映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「マイ・ブックショップ」

2019-03-22 05:53:30 | 映画(洋画:2019年以降主演女性)
映画「マイ・ブックショップ」を映画館で観てきました。


「マイ ブックショップ」は本好きには気になる作品である。先入観なしで見に行った。夫を亡くした1人の若い未亡人が古い空き家を改装して本屋を始めるという話である。本を読む人があまりいない海辺の小さな町で、本屋の経営に悪戦苦闘する顛末記である。

明らかにロケハンに成功している映像に映るのどかな海辺の町はなかなか趣がある。しかし、排他的な人たちが町には多く、数々の葛藤の中で主人公が味わう苦難は見る前からすると予想外のものであった。見ていて気分のいいものではないが、引き込まれる。


ロマンポランスキー監督「ゴーストライター」の映像を思わせるどんよりとした英国らしい曇り空だ。その中で衣装、美術いずれも色彩設計に優れる。海辺の家がかわいらしくて印象的、ロケは北アイルランドのようだ。どんな物語にも必ず葛藤がある。そうでなければ面白くない。でもこの主人公は徹底的にやられる。腹立たしいくらいだ。


1959年、イギリス。戦争で夫を亡くしたフローレンス(エミリー・モーティマー)は、書店が1軒もない海辺の小さな町に、夫との夢だった書店を開く。古い邸宅に40年以上引きこもっている、町で唯一の読書家ブランディッシュ氏(ビル・ナイ)の支えもあり、店は賑わいを見せる。


しかし、彼女のことを快く思わない、町の有力者ガマート夫人(パトリシア・クラークソン)の画策により、次第に店の経営が立ち行かなくなっていく。フローレンスを助けるために、ブランディッシュ氏はある行動に出るのであるが。。。(作品情報より引用)

⒈女性の陰湿ないじわる
田舎町で本屋を開く彼女に奇異の目が周囲から浴びせられる。その1番のイジメ役を演じるのがパトリシアクラークソン、英国の名優である。せっかく開業した本屋を自分が芸術家向けのサロンをやろうと思っていたのなんて言ってやめさせようと妨害する。自分と同世代だが、嫌味の強さに閉口する。おっと!ここまで主人公を落としめるのかいと脚本家に言いたくなるようなストーリー、これは女のいやらしさを一番わかっている女流監督イザベルコイシェならではの女の陰湿ないじわるの巧みな表現であろう。



⒉優しい援助者

小さな町にできた本屋に好感を持って小学生の女の子が店を手伝う。でも、嫌がらせは少女の元にも向かう。小学生の労働が許されるのか?と労働管理当局へと訴えが向かう。それでも、長い間家に引きこもっていた読書家のおじいさんが、いじわるに苦しむ彼女を優しく包んで助けようとする。映像を見ていて、こんな老人になりたいなって思ったくらいのいい男である。しかし、彼にも持病があった。それでも助けるため飛び込んでいく。なんとかしてくれと祈ってみるが。。。


ラストは何とも言えない気分である。スッキリしたとは言えないなあ。巧い終わり方だけど
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映画「女王陛下のお気に入り」レイチェル・ワイズ&エマ・ストーン&オリビア・コールマン

2019-02-20 19:55:40 | 映画(洋画:2019年以降主演女性)
映画「女王陛下のお気に入り」を映画館で観てきました。


様々な時代の英国女王が題材になった映画は多い。今回は18世紀初頭のアン女王である。ここでも子供がいないことが話題になるが、イングランドとスコットランドを合同して大英帝国をつくりあげたスチュワート朝最後の女王である。原題は「The Favourite」、まさに「お気に入り」、それがいわゆる好物でなく人としてのお気に入りであることはこの映画を観ているとわかる。

レイチェルワイズ、エマストーンという当代きっての人気女優とアン女王を演じるオリヴィアコールマンの3人がいずれも主演といってもいい女性映画である。ここまで男性に存在感がない映画はめずらしい。「女の業」を顕著に見せるストーリーは昼メロのテレビドラマのようだ。でも、ここでは嫉妬や復讐の精神的対決だけでなく「性」の問題がクローズアップされる。これがこの映画の見どころである。

名優が中心となる女性映画ってなかなかうまくいかない気がする。それぞれの名女優が「わたしがわたしが」の世界に捉われるからであろう。この映画は違う。それぞれの技が均衡している女性映画として成功している作品だと思う。

時は18世紀初頭、アン女王(オリヴィア・コールマン)が統治するイングランドはフランスと戦争中。アン女王の幼馴染で、イングランド軍を率いるモールバラ公爵の妻サラ(レイチェル・ワイズ)が女王を意のままに操っていた。
そこに、サラの従妹だと名乗るアビゲイル(エマ・ストーン)が現れる。上流階級から没落した彼女はサラに頼み込み、召使として雇ってもらうことになったのだ。ある日、アビゲイルは、痛風に苦しむアン女王の足に、自分で摘んだ薬草を塗る。サラは勝手に女王の寝室に入ったアビゲイルをムチ打たせるが、女王の痛みが和らいだと知り、彼女を侍女に昇格させる。


イングランド議会は、戦争推進派のホイッグ党と、終結派のトーリー党の争いで揺れていた。戦費のために税金を上げることに反対するトーリー党のハーリー(ニコラス・ホルト)は、アン女王に訴えるが、ホイッグ党支持のサラに、女王の決断は「戦争は継続」だと、ことごとく跳ね返される。
舞踏会の夜、図書室に忍び込んで、本を読んでいたアビゲイルは、ダンスホールを抜け出して突然駆け込んできたアン女王とサラが、友情以上の親密さを露わにする様子を目撃してしまう。アビゲイルに目を付けたハーリーが、アン女王とサラの情報を流すようにと迫るが、アビゲイルはキッパリと断る。


アビゲイルはサラが議会へ出ている間のアン女王の遊び相手を命じられるが、女王は「サラは国家の仕事より私を優先させるべき」と駄々をこねる。アビゲイルは、女王の亡くなった17人の子供の代わりだという17匹のウサギを一緒に可愛がり、上手く女王をなだめるのだった。アビゲイルはサラの信頼を徐々に勝ち取り、女王のお守役を務める機会が増えていく。いつもストレートに物を言うサラに対し、従順なアビゲイルに女王は心を許していく。(作品情報より)

1.世界史の中のアン女王
改めて山川の世界史教科書を開いてみる。昔暗記した内容を想起する。17世紀の名誉革命までの間をちゃんと覚えたんじゃないかしら。おなじみのメアリー2世とオレンジ公ウィリアムことウィリアム3世までは記憶に残る気がしたが、名前は知っているけどアン女王の印象は少ない。教科書にも大ブリテン王国(大英帝国)をつくりあげたこと、アン女王の死後にハノーヴァー朝が始まったくらいしか書いていない。この映画の中でずっと話題になったスペイン継承戦争と言われる英仏戦争は、ルイ14世のフランス側の出来事のように世界史の教科書は語っている。まさに正反対からとらえているのだ。


でもこの女王おもしろい人だ。痛風で痛みを強く訴えているシーンには、飲みすぎぜいたく病としての痛風で苦しんでいる現代日本のサラリーマンを連想してしまう。常に杖をついて歩くのがこの女王の苦しみを示している象徴的なシーンだ。PH値なんて数字はあるわけないよね。アビゲイルが森林で摘んできた薬草で治るシーンも効果的に映し出している。女官長というより侍従、戦前の日本でいえば内務大臣のようなサラは戦争推進派である。その一方でアン女王はもういい加減辞めたらといった感じである。それでも心身で結ばれている二人の絆は強い。そこに突如あらわれたのがアビゲイルである。じわりじわりアビゲイルの存在感が強くなる。


2.性的表現

英国王室の歴史を描いた映画でも性的な表現はある。それこそエリザベス1世の時代を描いたアカデミー賞作品の「恋するシェイクスピア」でもグゥイネス・パルトロウはしっかり脱いでいた。ここではアン女王とサラ、アビゲイルそれぞれのきわどいシーンが用意されている。ビシッと宮廷内の諸事をおさえているサラとは性的にも結ばれている安心感がある。しかし、サラの従妹として突如あらわれたアビゲイルは全く違うムードを持っている。しかも、性的にも別の満足度をアビゲイルが与えていることをサラに言ってしまう。これは激しい嫉妬が起きるのは仕方ない。ここでは演技合戦の中、差別化するためか?エマ・ストーンがなんとバストトップを見せる。これには驚いた。シーンからして偽物ではなさそうだ。2人のライバルへの対抗とみた。


17回も妊娠して子供に恵まれなかったアン女王も悲劇である。この後150年以上たった明治初期の日本でも明治天皇は妾に何度も子宝をつくりながら生後生きなかったのがほとんどで、結果的には跡継ぎは大正天皇という体の弱い子しか残らなかった。そう考えると今の医療は進んでいるんだよなあ。
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