映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「ベネデッタ」 ポール・ヴァーホーヴェン

2023-02-23 07:23:38 | 映画(フランス映画 )
映画「ベネデッタ」を映画館で観てきました。



映画「ベネデッタ」は奇才ポールヴァーホーヴェン監督の「ELLE」以来の新作である。17世紀に修道院の院長だった修道女ベネデッタの物語である。日経新聞の映画評で宮台真司が宗教的な背景も書いて、絶賛している。寺の墓はあれど、無宗教の自分はその解説を読んでもさっぱりわからない。ただ、「氷の微笑」以来長年の付き合いになったポールヴァーホーヴェン監督の作品だけは見逃せない。「ベネデッタ」の題名文字は70年代前半の東映エログロ路線を連想させる。

17世紀、修道院に1人の特殊能力を持った少女ベネデッタが親がカネを積んで入所する。やがて大きくなったベネデッタ(ヴィルジニーエフィラ)はキリストと対面して、しかも聖痕も受けたと認められて修道院の院長になる。ベネデッタは町の有力者になった。ところが罷免された前院長(シャーロットランプリング)の娘がベネデッタの傷は自分でつけたヤラセで、前院長はベネデッタが入所させた女(ダフネパタキア)とレズビアンの関係にあるとされて窮地に立たされる話である。


この映画の感想も難しい。17世紀欧州の物語だけど、内容はすんなり頭に入る。言葉はフランス語だ。宗教上の世界で若干現実から飛躍した場面があっても、わからなくなることはない。修道院をめぐる権力闘争と教会の権威、きびしい聖職生活の中でのレズビアンでの性的発散、ぺストの流行まで描かれる。ベネデッタはベストが流行しないように街の中に他のエリアの人たちが入ることを禁ずる

ポールヴァーホーヴェン監督は強烈な女主人公をいつも用意する。当然、主役ヴィルジニーエフィラは期待に応えている。窮地に陥りそうになると、男のような声で反発する。ダイナミックなボディを何度もあらわにして、予想通りのエロティックなシーンが用意されている。ただ、「ショーガール」の水中ファックシーンを思わせるような主役の性的歓喜の声があっても、衝撃を受けるほどの激しいシーンはなかった。18禁だけど、エロきわどいシーンは多い訳ではない。でも、40歳過ぎでこのナイスバディを保つのはすごい!


シャロンストーン「氷の微笑」では、エロスとヴァイオレンスに当時30代だった自分はものすごく衝撃を受けた。戦争を描いてスケールの大きな「ブラックブック」でも主役の女性カリス・ファン・ハウテンをいたぶるきわどいシーンがあった。ポールヴァーホーヴェンの作品でいちばんよくできた映画だった。そのレベルからすると驚きは少ない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「みんなのヴァカンス」

2022-08-22 20:02:03 | 映画(フランス映画 )
映画「みんなのヴァカンス」を映画館で観てきました。


映画「みんなのヴァカンス」は公開まもないフランス映画の新作。日経新聞の映画評の評価もよく夏っぽい映画を観てみるかと映画館に向かうと、公開館が少ないせいか満席だ。

パリで知り合った女性アルマに惹かれた男フェリックスが、アルマがヴァカンスに旅立った南フランスの避暑地に、友人と相乗りアプリで知り合った男と3人で向かう。川沿いにある避暑地で過ごす若者の話である。



つまらない映画だった。
映画題材としての内容が薄すぎる。パリで知り合った女のところへサプライズで押しかけ嫌がられる話と、夫が多忙で幼児の女の子と2人取り残された美女に友人が近づいていく話の2つがキーとなる。いくつかのエピソードを織り交ぜるが、え!それだけという感じで、たいした話はない。南フランスというロケ地もスパニッシュタッチの建物群以外は特筆すべき美観は見当たらない。見慣れた日本のキャンプ地とたいして変わるところはない。残念な作品だった。


日経新聞の映画評では某仏文学者が5点をつけていたが、どこがいいのかなあ?この人たまにいいこと書くけど、感性を疑う。それとも仏文系のつながりで肩入れする事情があったのかもしれない。自分の隣の席の人はずっと寝ていた。金払ってそれでも良いのと思ってしまう。退屈だったのだろう。同じ夏の日々を取り上げた日本映画「サバカン」と比較してレベルの低さに驚く。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「オフィサー・アンド・スパイ」 ロマンポランスキー&ジャン・デュジャルダン

2022-06-04 09:10:46 | 映画(フランス映画 )
映画「オフィサーアンドスパイ」を映画館で観てきました。


映画「オフィサー・アンド・スパイ」「戦場のピアニスト」「ゴーストライターの名匠ロマン・ポランスキー監督の新作である。高校の世界史教科書にも記載があるドレフュス事件を扱っている。19世紀末、ユダヤ系のフランス人将校がスパイ容疑で告発されるという有名な冤罪事件である。戦前にゾラの生涯という名作映画があり、作家のゾラからの冤罪告発が主体となるが、ここでは軍内部で真犯人がいると内部告発した将校の目で描いている。


1894年ユダヤ系のフランス軍ドレフュス大尉(ルイガレル)がドイツ軍に機密情報を流しているスパイ容疑で軍籍を外され、離島に島流しされた。諜報を扱うピカール少佐(ジャン・デュジャルダン)が、自分あてに送られた書類にドレフュスが告発された文書と同じ筆跡を見出す。上司の司令官や大臣に告発するが、一旦裁決されたことと混乱を恐れて取り合ってもらえない話である。

プロの映画人による上質の作品である。さすが!という印象を持つ。
当初は単なる歴史ものに見えるスタートで、淡々と事実を語っていくように見えた。しかし、主人公のピカール少佐が怪しいと感じて冤罪に気づく場面から、グッと引き締まってくる。しかも、すごい演技合戦を見せつける。探究心が告発に変わり上司の大臣や司令官に絡むシーンに迫力がある。

歴史ものは最終結果が分かっている訳だけど、ストーリーの先行きがどうなるんだろうと感じさせるスリリングな要素がある。ロマンポランスキーと名コンビのアレクサンドルデスプラの不安を感じさせる音楽もよく、スリラーのような恐怖も感じさせる。

数多いと思われるいろんな歴史上のエピソードもうまく選択して映画を構成している。フランス原題「J'accuse」ゾラの「私は弾劾する」とはいうものの、思ったよりもゾラやドレフュスの妻の出番が少ないのもこれはこれでいいと思う。


⒈ロマンポランスキー
キネマ旬報ベストテンでも1位になったゴーストライターは傑作だった。元首相の自叙伝のゴーストライターが気がつくと陰謀にハマるというストーリーをどんよりした暗いムードを基調に、スリリングに仕上げる。魅了された。あれから10年以上経つ。日本ではあまり注目されていない2017年のスリラータッチの告発小説、その結末エヴァグリーンの怪演がよく、自分は好きだ。

何よりロマンポランスキー組とも言える映画スタッフが卓越である。武満徹のように不安を呼び起こすアレクサンドルデスプラの音楽が画面の出来事にマッチし、ポランスキーの母国ポーランドのパヴェル・エデルマンの撮影も時代背景あふれる美術を的確に反映するショットで、編集のエルヴェ・ド・リューズも題材の多いこの映画でうまくまとめる。

優秀なスタッフが集まるとこうも違うなと感じさせる。プロの仕事ですばらしい!でも、2019年にフランスで公開されヴェネツィア映画祭で審査員大賞を受賞した作品が3年経って公開されるのはいくらコロナとはいえどうしてなのかな?


⒉ジャン・デュジャルダンとルイガレル
映画を観に行く前は、ロマンポランスキー、ドレフュス事件というワード以外は先入観がなかった。映画が始まってしばらくして、主役のピカール少佐がアカデミー賞映画「アーティスト」のジャン・デュジャルダンだと気づく。久々に見る。「アーティスト」の頃はマリオンコティヤールなどと一緒の恋愛映画が多かったが、ラッキーでアカデミー賞もらってから役に恵まれていない気がする。ここでの掛け合いセリフをはじめとした演技は絶妙だ。


映画見終わってからドレフュス大尉を演じていたのがルイガレルと知り驚く。彼には「ドリーマーズ」などフランス得意の前衛的現代劇のイメージしかない。映画監督フィリップガレルの息子で若い時から役には恵まれている。モニカベルッチが豊満なボディを見せた灼熱の肌マリオンコティヤール共演の「愛を綴る人」などの作品で大女優と共演しているが、力量不足は否めない。でも、チャラ男でなく迫害され続ける役で一皮剥けたのではないか。


主役のピカール少佐は政府高官の妻と不倫をしている。これが単なる歴史ものにしていない一つの要素でもある。その不倫相手を演じるエマニュエルセニエである。映画を観て彼女はすぐわかった。ロマンポランスキーの妻である。年齢の差30あるのもすごいけど、さすがにもういいおばさんで、ジャン・デュジャルダンよりも年上だ。「あんた映画つくるんだったら私も出してよ」と言われるんだろうが、不倫相手はもう少し若くて魅力的でも良かったのでは?若い時にきれいで今は年齢を重ねているが、監督の妻というだけで主役級になる女優にレネ・ルッソもいる。日本にも多い。困ったものだ。


⒊ユダヤ系と不思議なエンディング
ユダヤ系の迫害というと、日本人はナチスのユダヤ人迫害をすぐ思い浮かべる。でも、映画をきっかけに調べると、フランスでも反ユダヤ運動が激しかったようだ。欧州にはユダヤ差別が歴史的に根強いものがあるというのもこの映画でよくわかる。もともと軍人の報酬の20倍も収入あるドレフュス大尉が悪いことをするわけがないというセリフがある。スパイ容疑であったら、今の北朝鮮だったら即刻死刑だし、戦前の日本も同様だと思う。島流しですむのがフランス流なのか?


ネタバレなので言えないが、ラストワンシーンが実に印象的である。日本であった厚生労働省の村木事件も連想させると同時に、ドレフュスに対する率直な感想が作者にあるのを感じる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「パリ13区」ジャック・オディアール

2022-05-01 17:44:54 | 映画(フランス映画 )
映画「パリ13区」を映画館で観てきました。


映画「パリ13区」はフランスの奇才ジャック・オディアール監督が2021年カンヌ映画祭に出品した現代若者の偶像を描いた18禁作品である。パリ13区はセーヌ川の南側にあるパリには珍しく高層ビルが立ち並ぶエリアで、アジア系も含めて多様な人種が住んでいる。1980年代ごろはパリでタクシーに乗ると運転手がベトナム人で、中国人は少ないと思ったが、パリ13区には多いようだ。久しくパリに行ったことのない自分は街の存在を知らなかった。

大胆な性的描写がきわだつ映画である。
現代フランス人の若者の性への考え方は、平均的日本人の思考を超越している。もともとベルナルド・ベルトリッチ監督の映画ドリーマーズに登場する1968年5月革命時代におけるフランスの若者も一歩進んでいた。映画では開放的な裸の女性も出てくる。「パリ13区」に共通するものを感じる。純粋な白人のフランス人だけが登場する映画でなく、アジア系、アフリカ系のフランスで育った若者がメインになる。ジャック・オディアール監督は直近トレンドの多様性にも焦点を合わせる。

18禁とはいっても、現代ネット社会を見据えた話の流れになっている。性的交わりを見せる場面が多いにも関わらず、映画の中身は奥が深く計算され尽くしている。


コールセンターでオペレーターとして働く台湾系のエミリー(ルーシー・チャン)のもとに、ルームシェアを希望するアフリカ系の高校教師カミーユ(マキタサンバ)が訪れる。二人は即セックスする仲になるものの、ルームメイト以上の関係になることはない。
同じ頃、法律を学ぶためソルボンヌ大学に復学したノラ(ノエミ・メルラン)は、年下のクラスメートに溶け込めずにいた。金髪ウィッグをかぶり、学生の企画するパーティーに参加した夜をきっかけに、元ポルノスターでカムガールの“アンバー・スウィート”本人(ジェニーベス)と勘違いされ、学内中の冷やかしの対象となってしまう。大学を追われたノラは、不動産会社に勤めるカミーユの同僚となり、二つの物語がつながっていく。(作品情報 引用)



⒈ジャック・オディアール監督
ジャック・オディアール監督作品では2000年代前半の「リードマイリップス」真夜中のピアニストに強い衝撃を受けた。特に「真夜中のピアニスト」の主人公は悪徳不動産屋というべき辛辣な地上げをする男だ。そんな男にも子どもの時に習っていたピアノに才能があり、アジア系美人ピアニストから指導を受けるストーリーで、善悪のコントラストが印象に残った。


今度も元教員のアフリカ系男性が不動産業に携わるストーリーで「真夜中のピアニスト」を連想する。台湾系のエミリーが祖母の所有するアパートに1人住まいでなくルームメイトを求めてひと稼ぎを目論む。眺めのいいアパートだ。所有のマンションにもう1人賃貸人を呼び込むのは今の日本ではあまり聞かない。大学を辞めたノラも賃貸系の不動産のリーシングに携わる。ジャック・オディアール監督に不動産の素養があるのかな?

⒉脚本の力
1974年生まれの米国の作家エイドリアントミネ原作の3つの作品が元になっている。映画を観終わると、うまい具合に3つの作品の要素をひとつにまとめたなと感心する。ジャック・オディアール監督のインタビューによると、原作を読んで「登場人物が自分には思いつかないオリジナリティーあふれる人物像」だと思ったようだ。初老の域に入った自分も監督の気持ちには同意する。

フランスではジュリア・デュクルノー監督のパルムドール作品TITAN をはじめとして女性監督の活躍が目立つ。2人の女性映画人セリーヌ・シアマとレア・ミシウスとともに脚本を書き上げたという。物語の原型というのは古今東西似たようなものであっても、登場人物は現代的で進化している。しかも、フランスの若者には昔の感覚ではありえない思考がある。さすがに70代のジャック・オディアールではこの飛んでいる若者たちの心境は読めないでしょう。

18禁で性描写も多い作品であっても奥が深いと思わせる構造には、女性的な感覚を織り込んだことが大きい。


⒊大胆なルーシーチャン
映画が始まり、いきなりバストトップを露わにした女性の裸が見える。中国系のようだ。ルーシー・チャンである。2000年生まれでまだ若い。ルームメイトになったというだけで、アフリカ系の男性とすぐ交わってしまうその心境にぶっ飛ぶ。ベットシーンも大胆である。ひょんなことでコールセンターを失職してしまうが、その後の自由奔放さにはついていけない。


⒋ノエミ・メルランと両刀使い
その一方で、大学に復学したノラが金髪のカツラをかぶってダンスパーティーに登場したことで、ポルノスターに間違われて落胆して辞めてしまう。アレ、この子見たことがあるなと気がつき、2020年の傑作燃ゆる女の肖像の主人公を演じたノエミ・メルランと気づく。今回の脚本セリーヌ・シアマが監督した作品だ。途中からレズビアンムードが強くなる映画でノエミ・メルランは全裸で女性同士交わっていた。

ここでは勤めた不動産屋の同僚となったアフリカ系の男性カミーユと全裸でカラダを合わせる。モノクロで色彩が強調される男性の黒い裸がまとわりつき刺激的だ。おいおい、こんなにくっついているけど、男は前貼りしているのか?と気になってしまう。大きすぎて前貼り無理か?


自分が間違えられたポルノスターに接触するという展開がおもしろい。最初は課金サイトで女性同士トークするだけだったのが、Skypeで話すようになるのだ。どんどん親密になっていく。こんな展開は単なるポルノではない面白い展開だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「アネット」アダム・ドライバー&マリオン・コティヤール&レオスカラックス

2022-04-03 18:21:51 | 映画(フランス映画 )
映画「アネット」を映画館で観てきました。


アネットはフランスの鬼才レオス・カラックス監督の新作である。ホーリーモーターズ以来久々にメガホンを持ち、当代きっての人気俳優アダムドライバーとマリオンコティヤールが主演で共演する。前作「ホーリーモーターズ」では独創的奇怪な映像を堪能でき、公開を楽しみにしていた。レオスカラックス監督は大激戦だった2021年カンヌ映画祭「アネット」を出品して監督賞を受賞している。

ヘンリーは一人芝居のコメディアンで人気者である。オペラ歌手のアンと恋仲になり結ばれ結婚する。2人には女の子の赤ちゃんができアネットと名付ける。その頃からヘンリーはスランプに陥り、ステージで観客に悪態をついたり、むかし恋仲だった女性6人から訴えられる。アンは今まで通り人気を保ち、何とか夫婦仲を維持しようとして船旅に出て嵐にのまれるという話の展開である。


ホーリーモーターズ」に続く奇想天外な映画づくりを予想していた。今回はミュージカル仕立てである。主演2人も歌う。でも、前作ほど現実と悪夢が交錯するイメージは少ない。いつもと違う違和感を感じながらも、何が起こるかわからないと最後まで目を離せなかった。

製作費については、前作よりはいいスポンサーが付いたのでは?という印象をもつ。全世界のツアーをするという設定で、世界各所の映像が映ったり、エキストラと思しき人たちを大勢雇ったり、これまでのレオスカラックスの作品よりもカネがかかっている。毎回出演している道化師のようなドニ・ラヴァンが出るのかなと最後まで待ったけど、出演していない。常連が出ないのは若干寂しい。逆に日本人が3人登場するのがご愛嬌だ。

⒈アダムドライバー
アダムドライバーは歌の本職ではない。レオスカラックス監督はあえて歌わせようとしたわけである。きっちりこなしている。

パターソン内気でナイーブなキャラクターアダムドライバーのイメージだ。沈黙の神父役も似た感じで良かった。近作はプレイボーイのイメージに転換しつつある印象をもつ。最後の決闘裁判「グッチ」と続いて、この映画ではマリオンと結婚するだけでなく、6人の女性から訴えられる遊び人だ。その中の1人が水原希子だ。


映画のスタートで、スパークスの歌に合わせて出演者が揃って歩くシーンがあり、アダムドライバーって背が高いんだなあと感じる。189cmだ。この映画ではバイクに乗るシーンが多い。マリオンコティヤールと2人乗りでバイクを走らせるシーンを大画面で観ると、疾走感を実感でき気分が良くなる。とはいうものの、悪役だ。


⒉マリオンコティヤール
悲劇のスパイ役を演じるマリアンヌ以来5年ぶりにマリオンに出会う。人気女優とはいえ、さすがに40代半ばになると出番は少ない。久々のマリオンはベリーショートのヘアで軽いイメージチェンジをしている。前作でカイリーミノーグがショートヘアで印象深い歌を歌った。レオスカラックスの好みだろう。自分はミッドナイトインパリのマリオンコティヤールが好きだ。


エディットピアフを演じてアカデミー賞主演女優賞を受賞しているが、オペラ歌手役の時に歌う歌声は本人とは思えない。まだ20代の若き日に美しい妹できれいなバストトップを見せてくれたことがある。今回、ベッドシーンでも乳首は両手で隠していたが、トップを一部見せてくれる。大サービスだ。

自宅の庭のプールで歌いながら泳ぐ姿が優雅である。日本の個性派男優古舘寛治演じる医師のもとで出産するシーンもある。


⒊アネット
映画を観る前にアネットって何のことなんだろう?と思っていた。アンが産む子どもはアネットだ。出産してすぐさま取り上げられた赤ちゃんは人形だ。その後も少しづつ育っていき、よちよち歩きになっても人形の姿であることは変わらない。

やがて、アネットはとんでもない才能を発揮する。そして、ラストシーンになり、これまでの状況を覆しあっと驚く。幼児がアダムドライバーと対等に渡り合うシーンが見ものだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「TITANE チタン」ジュリア・デュクルノー

2022-04-02 23:08:18 | 映画(フランス映画 )
映画「TITAN チタン」を映画館で観てきました。


映画「チタン」は2021年のカンヌ映画祭のパルムドール作品である。ちょっと変わった怪作という評価もあり関心を持つ。映画ポスターだけを見ると、普段好みとする作品とはちがう。先入観を持たずに映画館に向かう。

車に執着する少女アレクシア(アガト・ルセル)が交通事故に遭い、瀕死の重傷で頭にチタンを埋め込まれる。その後、大人になり、モーターショーでエロチックなダンスを踊っていた。ところが、熱狂的なファンを殺してしまい指名手配で逃走する途中で、自分に似た行方不明の少年がいることを知り、自ら名乗り出て消防隊長の父親ヴァンサン(ヴァンサン・ランドン)のもとで、消防士になって身を隠すという話である。


評価のとおり確かにこんな映画は観たことがない。
しかも、監督脚本が女性監督ジュリア・デュクルノーと映画を見終わってから知り、おったまげた。しかも美人だ。少なくとも日本の女流監督にはこういう作品をつくれる人はいないし、クライムサスペンスに優れる韓国でもここまでのエグい作品は作れない。ジュリア・デュクルノーの両親は2人とも医師だという。映画を観れば、その素養が十分生かされていると感じる。

主人公アレクシアはいかにも変態異常というべき人物だ。あとの主要な登場人物は自分の息子と思って引き取る消防隊長ヴァンサンくらいのものだ。マッチョのヴァンサンのディテールにとことんこだわる。それでストーリーをらしくしているのは上手い。


⒈殺しと偏愛
フランスじゃこんなエロチックなモーターショーやっているの?と思わせるきわどいショーに通う熱狂的なファンを殺してしまう。シャロンストーンの「氷の微笑」でのアイスピック殺人を連想する殺し方でスタートして、殺しの場面が続くと連続殺人事件の話かと思ってしまう。これだけじゃ単なる三流セクシーバイオレンス映画でパルムドール作品にはならないだろう。15禁といっても、ファックシーンが続くわけではない。カンヌの表彰式のプレゼンターがなんとシャロンストーンという写真を見て思わず笑った。

ここで、アレクシアは変装する。髪の毛を切るだけでなく、顔をわざとぶつけて形を変えるなんて芸当で姿を変える。胸はサラシを巻いたようにテープでぺったんこにする。TVに映る行方不明だった少年が今こんなに大きくなったと名乗り出る。すると、目通しで運良く父親ヴァンサンが引き取るのだ。消防隊の隊長だ。何を聞かれてもアレクシアは一言も話さない。でも気がつくと、消防隊員にさせられている。こういう展開は予想外だ。

この映画のうまさのひとつにこの父親の存在がある。しかも、この後偏愛物語のように展開する。グッと面白くなってくる。目が離せないシーンが続く。

⒉妊娠
アレクシアが変装する段階で、裸になるとお腹がポコンと出ている。そこで妊娠しているんだなあと観客に感じさせる。当然、若い男性のふりをしているし、体にはテープを巻いている。ずっと、隠していくのかと思うと、だんだんお腹が大きくなっていく。ここからがポイントだ。アガト・ルセルは初めて知った女優だが、全裸になっての大胆なシーンと懐妊後の異常パフォーマンスにはすげえと感じる。


でも、映画を観終わって、これって「車と交わってできた子ども」といういくつかの解説をみて意外に思えた。SF的世界ということなのか。でもそこまでは感じなかった。終わってみれば、確かに黒い液体がアレクシアの身体の至る所から出ているシーンがあった。当然露骨にクルマの子だというセリフもないけど、その解釈はうーんという感じである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「ブラックボックス」ピエール・ニネ

2022-01-30 21:18:25 | 映画(フランス映画 )
映画「ブラックボックス」を映画館で観てきました。


映画「ブラックボックス」はフランス映画、逆転に次ぐ逆転でおもしろいというウワサで観てみたくなる。「イヴサンローラン」ピエールニネの主演でヤンゴズラン監督の作品だ。「ブラックボックス」とはフライトレコーダーとコックピットヴォイスレコーダーを合わせた物だというのは初めて知った。

ドバイ発パリ行きの飛行機が墜落した後に、事故究明にブラックボックスを開けてテロの仕業と判断した分析官が、ノイズが気になりそこに意外な事実が隠されているのではないかと再調査していくという話だ。観に行く前は、音の違いをチェックするだけの室内劇かと思っていたけど、そうでもない。アウトドアのシーンも多く変化を持たせる。

確かにおもしろい!
結末がこうなるだろうと観客に都度予想させて、それをくつがえすことを繰り返す。途中では、ハラハラドキドキの場面をいくつも用意してわれわれが目を離さない工夫がされている。観に行く価値はあるおすすめ作品だ。


300名の乗客を乗せたドバイ発パリ行きの旅客機がアルプスの山間部に墜落した。航空事故調査局は事故究明のために音声分析官マチュー(ピエールニネ)の上司ポロックが調査部隊を率いることになるが、いつも同行するマチュは指名されなかった。ところが、調査を開始した後でポロックが突然消息不明になる。

改めて調査に参加したマチュは、ブラックボックスを解析すると、機内にイスラム系の乗客がコックピットに侵入する疑いがあることを見つける。いったんそれで事故の顛末は決着すると思われた。ところが、乗客が遺族に残した留守電の音が、ブラックボックスの音と違うことにマチュが気づき、再調査を始めると意外な事実に気づくのであるが。。。


⒈融通の利かない分析官
この主人公マチュはかなり変わった男だ。ともかく融通が利かない。パイロットのシミュレーター飛行のチェックをしていて、軽いミスも正直に申告すると言ってパイロットの反発を受ける。普通だったら甘い点をつけてもおかしくないのに、そういうことができない。上司からの指示にも従わないことも多い。

マチュの奥さんは航空大学の同期だ。新作の旅客機を認証する機関に勤めている。当然自身の業務には守秘義務があるわけであるが、マチュはそんなことも気にせず、妻のパソコンを平気で開けて機密情報を抜き出そうとする。


融通が利かないわけどころか夫婦関係を崩す可能性もわからないバカだけど、真実をつかむためには一途だともいえる。普通だったらしないと思われることも気にせず脳天気にやる。変なやつだなあと観ながら何度も思ったが、それでなければこの映画は成立しない。

⒉登場人物の対立と葛藤
映画の最初の場面で、上司のポロックと主演のマチュ分析官がヘリコプターの墜落原因をめぐって言い合うシーンがある。音の周波数特性を分析して、理路整然と答えるマチュに対してポロックが反発するシーンではじまる。結局、次の事実解明調査部隊からマチュは外される。この映画は上司と部下の対立と葛藤の映画だと思わせた。ところが、そうストーリーは進んでいかない。この上司がいなくなるのだ。結局調査を任され、真相究明となってよかったと思わせたが、そうはいかない。


この後は、いくつもの対立を生む。しかも、その相手には、パイロットの他航空会社や飛行機の認証機関なども含まれている。要するに、次から次に真実を究明するために葛藤する矛先が変わっていくのだ。バカ真面目で融通が利かない男の奮闘記だけど、この男の推論が常に正しいわけではない。大きな間違いも起こしている。そうやって、われわれの結末への推理を難しくさせる。

主人公のような石頭男みたいなバカ正直タイプの性格のやつは好かないので、観ていて不愉快にもなってくる。それでも食いついていけるだけのストーリーの面白さと若干の謎解きの要素、ヒッチコックばりのハラハラ感がある。加えて、ハイテク機器の使い方を間違えると危険な状況に陥ることもよくわかる。観終わると、これまで知らなかった知識がたくさん頭に投下された。そんな映画である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「悪なき殺人」

2021-12-19 21:31:34 | 映画(フランス映画 )
映画「悪なき殺人」を映画館で観てきました。


これは今年でピカイチのミステリーである。
緻密に細部まで設計された映画の構成にはうならざるを得ない。フランスの雪が降る山岳地帯にある小さな農場と遠く離れたアフリカコートジボワールがなぜか1つの出来事に絡んでくるのだ。

「悪なき殺人」の原題は「動物だけが」である。確かに主要登場人物は動物を飼っている。真実も知っている。フランスのドミニクモル監督の作品だ。登場人物にスターは誰もいない。
作品情報には殺人をめぐる黒澤明の「羅生門」形式のスタイルの映画と書いてある。ただ、ちょっとこの書き方は違う。「羅生門」のように殺人の顛末がどうだったかと証言を追うわけではない。前後を揺さぶる構成は「パルプフィクション」をはじめとした時間軸をずらすのが得意なクエンティンタランティーノ作品や誰もが勘違いをしていて誤解が誤解を生む「ブラッドシンプル」などのコーエン兄弟の映画の匂いを感じさせる。

事件に関わるそれぞれの登場人物の視点ということで作品は流れるが、最初のアリスの視点だけ触れてみる。

雪が降り積もるフランスの高原地帯が舞台。共済組合の外交職員のアリスは、変人と周囲から思われている農場を営むジョゼフに接近している。この日もジョゼフを誘惑する。しかし、いつもとは態度が違う。早々に引き上げるアリスは帰る途中、路上に放ってある車を見かける。

自宅に帰ると、TVニュースでエヴリーヌという女性が行方不明になって車だけ残されているのを知る。アリスの夫である牧場主のミシェルは、家でパソコンの画面に向かっていて関心もなさそうだ。やがて、アリスの家に警官が聞き込みにやって来る。仕事柄ジョゼフについて何か知っているか?と聞かされる。どうやら、エヴリーヌの失踪について、ジョゼフに疑惑があるようだ。


先ほど会ったとき、ジョゼフの様子もおかしかったので、アリスは気になりジョゼフの家に向かう。誰も出てこないので奥へ行くと、愛犬の無惨な死体を見つける。ようやくジョゼフが出てくるが、追い出される。アリスが家に戻ると夫のミシェルの様子がおかしい。電話口で大声を出した後に外出してしまう。

この辺りで第一話が終わる。第二話のジョゼフの視点からは語るのをやめておこう。ここでも真実はわからない。第三話では死んだエヴリーヌとレズの関係にあったマリオンが話の中心になる。この映画では、普通では考えられない異常行動を起こす人と人を欺く人物を数人登場させ普通の人に混ぜる。登場人物の設定はうまい。



⒈伏線が意味を持つ
この映画の綿密な脚本の設計図の前提に、伏線となるセリフをいくつも散りばめているというのがある。第一話ではアリスがいて,仲の良いのジョセフが疑われていると言う事実しかない。犯人は到底特定できない。でも,アリスやジョセフや夫のミシェルが言った一言一言に最終章に向けての伏線がちりばめられている。思いっきりジョゼフが犯人だと決めつけていきそうな流れをつくった後に、別の流れをつくる。観客に誤解させる伏線と真実への伏線をつくるのだ。


第二話は,アリスがジョセフの家を訪ねてきた直前のある事実からスタートする。一話とかぶるが、目線が違う。アリスの知らない事実がある。そのような形で、それぞれの登場人物の視点で事件の経過を追う。そして、一部ダブりながら新しい局面、真意が浮き彫りになる。重ね合わせていくと、いくつもの誤解があらわになる。誤解が誤解を生み悲劇につながる構図だ。

⒉つながりがつながりを生む社会
仕事をしていると、まったく関係のない筋が突然つながり上手くいったりいかなかったりする。居住地が数千キロ離れているところとの関係が浮き上がるのは、ネットのおかげだろう。もう100年以上前から無線にしても通信手段でワールドワイドにはなっていたが、身近で金銭的にも気軽ではなかった。ここでは、アフリカコートジボワールの詐欺グループが関与する。まだまだ貧しい国である。そんな国のあんちゃんでも関わりが出てくるのがネット社会の怖さでもある。インチキにはご注意を


いずれにせよ、ここではこれ以上ネタバレは省きたい。観客を欺きうならせるための脚本の設計図の見事さに身を任せて欲しい。必見のミステリーである。最後の締めもそうくるかと思わず唸った。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「ONODA 一万夜をこえて」 小野田寛郎

2021-10-13 19:29:45 | 映画(フランス映画 )
映画「ONODA 一万夜をこえて小野田寛郎」を映画館で観てきました。


ONODAはフランス人監督アルチュール・アラリによる小野田寛郎さんの物語である。
すべての日本人に観てほしい情感のこもる傑作である。

戦後ずっとフィリピンルバング島で戦っていた小野田寛郎さんが帰国してからはや47年も経つ。今や日本人なら誰でも知っているという存在ではなくなったかもしれない。横井庄一さんが戻ってきた時も日本中大騒ぎだったが、小野田少尉は毅然とした態度とその規律正しい振る舞いにすべての日本人をあっと言わせた。まだ十代だった自分も武士道の香りを感じた。

フィリピンルバング島でアメリカ軍に圧倒されていた若き小野田少尉が、部隊をまとめあげられないまま、3人を引き連れ島のジャングルで徹底抗戦する姿からスタートする。部下が1人離脱し、現地での銃撃戦で亡くなった2人の部下と別れた後に、現地を1人で捜索していた冒険家鈴木紀夫氏と出会うまでを描いている。


小野田少尉が日本に帰国した昭和49年(1974年)当時は、戦争に行った経験のある人もまだ現役でバリバリ働いていた。誰しもが、孤軍奮闘していた姿に敬意を表していた。TVの論調でも否定的なものは一切ないと記憶している。同時に小野田少尉を発見して一夜を過ごした鈴木紀夫氏は日本中から大絶賛された。飛行機のタラップを降りるときのピリッとした小野田さんと普段着のままのお気楽な鈴木氏を見てその対比がいまだに脳裏に映像として残る。


ここでは英雄視された中であまり語られていなかったサバイバル生活を映画でクローズアップする。何で日本映画でないの?と思う人もいるであろうが、逆にフランス映画だからできたとも言える。アルチュール・アラリ監督には敬意を表する。映画館の年齢層は普段よりぐっと高くなり、年老いたおじいさんに付き添うおばあさんが目立ち、座席に着くのがやっとの昭和戦前生まれ世代がかなり多かった。

⒈日本映画では無理
日本でも戦争映画はいくつも作られているが、核心には迫れない。右翼からの圧力を恐れているからであろうか?例えば、「ラストサムライ」では明治初期に関わる作品だが、若き日の明治天皇が出てくる。発言も存在もひ弱そのものである。ここでも出てくるイッセイ尾形昭和天皇を演じる「太陽」も同様だ。これって日本映画じゃ無理なんだろうなあと思った。そんな例はいくらでもある。逆に、外国製作の日本映画の方が日本人が触れたがらない真実が暴かれておもしろい。


自分は未見だがジョニーデップの「MINAMATA」も水俣病の水銀を流し続けたチッソの社長が出てくるようで、雅子皇后の母方祖父である江頭元チッソ社長が絶対絡んでくるはずである。これも日本では絶対に製作できない作品であろう。

⒉陸軍中野学校と特殊命令
戦前の日本軍というと、一億玉砕という言葉が代名詞のようだ。天皇陛下のために自ら命を断てというわけだ。事実、小野田少尉も親からは万一の時にと短刀を受けとって出征した。ここでは違う。

小野田少尉は陸軍中野学校で、「お前たちには死ぬ権利はない。別の解決策を探れ。生き延びて秘密戦に備えろ」と指導を受けるわけだ。戦争が終わっている気配は感じても、それは敵の陰謀で徹底抗戦しろというわけだ。


ある意味、小野田少尉は頑固そのものである。帰還命令が出るまで帰らない。彼に長期にわたって付き合った部下の小塚上等兵もたいしたものだ。

⒊美化された小野田少尉
小野田少尉は美化されて実際にはひどいことをしているという説もあるようだ。でも、そんなことを知っている日本人はあまりいないと思う。民家に押し入って強奪したり、収穫されたコメを奪い取った上に、焼き払ったりする姿が描かれる。戦争終わったあとに人も殺している。ほぼ真実なんだろう。まだ戦っているんだからということでそれらの無罪放免というのも最近の世論からすると、良くは捉えられないだろう。


最近のよくできた日本映画で割とよく見る出演俳優はいずれも好演である。小野田少尉を演じた遠藤雄弥や津田寛治はいずれも頑張った。鈴木紀夫さん役の仲野大賀は役柄にピッタリだ。でもいちばん良く見えたのは小塚上等兵を演じた松浦祐也である。コミカルな部分が映画に風味を残す。


身障者の妹に売春をさせる男を演じる岬の兄妹では主演を張ったが、「由宇子の天秤」をはじめ脇役での活躍が目立つ。登場人物の心の迷いを映し出す映像アングルが良く、カンボジアだというロケハンに成功している。ただ、これって日本映画ではないよね。年末のベスト10で日本映画に入らないのかな??
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「Summer of 85」フランソワ・オゾン

2021-08-28 20:44:42 | 映画(フランス映画 )
映画「Summer of 85」を映画館で観てきました。

今回もフランス映画を選択してしまう。フランソワオゾン監督の作品はいつも見逃せない。でも、前作は以前ほどいいと思えず感想を書いていない。正直男色映画は苦手な部類だが、そもそもゲイを公言している中でペドロアルモドバルとフランソワオゾンの作品は別格である。映像美ということで楽しめる。「サマーオブ85」は予告編での色彩感に魅かれて映画館に向かう。


1985年の夏休みに北フランスの海岸にある街で出会った美少年たちの物語である。美少年好きの女性には男色映画とはいえ、たまらないだろう。いつも単純にストーリーを進めず、変幻自在の変化球で観客を揺さぶるフランソワオゾンの技に期待したけど、今回は普通かな?

1985年夏、ノルマンディー。16歳の少年アレックス(フェリックス・ルフェーヴル)は、海でセーリング中に突然の嵐に出くわす。ヨットが転覆してしまってあたふたしているところを、18歳のダヴィド(バンジャマン・ヴォワザン)の船に救出される。それがきっかけでアレックスは、ダヴィドの家が経営しているマリンショップに出入りするようになる。ウマがあった2人は常に一緒にいて遊ぶようになり、ある時に一線を超えてしまう。


ダヴィドからの提案により、2人は「どちらかが先に死んだら、残された方はその墓の上で踊る」という誓いを立てていた。ところが、ダヴィドは英国から来ている女の子とデートしているのをアレックスが見て強い嫉妬をして大げんか、飛び出したアレックスを追いバイクを走らせて交通事故に遭遇して、帰らぬ人となってしまうのであるが。。。

⒈フランソワオゾン
長丁場の長編映画というのはないのではないか。いつも100分程度に映画をまとめてくる。ゲイを公言しているフランソワオゾンでも「スイミングプール」や、「17歳」など女性が主役の作品も少なくない。軽いミステリー的要素が映画に含まれていることが多く、そのスパイスが効いてよかった。以前はシャーロットランブリングが常連だったけど、さすがに歳とっちゃったかな?自分としては、題材の選び方など韓国のキム・ギドクに通じるものを感じる。

今回は謎の要素は少ない。よく同性愛の方が嫉妬が激しいというが、ストーリーとしては嫉妬による恋の崩壊しか焦点があたっていないのかもしれない。ペドロアルモドバルの男色映画だと露骨な性描写があるけど、ここでは男性同士のキス程度だ。このくらいにしてもらわないと困る。


⒉夕日が美しい北フランス
海辺の美しい街である。海岸の裏が断崖のようになっていて、ドーバー海峡を隔てた英国のシーフォードの海岸線に類似していると感じた。夕日が沈もうとしている海岸線をバイクで走らせるシーンは美しい。


2人乗りでバイクを疾走させたり、ジェットコースターに乗ったり、ディスコで踊ったりする青春を感じさせるシーンはフランソワオゾン監督の作品では珍しい気がする。80年代の匂いは音楽も含めて強い。

ダヴィドの家は海に近いところで、昨年夫を亡くしたばかりの母親がマリンショップを経営している。そこでは、釣り道具なども販売している感じの良いお店である。社交的な母親は店を手伝ってくれるアレックスも気に入って何もかもうまくいっている時に、飽きっぽいアレックスがダヴィドが面倒な存在になってくるのだ。男色だけでなく両刀使いのプレイボーイだ。


こういう海辺の町で育てばこんな感じになるんだろうなあという青年たちのひと夏の恋を、夏の終わりに公開するのも季節にはあっているけど、まあ見慣れないエリアを楽しむ以上の感慨は少なく普通かな。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フランス映画「スザンヌ16歳」 スーザン・ランドン

2021-08-25 21:05:00 | 映画(フランス映画 )
フランス映画「スザンヌ16歳」を映画館で観てきました。


スザンヌ16歳はまだ20歳のスザンヌ・ランドンが自らメガフォンを持ったパリを舞台にした青春物語である。予告編で見たパフォーマンスが奇想天外で気になっていた作品だ。ちょいと古いがソフィーマルソーの「ラ・ブーム」を見たときと同じような後味が残る。

スザンヌランドンはフランスのベテラン俳優ヴァンサンランドンがサンドリーヌ・キベルランと結婚していたときに生まれた娘であり、ある意味血統書付きである。

20歳の女の子が自ら監督脚本の作品に普通であれば、誰もスポンサーにはならないでしょう。俳優の両親は離婚しているとはいえ、周囲の映画人はみんな何かと2人に世話になっているはずだから、協力したのだと思う。学生のノリだけでできてしまった映画ではない。ちゃんとプロがつくったレベルのフランス映画だというのは実際に見ればよくわかる。

16歳の高校生スザンヌ(スザンヌランドン)は同級生には馴染めない日々を過ごしていた。ある時、演劇のシアターの前で35歳の舞台俳優ラファエル(アルノー・ヴァロワ)を見かけて、魅かれる。偶然を装いスザンヌがラファエルに近づいていくと、たびたび見かけていたスザンヌに好意を持つようになる。やがて、2人はお互いひかれていくようになるという話である。


観念的なフランス哲学に基づくようなむずかしさはなく、やさしいフランス語での会話が中心で、簡潔で意味がとりやすい。ストーリーは平坦で強烈にインパクトがある場面は少ない。でも何となく共感を覚えるシーンが詰まっている映画である。

⒈16歳の女の子と35歳の男性の恋
先般、立憲民主党の議員が「50代の男性と14歳の女の子が同意の上でメイクラブするのを罪にするのはおかしい」という趣旨の話をして、何と議員辞職するハメになった。発言のあとは、周囲からはかなり強いバッシングを受けた。復帰不能である。実際に恋の先進国フランスではどう捉えるのであろう。


ここでは35歳の男と16歳の高校生の恋だ。最初から、周囲の会話にまったく馴染めず、ディスコパーティのようなみんながはしゃぐパーティで浮いてしまう主人公を映す。アランドロンのようなフランスの典型的二枚目とは到底言えない20近く上のヒゲ面の男にグイっとひかれる。そんなことってあるのであろうか?

ただ、こういう恋は実現していなかったとしても、スザンヌランドンがこういうおじさんに憧れていた経験があるからこそできたストーリーというのはあるだろう。俳優の子だけにませているのは間違いない。

⒉恋のはじめのウキウキ
恋のはじめの気分の盛り上がりが素直に表現されている。むしろ、16歳のスザンヌの方が近づこうと積極的に仕掛ける。そして、遠くから見つめていたラファエルと初めて言葉を交わそうとするときのはにかんだ笑顔がかわいい。そして、朝食を一緒に食べようと誘われたときのパリの街角で踊るウキウキしたダンスに、10代のときの純な恋心が現れていてさわやかだ。

カフェで2人が一緒にヘッドホンでオペラを聴きながら、ラジオ体操のように首を振りながら、一緒のタイミングで振り付けをしているようなパフォーマンスが奇想天外でで実にいい感じだ。


⒊女の子にとっていちばん身近な異性
スザンヌランドンはパパっ子なのかもしれない。男と付き合うかどうか位の女の子にとっていちばん身近な異性は父親だろう。スザンヌは父親に「男の人って、スカートをはいているのとズボン姿とどっちを好むの?」と聞いていく。ハゲ親父はめんどくさいなあといった感じで、スカートと言う。すると、スザンヌはまさにツイッギーのミニより短い超ミニスカートをはいてラファエルの前に現れる。化粧のまねをしたり、急激にませていく。


実際にスザンヌは実父に対してもこんな感じなんだろうなあというのが、選択したセリフの数々を聞いてよく感じられる。それはそれで、娘を持つ自分から見たら好感がもてる。いい後味が残る。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「燃ゆる女の肖像」アデル・エネル&ノエミ・メルラン&セリーヌ・シアマ

2020-12-05 20:10:00 | 映画(フランス映画 )
映画「燃ゆる女の肖像」を映画館で観てきました。

これは傑作だ!
エンディングに向けてのつくり込みはすばらしく心にジーンと残った。


「燃ゆる女の肖像」は18世紀のフランスを舞台にお見合いするための肖像画を依頼された女流画家が孤島に暮らす貴族の令嬢の館で過ごす10日間を描く。女性監督セリーヌ・シアマの映画作りの巧みさに感心した。その他大勢の出演者を除く主要な出演者はすべて女性である。

上野千鶴子先生の推薦文があるので女性映画との触れ込みを感じて一瞬行くのか迷ったけれども思い切って行ってみたら観客の8割が男性だった。フェミニストやLGBT映画的ないやらしさはまったくない。やさしいフランス語で語るので内容は自分にもしっくりくる。

物語は複雑でなく、むしろオーソドックスだ。でも、海や古い館を映し出すカメラアングルと照明設計が見事である。女同士のむずばれない愛を美しく絵画のように描いていてすばらしい。むしろ女性よりも男性が好む映画じゃないかな?


18世紀フランスのブルターニュ地方、ある伯爵夫人(ヴァレリア・ゴリノ)から、若い女性画家マリアンヌ(ノエミ・メルラン)は伯爵令嬢エロイーズ(アデル・エネル)がお見合いするための肖像画を描くことを依頼された。大西洋に浮かぶ孤島に、エロイーズが住む館があった。マリアンヌが小舟でやって来る。

肖像画を描くということは内緒で、散歩のお相手で短期に滞在という口実であった。5日間という約束で夫人は島を離れ、メイドのソフィ(ルアナ・バイラミ)と3人で広いお屋敷に住み、婦人が帰ってくるまでに肖像画を完成させることとなる。


エロイーズは気難しい女性だった。笑顔をみせない状況がつづいたが、時間を経るうちに親しみを感じてくれるようになる。エロイーズの動きを観察しながらこっそり隠れてマリアンヌが肖像画を完成させる。

伯爵夫人が戻ってきて見せる前に、まずはエロイーズ本人に確認してもらおうとする。しかし、自分の身分を明かし、絵を見せるとこれは気に入らないと拒絶される。落胆したマリアンヌはその時点で島を離れようとしたが、エロイーズからもう一度描いてくれといわれ、母親の貴婦人の承諾を経て島に残ることとなる。

今度は肖像画のモデルらしく、エロイーズは協力してくれる。エロイーズは笑顔を見せてくれるようになり、2人はこれまで以上に心が通じ合うようになる。やがて関係が徐々に一線を越えていくようになるのであるが。。。

1.2人の接近
肖像画を描くために島にきたのはマリアンヌがはじめてではなかった。以前は男性画家が来たことがあった。そのとき描いた肖像画には顔がなかった。肖像画を依頼されたマリアンヌには酷な依頼に思われた。修道院にいたエロイーズはこれまで心を許せる人物がいなかったのであろう。2人は徐々に接近を重ねていく。いったんは関係が終わってしまいそうだったが、改めて接近する。


途中まではきわどいシーンを連想させなかった。しかし、2人に性的欲求が生まれる。ノエミ・メルランとアデル・エネルがともにヌードをみせる熱演で2人の衝動を映像にみせてくれる。この映画の照明設計はすばらしく、美しく芸術的に表現する。ここでは令嬢エロイーズが豊潤に生えるワキ毛をみせるシーンがある。このエロさに思わずドキッとしてしまう。アデル・エネルの大胆さに目を奪われる。

2.18世紀の中絶事情
伯爵夫人が島を留守にした後でエロイーズとマリアンヌのお世話をするメイドのソフィが残って3人になる。あるとき、マリアンヌにソフィがいう。「生理が3ヶ月こないの」どうも妊娠してしまったようだ。当然望まぬ妊娠なので、中絶したい。海辺で走ったり、宙づりになったりしたあとで、お産婆さんらしき女性の元に行き中絶の処置をする。まさに18世紀の中絶手術だ。そのときのシーンで中絶するときにソフィの横に赤ちゃんが横たわって一緒に映るショットがある。不思議な気分になる。


3.音楽の使い方の巧みさ
音楽のない映画だ。島に荒々しく打ち寄せる波や風の音以外にあまり多くはないセリフがあるのみだ。これはこれでいい。そう思ったときにマリアンヌがハープシコードの元に行き、音楽を奏でる。音色を聴いていると、無造作に弾いている曲が徐々にヴィヴァルディの「四季」だということがわかる。これでエロイーズがはじめて笑みを浮かべマリアンヌと2人の関係が急激に接近する。


焚き火の粉が舞うなか、祭りに集う地元の女が清らかな歌声が響く。これが2つめの音楽だ。幻想的にマリアンヌとエロイーズを映す美しいシーンである。
結局この2曲と思ったときに最後にあっと驚くシーンをみせる。
さすがにそのときは自分の背筋に電流が走った今年いちばんのエンディングかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「パピチャ 未来のランウェイ」リナ・クードリ

2020-11-03 22:29:53 | 映画(フランス映画 )
映画「パピチャ 未来のランウェイ」を映画館で観てきました。


「パピチャ」はアルジェリアで暮らしたことのあるムニア・メドゥール監督が自身の体験も踏まえて製作した映画である。90年代イスラム教国アルジェリアで、政府とイスラムの急進派との争いが激化する中で、女性の服装が制約を受けることに反発をしてファッションショーを開催しようと奔走する女子学生にスポットをあてる。

もともと女性主導の映画でフェミニストが好きそうな印象があった。でも、アルジェリアでのロケということで、往年の名作「望郷」に映るカスバの街並みが急に頭に浮かび今のアルジェの町を見たいという欲求に気がつくと映画館に足を運ぶ。テロ的な場面が予想よりも多く、アルジェの景色はさほど楽しめない。景色を楽しんでいる場合じゃないだろということかも。

考えてみるとイスラム国家はコーランの教義に忠実なわけで、女性進出とは両立がむずかしい。その中でのへそ曲がり女子大生に焦点を当てるわけだから本国で公開されるはずはないだろう。無宗教の日本で日本の女性もみんなよかったねと思わせる映画だ。

1990年代、アルジェリアの首都アルジェ、学生寮で生活する大学生ネジュマ(リナ・クードリ)はファッションデザインが好きで授業中もデッサンを描いている。夜になると同室のワシラ(シリン・ブティラ)と寮を抜け出し、郊外のナイトクラブに行き遊びまくって自作の服も注文を受けている。だが武装した過激派のイスラム主義勢力の台頭によりテロが頻発する首都アルジェでは、ヒジャブの着用を強制するポスターがいたるところに貼られている。それにはネジュマは強く反発していた。


そんな時、ネジュマの仲の良い姉が急進派の女性にいきなり殺されてしまう事件が起きる。ネジュマは落胆するが、なんとか立ち直ろうと、伝統的な衣装布である5m四方のハイクをつかってファッションショーを企画する。黒いヒジャブをかぶった保守的なイスラム教徒の女性の妨害をうけながらも開催に持ち込もうとするのであるが。。。

⒈アルジェリア内戦と宗教の恐ろしさ
そのもののアルジェリア独立戦争のことは知っていても、同時代だったにもかかわらず“暗黒の10年”と呼ばれる90年代のアルジェリア内戦のことはよくわからない。反政府の急進イスラム勢力が台頭して内戦を起こし、相当数のアルジェリア国民が亡くなったという。この映画の中でも、悲劇的結末を迎えた人が多い。宗教は恐ろしい。


⒉イスラム教の女性蔑視
イスラム教の聖典コーランでは女性は男性より劣位にあり、保護される存在だとされる。資力がなければ成立しないが、一夫多妻もありうる。これをもってイスラム教は女性蔑視の宗教とされるが、世のフェミニストはこれをどのように思っているのであろうか?

一夫多妻というのは医療事情のレベルが低いことで、男子を残すために長い歴史を通じて究極の提案だったのであろう。日本だって明治の初期は医療事情が悪く、明治天皇は多数の女官と床をともにして大勢生まれたのにもかかわらず、まともに育った男子は女官柳原愛子が生んだ大正天皇くらいなものだった。発展途上にある国々の医療事情は一昔前の日本レベルの可能性だってある。


この映画でも女性の服装や行動は強制されている。髪を黒いヒジャブで包むことを強要する。コーランでは男女それぞれの立場にそってというその記載は科学が進んでいない時にはある意味合理的な部分もあると思う。今われわれが普通に代数をつかっている数学はファーリズミーによるものでイスラム諸国で生まれているし、本来はもっと現代的になってもいいのに毎回コーラン原理主義に押し戻された可能性もある。

3.ネジュマの恋と矛盾
主人公ネジュマは、理解してくれる若者メディに恋をした。フランスへ行く彼から求婚を受けているシーンがある。もうこの国にいても仕方ないから一緒について行ってくれと言われる。でもネジュマは拒絶する。「自分はこの国が好きだし、知らない国には行きたくない」といってその場を去る。

でも、これって監督矛盾していない??と感じる。だって、アルジェリアはほとんどイスラム教徒である。その教義に沿って生きていくのが自然で逆らうならイスラムを棄てて行くしかないのだ。そもそもネジュマがおかしいし、そのくせ結局監督はアルジェリア逃げ出しているんでしょ。なんかこれって変だと思う。


最後に向けてはこういうシーンが用意されているとは思わなかった。単純に終わらせないところはお見事だ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「スペシャルズ」ヴァンサン・カッセル

2020-09-16 20:04:50 | 映画(フランス映画 )
映画「スペシャルズ 政府が潰そうとした自閉症ケア施設を守った男たち」を映画館で観てきました。


自閉症の題名が入っているのが気になり映画館に向かう。ヴァンサン・カッセルは韓国通貨危機の話「国家が破産する日」でIMFの高官を演じていた。「スペシャルズ」は実話に基づき自閉症児も出演しているのでドキュメンタリー的な要素を持つ。一般的な自閉症のイメージでいくと、ここでの自閉症患者はかなり重症である。

自閉症のレベルによっては、通常の義務教育に通えるレベルの子が多い。でも、このレベルだと養護学校でないと対応は無理であろうし、普通のところでは手に負えない子たちばかり扱っているというセリフもある。

ブリュノ(ヴァンサン・カッセル)は、自閉症の子供たちをケアする団体〈正義の声〉を運営している。支援している青年の一人ジョゼフが、電車の非常ベルを鳴らして鉄道警察に取り押さえられたのだ。緊急地域医療センターへと向かうと、重度の症状から6か所の施設に受け入れを断られたヴァランタンという少年の一時外出の介助を頼まれる。完全に心を閉ざしていたヴァランタンは頭突き防止のヘッドギアをつけて、一人で立ち上がることもできない。


会計士から、監査局の調査が入ることになり、不適切な組織だとジャッジされれば、閉鎖を命じられると忠告される。赤字経営で無認可、法律の順守より子供たちの幸せを最優先するブリュノの施設は、役人に叩かれれば山のように埃が出る状態だった。

ブリュノはヴァランタンの介助を、マリク(レダ・カテブ)に相談する。ドロップアウトした若者たちを社会復帰させる団体〈寄港〉を運営するマリクは、教育した青少年をブリュノの施設に派遣していた。マリクは遅刻ばかりでやる気のない新人のディランを、ヴァランタンの介助人に抜擢する。

そんな中、調査員が関係者との面談を始める。まずはジョゼフの母親が、無認可の組織の落ち度を探られるが、彼女はいかにブリュノが親身で熱心かを力説し、「認可なんて関係ない」と言い切るのだった。ジョゼフの勤め先を見つけようと、1万通メールしても断られ続けたブリュノだが、ようやく試しに1週間雇ってくれる洗濯機工場が現れる。だが、それも長くは続かなかった。一方、運動に連れ出されたヴァランタンも、遅れてきたディランの鼻に頭突きをしてしまう。直前まで手を握っていたのにとディランは憤然とする。

調査員は次なるターゲットのマリクに、大半の支援員が無資格だと詰め寄るが、マリクは資格があれば暴れる子を抑えられるのかと鼻で笑う。緊急地域医療センターの医師も、3か月で退院しなければならない患者を無条件で受け入れてくれるのは、ブリュノだけだと証言する。
調査員は称賛の声にも耳を貸さず、無秩序で怪しげな団体だと決めつけるのであるが。。。(作品情報より引用)

症状が重いのはヴァランタンという少年だが、もっともよく出てくるのがジョゼフという青年だ。ようやく引き取ってくれる工場が見つかり、電車に乗って行こうとするが、なかなかたどり着かない。しかも、電車に乗ると非常ボタンを押してしまい、電車を止めてしまう。常習犯で同じことを何度もやる。ようやく工場で働くようになったら、同僚の女性に寄り添って離れない。ある程度寛容の気持ちで見てもらっても工場も嫌気がさすのだ。

1.忙しい主人公ブリュノ
ヴァンサン・カッセルもいろんな役を演じているけど、今回ばかりはかなり疲れたんじゃないだろうか?まさに重症の自閉症患者を取り扱うほど面倒なことはない。

携帯電話はたえず鳴りっぱなし。預かっている子どもが手に負えないほど面倒なことを起こすのに加えて、誰からも見放された子がいるので頼むから引き受けてくれという電話も病院その他からガンガンかかってくる。ブリュノは独身でお見合い的紹介を受けてビシッとスーツで決めて、携帯の電源を切って相手の女性と会う。これも行方をさがしてきた同僚に追われて、話はまとまらないのだ。


2.自閉症
hors normeという仏語題の日本語訳はと調べると「並外れた」である。確かにそうだ。ダスティンホフマンがアカデミー賞を受賞した「レインマン」をはじめとして「自閉症」を扱った映画は意外に多い。でも、ここまでの重症患者は出演していなかった。統合失調症と診断されて薬を飲まされる羽目になったというセリフもある。その診断自体も変だとは思えない。

自分の子どもは、幼稚園にあがるころまで言葉があまりしゃべれなくて広汎性発達障害の疑いがあるといわれた。あたふたして、児童相談所や障がい施設にはずいぶん行ったことがあった。それもあってか、ここで見るのはとびきりハードな自閉症児のように思える。


許認可を受けていないし、無資格者が障がい者を取り扱っているとなるとフランス厚生省当局が監査をするのは職務上当然であろう。営業停止となるのも常識的である。でも主人公が調査員に言う。「どこの施設も、誰も面倒を見切れない重症者ばかりなんだ。いいからそちらで預かってください」と。そう言われても、当局は引き取りようがない。見放されると途方に暮れる子どもたちばかりだから、妥協したということなんだろう。

3.インターナショナルな出演者
ドロップアウトした若者たちを集めた施設を扱っているマリクのところには、アフリカ系、ヴェールをかぶったイスラム系、アジア系と人種のるつぼになっている。


マリク自体イスラム教徒だとしている。エマニュエル・ドットの本で読んだのであるが、最近のフランスは無宗教国家になりつつあり、凶悪なテロ事件を受けてイスラム教徒がフランス国民から相当いやな目に遭っているという。今回のこの映画もそういう影響を受けている感がある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「ドリーマーズ」ベルナルド・ベルトリッチ

2020-07-18 21:07:58 | 映画(フランス映画 )
映画「ドリーマーズ」は2003年のベルナルド・ベルトリッチ監督作品


暗殺の森「ラストエンペラー」という傑作を残したベルナルド・ベルトリッチが3人の若者をクローズアップし、マーロンブランド主演「ラストタンゴインパリ」ばりに激しい性描写の映画を撮る。アメリカからの映画好きの留学生がパリで双子の姉弟と奇妙な三角関係の同居生活をするという設定である。ジミ・ヘンドリックスのしびれるギターが冴える「サード・ストーン・フロム・ザ・サン」をタイトルバックに流しながらエッフェル塔を上下にカメラが捉え、気がつくと映画人救済のデモの中にいる若者3人を映す。

その後もジャニス・ジョップリンのパンチのあるボーカルやボブ・デュランの名曲、日本でも流行ったミッシェル・ポルナレフの歌が次々と流れる。2人一緒に裸で寝る近親相姦すれすれの恋人同士のような双子の姉弟のもとにアメリカ人の若者が居候する。若き性の興奮も手伝ってか、行為がだんだんエスカレートするのをベルナルド・ベルトリッチが追いかける。

1968年、パリの街は5月革命の嵐が吹いていた。19歳のアメリカ人留学生マシュー(マイケル・ピット)は、映画遺産の文化施設シネマテークフランセーゼの創立者アンリ・ラングロワが文化相から罷免されたことへの反対デモに出くわす。そして、映画ファンが多数参加するデモの集団の中でイザベル(エヴァ・グリーン)とテオ(ルイ・ガレル)という双生児の姉弟の2人と出会う。3人は意気投合し、マシューは、姉弟の両親がバカンスで留守にするアパルトマンに泊めてもらう。一つのベッドに裸で寝ている姉弟の姿にマシューは戸惑いつつ、3人の奇妙な同居生活が始まる。


若い3人は大好きな映画について語りあう日々を過ごすが、やがて性的な結びつきができていく。3人はアパルトマンにこもりっきりで昼夜の区別がつかない生活を送るようになる。ある夜、家の中に用意したテントの中で、3人は裸で仲良く横になっていた。翌朝、バカンスから戻ってきた姉弟の両親が彼らを見つけるのであるが。。。

1.映画マニアの3人
3人は映画マニアである。生活のすべてが映画のシーンにつながる。映画人の固有名詞にもこだわる。近年の作品だけでなく戦前のマニアックな映画も数多く話題になる。マシューがニコラスレイの特集をすべて見ていたことをテオとイザベルは知っていた。マシューとテオはチャーリー・チャップリンバスター・キートンのどっちが上かという議論をしたり、フレッド・アステアがタップダンスをする映画は何かというクイズを出したりする。

ゴダール映画「はなればなれ」で出演者が9分45秒でルーブル美術館の中を一周するシーンがある。実際にやってみようと3人が9分28秒でルーブルを駆け抜けるのは実に痛快なシーンだ。


2.エヴァグリーンの豊満なバストを囲む男2人
長身で顔立ちも垢抜けているエヴァグリーン演じるイザベルは、あまり似ていない一卵性双生児の弟と裸で一緒に寝ている。それをそっと覗き込んでマシューが驚く。姉が弟に自慰を強要する場面が出てきて徐々に3人の動きがエスカレートする。気がつくと、シャンソンの名曲「ラ・メール」に合わせてイザベルが脱いで全裸になる。そこには大きなピンクの乳輪の形の良いバストが隠されていた。


現在も活躍するエヴァ・グリーンの裸体には思わず興奮してしまう。その後で、古典的映画のある場面に関するクイズの罰ゲームでイザベルとマシューはメイクラブすることになる。その時、テオは目玉焼きを料理しながら同じ部屋にずっといた。行為が終わると、彼女の下半身に血が流れている。見ているこちらは生理中なのかと思ったけど、どうやらイザベルは処女だったのだ。


やがて、3人は部屋の中ではほぼ生まれたままの姿で生活するようになっていくのだ。エヴァグリーンの興奮させられる裸体を映すだけでなく、男性の竿もカメラが捉えていく。なかなかこれはきわどい映画である。


3.毛沢東の崇拝者とポスター
1968年という年は世界中が何かに反発していた。米国ではベトナム戦争への反戦運動、パリでも五月革命でドゴール政権への反発が繰り広げられていた。日本でも学生運動がピークに達して、翌年の東大入試は中止になった。

その頃、中共こと中華人民共和国では文化大革命の名の下、毛沢東が権力奪還しようと資本主義化に寄った政策をとる共産党幹部を毛沢東語録を手に持った紅衛兵を使って糾弾していた。しかし、言論統制もあり、中華人民共和国に関する情報は極めて少なかった。そういう中、時折日本のTVに映る天安門広場の中央に立つ毛沢東はいかにも中国人民のトップという姿を全世界に見せつけていた。自分も幼心にすごい人なんだと思っていた。


文化大革命に関する悪い情報が伝わらず、世界の至る所に毛沢東信者がいたと言ってもいいだろう。イザベルとテオの部屋にも毛沢東のポスターが貼ってある。パリの五月革命に関するネット情報を見ると、パリにも多数毛沢東信者がいたようだ。最後に向けて、デモの中に飛び込んでいくイザベルとテオの姿を映す。なんてバカな奴らだと思ってしまう。


自分は1970年代中頃、高校の倫理社会の授業の中で、思想家の誰かを選んで要旨を授業で発表するという課題があり、迷わず毛沢東を選んだ。ニクソン大統領毛沢東主席が歴史的な対面をしたあと、田中角栄首相主導で日中国交回復が成立した。毛沢東「実践論」、「矛盾論」という著作を残している。内容については今でも共鳴することが多い素晴らしい本である。管理職になってから仕事でもかなり役に立っている。

ただ、劉少奇元国家主席をはじめ文化大革命によって失意の中亡くなった人は多い。しかも、文化大革命は中国の経済発展のスピードを20年以上遅らせた。そういった意味では権力にこだわり結果的に混乱させた毛沢東の罪は重いと言えよう。ベールに包まれまったくわかっていなかった。毛沢東の動きが次々と変わって一番困ったのは日本の左翼系知識人であろう。彼らをを先導させた岩波書店にも問題は多い。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする