 20:37:59 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「社長洋行記」は昭和37年(1962年)の東宝映画


おなじみ森繁久彌主演の社長シリーズの作品で、香港ロケをおこなっている。

晩年の森繁のイメージしか知らない人からすると、コメディアン森繁久彌のイメージがなかなかわかないようだ。傑作とされる淡島千景共演「夫婦善哉」のダメ男ぶりのあと、東宝で社長シリーズで能天気でエロな社長のイメージを確立させる。

毎度のことながら、久慈あさみ扮する社長夫人の目を盗んで浮気をしてやろうとする森繁久彌の前に美女が次々と現れるが、あともう少しのところでうまくいかないというワンパターンは、そののちのフーテンの寅さんがマドンナとの恋をあと一歩のところで実現できないパターンと似ている。


サクランパスという貼り薬で知られる桜堂製薬は、東南アジア販路拡張に苦戦していた。本田社長(森繁久弥)は東海林営業部長(加東大介)から国外販売は加藤清商事にまかせきりだと聞く。改善をお願いすべく社長(東野英治郎)に直談判しようとしてゴルフに誘った。ところが、ゴルフの当日娘が男を自宅に結婚したいと連れてきてビックリ、アポをすっぽかしてしまう。汚名挽回に社長は悦子マダム(新珠三千代)のいる香港亭へ加藤清商事の社長を招待したが、ちょっとしたことからケンカ別れになってしまう。社長は自力で国外に売り出そうと決心し、社長秘書の南(小林桂樹)と営業課長の中山(三木のり平)が同行して香港に向かうことになる。


中山は、図々しく送別会を準備して大騒ぎ。そんなとき、東海林の行きつけの割烹の女将あぐり(草笛光子)の義兄(フランキー堺)が香港の商社にいることがわかる。社長は商売上のつてがあるという東海林を中山のかわりに随行員にさせる。送別会の当日、それを知り中山はションボリうなだれる。

出発の日、羽田でジェット機にのり込んだ社長一行は、香港亭の悦子にばったり会う。彼女も香港で経営する日本料理屋へ行くところだ。香港に着き、女将の義兄にあったが、その日は自由行動となる。社長が香港亭のマダムとデートの約束をしていたからだ。東海林営業部長は西洋式のお風呂になれず、水びだしにしてしまう。秘書の南は街に散歩に出ると、大学の後輩柳宗之に出会った。柳は妹の秀敏(ユーミン)と共に香港を案内してくれて南はニコニコだ。そして社長はマダムと中華料理屋で待ち合わせをして楽しいデートとしようとするのであるが。。。

このころの社長シリーズの4人のレギュラーの顔をみると、なぜか安心感がある。子供のころ、家の近くにそのあとTOCとなった星製薬の廃墟のような建物があり、東宝映画の看板が掲げられていた。子供心にゴジラの看板が一番インパクトあったが、森繁、加東、三木、小林という怪優たちと美女の組み合わせの看板もよく見ていた気がする。

1.社長シリーズのワンパターン
源氏鶏太原作「三等重役」の映画化で軽薄でずるい課長を演じた後、40代で社長役を演じるようになる。この「社長洋行記」で社長を演じた時で49歳だ。今の自分より全然若い。この当時の重役連中は皆戦争を経験しているはずだが、いかにも能天気でお気楽なところは苦労知らずに思えてしまう。



ロイド眼鏡の奥でエロな雰囲気を醸し出す森繁久彌の滑稽な姿は、新珠三千代や淡路恵子などの常連たちの前でより好色な匂いをだす。当然金のある社長のところに美女が寄ってくるのであるが、小林桂樹扮する秘書のガードでなかなかうまくいかず久慈あさみ扮する奥方の登場でがっかりというワンパターンだ。

村上春樹都築響一との対談の中で
「森繁の社長は人ごとながらとてもかわいそうな気がする。あともうちょっとのところなのに。」と同情する。
一方都築響一
「大映映画だと、浮気やその先にあるドロドロしたところからお話は始まります。」たしかに増村保造監督作品などはそのパターンかも。東宝映画独特の家族でも見れる安心感があるのだ。

2.香港ロケ
香港好きな自分からすると、昭和30年代の香港が実際の映像として映る日本映画は見逃せない。どちらかというと、東映映画となると香港マフィアの黒社会との絡みとなり暗くなる。東宝映画は人気シリーズ、クレージー映画、若大将シリーズいずれも香港ロケ作品がある。クレイジー映画も杉江敏男監督がメガホンをとっているのだが、香港は藤本真澄プロデューサーの趣味なのかなという感じがしてしまうのであるが


3.三木のり平
コメディ映画の笑わせ役というよりも桃屋のコマーシャルでの三木のり平の印象が我々には強いインパクトとして残る。社長シリーズでは宴会課長で「パァーッといきましょう」とこの映画でも自称宴会嫌いの社長を強引に壮行会に誘う。そこで踊る宴会芸はいかにも古典的宴会芸で、現代のサラリーマンでは出来る人は少なくなっている。


小林信彦は名著「日本の喜劇人」の中で三木のり平をこう評する。
「主役を張れないタイプで、映画、舞台、ともに主役の場合は、成功していない。あくまで脇の、しかも、完全な<ぼけ>でないとうまくいかない。」せっかく海外出張できると思ってはりきっていたのに、上司に譲るという場面はなぜかさみしさを感じさせる落胆ぶりだ。こういう役柄も良く似合う。





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映画「からっ風野郎」 三島由紀夫&若尾文子

2015-09-27 20:39:14 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「からっ風野郎」は三島由紀夫主演で東大の同窓増村保造がメガホンを取った昭和35年(1960年)の大映映画だ。


三島由紀夫はこの当時すでに流行作家となっていた。その三島を主演にして、増村が監督する映画が企画された。三島はインテリ役だけは勘弁ということで、自らヤクザの役を買って出る。出所間もないヤクザの跡とりが抗争相手の組と争うという話に、若尾文子、水谷良重という女優陣をからませる。

正直映画自体は三島由紀夫の大根役者ぶりが目立ち、増村保造がメガホンを取ったとはいえ普通の作品だ。でも映像から昭和35年当時の世相がよく見え、三島の暴れん坊ぶりがハチャメチャで興味深く見れる。実際客の入りはよかったという。


朝比奈一家の二代目武夫(三島由紀夫)は傷害事件を起こし、2年7カ月刑務所に入っている。出所というその日に面会者が来たが、所内のバレーボール大会の途中だったので、朝比奈の番号をつけた服を着た代理の人間に出てもらった。面会者はいきなり「朝比奈だね」と拳銃の引き金を引く。まったくの人違いでかろうじて難を逃れる。
朝比奈一家の大親分(志村喬)と舎弟(船越英二)が出所祝いに車で刑務所へ向かう後を、殺し屋を向けたヤクザ相良商事の社長相良(根上淳)が追う。相良を刺したために朝比奈は刑務所に入っていたのだ。襲撃を恐れた朝比奈は護送の警察車で身内をもだましながら出所して逃げていく。


朝比奈はすぐさま情婦のクラブ歌手昌子(水谷良重)に会った。すぐさま朝比奈は昌子を抱くが、男にもらったと思われる高価なネックレスを見て、それをもぎ取り、彼女と手を切る。朝比奈は逢引きした映画館を根城にしようとするが、そこでもぎりの芳江(若尾文子)に出会う。

芳江は町工場でストライキをおこしている兄(川崎敬三)に弁当を届けにいったが、スト鎮圧に来ていた警察に誤ってブタ箱に入れられる。そうしているうちにも相良一派は殺し屋ゼンソクの政(神山繁)を使い朝比奈を狙っていた。政は銃弾を放ったが、かろうじて急所からはずれ朝比奈は逃げ切る。ブタ箱からでてきた芳江はもう一度雇ってくれと頼みこんで来たので、朝比奈は思わず抱いてしまい自分の女にする。そしてデート中に相良の娘を偶然見つけ誘拐し相良をおどす。大親分の南雲(山本礼三郎)が仲介に入って、痛み分けになるが、相良も黙ってはいない。朝比奈といい仲になった芳江の兄を人質にするのであるが。。。

1.三島由紀夫
昭和32年姦通小説「美徳のよろめき」が大ベストセラーになったあと、昭和33年に結婚している。昭和34年に長編小説「鏡子の家」が出版されたあとでの映画出演である。昭和30年から始めたボディビルで身体を鍛えているので、この映画ではすでにワイルドな風貌にはなっている。それだけにあえてインテリでなく、アウトローの役をやりたがったのであろう。DV丸出しで何回も若尾文子を殴っているんだけど、いかにもウソっぽい動きだ。キスまで疑似である。そういうのを見ていると非常に物足りなくなってくる。


でも最後に銀座三愛で暴漢に襲われるときに昇るエスカレーターに倒れるシーンがある。これだけは妙にリアルだなと見ていたら、なんとこのシーンで大けがをしたという。増村保造の過激な演技指導にそそのかされ、ちょっと無理をしたんだろうなあ。再度撮影するときは永田ラッパ社長も立ち会ったそうな。

2.若尾文子&水谷良重(現水谷八重子)
若尾文子が普通に見える。昭和35年といえば、前後に「浮草」「ぼんち」なんて作品を撮っている。いずれも好きな映画だ。そこで見るスタイリッシュな着物姿は色のセンスもよく引きたってみえる。普通に見えるのは単にアカぬけない洋装だからのせいだろう。


水谷良重は当時21歳でクラブ歌手の役である。「バナナの歌」をうたっている。体格がよくグラマラスな感じが素敵だけど、歌は音痴で、ルックスもまだ今一つだ。山本富士子主演「夜はいじわる」にも出ていたけど、大映に縁があったのかな。母親のあとをついで今も新派の女王だ。本拠地新橋演舞場をはじめとして、幅広く現役で舞台勤めをしているのは両親守田勘弥、水谷八重子からの強いDNAを感じる。

3.山本礼三郎
黒澤明の名作「酔いどれ天使」三船敏郎とともに強烈な印象を残すのが山本礼三郎である。あの凄味のある表情は明治生まれがもつ迫力だ。刑務所から戻ってきて、三船演じるヤクザの縄張りも木暮三千代演じる情婦も奪っていく。最後の2人の格闘は映画史に残る悲愴なシーンだ。この映画では枯れ切ったヤクザの親分だ。これはこれですごい。現代映画界にこの手の顔が少なくなっている気がする。


4.ヤクザと企業
若尾文子演じる芳江が組合でストライキ活動をしている川崎敬三演じる兄を訪ねていくと、運送業者のトラックに乗ったヤクザが一斉に押し掛け、ストライキの妨害をする。そこへ警察が来てストライキに関連する人を検挙する。こういうぶち壊し屋の存在は今では考えられないことだ。60年安保の時は安保反対派の鎮圧のために、右翼と暴力団がぶち壊しに雇われたという話は聞いたことがある。裏社会なしでは物事が解決しなかったわけだ。

暴対法が成立したために、逆に準暴力団的チンピラ組織がのさばるようになったなんて記述はよく見る。たしかに一般の会社では、反社会組織に対する意識が非常に強い。少しでもクロとなると、弁護士名で取引をしない旨の書面を送ったりすることもあるようだ。今は暴力団の脅迫も少なく良くなったと思うが、このころの映画を見ると、反社会的な人がうまく立ち回るものも多い。うーん、戦後のどさくさを引きずるすごい時代だ。

5.五反田の原風景
映画を見はじめてすぐに、五反田駅すぐそばの目黒川にかかるガード下の映像が出てきて驚く。カメラ位置がガード下で、目黒川を大崎橋に向かって映す。自分が持つこのころの写真は白黒なので、カラーの映像でなくなった飲み屋「赤のれん」を映しだすと背筋がゾクッとする。京浜ベーカリーは残念ながら見えない。実はこのカメラ位置のあたりにある産婦人科で私は生まれた。今はラブホに代わっているけど。

どうでもいい話だけど、佐藤俊樹「不平等社会日本」という社会学系の新書で、著者が「自分は生まれた病院を知らない」むしろ「本人は知らないのは当たり前だ」といっている。これって変じゃないかな?自分の生まれた場所って知るべきだし、知らないあんたの方がおかしいんじゃないのと思った。今や別の人に売られて姿を変えているけど、自分にとっては重要な場所だ。
(昭和36年の五反田東急方向からの写真、富士銀行の手前が大崎橋)


(参考作品)
からっ風野郎
三島由紀夫のヤクザ役


美徳のよろめき
後味が最高に悪い三島のベストセラー姦通小説
コメント (3)
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映画「セックスチェック 第二の性」 緒方拳&安田道代

2015-09-09 21:30:04 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「セックスチェック 第二の性」は昭和43年(1968年)公開の大映映画だ。

男女両性の性器をもつ女子陸上選手とコーチがメキシコオリンピックをめざして苦闘する姿を描く。緒方拳と安田道代主演2人のきわだつ強烈な個性を増村保造監督が巧みに引きだした大映末期の傑作である。


宮路司郎(緒方拳)は、戦前100mの日本を代表するスプリンターであった。出場予定だった昭和15年の東京オリンピックは戦争で中止になってしまう。その後自堕落な生活をおくるようになり、昭和42年の今はバーホステスのヒモ暮らしだ。同じ時代に陸上選手として活躍した峰重正雄(滝田裕介)から、峰重が会社医をつとめる木下電気陸上部のコーチ就任を依頼される。勧誘されたその夜、久々に峰重宅で飲んでいたが、その昔思いを寄せていた峰重の妻・彰子(小川真由美)を夫が外出している隙に無理やり犯してしまう。宮路はその顛末を峰重に告白して陸上部の監督就任を断る。

ところが、帰り際何気なく見ていたバスケットボールの練習で、コーチに逆らうほど気の強い南雲ひろ子(安田道代)に才能を見いだしもう一度コーチをかって出る。宮路がコーチになるなら自分は退社すると言って峰重は木下電気を辞めた。

ひろ子を陸上部にスカウトした宮路は、同棲していたホステスと別れる。しかも、女を断つと宣言する。他の陸上部の選手を置き去りにしてひろ子だけを個別指導する。会社の寮に2人で住みつき、勝つために男性的にしようと「ひげ剃り」までさせて鍛え上げる。


猛練習の甲斐あって、練習で好タイムをだすようになる。宮路は旧知の日本陸上協会幹部にメキシコオリンピック候補として売り込む。最初は相手にされなかったが、記録会で日本記録まで0秒1にせまる11秒7の好記録を出して協会幹部が驚く。幹部はひろ子が男まさりなので念のため「性別チェック」をうけるように勧められる。担当医は峰重だった。
ひろ子は診断をためらっていたが、結果は女子競技出場には適さないという診断だった。宮路は峰重がうらんでそう診断したのかと憤慨するが、半陰陽で両方の性器も未熟だということがわかる。失意のひろ子は陸上部から去り伊豆の実家に帰る。しかし、宮路はひろ子の元へ向かい、ある行動に出るのであるが。。。

性同一障害の話はヒラリースワンク「ボーイズ・ドント・クライ」のアカデミー賞受賞以来取り上げられることが多くなった。でもその話とかなりちがう。
両方の性器が未熟でどっちつかずだというのだ。そうなると女性とは判断されない。
それだったら性的に「女にしてしまえ!」というのがこの映画の主旨である。

1.安田道代
現在も大楠道代の芸名でときおり映画に出演する。彼女の出演している作品にハズレはない。酒とタバコでかすれてしまったドスのきいた声で「赤目四十八瀧心中未遂」「人間失格」のようなやり手ババアの役を演じさせると天下一品だ。自分としては大映の映画館にあった壺ふり姐さんのポスター姿が印象的で小学生なのに安田道代が気になって仕方なかった。でもその時は残念ながらみていない。
こんな感じ(江波杏子と一緒)↓


向こう気が強くバスケットボール部のコーチから文句を言われたら、逆にやりかえして取っ組み合いだ。その男まさりの気質を見込んで緒方拳扮する宮路がスカウトする。当時23歳の安田道代は初々しさを残しながら男まさりな視線や言葉遣いを駆使する。しかも、スプリンターの役なので全速力で100M走を何度も走りぬく。田舎娘らしい荒々しさから転じて女を意識させる場面での対照的な美貌も魅力的だ。
それにしても大楠道代に100Mもう一度走らせてみたいなあ。

2.緒方拳
昭和40年「太閤記」の秀吉役で一気にスターになり、翌41年も「源義経」の弁慶役と2年連続でNHK大河ドラマに出演して国民的人気者だった。幼い自分もこの二作ではテレビにクギ付けになっていた。そのあとまもなく新国劇を退団したころの作品で、それまではほとんど映画には出ていない。
そののちの今村昌平監督「復讐するはわれにあり」の凶悪犯人役を思わせるワイルドな演技は称賛に値する。

かなり自分勝手な男である。安田道代演じる攻撃的なひろ子の姿を見て、緒方演じる宮路が自分と似たものを見出し、指導してあげたいと思う。でも他の選手にはまったく目もくれない。会社の上司から他の選手も指導しろと言われたら、オリンピックにでる選手をつくるのとどっちが大事かなんて言い張る。
宮路は「お前の奥さん犯しちゃったよ」なんて、もしやっても黙っていればいいことまであっけらかんと友人に話す。普通じゃありえないけど、この宮路はそういうがあってもおかしくない異常性を感じさせる男だ。まあ映画が終わるまでずっと我を通すことしかない。この性癖の見せ方は増村保造の演技指導もあったと思うが、緒方拳らしさが活かされ実にうまい。


3.寺内大吉
この映画の原作は寺内大吉「すぷりんたあ」である。自分が少年のころはキックボクシングの解説に出てくるベレー帽のおじさんという感じで、坊主兼作家なんてまったく思っていなかった。この間も小沢昭一「競輪行人行状記」を見たが、作家とはいえナンパ系坊主の匂いがプンプンするおもしろいオヤジだ。

映画では、主人公は昭和15年の東京オリンピックに出損なったという設定だ。逆算するとおおよそ大正の二桁生まれということだろう。寺内は大正11年生まれ、増村保造監督は大正13年生まれで主人公の年齢に近い。この映画は昭和43年公開だけど、1932年のロスオリンピックの時の日本応援歌を映画の中で歌わしたり、まだ戦時中を引きづっている設定が残る時代なんだろう。

4.池田一朗
脚本を担当するが、名前に見覚えがある。惜しまれて亡くなった作家の隆慶一郎なのだ。この人の時代小説は実におもしろい。「吉原御免状」を読んだ時はビックリした。吉原遊郭内部の話かと思ったら、奇想天外な発想でかつスケールが大きく一気に引き込まれる。この人すごいなあとしばらく追ったがあっという間に死んでしまった。旧制三高、東大出の秀才で立教の先生もやったあと脚本家になったおもしろい経歴だ。

現代の映画に比べれば、細かい点でアラも目立つが、この映画のもつエネルギーはすごい。

大島渚はこう言う。「日本の映画界でこのように鮮明に自分の方法を論理化して語った監督はいなかった。しかも、このように自覚された方法が具体的な作品で見事に映像化されていた。」増村保造を評する。
近代主義者の増村保造「生きる人間の意思と情熱だけを誇張的に描くことを目的としている」という。
まさにこの映画の2人の主役はその言葉にあてはまるよう描かれた人物だ。
後世に残る傑作といえる。

(参考作品)

セックス・チェック 第二の性
追いつめられた選手とコーチの異常な関係


痴人の愛
増村保造と安田道代のコンビ
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映画「にっぽん昆虫記」 今村昌平&左幸子

2015-08-06 07:36:19 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「にっぽん昆虫記」は1963年(昭和38年)公開の今村昌平監督作品だ。
名画座で見てきました。


今村昌平が助監督から監督昇格した後、女のバイタリティを描いた初期の傑作だ。農家に生まれた一人の女性を力強い昆虫にたとえる。父親との近親相姦まがいの関係をもったあとに、製紙工場の女工、組合活動家、新興宗教の信者、売春婦を経て売春組織を仕切る元締になっていく。最後は娘との強烈な葛藤の場面まで用意されている。

昭和38年のキネマ旬報1位となっており、3億3000万円の興行収入も断然邦画でトップという怪作である。ここですごいのはキネマ旬報2位が黒澤明監督「天国と地獄」であることだ。1位にあげている選者は「天国と地獄」の方が多いけど、総合点数で逆転している。私自身の日本映画のトップは断然「天国と地獄」だ。それを抑えてのトップとは別の感覚を感じるが、こうして大画面であらためてみてみるとやっぱりすごい。

大正7年の冬、主人公とめは、母親の松木えん(佐々木すみ江)が少し頭の弱い忠次(北村和夫)を婿にもらって二カ月目に生まれた。自宅の中で力む妻えんの出産間近の姿を観ながら、虫次は自分の子だと舞い上がっていた。母は別の男と乱れた関係があり、本当に父母は夫婦かと疑問に思いながらとめは育っていった。
とめ(左幸子)は成人して製紙工場の女工となったが日本軍がシンガポールを落した日、とめは父危篤の電報で実家に呼び返された。危篤ではなく本当は借金のある地主の本田家に足入れするため呼ばれた。そこでは出征する本田家の息子俊三(露口茂)に無理矢理抱かれ懐妊する。

昭和18年、とめは生まれた子が女の子なので始末するかと言われたが、生かせてくれといい信子と名付けた。農作業の合間、赤ん坊の信子に乳を与えていたとめは、赤ん坊があまり飲まぬので、乳が張って仕方がないと、側にいた父親忠次に吸ってもらうのだった。


本田の家に信子を預け再び製糸工場に戻った。そこで係長の松波(長門裕之)と肉体関係を結び終戦を迎えた。工場は閉鎖となり実家に帰ったが、弟の沢吉(小池朝雄)夫婦も同居していた。地主たちが集まっている。アメリカは日本を農地改革するらしいなどと噂している。
松波に誘われ、とめは再開した製糸工場に戻り、とめは組合活動を始めた。同時に松波とこっそり逢引きをしていた。ところが課長代理に昇進した松波からは邪魔とされた。やがて会社を辞め退職金を5000円もらい、とめは七歳になった信子を行くなとごねる忠次に預け単身上京した。

とめは、朝鮮戦争で軍曹になったと言うアメリカ軍人ジョージのオンリー谷みどり(春川ますみ)の家で、メイドとして働いていた。混血の娘はある日、とめが目を離している隙に台所で火にかけていた鍋をひっくり返してしまい、全身火傷で死亡してしまう。
懺悔のためにとめは正心浄土会と言う新興宗教に入信する事になる。全ての過去を懺悔しろと班長(殿山泰司)から迫られたとめは、かつての製糸工場での不倫や、メイド先で娘を死なせてしまい、今は化粧品のセールスをしている事を告白する。

その正真浄土会で知り合った女将蟹江スマ(北林谷栄)に誘われ、とめはその女将の店「ラブラブ」の女中として働くようになったが、女将にいきなり売春を強要させられた。こんなことをやりたくないと言うが金に目がくらみ、その道に足を踏み込むようになった。マジメに勤めて、正真浄土会で幹部になる女将は信頼できるのはとめしかいないと仕事を手伝わせるようになる。
その後基地にいたみどりに再会する。けんちゃん(小沢昭一)と言う朝鮮人がヒモとしてくっついていた。とめはみどりと一緒に外で客をとるようになった。信子(吉村実子)への送金を増すためであった。問屋の主人唐沢がとめの面倒をみてやろうと言い出してきた。店が警察の摘発を受け、女将は警察に連行されてしまう。 とめは、署内で女将から、何も言うなと目で合図されるが、何もかも全部打ち明けてしまう。そして、仲間の女たちに、逃げるなら今だ、客の名簿は自分が持っているから、今後は、コールガール組織にしようと提案する。

1.今村昌平
日経新聞「私の履歴書」の中では、今村昌平の著述は本当におもしろいと思えたものの1つである。読んでかなりの衝撃を受け、切り抜きをした記事が今でも残っている。失踪した男を探すというドキュメンタリータッチにした「人間蒸発」で題材となった女性のことを書いた部分のおもしろさには鳥肌がたった。
脚本家の長谷部慶次と一緒に、以前売春斡旋業をしていた南千住の旅館女将に綿密な実地調査をして今回の作品をつくった。しかも、売春婦と斡旋業者との関係を聞くだけで大学ノート3冊になったという。素朴な田舎娘がすさみ、非人間的なやり手の女になっていく過程を、頭の中で考えたストーリーにない厳しいリアリズムで切り取ったら、現代人の気質の形成過程が浮かび上がるのではないかと思った。(私の履歴書より引用)


2.左幸子
映画会社からは主人公には岸田今日子をと言われたが、今村自身が左幸子を強く推したようだ。都会育ちの岸田よりも富山出身で逆境に打ちのめされない強靭さをもっているので、描こうとしている女にぴったりと感じたからと「私の履歴書」に記述されている。でも当時左幸子は妊娠していて、羽生未央を身ごもっていた。体調を崩した時には村の保健婦さんに「おらの方の嫁はこんなことでは休まねえ」といわれたとか。ともかくは乳を吸われぱなしですごい熱演である。のちの「飢餓海峡」の情念のこもった殺され役もいいけど、「にっぽん昆虫記」が彼女のベストだろう。

3.北村和夫
今村昌平とは東京府女子師範付属小学校の同級生である。昔も今と同じでお育ちのいい子が通っていたのであろう。それでも2人はスカートめくりをして遊んでいたらしい。性を描くと天下一品の今村のルーツだ。しかし、ここでの北村和夫の怪演には驚く。少し頭の悪いオヤジということであるが、ここまで自分を落とした役柄を彼が演じるのは見たことがない。左幸子の豊満な乳房をむさぼりつくという役得もある。これは当時うらやましがられたであろうなあ。

(参考作品)
NIKKATSU COLLECTION にっぽん昆虫記
左幸子の怪演
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映画「新宿泥棒日記」 大島渚&横尾忠則&横山リエ

2015-08-03 05:40:19 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「新宿泥棒日記」は昭和44年(1969年)公開の大島渚監督作品である。


ずっと気になっていながらなかなか見れなかった作品である。国立近代美術館シネマの特集でようやく見ることができた。

東大入試が中止になる前年の昭和43年といえば、歴史的に新宿は学園紛争で荒れ放題だった印象をもつ。その夏に紀伊国屋書店で万引きをした若者(横尾忠則)をとっ捕まえて社長の元につきだす若い女性書店員(横山リエ)と万引き犯との妙な関係に、紀伊国屋書店社長田辺茂一氏を実名で登場させからませるのが基本ストーリー。そこに当時花園神社境内で赤テントを張っていた唐十郎劇団のメンバーを混在させ、現実か虚実か何が何だかよくわからない世界をつくりあげている。


想像よりも唐十郎の「状況劇場」の存在が大きい。何が何だかわかりづらい前衛劇と映画の根幹となる2人の物語をからませる。
息子の大森南朋たち2人が現代映画界を引っ張る麿赤兒と途中から出てくる李礼仙の存在感が凄い。
また、実写と思われる学生運動をひきいる暴徒たちによる新宿東口交番への乱入を映しだす。

1.横尾忠則
もうこのころにはイラストレーターとして、一定の地位を築きあげているころである。寺山修二や三島由紀夫とも一緒に仕事をしていた時代の寵児だった。ここでは劇中役に岡の上鳥男なんて妙な名前をつけている。田辺氏の出身校にあわせて慶應義塾の勝利の歌「丘の上」をひっかけたようだ。
俳優ではないので棒読みである。でも妙に味があり、状況劇場の赤テントの中で由比小雪役で活躍する。最後にむけての横山リエとのネチッコイからみは横尾ファンにとっては貴重な映像だろう。

2.横山リエ
当時まだ20歳である。それにしても美しいし、大人の女の雰囲気を醸し出す。そして脱ぎっぷりが潔い。そののち高橋洋子主演「旅の重さ」や「遠雷」あたりでも主演級の活躍をする。この映画の出演者は当時の彼女よりもみんな格上なのに、そう感じさせない貫禄をもつ。今でも飲み屋を営んで元気だ。


3.田辺茂一
その昔は遊び人の社長ということでテレビによく出ていたなあ。特に深夜。今回映像で見て妙に懐かしくなった。ただ、セリフの棒読みは横尾忠則と同じようなものだ。この映画はかなりの低予算と想像されるが、紀伊國屋がスポンサーになったのであろう。書店内でかなりの部分撮影されているし、ちょっとだけ出るのではなく田辺社長の出演場面が多い。いかにも大島が敬意を表している印象をもつ。


4.唐十郎&李礼仙
いきなり新宿東口広場で、裸でパフォーマンスをする唐十郎を映しだす。入れ墨をしたふんどし姿だ。なんかよくわかんねえなあ。と思っているうちに映像が変わる。そののちも何度か出てくるがよくわからない存在だ。

しかし、途中から赤テント内の光景を映しだすようになってから、少し様相が変わってくる。特に、李礼仙のエキゾティックな表情にインパクトの強さを感じる。実際に唐十郎の状況劇場はそのころ新宿花園神社でテント劇をやっていたようだ。隣のゴールデン街からもたくさん観客が流れていたんだろう。もしかして大島渚は当時アングラで人気の唐十郎を撮るためにこの映画をつくったのかなという気がしてくる。

昭和30年代に松竹でとった大島渚作品と比較すると、ちょっと肌合いが違う。先ず何より金がなくてつくったという匂いがプンプンする。
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映画「黒蜥蜴」 京マチ子

2015-06-17 15:49:40 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「黒蜥蜴」は1962年(昭和37年)の大映映画。名画座で見てきました。


黒蜥蜴は、江戸川乱歩の明智小五郎探偵と女盗賊黒蜥蜴の対決を描いた昭和初期の作品である。その原作を三島由紀夫が戯曲化したが、三島の盟友丸山明宏(美輪明宏)の十八番としても有名である。丸山と三島が共演した作品がDVDで見れないのはきわめて残念で、名画座で上映するのを根気強く待つしかない。

今回は京マチ子が黒蜥蜴を演じる。これはこれでいいねえ。どうしても現代の映画と比較すると、稚拙な部分が目立つが、彼女の個性の強さでいい感じに仕上がる。

宝石商岩瀬のもとに女賊黒蜥蜴から令嬢早苗(叶順子)を誘拐するぞと、脅迫状が送られてきていた。黒蜥蜴は宝石に異常なまで心をひかれている。宝石商は名探偵明智小五郎(大木実)を高額の護衛費で雇っており、岩瀬は娘早苗と緑川夫人(京マチ子)と大阪のホテルで過ごしていた。
ところが、早苗を見張っていたにも拘わらず、とっさの隙を狙って黒蜥蜴は手下の雨宮(川口浩)を使い、まんまと誘拐してしまった。だが、明智は逃走経路の要所、要所に部下をおいていたので、早苗は取り返された。明智はその場所に居合わせた緑川夫人を黒蜥蜴だと見破った。身分がばれると黒蜥蜴はすぐさま姿を消した。


東京へ帰った岩瀬は、早苗を豪邸の自室に閉じこめ、剛腕の用心棒3人を雇って厳重に警戒した。しかし、その警戒の中で黒蜥蜴は早苗をまたもや誘拐した。そして、身代金に高額のダイヤ「アラビヤの星」を要求した。岩瀬はためらったが、明智のアドバイスで指定の場所東京タワーにダイヤモンドを持っていった。

ここからは明智と黒蜥蜴のだましあいが続く。明智は変装して東京タワーの展望台に身をひそめており、黒蜥蜴はダイヤを受取るや、素速い変装で車で立ち去った。この結末はどうなるのか??


最後に向けてのそれぞれの騙しあいはそれなりに面白いが、アクション、ミステリーだけをとってみるとつい現代の映画と比較する。どうしても稚拙な感じがしてしまう。小学生になるころ、再放送でやっていた「七色仮面」や「ナショナルキッド」にときめいていたが、当時好きだったその劇映画を今になって見ているときに感じる気分とさほど変わらない。変装してマスクをはずす場面にその匂いをつい感じてしまうのだ。

ここで期待するのは京マチ子のパフォーマンスだ。
男装の麗人という雰囲気の動きでいいなと感じた後、強いメイクと黒いドレスであらわれた時のエキゾティックな魅力は現代にも通じる魅力である。鞭を打っている姿はまさにSMクラブの女王である。まあそれだけを見るだけでもよかろう。
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映画「夜はいじわる」 山本富士子

2015-06-14 20:20:33 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「夜はいじわる」は1961年(昭和36年)の大映映画。名画座で見てきました。


山本富士子主演作品でもDVD化されていない作品で気になっていた。仕事を切り上げてこっそり見に行ったが、悪くない。何より山本富士子が抜群にいい。七変化のように着物をきがえるのが艶やかだ。どれもこれもいい柄でよく似合う。
妹役である水谷良重の若き日のボリューム感ある肢体をみるのもいい感じだ。

日本橋で代々続くかつお節問屋土佐久が舞台、女系家族の家系で跡取り娘桂子(山本富士子)の母親の三回忌がおこなわれている。次女(水谷良恵)は銀行員の彼氏と結婚したくてたまらず、会長である祖母(北林谷栄)に懇願する。しかし、祖母は長女(山本富士子)が先に行かないとだめだと拒絶している。

一方で社長である父親(中村鴈治郎)は化学調味料の会社に投資して、そのために振り出した約束手形の支払い期限が明日に迫っている。それを銀行員から聞き驚く祖母だ。父親は資金繰りにまわっているが、うまくいかない。そこで祖母と入り婿の父親は対立してしまい、売り言葉に買い言葉で社長は辞める。祖母は資金繰りに旧知の坂田商事の社長(東野英治郎)のもとへ行き、結局お金を借りることができる。その代わりに土佐久に坂田商事から大熊(船越英二)の出向を受け入れることになった。


その後、祖母が体調を崩し、土佐久は跡取り娘桂子が社長代行を務めることになる。番頭山中(川崎敬三)とお得意様企業へ中元品の発注を受けるべく営業活動をはじめるが、丸の内の丸菱商事に行くと課長(多々良純)がなかなかウンと言わない。そこで桂子が自らお願いに行くが、食事を付き合わされた上に夜の付き合いまでさせられてしまい、挙句の果てに言い寄られる始末で、怒った桂子はピンタしてその場を去る。おかげで注文が取れないので業績は前年比マイナスになりそう。しかし、出向してきた大熊が活躍して、その埋め合わせができる見込みがたったが、肝心な鰹節の仕入れが不足する。土佐久はこまってしまうのであるが。。。

「夜はいじわる」なんて題名からはエロティックなイメージしか浮かばないが、その手の匂いはない。
多々良純、左卜全なんてお笑いの名優も出ていてコメデイタッチではあるが、テンポのいい現代劇である。バックに映る一時代前の東京の風景がなつかしい。鰹節のセリの場面なんていうのは生まれて初めてみた。なかなか粋だ。しかも、高知に買い付けに行くシーンもあり、映像的には実に楽しめる。でもこの映画は山本富士子を見せるための映画だ。

1.山本富士子
香港映画「花様年華」マギーチャンがチャイナドレスを10回以上着がえる。どれもこれもセンスのいい色合いだったが、この映画でも山本富士子の着物七変化も同様の色合いを感じる。他の映画でも感じるが、このころの大映映画に登場する女優さんはみんな着物が似合う。しかも、着物のデザインセンスが抜群にいい。大映衣装部のレベルの高さなのであろうか?映画の中の挿入歌は山本富士子自ら歌う。作詞佐伯孝夫、作曲吉田正の名コンビによるもの。2人の名前を見るだけで曲の中身が想像されてしまうが、まさにその通りなので笑ってしまう。


2.北林谷栄と中村鴈治郎
北林谷栄ほど長くおばあちゃん役を演じた女優もいないだろう。この映画の上映された時はまだ50歳、メイクもあるとは思うけど今どきの50でこんなに老けたおばあちゃんもいないよね。しかも、入り婿を演じる中村鴈治郎の方がこの時ははるかに年上で、こういうアンバランスもおもしろい。でもこの映画は東京日本橋が舞台なせいか、鴈治郎独特のアクの強さがかなり和らいでいる。ミスキャストなのかな?という気もするが、最後に向けて見せる父親のやさしさはこの人ならではと思ってしまう。



3.水谷良重(二代目水谷八重子)
昔はそのグラマラスな肢体をずいぶんと見せつけていたけど、母親の跡を継いで水谷八重子を名乗ってからは、新派の人というイメージが強い。そういった意味では22歳くらいの水谷良重をみれる貴重な映像と言えるだろう。この映画に出演した時はドラマーの白木秀雄と結婚していたころだし、紅白にも出ていた。最後に近いところで、仮面マスクをしたグラマラスな女性が「夜はいじわる」を歌う場面がある。特にクレジットになっていないけど、これって水谷良重じゃないかしら?ドレスで乳首がうっすら見えるのが妙にセクシーだ。

(参考作品)
夜の蝶
美貌の銀座マダム
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映画「日本春歌考」 大島渚

2015-01-06 16:20:50 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「日本春歌考」は大島渚監督の1967年の作品
東京の大学を受験しようとする若者が主人公だが、「建国記念の日」設定反対と叫ぶデモなども組み込み社会的批判的な要素をもっている映画である。当時人気の荒木一郎が主演で、伊丹十三(一三)、小山明子、そしてまだデビュー間もない宮本信子、吉田日出子が出演している。



雪の降る東京の大学に、主人公豊秋(荒木一郎)は同窓の広井や丸山たちと共に大学受験のため上京してきた。その試験場には、ベトナム戦争反対の署名をする美しい女子学生がいた。彼女のそばに近づいていくが、女は豊秋の視線を感じ「藤原×××」と署名し立ち去る。


豊秋たちが街へ出ると、建国記念日反対のデモの行列があった。意味もなく行列について行ったところ、かつて彼らの教師で、いま大学のドクターコースに学んでいる大竹(伊丹一三)と彼の恋人高子(小山明子)が連れ添って歩いていた。豊秋たちは高子の跡をつけるが、それに気づいた高子に用件を聞かれるとただ逃げ去るしか無かった。

翌日、クラスメートの女生徒早苗(宮本信子)や幸子と会った彼らは、大竹を訪ねた。大竹は居酒屋で春歌を歌い始めた。大竹を慕う女生徒たちも一緒に歌っていた。その夜、忘れ物を取りに大竹を訪ねた豊秋は、酔いつぶれて寝ている大竹を見たがそのまま帰った。


ところが、翌朝大竹の死体が発見された。その話を聞いて女生徒は泣いて悲しんだ。刑事から検死の結果はガス管の取り扱いをあやまる一酸化炭素中毒と聞かされた豊秋は忘れ物を取りに部屋に行ったことを告げる。刑事が不審がり取り調べを受けたが、やがて解放された。豊秋は、遅れて到着した高子の前で大竹が歌った春歌を歌う。最後に大竹が歌っていたと聞かされた高子は泣き崩れる。

先に帰る早苗たちを上野駅で見送った豊秋たちは、春歌を唄いながら彼女たちや藤原を犯すことを想像する。大竹の葬式の後、豊秋は居残った高子を訪ね、大竹を見殺しにしたことを告白し、一番から十番まで春歌を歌うと十一番目に高子にのしかかるのであるが。。。

なんかわけのわからないストーリーである。
ただ、ロケ中心なので昭和42年の貴重な映像がみれるのがいい。雪がずいぶんと積もっている。当時小学生低学年だった自分にもこの時期にものすごく雪が降って、自宅でかまくらをつくって、休校後小学校で雪だるまをつくった記憶がある。


東京で雪が降るかどうかはその年によって違う。ある意味、運よく雪のロケーションとなってしまったのであろう。

いきなりピラミッド校舎らしき姿が見れるので、学習院大学?と思ってしまうが、よく見ると違うようだ。
そのあと題名である「春歌」が何度も歌われる「一つ出たほいのよさほいのほい。。」高校以降にずいぶんとうたった懐かしい歌だ。自宅から近いところに、2階に宴会場のある飲み屋があった。ある大学が自宅の近くにあり、カラオケがある前は、宴会場で手拍子しながら学生たちが歌っていた。

1.春歌
高校時代、文化祭、運動会などのイベントがあるとそのあとの打ち上げでは、みんなでこの手の歌を歌ったものだ。自分は品川区だったが、大田区から通っている生徒が多く、目蒲線に乗って蒲田によく行った。
「ちんたらかんたら学校サボって蒲田へ行くと、〇女のおねえちゃんが横目で眼とばす。もみたいな、もみたいな。。。〇女のおねえちゃんの肩をもみたいな」
なんて歌うのだ。渋谷へ行くと「館(やかた)」の女の子だったり、目白だったら「ポンジョ」の子だったりするのだ。よく歌ったなあ。

柔道部(うちは班といった)では先輩たちが集まって忘年会をやったりすると、現役の我々は高校1年から酒を飲まされてこの手の歌を歌わされた。一年上の主将が芸達者で先輩たちを笑わせていた。もちろん「一つ出たほいのよさほいのほい。。」もバリバリ歌っていた。今の子たちはかわいそうだ。妙に法令順守になってしまったので、酒も飲めない。こんなことってありえないだろう。
当時、自分たちを飲ませた先輩の中には、日本の財界を代表する方もいるが、どんなふうに思っているのであろう。

2.伊丹十三と宮本信子の出会い
この映画は伊丹十三、宮本信子夫妻の出会いの場であったようだ。伊丹はアメリカ映画「北京の55日」にも出演して、名著「ヨーロッパ退屈日記」も世に出て、このころはある程度の名声を得ていた。宮本信子はまだ無名だ。映画の中で宮本の伊丹を見る視線が熱い。演技だとは思うが、そうは思えないような実感のこもったものだ。


2人の名コンビでヒット作を量産したが、20年後の2人を予測した人はいなかっただろう。ちなみに伊丹、宮本夫妻の媒酌人は作家の山口瞳である。伊丹は山口瞳原作高倉健主演「居酒屋兆治」にも出演している。

3.美しい女優たち
雪の中で出会う女子学生田島和子が素敵だ。映画の中で彼女の自宅だという大豪邸は駒込駅から近い「旧古河庭園」で撮影されている。あとは大島渚夫人小山明子が美しい。「日本の夜と霧」の時も思ったが、その年齢から少し年を重ねたこの映画でも光る美貌だ。ヘンにインテリぶるその口ぶりが嫌味だけど


最後にフォークギターをもった大学生たちが集まる集会が映る。そこに田島演じる学生が参加している。いかにもその当時の主流といった感じだ。正直この時代の左翼学生というのは一番タチが悪い。自分の一番嫌いな人種だ。
でも左翼学生って美女にもてるよね。戦前の美人女優岡田嘉子がアカの演出家杉本と樺太で逃避行するのをはじめとして、大島渚に対する小山明子も1つの例だろう。そういう時代だったのかもしれない。女にもてるというだけでアカに染まった奴も大勢いるだろう。自分と同世代で佐藤優がいて、彼の話だと学生時代京都はまだまだ左翼思想にかぶれた人が多かったようだけど、自分の学校ではありえない世界だった。

美人ではないけど、個性派女優吉田日出子も出演している。この映画に集まっているメンバーのレベルは高い。

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映画「昭和残侠伝 唐獅子牡丹」 高倉健&三田佳子

2014-12-23 21:25:23 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「昭和残侠伝 唐獅子牡丹」は1966年(昭和41年)の高倉健主演作品だ。
高倉健の持ち歌でよくスナックで歌われるのは、「網走番外地」とこの主題歌「唐獅子牡丹」だろう。けっしてうまいとは言えない。むしろ音痴の部類かもしれない。でも味がある。そんな映画「唐獅子牡丹」を見たことがなかった。


大谷石の産地栃木宇都宮近郊の大谷を舞台に、利権争いをする一方の組の親分を渡世の義理でやむなく殺すこととなった男が、その親分の妻子に対して自分の身分を隠して尽くす姿を描く。高倉健もこの当時は三田佳子とのコンビが多い。若き日の三田佳子が美しい。


大谷石の産地では左右田組と榊組が縄張りを繰り広げていた。左右田組の組長寅松は榊組をつぶそうともくろんでいた。この寅松には弥市、宗二、徳三の三人の息子がいたが、いずれも暴れ者揃いだった。そのなかで左右田組の客人花田秀次郎(高倉健)の弟分清川周平(津川雅彦)の許婚者くみに、弥市が横恋慕した。周平を思う秀次郎の弱味につけこんだ寅松は、周平、くみの縁結びを条件に榊組の親分秋山幸太郎(菅原謙二)を秀次郎に斬らせた。

それから歳月が流れ、秀次郎は刑務所を出た。石切場は、左右田組がはばをきかせ、幸太郎を失った榊組は、未亡人八重(三田佳子)が後を継いだが、勢力が衰えるばかりであった。秀次郎は出所するとすぐ、自分が斬った幸太郎の墓参に寄った。そこには八重と幸太郎の忘れ形見和夫(保積ぺぺ)の姿があった。何も知らない和夫は自らを名乗らない秀次郎になついた。八重も心よく秀次郎を家に招いた。そのころ榊組には、この山の持主田代栄蔵(芦田伸介)の口ききで陸軍省から大量の注文が舞いこんでいた。榊組はこれで一気にもり返そうとしたが、一方の左右田組は榊組の仕事を妨害した。ちょうどその時、満州に渡っていた榊組の元幹部畑中圭吾(池部良)が帰ってきた。事情を知った圭吾は秀次郎と対決した。しかし八重が必死に二人を止めるのであるが。。。


こんな話どっかで見たことあるぞ?!と腕組んで考えてみる。そうだ!同じく高倉健主演「冬の華」だ。
同じように渡世の義理で父親を殺した男が刑期を終えて帰ってくる。男は刑務所から殺した男の娘に手紙を出していた。戻ってきて娘は男になつくが、自分の立場を話せないままにいる。おいおい同じような話だな。「冬の華」倉本總の脚本だけど、元ネタをちょいといじっただけじゃないか。「冬の華」って池上貴美子がまだ若い頃の作品で、ムードはなかなかいい感じ。同じような節回しが続く演歌の曲と同じようなものだ。いいんじゃない。


高倉健の歴史でいうと、64年に飢餓海峡、日本侠客伝、65年に網走番外地、昭和残侠伝1作目、宮本武蔵巌流島決闘の佐々木小次郎役などと初期の代表作が並んでいる。男っぷりもいいわけだ。どちらかというと、江利チエミの夫ということで有名だった存在から東映の看板になったわけだ。、

出演者は昭和40年代としては豪華メンバーである。でも津川雅彦、三田佳子を除いては、ほとんど鬼籍に入ってしまった。
すぐさま殺されてしまうのが、新派では安井昌二と並ぶ男役看板スター菅原謙二はここでは活躍できずに終了。最後に渋く出るのが池部良だ。高倉健とはいいコンビである。彼は軍隊に行っていて、少し年長である。でもそう見せない。しかも、チンピラとは違うヤクザの迫力が満ちあふれている。殺し屋が発する殺気もある。ヤクザ映画では殺されてしまう役柄も多いが、渋いことには変わりはない。


ストーリーはどうでもいい。
高倉健の男っぷりが堪能でき、味がある主題歌を聴けるだけで満足だ。

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映画「旅の重さ」 高橋洋子

2014-12-21 07:24:10 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「旅の重さ」は1972年(昭和47年)公開の青春ロードムービーだ。


16歳の少女が家出をして四国遍路の旅に出る。少女がママに宛てた手紙を読みながらその感情を示すナレーターを入れながら、途中で出くわす未知の世界を映像で表わす。オーディションで選ばれた高橋洋子が主演、オーディション2位が秋吉久美子で本名の小野寺久美子名で出演している。まだ思春期真っ盛りだった自分にはまぶしい映画だった。当時高橋洋子がもう少し大人に見えた気がしたが、今回見るとその初々しい表情に驚く。


「ママ、びっくりしないで、泣かないで、落着いてね。そう、わたしは旅に出たの。ただの家出じやないの、旅に出たのよ」
四国に住む十六歳の少女(高橋洋子)が、貧しい絵かきで男出入りの多い母(岸田今日子)と女ふたりの家庭や、学校生活が憂うつになり、家を飛び出した。

四国遍路の白装束で四国をぐるりと廻って太平洋へ向う。宇和島で痴漢に出会い、奇妙なことに痴漢にご飯をおごってもらう。足摺岬の近くで、旅芸人・松田国太郎(三國連太郎)一座と出会い、一座に加えてもらった。少女は一座の政子(横山リエ)と仲良くなり、二人でパンツひとつになり海に飛び込んだりして遊ぶ。一座には他に、色男役の吉蔵(園田健二)、竜次(砂塚秀夫)、光子(中川加奈)がいて、彼らの内輪もめにもつきあった。やがて、少女は、政子に別れを告げると、政子が不意に少女の乳房を愛撫しだした。初めて経験するレスビアン。政子は、少女の一人旅の心細さを思って慰さめてやるのだった。

やがて一座に別れを告げ、ふたたび少女は旅をつづける。数日後、風邪をこじらせ道端に倒れてしまった。四十すぎの魚の行商人・木村(高橋悦史)に助けられた。調子が悪いままいったん行商人の家を出るが、すぐ木村に戻される。木村の家に厄介になり、少女の心には木村に対して、恋心のような思いが芽生えてきた。ある日から数日、木村の姿が消えてしまったのであるが。。。

テーマソングが吉田拓郎の「今日までそして明日から」である。四国の海辺を走る列車の風景とあわせてこの曲が流れる。思わずジーンとくる。デビューしたての高橋洋子がヌード姿を披露したことでも有名な作品で、当時の自分から見ると彼女が大人に見えた気がする。動きがまったく危うくてこんな子に四国遍路なんてできるわけないだろうと思いながら、映画を見ていく。


そして、旅芸人一座に出会う。お客からの投げ銭で生計を立てているような連中が内輪もめしたり、一座の男女で近親相姦のように交わっている姿に出くわす。16歳の女の子にとっては、こういう大人の世界はドッキリすることばかりだが、1人の女性が親しくしてくれる。
でも旅立たねばならない。こういう場にいると、男に誘われるのである。当然その男とできている他の女がいる。嫉妬を浴びるのだ。でも金なし一人旅はきつい。ぶっ倒れて老婆に自分のリュックを取られそうになる。そんな時一人の中年男性に助けられるのだ。男は子供のような少女に男女の関係を迫る気がしない。次第に助ける中で芽生える感情が恋に代わっていくという少女の成長物語だ。

今年四国に行ったけど、映画の中の段々畑風景や海辺の風景は大きくは変わらない。ただ、40年前の四国の都市部は現在と比較するとかなりの田舎だという印象をもつ。




1.吉田拓郎
ちょうど自分がラジオの深夜放送を聴き始めたころである。夜起きていることになれなくて、聴いているうちに眠くなっている。11時を過ぎると起きているのはむずかしい。自分はアメリカのヒットチャート曲に関心をもったが、当時字余りのフォークがはやり始めてきたところだった。「赤い鳥」なんかはヒットチャートをにぎやかにしていたが、フォークソングというと髭の生えた歌手が歌う反戦歌というイメージが強かった。


その中でこの曲が妙に印象に残った「私は今日まで生きてみました。」で始まるこのメロディは今でも好きだ。ラジオの深夜放送では圧倒的な支持を受けていた。「今日までそして明日から」は一部の若者に受けただけだったが、次の「結婚しようよ」は大ヒットした。そして続く「旅の宿」がヒットチャート一位をとる。人気は頂点を極めた。でも執拗にテレビに出ない。当時の若者にはその生き方がカッコよく見えた。当時はロック好きもギター片手に拓郎だけでなく、泉谷とか古井戸の歌を歌ったものだ。

深夜放送では文化放送の落合恵子、土居まさるが印象深い。若き日のみのもんたも「カムトゥゲザー」という番組をもっていた。その番組は9時台だったので眠らないで聴けた。オールナイトニッポンの時間まで起きていられるのは、高校生になる寸前かもしれない。

2.三國連太郎
ここでの三國連太郎の顔を見て驚いた。息子の佐藤浩市そっくりなのである。この2人が似ているなんてことあまり思ってことない。


息子に似ている。逆じゃないの?といわれそうだが、我々が知っている佐藤浩市の顔と同じ表情をする場面があり驚く。旅芸人一座というのが、社会から低い位置に見られていたという話は恥ずかしながら最近知った。「伊豆の踊子」でも踊り子の所属する一座が受ける扱いはよくない。ここでも本能むき出しで所属する役者たちが葛藤をつづける。でも他に生きる道がないから離れずに芸をやるしかない。そんな構図が垣間見れる。昭和40年代くらいまでは、旅芸人一座というのは今よりも数多く地方巡業していたんだろう。

3.横山リエ
最近「遠雷」を見直した時も出演していた。妖艶な魅力をもつスナックの女性役で、人妻なのに永島敏行とジョニー大倉演ずる農家の青年を誘惑する。そこでも軽い濡れ場があったが、ここではオープンエアの中、高橋洋子と一緒に裸で海に泳ぐ。開放的なシーンだ。一人で心細い主人公の心のよりどころだ。その役が実にうまい。

でもまだ当時23歳なのだ。横山リエは大人のさばけた女性や悪役がうまい素敵な女性だったとおもう。良いキャスティングだ。

ここでの高橋洋子は化粧もほとんどなく素顔をさらす。初々しい感じがいい。それでも高橋悦史と徐々に接近していく場面では大胆な絡みも出てくる。この当時はまだヌードになること自体、ピンク映画やにっかつポルノ以外ではあまりなかった時期である。まだ20歳になっていない彼女にとっては大冒険だったのであろう。そんな彼女に好感をもつ。

(参考作品)
旅の重さ
ういういしい高橋洋子をみる
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映画「太陽の墓場」 大島渚

2014-12-10 05:43:33 | 映画(日本 昭和35年~49年)
太陽の墓場は昭和35年(1960年)制作の大島渚監督作品だ。


大島渚青春残酷物語」、「日本の夜と霧と当時の世相の裏側を表現する作品を次々と発表していた時期の作品だ。大阪釜ヶ崎のあいりん地区が舞台で、社会の底辺を這いづる男女を描いている。ロケが中心で、空襲後戦後そのままになっている廃墟も映しだしリアルな感触をもつ。いかにも大阪らしいドツボの世界だ。前2作と比較すると、ストーリーはあってないようなもの。




売血や戸籍売りなどの映像を見ているだけで気味が悪くなる。
でも、大衆の息づかいをしっかり映し出す映像は名作といわれる「青春残酷物語」「日本の夜と霧」よりもよくできている気がする。大島渚作品ではいちばんいいんじゃないかな?

1.大阪のあいりん地区
萩ノ茶屋という地名が出てくる。南海電車の高架のもとに、小汚い掘立小屋が立ち並ぶ。セットとロケの混在だ。時折映る顔立ちは素人と思しき、実際に住んでいる面々ではなかろうか?横には屋台が並ぶ。クズ屋、パンパンと言われた売春婦やルンペン、テキ屋になりきれない屋台のお兄さん。そこにやくざの組と愚連隊集団が絡んで、下流社会から巻き上げようとしている。愚連隊の親分役の津川雅彦>、「青春残酷物語」で主役を演じた川津祐介や若き日の佐々木功(宇宙戦艦ヤマト)にも注目したい。


黒沢映画でも貧乏人役を演じた左卜全や藤原鎌足が出演し、社会の底辺に生きる連中を演じているが実にうまい。
泥棒を演じている青大将以前の田中邦衛ばかりでなく、戸浦六宏、佐藤慶、渡辺文雄といった大島作品の常連もいい。いずれも別の作品では当時の知識人らしいインテリ用語を連発していたが、ここではドツボの世界に生きる男たちの会話だ。大島渚が知識人トークとまったく真逆な世界に挑戦したことは凄いと思う。


平成の初めに大阪阿倍野に住んでいた。車で難波の事務所まで通っていたが、通勤路に西成のあいりん地区を抜けて行った。妙なもんでこのエリアでは交通違反の取り締まりがない。なので逆に安心して通行できた。皮肉なものである。

2.売春
売春防止法が施行されて2年たったところだ。舞台になる場所の近くには飛田新地なる有名な遊郭があるけれど、この映画のようにやくざや愚連隊が仕切っている裏売春が横行していたのであろう。溝口健二監督田中絹代主演の「夜の女たち」という戦後間もない大阪を舞台にした映画がある。そこでもパンパンがクローズアップされる。その映画で見るバックの風景とこの映画のバックが似ているような気がするんだけど一致するかは自信がない。

「青春残酷物語」では大学生が若い女性を中年を誘惑させて、そのあと出現して金をむしり取るなんて構図があった。
ここで語られるのはもっと底辺の世界で、よりきわどい世界である。

3.大阪の猥雑な景色
この映画でみせる大阪は貴重な映像が多い。
西成区、浪速区のドヤ街とグリコの電飾看板を映しだすミナミのナンパ橋あたり。南海電車の新今宮あたりの高架。チンチン電車がドテを走るところ。大阪城を望む昔の森ノ宮あたり?などなど。。夜の繁華街も時代を反映していて貴重な映像だ。



夕陽丘付近から通天閣を望むショットはいい感じだ。

それらを見ているだけで楽しい。

       


コメント (1)
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映画「男はつらいよ 私の寅さん」 渥美清&岸恵子

2014-10-28 19:58:07 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「男はつらいよ 私の寅さん」は昭和48年(1973年)のシリーズ第12作である。
シリーズで最大の観客動員があったとのことだ。


マドンナは岸恵子である。当時フランス在住で、まだヨーロッパに渡航する人が少ない頃、羨望のまなざしで、昭和の日本国民から眺められていた。彼女の兄役が人気の絶頂から転落する頃の前田武彦である。
寅さんや柴又の家族の振る舞いはいつもの通り。

柴又のとらやでは、九州へ家族旅行を計画していた。でもおいちゃん(松村達雄)は浮かぬ顔、おみくじで凶を引いてしまったのだ。もしかして寅さん(渥美清)が帰ってくるのではと一同で思っていたところへ寅さんが帰ってくる。
妹さくら(倍賞千恵子)とおいちゃんはなかなか言い出せなかったが、御前様(笠智衆)が旅行安全のお守りと餞別を持ってきて寅さんにもわかってしまう。
いつものようにドタバタするが、家族は無事大分から熊本への旅をすることができる。
毎日酩酊しながら、寅さんも留守番の役割を果たした。

そんな時、寅さんの小学校同級生デベソ(前田武彦)がとらやを訪ねてくる。医者の息子だったが、今は放送作家のようだ。
早速とらやの2階で酒を酌み交わし、旧交を温める。うちに来いよと言われ、画家である妹りつ子(岸恵子)の住む実家に行く。酔っていた寅は、絵具をつい滑らせ、描いている最中のキャンパスを汚してしまう。ちょうどそのとき、妹が帰ってくる。それを見て激怒したりつ子は寅を追い出すが、その後りつ子が言いすぎたととらやを訪れ、寅はご機嫌になる。


そこに画廊の主(津川雅彦)がりつ子を訪ねてくる。彼は懸命にりつ子を口説こうとしているのであった。それを見てまた振られたのかと思った寅は旅に出ようとしたが、妹にとっては嫌な存在とわかるとまた残ることになり、寅は一気に入れ込んでいくようになるのであるが。。。

1.前田武彦
ちょうど1970年をはさんで68年ごろから73年までの活躍はすごかった。
芳村真理とコンビ司会をしたフジテレビ「夜のヒットスタジオ」は、芸能人ゴシップネタの話題をふりまき続けた。また、大橋巨泉と組んだ「巨泉前武ゲバゲバ90分」は人気司会者のコンビでコント55号やハナ肇の奇想天外のギャグを毎週見るのが楽しみだった。


そんな全盛時を経て、1973年に前田武彦は人気絶頂だけに起こす勇み足をする。
ある共産党議員が当選したら番組で万歳をすると、選挙応援で言ってしまう。実際に当選して本当に万歳をしてむしろ右よりのフジサンケイグループ鹿内オーナーの反感を買う。その後は干されてしまう。
この映画が撮影されたのが、いつなのかはわからない。ただ、ちょうど干された時期だけに同じ共産党支持者である山田洋次監督が前田の起用を図ったと考えてもいいかもしれない。

2.岸恵子
前田武彦演じる放送作家の弟で画家と言う設定だ。当時41歳で古巣の松竹映画に出演する。
フランス人映画監督と結婚して、パリに在住というイメージは今からすると考えられないくらいハイソなイメージであった。
この寅さん映画の前に萩原健一共演「約束」に出演していて、日本での露出度が増えてくる。
三浦友和、山口百恵のゴールデンコンビによるテレビの「赤い」シリーズは当時の中高生はみんな見ていた。そこでの「パリのおばさん」というイメージは普通の日本人からすると手の届かない存在にしか見えなかった。しかし、1975年に離婚。
夫の監督収入では率直なところ食えなかったのではないか?だから離婚前くらいから日本に出稼ぎに来ていたのだろうか。
遠く離れた日本で我々の持つイメージとはちがっていたのかもしれない。


そういう中、撮られたこの作品を見てみると、岸恵子に昭和30年代のような華がない。今の41歳よりはふけている。でもこのあと日本での出演が増え、横溝正史作品を市川崑が監督した「悪魔の手毬唄」での犯人役はすばらしい好演であった。この寅さん映画の出演は彼女にとって重要な過渡期だったのかもしれない。

シリーズ最高の観客動員となると、この2人の出演は当時話題だったかもしれない。中学生の自分はロックや洋画に夢中でまったく見向きもしなかったのであるが今見ると興味深い。
別府、熊本の温泉地帯の雑然とした昭和らしい映像や当時の服装を見ながらもう40年も経ってしまったのかと考え込む。

(参考作品)
第12作 男はつらいよ 私の寅さん
岸恵子に憧れる寅


悪魔の手毬唄
岸恵子の最高傑作


巨泉×前武 ゲバゲバ90分! 傑作選
ゲバゲバ90分のコントを堪能する
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映画「ある殺し屋の鍵」 市川雷蔵

2014-10-22 17:43:05 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「ある殺し屋の鍵」は67年(昭和42年)公開市川雷蔵主演の現代劇


「ある殺し屋」はなかなか面白かった。続編である。監督森一生、撮影宮川一夫は変わらず、サポートする脇役がグレードアップする。そののち20年以上テレビ等で活躍する面々である。昭和のサスペンスで、何かが抜けている感じがして、ちょっと物足りない部分もあるが、佐藤友美が美しいので十分カバーする。

表向きは日本舞踊の師匠である新田(市川雷蔵)は、実は凄腕の殺し屋だった。彼の素姓は、彼と親しい芸者秀子(佐藤友美)も知らなかった。ある日新田は、石野組幹部荒木(金内吉男)から、政財界の秘密メモを握る脱税王朝倉(内田朝雄)を消してくれと頼まれた。二千万の報酬で仕事を引受けた新田は綿密な調査の末、朝倉の泊るホテルのプールを仕事場と決めた。


その日、何も知らずに朝倉と遊んでいた秀子に邪魔されはしたが、新田は針一本の武器で朝倉を殺した。証拠も、目撃者もない、瞬時のことだった。だが、石野組は新田を裏切り、彼を消そうとした。新田は危うくその手を逃れ、報酬だけは自分の手に入れると、再び自分を殺そうとした石野(中谷一郎)と荒木を始末した。このことから、新田は石野の背後に政界の大物が黒幕として存在することを知った。

仕事の報酬である札束の入ったケースを貸しロッカーに預け、自分を利用して殺そうとした者の正体を探るために政治記者に化けた新田は、朝倉の弁護士菊野の口から、この件に遠藤建設が絡んでいることをつきとめた。その遠藤(西村晃)が秀子のレジデンスに通っていることを知って、新田は遠藤を締めあげ、黒幕の名を聞き出そうとしたが。。。

1.市川雷蔵
ドーランを強く塗る時代劇のメイクと異なり、現代劇ではあっさりとしている。ただし、声に迫力がある。そんな雷蔵を宮川一夫のカメラが的確にとらえる。白黒映画で鍛えた陰影のとらえ方のうまさはいかにも大映らしい。前回の小料理屋のオヤジと異なり、踊りの師匠となっている。雷蔵自ら踊る演技は優雅でさすがという感じだ。

必殺仕事人張りに相手の急所を針でひと刺しして始末していく姿はカッコいい。現代ではあらゆるところに防犯カメラがあるので、こうはうまくいかないのでは?と思うけど、ここまでの殺し屋なら防犯カメラの死角もつけるのかな?


2.佐藤友美
当時26歳である。実に美しい。自分が大学生の時、彼女は30代後半だったと思うが、大好きだった。サスペンスドラマの常連で色っぽさを発揮する。人に好きな女優を問われ、佐藤友美と言っていたなあ。年上だけど、憧れてしまう存在だった。ここでは敵味方の間で風見鶏のようにふるまう峰不二子ばりの悪女を演じる。

3.脇役が豪華
政界の黒幕が山形勲で、この当時でいえば、一番の適役だろう。脱税王森脇がモデルと思われる消す相手の内田朝雄はそのきれいな禿げっぷりが特徴で、「細うで繁盛記」新珠三千代をカヨ!と呼ぶ伊豆弁が一番印象に残る。西村晃は建設会社の社長で中谷一郎がヤクザの組長だ。やがて水戸黄門で一緒になるとは夢にも思わなかったろう。中谷一郎は圧倒的強さを発揮した水戸黄門とちがって、ここでは???あとは「マグマ大使」の声をやった金内吉男もこの時代はよく見かけた顔だ。

「ある殺し屋」は結局2作で終わる。過密スケジュールをぬって、大映のあらゆる作品に出演していたころの市川雷蔵だ。2年後の死がいまだに悔やまれる。
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