映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

映画「キャロル」ケイト・ブランシェット&ルーニー・マーラ

2016-02-14 19:30:41 | 映画(洋画:2013年以降主演女性)
映画「キャロル」を映画館で見てきました。


最後の場面、カメラはルーニー・マーラに見つめられたケイト・ブランシェットをじっと映す。
無表情であるが、ケイト・ブランシェットは軽く微笑んでいるようにも見える。
たぶんこういう終わり方をするんだろうなあと思っていたら、その通りエンディングとなり、背筋がぞくっとする。血液が逆流して全身がしびれてしまった。日本映画でいえば成瀬巳喜男監督「乱れる」高峰秀子が見せたラストシーンの時に感じたのと同じ衝撃だった。

今日の東京はかなりの強風が吹いていたが、アカデミー賞の有力候補とあってか、座席は最前列まで超満員だ。「ブルージャスミン」の身勝手な女ぶりでアカデミー賞主演を受賞したケイト・ブランシェット「ドラゴンタトゥの女」でヌードになり狂気に満ちあふれた女を好演したルーニー・マーラとのレズビアン映画らしい。レズビアン映画というと我々世代はにっかつポルノのような展開を予想してしまうけど、その当時よりも同性愛は社会的に承認されつつある。

何気なく知り合った女性2人の恋の進展話は、バックに映るゴールデンエイジと言われた50年代の美しいアメリカの描写とあわせて非常にきれいに見えてくる。ポストプロダクションの技が抜群で、美術、撮影、音楽いずれもすばらしく2時間映像を堪能できた。これは実にすばらしい映画だ。

1952年ニューヨーク、クリスマスを間近に控えて街は活気づいている。マンハッタンにある高級百貨店のおもちゃ売り場で働く若きテレーズ・ベリベット(ルーニー・マーラ)。フォトグラファーに憧れてカメラを持ち歩き、恋人のリチャード(ジェイク・レイシー)から結婚を迫られてはいるが、何となく毎日を過ごしていた。

そんなある日、おもちゃ売り場にキャロル・エアード(ケイト・ブランシェット)が娘リンディへのクリスマスプレゼントを探しに訪れた。テレーズは美しく魅力的なキャロルの存在に気づき、キャロルもその視線に気づいた。テレーズはプレゼントを一緒に選んだ。その際キャロルが手袋を忘れていってしまう。テレーズはすぐに手袋を自宅へと郵送した。するとキャロルから百貨店に電話がかかってくる。


御礼にとランチに誘われたテレーズは、翌日、キャロルに指定されたレストランで初めて話をして向きあう。キャロルは愛のない打算的な結婚生活を送っていた。その週末、キャロルの屋敷に招待され楽しい時間を過ごしていると、突然別居中の夫ハージ(カイル・チャンドラー)がクリスマスイブにリンディを迎えに来る日程を早めて帰宅して、リンディを連れ去ってしまう。


翌日、弁護士に呼び出されたキャロル。離婚を拒むハージは、リンディの共同親権から単独親権へと変更し申し立てをしてきた。キャロルと親友のアビー(サラ・ポールソン)との親友以上の親密さを理由にして、ハージの元に戻らなければ二度とリンディには会わせないと脅してきているのだ。審問までは娘とは会うことを禁止されてしまうキャロル。その夜、クリスマスプレゼントの高価なカメラを手にテレーズのアパートを訪れた失意のキャロルはテレーズを誘い、西に向かって車であてのない旅に出る。


1.ケイト・ブランシェット
実に優雅である。小さい子供がいて、結婚10年という映画内の設定では年齢は30代中盤といったところか、現在の年齢の10歳年下の役を演じる。赤い口紅とマニキュアが似合う大人の女性で常にタバコをすっている。「ブルージャスミン」では落ちぶれたむかしの栄光に生きる女を演じたが、ここではいかにも現役富裕層というゴージャスさをにじませる。自分としてはアカデミー賞を受賞した前作よりもよく見える。


エリザベス1世を演じた「エリザベス」、キャサリーン・ヘップバーンを演じた「アビエイター」ももちろん悪くはないが、個人的には「あるスキャンダルの覚書」と「ハンナ」でのケイトが好きだ。「あるスキャンダルの覚書」では若き学生と関係を持ってしまう女教師なんて日活ポルノまがいの役だが、実は年上のジュディ・デンチ演じる女教師にほれられている役で、ある意味今回と同じような展開だ。「ハンナ」で演じた主人公と敵対するCIAエージジェント役も自分には最高にカッコよく感じた。

2.ルーニー・マーラ
タータンチェックの帽子とマフラーが実にかわいい


「ドラゴンタトゥの女」
では狂気に迫る主人公を演じ、007のダニエルクレイグを手玉にとり、大胆にヌードになった。いったいどうしちゃったんだろうと思ってしまう。その前作「ソーシャルネットワーク」での女学生役と全くイメージが違ったからだ。「her 世界でひとつの彼女」「サイドエフェクト」もそれなりの存在感を見せたが、今回はよりいっそう素敵に映る。


今回も「ソーシャルネットワーク」と同じ透明感のある透き通ったかわいい顔で映るし、「ドラゴンタトゥの女」ほど大胆ではないが、ヌードになって映画の中での最重要場面でなくてはならない美しい姿をさらけ出す。さすがのプロ意識に脱帽である。

3.パトリシア・ハイスミス
ヒッチコックの「見知らぬ乗客」、アランドロンの「太陽がいっぱい」という映画史上では名作といわれる2つの作品の原作者である。謎解きというより犯罪を起こした男が逃げ切れるかという映画だ。最近ではキルスティンダンストが出演した「ギリシャに消えた嘘」なんて作品もパトリシア・ハイスミス作品だ。でも、「キャロル(The Price of Salt) 」は別のペンネームで発行されたらしい。しかも、ベストセラーだそうだ。この当時の感覚でいうと、女性同士の禁断の恋というのが世に承認されてなかったのであろう。それにしてもトッド・ヘインズ監督もゲイだそうだ。そういう関係はそうなっている人の方がよくわかるというわけか。

4.おもちゃ売り場
ルーニーマーラ演じるテレーズが勤めるおもちゃ売り場で、キャロルは「4歳のときどんな人形で遊んでいたの?」と店員のテレーズに話しかける。


時刻表少年だった自分には鉄道模型もいい感じけど、テレーズのまわりに映るバービー人形のような着せ替え人形が懐かしい。恥ずかしながら、小学校低学年の時、勉強もせずに悶々としていた少年だった自分はあまりの出来の悪さに同級生の少女たちに同情され、よく一緒に遊んでくれた。お医者様ごっこといってもむしろ自分が診察されるだけで、相手側には何もしていない。そして妹のためにといいながら親に買ってもらった人形を女の子の家に持っていって一緒になって着せ替えを楽しんでいた過去がある。
自分の誕生日には予告もせずに次から次へと女の子が誕生日プレゼントを買って持ってきてくれて、あわてた母が不二家のケーキを買いに行って体裁を整えてくれた。着せ替え人形遊びをしたのは言うまでもない。キャロルのセリフをきいてむかしの自分をつい思い出した。

(参考作品)
ブルージャスミン
シャネルを着飾った身勝手な女(参考記事


ドラゴン・タトゥーの女
狂気に満ちあふれた女(参考記事
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映画「アクトレス 女たちの舞台」 ジュリエット・ビノシュ

2015-10-29 20:25:22 | 映画(洋画:2013年以降主演女性)
映画「アクトレス 女たちの舞台」を映画館で見てきました。


ジュリエット・ビノシュとは相性がいい。それだけの理由で映画館へ足を運ぶ。クリステン・スチュワートとクロエ・グレース・モレッツの一緒に出ている女優もこれからのハリウッド映画を支えていく存在だ。名女優が20年前演じた出世作に再度オファーがかかる。主人公に翻弄される中年上司の役で受諾するか迷うが、出演に向けてスイスの美しいエリアでマネジャーと稽古に励みながら、若い新進女優との共演に臨むという話だ。

スタートから秘書との掛け合いが続くが、最初は妙に眠気を誘う。スイスに舞台が移ってから少しづつ慣れていくが、女性的な会話が続くので正直なじめない。「イングリッシュ・ペイシェント」や「存在の耐えられない軽さ」のようなジュリエット・ビノシュの代表作とちがいストーリーにしまりがない。男性がほとんど活躍しない映画である。それでも3人の女優の演技自体はわるくない。見応えのある部分もある。バックのクラッシック音楽も選曲がよく、美しいスイスの風景や建物をみているだけでも目の保養にはなったけど。


チューリッヒに向かう列車の中。大女優マリア・エンダース(ジュリエット・ビノシュ)と、そのマネージャー兼個人秘書のヴァレンティン(クリステン・スチュワート)が乗っている。マリアは売れっ子、出演依頼の電話はいまだに多い。
マリアは、劇作家ヴィルヘルム・メルヒオールが、その功績を称えた賞を受けることになり、その代理としてチューリッヒに向かっている。20年前、マリアは、メルヒオールの書いた戯曲「マローヤのヘビ」の舞台でブレイクした。メルヒオールは、戯曲のタイトルになったマローヤのすぐ近く、シルス・マリアにいる。

列車の中にメルヒオール死去の知らせが入り、マリアは驚く。チューリッヒに到着すると、メルヒオールへの授賞式に向かう。。夜のレセプションで、売り出し中の若い演出家クラウス(ラース・アイディンガー)が、マリアに面会を求めてくる。クラウスは、「マローヤのヘビ」のリメイクを企画中で、マリアに出演を依頼する。かつてマリアの演じた20歳のシグリッドではなく、シグリッドに翻弄され、自殺を図る経営者のヘレナ役だった。クラウスは、かつてマリアの演じたシグリッド役に、ハリウッドで売り出し中の女優ジョアン・エリス(クロエ・グレース・モレッツ)を起用すると、マリアに告げる。ためらうマリアに才能ある演出家の作品なら出るべきとヴァレンティンは出演を勧める。


マリアとヴァレンティンは、シルス・マリアにあるメルヒオールの山荘を訪ねる。メルヒオールの妻、ローザ(アンゲラ・ヴィンクラー)が出迎える。ローザはマリアを、シルス・マリアの近くのマローヤ峠に案内する。雲の流れが、まるでヘビのようになることから、「マローヤのヘビ」だと解説する。 それでもマリアは「マローヤのヘビ」のリメイクへの出演をためらうので、ヴァレンティンが懸命にマリアの出演を促そうとする。そしてヴァレンティンは個人的舞台稽古のあいてになってあげるのであるが。。。

1.シルス・マリアとマローヤのヘビ
原題は「シルス・マリア」である。シルス・マリアは地名で、スイス東南部、高級山岳リゾート地で知られるサン・モリッツからバスで20分程のところにある標高1,815mの小さな集落である。谷筋にある4つの湖が神秘的で、マローヤ峠に雲海がゆったりと流れるさまは「マローヤのヘビ」といわれる。それ自体が主人公が出演する戯曲の題名だ。
映画ではその美しい姿を映しだす。


2.往年の名女優と新進女優の対比
主人公マリアは現在も大女優である。ひっきりなしに仕事のオーダーが入るけど、気難しく気にいらないと出ない。名作「サンセット大通り」のグロリア・スワンソンは往年の栄光を追い求める落ちぶれた女優だが、決してそうではない。主演でない映画に出る必要もないが、個人秘書にこの脚本家の作品ならと言われ出演を決意する。お世話になった脚本家が亡くなったことも影響があるのであろう。


初対面の共演2人の出会いは、若いジョアンがベテランのマリアに若干ゴマをすり、この子感じ悪くないじゃんと感じる。しかし、そのまますんなりはいかない。まだ若いのに自由奔放に有名作家と不倫をしたり、行動が向こう見ずで大胆だ。自分に自信もある。そしてマリアがある場面で、ジョアンにちょっと間をとったらというと、否定していやがり、そんな必要があるのとかわす。この場面が一番の見どころかなと感じる。

3.ジュリエット・ビノシュ
超名作といえる「イングリッシュ・ペイシェント」「存在の耐えられない軽さ」ばかりでなく、このブログでも「夏時間の庭」とか「ショコラ」なんて作品までとりあげている。「こわれゆく世界の中で」ではいい年をして脱いでいるが、この映画でも気前よく脱いで、真っ裸で泳ぐシーンがある。もっと若いときに大胆になった方がよかったのにと思うが、女心はよくわからん。


実際のマリアの人生に照らし合わせているような戯曲のセリフをクリステン・スチュワートと掛け合いで稽古する場面にはいろんな意味を含んでいるんだろうなあと感じるが、男の自分にはちょっと退屈だな。

(参考作品)
存在の耐えられない軽さ
ジュリエット・ビノシュの出世作、当時23歳


夏時間の庭
ジュリエット・ビノシュとオリヴィエ・アサイヤス監督とのコンビ作品
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映画「わたしに会うまでの1600キロ」 リース・ウィザースプーン

2015-09-30 19:49:19 | 映画(洋画:2013年以降主演女性)
映画「わたしに会うまでの1600キロ」を映画館で見てきました。


実話に基づく話で、リース・ウィザースプーン演じるバツイチの女性主人公が母親の死にも遭遇し、自分を見つめなおすためにアメリカの長距離自然歩道を3ヶ月超かけて歩くロードムービーである。メキシコ国境の砂漠地帯からオレゴン州のワシントン州との境まで延々歩き続ける。

比較的淡々としたリズムである。別れた夫、母親(ローラ・ダーン)、弟との回想シーンが過酷なハイクの間に織り込まれる。一時はすさんだ生活をしてしまったこともある主人公がひたすら前に進んでいく。ものすごく感動するといった映画じゃないけど、ロードムービー好きの自分にはいい感じだ。

岩山で主人公シェリル(リース・ウィザースプーン)がひどい靴擦れで靴を脱ぐと、バランスを崩して谷底に片方を落としてしまうシーンからスタートする。ムカついてもう片方の靴を谷底に放り込むけど、おいおいこんなことくらいでむきになるなよと思わせる。
メキシコ国境の砂漠地帯からパシフィック・クレスト・トレイル(PCT)のハイキングをスタートする。まわりはいかにも乾ききっている感じだ。荷物は重い。きゃしゃな身体に似合わない荷物を背にする。


いきなり燃料を間違えてコンロが使えないことがわかるが、まわりに店は何もないし、人もいない。死んだ母ボビー(ローラ・ダーン)のことを思い出しながら途方に暮れる。ようやくトラクターで畑仕事をしているおじさんに会い、家に泊めてもらう。燃料を翌日仕入れてもう一度歩きはじめるが、なかなか進まない。シェリルの1日で歩く距離は17、8キロがせいぜい、途中でベテランハイカーにあいこの先のネバダ山脈の雪山情報を得るがなかなか大変そうだ。
こんな出会いを重ねつつ、一歩づつ先に向かうのであるが。。。


1.ロードムービー
この映画の原題は「WILD」である。ショーンペンがメガホンをとった「イントゥ・ザ・ワイルド」というロードムービーの傑作がある。ある意味意識した題名だ。インテリ青年の1人旅が題材だが、ロケハンが非常に巧みと思われる映像が撮影の名手エリック・ゴーティエによりすばらしく仕上げられている。
ただ、自分としてはデイヴィッド・リンチ監督が撮ったロードムービー「ストレイト・ストーリー」を見た時のような映像の匂いを感じた。トラクターに乗った老人が病気になった自分の兄に会いにいく映画だけど、旅の途中で主人公が善意を受ける人情味に共通点が多い。夕日や夜を描く映像も似通っている。

それにしても美しい映像が続く。特にこれがいい。(クレーターレイク↓)


2.リース・ウィザースプーン
なかなかたいへんな撮影だっただろう。ギャラの高さでは有名だった彼女がプロダクションをつくって製作にも回っている。重い荷物を身体がキズだらけになっている姿を、率先してヌードになることできっちりと見せている。サービス精神旺盛だ。30後半になり、そろそろ裸を見せるのも最後と思っているのかもしれない。


ヘロインに手を出し、男と浮気をしてすたれた生活をしている。結局離婚するが、自分が悪いと自覚している。元夫とは愛はないが、まだつき合いはある。DVの父親の元から母親と弟と逃げ出したが、弟は難病で死んでしまい、大学に一緒に通っていた母親も若くして死んでしまう。人生に疲れきっている自分を見つめ直す旅に出たのだ。何でこの映画が15禁なのかな?と思っていたけど、すたれた時代のどん底ぶりをエロ丸出しのきわどい映像で映しているからだろう。

3.コンドルは飛んでいく
この歌が何回も流れる。エンディングロールの締めもこの曲だ。サイモン&ガーファンクルの空前のヒットアルバム「明日に架ける橋」のA面の2曲目で、アート・ガーファンクルの圧倒的歌唱力で盛り上がる「明日に架ける橋」のあとで、ポールサイモンのヴォーカルで南米のリズムのこの曲が流れる。歌詞はきわめてシンプルで英語習いたての自分も懸命に追いついていこうとした気がする。自分の記憶に間違えなければ、日本ではシングルカットされたんじゃないだろうか?ともかく良く聴いた。



周囲に何もない真っ暗な場所で夜を過ごす主人公の孤独な心を表わすように南米の楽器の序奏が何度も流れる。しばらく序奏だけだったので、これしか流れないのかな?と思ったときにポールサイモンのヴォーカルが聞こえる。
I'd rather be a forest than a street.
Yes I would.
If I only could,
I surely would.
「道になるくらいなら森になった方がいい。」この歌詞の真意がわからないけど、主人公シェリルは大好きなようだ。

(参考作品)
イントゥ・ザ・ワイルド
ロードムービーの傑作(参考記事


明日に架ける橋 
「コンドルは飛んでいく」を含む世紀の大ヒットアルバム


ストレイト・ストーリー
アメリカ南部を舞台にしたロードムービーの傑作
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映画「サンドラの週末」 マリオン・コティヤール

2015-05-31 15:47:42 | 映画(洋画:2013年以降主演女性)
映画「サンドラの週末」を映画館で見てきました。


ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌ監督はどちらかというとDVDスル―が普通。それなのに普段着な感じの大女優マリオン・コティヤールのスティール写真が妙に気になる。それだけの理由でこの映画を見た。復職しようとしたのに人が足りているので解雇を言い渡された女性の物語で、同僚がボーナスをもらわなければ復職してもいいという経営陣の言葉に、同僚へ自分を助けてくれと歩いて回る虫のいい1人の女の話である。

心身の不調でしばらく休職していたサンドラ(マリオン・コティヤール)は、復職を目前に控えた金曜日、電話で突然の解雇を告げられショックを受ける。同僚のとりなしで、週明けに行う投票で同僚16人のうち過半数が1人あたり1000ユーロのボーナスを諦めれば復職できることになった。サンドラは週末の2日間、夫(ファブリツィオ・ロンジォーネ)に励まされながら、同僚を1人ずつ訪ねて回り、自分の復職に投票して欲しいと訴える。


しかし、みんな誰もがギリギリの生活をしている。生活費としてこのボーナスをあてにしているのである。それでも、あきらめずに個人宅を訪問し続けるのであるが。。。

見ていてあつかましさに本当に驚く。そもそもこの設定条件自体は普通の社会ではありえない。同僚の半数以上ボーナスを返上したら、自分が戻れるということがわかり、ボーナスをもらわない選択を同僚に頼むのである。仮にこの設定になっても素直にボーナスを不要とする選択を選び人がいるとは思えない。

それでも、映画では徐々に彼女に同情する人が出てくるのである。そして観客まで味方につけるように、過半数に近づいていく。ここまでくればきっと実現してしまうと思うのであるが。。。


映像づくりは丹念である。音響としての自然音はあってもバックの音楽は一切ない。ドキュメンタリーでも映像表現の感動を強化させるために音楽が流れるのにない。ラジオの音楽が流れるだけである。その中をサンドラ役マリオン・コティヤールがほとんどノー・メイクで演じる。数々の映画ではゴージャスな姿ででることもある彼女が悪条件を克服しようとする1人の女を演じる。

結末に至る流れは??この人たち変な感覚をもった人たちなんだろうなあと思うだけ。


(参考作品)
ある子供
ジャン=ピエール&リュック・ダルデンヌの傑作


ミッドナイト・イン・パリ
この映画でのマリオン・コティヤールが一番好き
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映画「ビッグアイズ」 ティム・バートン&エイミーアダムス

2015-01-31 05:37:12 | 映画(洋画:2013年以降主演女性)
映画「ビッグアイズ」を映画館で見てきました。


ティムバートンが、らしからぬ映画をつくったらしい。主演はエイミーアダムスだし、気になるので見に行く。
大きな目をした少女の絵を描くバツイチ再婚の女性画家が、商才豊かな夫のもとで絵が売れまくるのに、夫は自分が描いたと偽り、妻がゴーストぺインターにされてしまう話だ。ウソで固めた人生を過ごしている人たちが、これを見るとヤバイと思わせる何かがあるかもしれない。昨年は、日本もニセ作曲家が大げさに話題になった。その話に通じるような話でもある。


ダニエルエルフマンの音楽が高らかに鳴り響き、暗黒の世界を描くといったティムバートンの世界とは真逆である。ファンタジータッチで色鮮やかな「ビッグフィッシュ」には若干通じる部分はあれど、色彩設計が普段と全然ちがう。海が見えて、急な坂が多く、チャイナタウンもあり「めまい」や「上海から来た女」「ブリット」など数々の映画の舞台になってきたサンフランシスコやハワイのピンクのホテルや住宅街など自分の目を楽しませてくれる映像である。プール付きの住宅も凝った作りで映像を見ていて非常に心地がいい感じがする。

今回何でこういうノンフィクションをティムバートンが撮る気になった真意は調べてはいない。通常はいわゆる「物語の構造」にしたがって、フィクションの世界を組み立てていく。でもこの映画は実話に基づく。それなりに脚色されているとは思うが、淡々と事実を追っていくのには驚いた。なかなか面白い映画だとは思う。

1958年のアメリカ西海岸エリア、DVの夫に嫌気がさして、幼い娘を連れてマーガレット(エイミー・アダムス)は、家を飛び出す。美大出身のマーガレットは働いたことがない。家具会社に、自分が描いた絵を持参してもぐり込む。同時に、生計をたてようと街で似顔絵を描いている。すぐ横で、パリで絵を勉強していたというウォルター・キーン(クリストフ・ヴァルツ)が口八丁手八丁で絵を売り込んでいた。一瞬警戒したが、マーガレットはウォルターに惹かれていく。元夫から娘を戻せという手紙が来て落胆したが、すぐさまウォルターがプロポーズして、マーガレットは受け、ハワイ・オアフ島のピンクのロイヤル・ハワイアン・ホテルで結婚式をあげる。

ウォルターは、画廊を経営するルーベン(ジェイソン・シュワルツマン)に、それぞれの絵を売り込む。ルーベンは手厳しい。知り合いのナイトクラブに、絵を持ち込む。トイレへの廊下での展示だが、マーガレットの絵には、一瞥する人もいる。ささいなことから、ウォルターは、ナイトクラブのオーナーと喧嘩になる。このケンカがゴシップ記事として新聞に出る。その記事をきっかけに、マーガレットの描いた絵が評判になる。その時、夫が作者は自分だと偽っていることに気付いたマーガレットは激怒するが、いいように釈明され、財布は一つだからいいじゃないと夫の言いなりになってしまうが。。。


この映画を全く予備知識なしで見せて、ティムバートン監督、ダニエルエルフマンの音楽とわかる人はいないんじゃないかな?ビーチボーイズなどの懐かしいヒット曲やジャズクラブで流れるヴァイヴ主体のジャズはラテンのリズムが混じったもので心地良い。あとはどんな音楽流れていたっけ?といった印象をもつ。グスタフマーラーの交響曲のように鳴り響くダニエルエルフマンがつくる「バットマン」の音楽は刺激的で、他の監督の作品でもダニエルの特徴がよく出るが、ここではそう感じさせない。

1.1950年代から60年代にかけてアメリカ
サンフランシスコの50年代を意識したロケーション映像はいい感じだ。ヒッチコックの「めまい」で映る映像がかぶってくる。キャンベルスープの缶詰っていかにもアメリカの象徴だけど、それを含めたスーパーの陳列がいかにもゴールデンエイジのアメリカを感じさせる。自分は好きだけど、ティムバートンの匂いがすくない。普通のラブコメ系の美術で、暗黒の雰囲気が一部の絵を除いてまったくない。

2.ウソを覆すということ
マーガレットは自分が描いたといえるチャンスを何回も逃す。もともと気が弱い性格だったのであろうか?一度離婚していているのも後がない状況を醸し出す。その弱みに付け込むクリストフ・ヴァルツ演じるウォルター・キーンのパフォーマンスを見て、だんだん憎たらしくなってくる。見ている我々に憎たらしいと思わせるくらいだからうまいんだろう。さすが、アカデミー賞受賞者だけある名演だ。


ウォルターは、ポスターやチラシまで売りさばき、安価な複製画を作る。スーパーの中でも「ビッグ・アイズ」を売る。でも商才があるんだったら、妻が画家で自分はプロデューサーと言いきればいいのに、そういうチャンスあっても戻れない。そうすればハッピーなままだったのにね。無一文で死んだというのは自業自得だね。ウォルターの狂言のような裁判のシーンは呆れてものが言えないといった印象だった。

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映画「あと1センチの恋 」 リリー・コリンズ

2015-01-07 20:08:18 | 映画(洋画:2013年以降主演女性)
映画「あと1センチの恋」を映画館で見てきました。
素敵な恋物語に感情流入でき、楽しめました。よかったです。
何を見ようかというと選択に迷い、80年代の全米ヒットチャートを語るには欠かせないフィルコリンズの娘が主演で出ているということ、映画で流れている音楽のセンスがいいという情報を得て選びました。これは大正解でした。


幼なじみの2人が18歳からすれ違いの恋を繰り返すという話と聞いて、図形の双曲線が交わりそうで交わらないような関係を描く昭和20年代の日本を代表する映画「君の名は」を連想した。見てみると2人が消息不明になるわけでなく、連絡をしようと思えばできないことがない状態という恋である。どちらかというと、香港映画の名作ピーターチャン監督、レオンライとマギーチャン主演ラブソングの2人の恋に近いかもしれない。

男性にはわかりづらいなあという女性心理を見せる場面もあるけど、比較的共感できうる恋だった。しかも、フィルコリンズの娘が主演という響きは40代後半から50代にかけてのオジサンには通じやすい。この映画の父親が娘に対するやさしさを見せる場面が何度も出てくる。この父親像が実にいい。オジサンたち、いや娘をもつ若いお父さんもこの映画見ていいと思うんじゃないかな。

恋愛モノで何かおすすめ?と聞かれたら、しばらくはこの映画を推すつもりです。

ロージー(リリー・コリンズ)とアレックス(サム・クラフリン)は6歳からの幼なじみで、ずっと一緒に青春を過ごしてきた友達以上、恋人未満の間柄。家も近所でくだらない話も夢の話も恋の話も、なんでも2人は共有してきた。


たえず一緒に過ごしてきた2人も思春期に入り、別のお相手との恋を意識する年頃になってきた。図書館で一緒になったベサニーという女の子がアレックスにちょっかいを出してきて、ロージーもクラスメイトのグレッグと仲良くなる。そしてそれぞれ初体験を経験するようになる。

アレックスは小さなイギリスの田舎町を離れ、ハーバードの医学部を目指していた。それを聞き、ホテル事業に関心をもっていたロージーは同じボストンにあるボストン大学を志望しており、受験して合格通知が来た。ロージーは喜んだが、パーティでグレッグとメイクラブした際、避妊に失敗して妊娠したことがわかった。悩んだ末、家系がカトリックで胎児を中絶できないロージーは大学をあきらめ地元に残り、子供を産むことにした。アレックスは、それを知らずにハーバード大学へ行くことになった。


その後、アレックスはボストンに行ったあと、ベサニーと別れるが、同級生の美女とくっつく。
ロージーは里子に出してという最初のもくろみは忘れて、自分の子供にして育てる。ホテルに勤めながら働いていく。父親であるグレッグは避けていた。その後2人は12年間、近づいては離れていくということを繰り返していく。


他の誰よりも近い関係にあるのに、つい他の人を勧めてしまう。自分には関心がないと思わせてしまう発言でロージーは自滅している。このあたりの女性心理については、自分はよくはわからない。

1.センスのいい音楽
うわさ通りであった。1970年のバートバカラックの曲でディオーヌワーウィックがヒットさせた「I'll Never Fall In Love Again」が最初に流れる。聞いたことのないバージョンだ。その後も続く。

一人ぼっちになっちゃったロージーがさみしいときに流れるのは、ギルバートオサリバンの「アローンアゲイン」
1972年7月に6週連続の全米ヒットチャート1位である。たいへんな大ヒットで、当時日本でも大ヒットした。



ロージーが生んで成長するときにエルトンジョンの「Tiny Dancer 」が流れた。
彼らしいバラードだ。ロック少年を描いた青春映画「あの頃ペニーレインと」でも流れている
Almost Famous - Tiny Dancer


「Blue jean baby, L.A. lady」の歌詞が印象的で、シングルカットされているがたいしてヒットしていない。この当時エルトンジョンが好きだった自分は、今一つヒットチャートに上らないのでやきもきしていた。
次の「ロケットマン」もすごくいい曲なのにヒットしていない。念願かなってヒットチャート1位になるのは1973年2月の「クロコダイルロック」だった。中学校で同じエルトンジョン好きの男と抱き合った記憶が忘れられない。

他にもビョンセとかペギーリーなどいい曲たくさん流れている。どうしても歌名が思い出せない曲もありこれから調べたい。
気がつくとyoutubeにアップされている↓



2.リリーコリンズ
ブルックシールズを思わせる濃い眉毛である。ジェニファー・コネリーにも似ているかもしれない。80年代後半にこういう濃い目の眉毛が流行った時期もあったので、一瞬時代設定80年代だっけと思ってしまったが、その後も眉毛が変わっていないので天然なんだろう。オヤジに全然似ていないわけではないがかわいい。
80年代後半のフィルコリンズの活躍は凄かった。


全米ヒットチャート1位を連発で出している。最初は1984年の「Take A Look At Me Now」で映画カリブの熱い夜の最後に流れる主題歌だった。日本でもヒットした「 Easy Lover」こそ全米2位だが、 One More Night 、Sussudio と全米ヒットチャート1位である。そういう人物だから40代後半から50代のオヤジたちはかなりお世話になったはずだ。
カリブの熱い夜のテーマソング


彼女自体は89年の生まれである。つい友人の娘のような感覚で見てしまうかわいい女の子だ。


他にも印象深いシーンがたくさんある。本当であれば、もう一度みてからコメントを書いてもいいくらいだ。
ボストンにいるアレックスに呼ばれロージーが行く。きっと何かいい話があると思ってわざわざ行ったのに、そこでは婚約者がいて、しかも懐妊しているという。ロージーが怒る。この時は見ている自分もなんでわざわざ呼びつけなくちゃだめなんだとムカムカしたが、友達だから呼んだんだよという。なおのことロージーが憤慨して別れていく場面には不思議な感情をもった。




コメディ的な要素も散らばめていて、2人が初体験を済ませた時、コンピューターの試験中で、チャットでお互いが報告しあうのを先生やクラスメイトにばれてしまって拍手される場面、ロージーが避妊に失敗する時、しっかりと避妊具を付けているにもかかわらず、終わってみるとない。アソコの中にそのまま入ってしまって、婦人科でとってもらうシーン、ロージーの娘が親と同じように友達パターンにはまる時のパフォーマンス、パーティでロージーがプールに投げ込まれるシーンなどなど笑えるシーンは多々ある。シリアスな部分だけでなく、観客を意識して笑わそうとする場面が多いのでいい感じだ。

この映画を見ながら昔の自分を思い出した。幼稚園から腐れ縁だった女の子に自分が大学に入った時、外でばったり会って食事に誘われたことがある。その場面は30年以上たった今でも鮮明に覚えている。赤坂のキャピタル東急の庭先で暗い夜道を歩いて、心臓がどきどきした気がする。でも何もその後なかった。しかも、彼女は今この世でない世界に移ってしまった。うーん、あの場面が脳裏に焼きついて仕方なかった。

(参考作品)
あと1センチの恋
交わりそうで交わらない2人の恋


ラヴソング
双曲線を描く2人の恋
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映画「美しい絵の崩壊」 ナオミワッツ&ロビンライト

2015-01-01 11:52:11 | 映画(洋画:2013年以降主演女性)
映画「美しい絵の崩壊」は2014年公開のナオミワッツとロビンライトの主演映画


子供のころからよく知っている親友の息子とできてしまう話だとは知っていた。大好きなナオミワッツ作品とは言え、映画館までは行く気にはなれなかったのでDVDスル―。近親相姦みたいで何かキモいなあ!映画は最後まで見てしまう。映画としては普通の粋を超えない。


女性監督による作品だからというわけではないが、ロケ地をとりまく風景は非常に美しい。撮影の腕もいいのだろう。アングルもよく、映像では十分楽しめる。一体どこかな?と思っていたが、オーストラリアのようだ。以前は映画でバストトップを出しまくっていたナオミワッツも40代半ばまでとなると見せるものを見せない。仕方ないか。

オーストラリア東海岸の入り江に建つふたつの家。ロズ(ロビン・ライト)とリル(ナオミ・ワッツ)は姉妹のように同じ時を過ごしてきた。今では、それぞれに同い年の男の子がいる。ロズの息子トム(ジェームズ・フレッシュヴィル)とリルの息子イアン(ゼイヴィア・サミュエル)は、母親たちと同じく親友としての絆を深めていた。


美しい男に成長した息子たちを誇りに思うふたりの母親。子どもたちもまた、母たちとの海辺の生活を満喫していた。イアンは幼少期に父親を亡くし、それからはロズをセカンドマザーとして慕っていたが、いつしかロズへの気持ちは強い恋心へと変わっていく。
ロズの夫ハロルド(ベン・メンデルソーン)は、シドニー大学で演劇の専任講師の職を得たと、家族揃ってシドニーへ転居することを提案する。トムの為にも都会で暮らした方が良いと主張するハロルドだが、入り江の家やギャラリーでの仕事を手放したくないロズは、即答を避ける。迷いながら日々を過ごすロズにとって、海辺の生活は愛おしさを増していく。 ある夜、深酒をしたトムの介抱のためにロズの家に泊まったイアンは、ロズへの気持ちを抑えきれず、ふたりは一夜を共にする。母とイアンがしたことに気付いたトムはショックを受け思わぬ行動に出る。


おいおい自分の母親と友達がやってしまったからといって、友達の母親に手を出さなくてもいいじゃない。
凄い展開である。そこいらへんのAV映画とかわらないじゃない。
片方の父親は若くして死んでいて、もう一人はシドニーで大学講師の職を得ている。結局父親不在の状態で無法地帯になってしまっている。これはまずいとお互いの母親が感じるけど、結局泥沼だ。関係が続いていく。

演劇俳優になりたいロズの息子トムが、シドニーの父親のところにいく。舞台女優の1人の女性と知り合う。なかなか手を出してくれないトムが、彼女からゲイなの?といわれ、そうでないとくっついてしまう。一気に盛り上がりトムはリルへの気持ちを立ちきり、結婚してしまう。一方のイアンも同じように若い女性とくっつく。そして時がたつ。これで終わりなのか?
それで終わりなら普通のドラマである。一気にラストで変化球を投げてくれる。


結果的には究極の腐れ縁映画である。
原作はノーベル賞作家が書いたっていうけど、なんかポルノ映画によくありげなストーリーだよね。
谷崎潤一郎だってノーべル文学賞の候補になったことあるくらいだから、純文学なんてそんなものか。
違うのは美しいオーストラリアの海辺の風景と2人のベテラン女優が脱がないってことだけかな。
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映画「グレース・オブ・モナコ」 二コール・キッドマン

2014-10-23 22:41:48 | 映画(洋画:2013年以降主演女性)
映画「グレース・オブ・モナコ」を映画館で見てきました。


評判はわりと普通、どうしようかな?と思っていたけど、アルフレッドヒッチコックが王妃になったグレースケリーをもう一度映画に誘い出すという話が盛り込まれていると知り、関心を持ち映画館に向かった。

結果的に、映画の出来は予想通り普通だったけど、ときおりニコールキッドマンが本物のグレースケリーに似ているなあ?と思わせる部分があった。全然似ていないと思っていたが、化粧次第で似てくるものなのであろうか?映像の解像度がぼんやり気味だからそう見えるのかもしれない。

1956年、オスカー女優のグレース・ケリー(ニコール・キッドマン)は、モナコ大公レーニエ3世(ティム・ロス)と結婚。1961年12月、二人の子供に恵まれるも王室の中で孤立していたグレースの前に、脚本を手にしたヒッチコック(ロジャー・アシュトン=グリフィス)が現れる。「マーニー」という新作映画の出演依頼に訪れたのだ。


そんな中、モナコ公国に危機が降りかかる。フランスが、無税の国モナコに移転したフランス企業から税金を徴収して支払うよう要求、「従わなければモナコをフランス領とする」と声明を出したのだ。もし戦争になれば、軍隊もない小国モナコは、一瞬で占領されてしまう。


政治で頭がいっぱいのレーニエに無視されたグレースはハリウッド復帰を望むが、国家の危機的状況に発表は控えられる。だが情報が漏れ大々的に報道、グレースの相談役で後見人のタッカー神父(フランク・ランジェラ)は、フランスのスパイがいると警戒する。

1962年7月。国民の公妃への不満が高まる中、励ましてくれるのは義姉のアントワネット(ジェラルディン・ソマーヴィル)と、船舶王オナシス(ロバート・リンゼイ)の愛人マリア・カラス(パス・ベガ)だけだった。やがてレーニエはフランス企業への課税を了承。しかしド・ゴールは、モナコ企業にも課税してフランスに収めろと脅し同然の要求を突き付ける。レーニエは行き場の無い怒りをグレースにぶつける。
結婚式の記録映像を見ながら涙にくれるグレースの傍らで神父は「人生最高の役を演じるためにモナコに来たはずだ」と諭す。


数日後、神父はグレースを外交儀礼の専門家であるデリエール伯爵(デレク・ジャコビ)の元へ連れて行く。モナコの歴史、王室の仕組み、完璧なフランス語、公妃の作法、正しいスピーチ――グレースの夏は厳しい特訓で過ぎていった。(kinenote引用)

1.モナコへのフランスの干渉
62年にフランスがモナコに対してこういう干渉をしたことを初めて知った。まさに「タックスヘイヴン」で数多くのフランス企業がモナコに本拠をうつしたということだ。でもフランスの言い分が正当だろう。広いフランス領土の一角にある小国へみんな移ってしまったら、税収は大幅減だ。しかも、アルジェリアとの争いは続いていて戦費はかかる一方である。フランス兵に国境閉鎖され、通行が容易にできなくなる。


モナコ王室から史実と違うことがあると反発を受けているようだが、この映画のようにグレースケリーが活躍したとすると、まさにモナコ版ジャンヌダルクのようなものだ。映画によれば、政治の議論にも首を突っ込み、自分の意見をはっきり言う女性だったとのこと。これは意外である。

まさにシンデレラレディという印象しかなく、こんなに苦労したのかというのもビックリだ。
自分的には彼女の映画作品ではヒッチコック作品「泥棒成金」が一番好きだ。


2.アルフレッド・ヒッチコック「マーニー」
ヒッチコックがモナコへきたのは61年の暮れ。「マーニー」が公開されたのは64年だ。結果的には「鳥」が63年公開なので公開まで時間がかかったようである。「サイコ」をヒットさせてのっている時に、グレースケリーに映画に出てくれとモナコへ口説きに行ったようだ。「マーニー」自体は評論家筋の評判が今イチのようだが、光の使い方がうまく、映像のトリックがヒッチコックらしく絶妙でハラハラ感もあり自分は大好きだ。主人公は「007」で売り出し中のショーンコネリーと「鳥」のティッピ・ヘドレンだ。


この映画では女主人公がコソ泥をはたらく。
でも冷静に考えると、王妃が泥棒役っていうのは立場上ありえないだろうし、やる気になるのかなあ??グレースケリーが役の練習を入れ込んでし始めるシーンがあるけど、ちょっと疑問??

61年にヒッチコック「マーニー」への出演依頼に行った時、「007」の第1作「ドクターノウ」は公開されていない。当然グレースケリーとの相手役としての格を考えるとすると、ショーンコネリーのはずはない。この映画のヒッチコックのセリフで今スパイ映画に出る俳優が相手役だと言っているのは違うんじゃないかなあ?
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映画「ニンフォマニアック Vol.1」 ステイシー・マーティン

2014-10-15 20:01:35 | 映画(洋画:2013年以降主演女性)
映画「ニンフォマニアック Vol.1」を映画館で見てきました。
予告編で見て、すごい刺激的なセリフと映像が気になっていた。
題名を直訳すると「色情狂」とのこと、なんか70年代前半の東映ピンク路線みたいだなあ。


最近、邦画も洋画もわざわざ映画館行くのがないので消去法で選択。エロ満載で男ばかりと思いしや、ちょっとインテリ風のお姐さんも割といて満員でした。「ダンサー・イン・ザ・ダーク」「メランコリア」などを手掛けるデンマークの鬼才ラース・フォン・トリアー監督がメガホンをとるけど、ユマサーマン、シャイア・ラブーフといった主演級が出演するのも気になる。

ある冬の晩、道に倒れている女性が通りがかりの年配の男セリグマン(ステラン・スカルスガルド)に助けられる。どうしてこうなったんだい?とセリグマンに聞かれ、ジョー(シャルロット・ゲンズブール)は子供のころから語ってもいいかと確認してその半生を語り始める。ジョーの幼少時の性への関心から、妙齢を迎え処女を喪失し、若き日のジョー(ステイシー・マーティン)が男漁りをするようになった話が続いていく。。。

こればかりは色々ストーリー書くより予告編を見た方がよさそうだ。




前半は5章に分けられている。ジョーの半生をつづる。

1.ステイシーマーティン
ヌード全開でひたすら活躍するのはステイシー・マーティンである。
まだ23歳という彼女が、さまざまな男と肌を合わせる場面を次から次へと演じる。ものすごく強烈というほどではないが、一部場面では自分の股間も少し変調してしまう。


何せ娼婦でもないのに、一日7,8人といたすというのだ。これは色情狂だ。自分の父親が危篤状態になっていても、病院職員をつかまえてやってしまう。時間でスケジュールが決められていて、次から次へと男がくる。
こんな役やるのも大変だよね。それにしても、7歳から13歳まで日本にいらっしゃったとは驚きだ。まさかその時は違うよね。

2.シャイア・ラブーフ
この映画の一番の役得がシャイア・ラブーフだ。ひたすらステイシー・マーティンの身体をむさぼるうらやましい役だ。見ていると、本当にやっているんじゃないかと錯覚してしまうショットも見受けられる。
そこにフィボナッチ数が絡むという後講釈には笑うしかない。ジョーが処女を喪失した折り、いきなり前から3回腰を動かす。そして後ろむきにしてから5回腰を動かす。そこでフィニッシュだけど、そのとき映像に3と5を表示してその数字を強調する。
何それ!


3.フィボナッチ数
1,1、2,3,5,8,13,21,34,55.。。と続いていくのがフィボナッチ数列だ。
例えば5,8の次の数は13だ。5+8である。しかも、5以降あとの数は前の数の約1.62倍となり、前の数はあとの数の約0.62倍だ。黄金分割比の基本である。
ジョーの語る男あさり遍歴に、セリグマンが哲学、宗教、釣り、音楽に造詣が深いという設定になっているので広範な知識で応じる。なかなか面白い。フィボナッチ数は数学が題材の映画ではちょこちょこ使われる。トムハンクスの「ダヴィンチコード」では暗証番号として使われたり、株式市場を予測する数学の天才を描いたダーレン・アロノフスキー監督「π」でもフィボナッチ数が語られる。でも男がセックスの時に何回腰を動かしたなんてばかげた話は聞いたことがない。こういう話に強引に持ち込んだのには笑えた。

4.ユマサーマン
「パルプフィクション」「キルビル」のユマサーマンは大好きだ。今回彼女が出てくるので、なんかセクシーショットがあるのかと期待した。でもその期待は空振り↓


ヒステリックな女を演じる。主人公ジョーが遊んでいる男の一人で妻帯者がいる。ジョーは深入りしないようにしているので、あなたは妻子がいるからダメだわと言ったら、離婚するといって旦那が来て、ついでに妻と3人の子供が飛び込んでくるという構図。ユマサーマンは浮気相手の家に殴りこんできた妻というわけだ。少し前の彼女なら逆はあっても、こういう役はやらなかっただろう。でもこれからお声がかかるかも?何せ迫力はあるからね。

5.強烈な音楽
スタートで一瞬静かな光景を無音で映したと思ったら、いきなりすごいヘビメタだ。なかなか強烈な主題歌だ。余分なバックミュージックは少なく、いざという所で象徴的な曲をかける。そのバランスは実に素晴らしい。
主人公ジョーが友人Bと列車の中でどちらがおおぜいの男とやれるか?賭けようとさっそうと車中を歩く時、映画「イージーライダー」の主題歌であるステッペンウルフ「ワイルドで行こう」がかかる。このタイミングもいい。セリグマンの対比法の講釈に合わせてバッハのパイプオルガン曲が流れるタイミングも悪くない。


映像もモノクロにしたり、画面分割やクロスカッティングをつかったりさまざまなトライをしているところは好感が持てる。
単なるポルノにはしないぞという意思が強い映画である。

(参考作品)

ニンフォマニアック Vol.1/Vol.2
性に狂った一人の女
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映画「とらわれて夏」 ケイト・ウィンスレット

2014-10-14 20:32:37 | 映画(洋画:2013年以降主演女性)
映画「とらわれて夏」は2014年日本公開のアメリカ映画


「JUNO ジュノ」「マイレージ、マイライフジェイソン・ライトマン監督の作品には外れがない。そう思っていたが、今一つ映画館に向かう吸引力がなかった。逃亡者との接近という設定に関心が持てなかった。
それでもDVDで見てみると、構成のうまさは感じる。熟女になりつつあるケイトが放つ女の性欲が熱い。

9月初めのレイバーデーの連休が迫る、アメリカ東部の閑静な町が舞台だ。シングルマザーのアデル(ケイト・ウィンスレット)とその息子である13歳のヘンリー(ガトリン・グリフィス)は、逃亡犯のフランク(ジョシュ・ブローリン)と出くわしてしまう。絶対に危害は加えることはないという言葉を信じ、アデルは彼を自宅にかくまうことにする。


強面のフランクは、意外にも家の中を補修したり、車のタイヤを取り換えたり、大人の男のいないアデルの家で手際良く立ち回る。アデルとヘンリーも徐々に安心しだす。料理を作り、ヘンリーに野球を教えるフランクは家族の一員のようになっていくのであるが。。。

アデルは夫と別れていた。ヘンリーは自分の父親とも会っていたが、母親と暮らす道を選んでいた。その家庭に父親が戻ってきたかのように、家庭の諸事をフランクがこなしていくのだ。かくまうつもりは全くなかったが、2人は徐々にフランクになじんでいく。


1.数々のドッキリ
前半戦から、家にいることがばれてしまうのではというスリルを感じる。
まずは、隣人の初老男性が訪問してくる。殺人犯の囚人が脱獄しているらしい。くれぐれも気をつけるようにと果物を持ってやってくる。息子が出ると、君が出ると危ないよ!大丈夫かい?と言われ、裏にいた母アデルは焦る。
その後で、アデルの友人である近所の奥さんが、自分の父親が急病だと知的障害者の息子を預ける。アデルは拒絶したが、むりやり押し付けられる。フランクはその子も同じようにかわいがる。でもテレビに映る脱獄犯の顔を見て、何かを訴えようとする。ドッキリするが、迎えに来た近所の奥さんに息子はピンタをくらい、正体がわからない。

この手のドッキリがこの後も続く。
このスリルが続いた後、どうなるのか?全く先入知識がなく見た自分はこの先どうなるのかドキドキする。
なかなかのハラハラ度合いが楽しい。

2.媒介する出演者たち
脇役の使い方がうまい映画である。3人だけが登場人物でなく、単なる密室劇にしていない。近所のおじさん、おばさん、銀行員、息子が親しくなった少女、近所まわりの警察官それぞれの登場でスリル感が増幅する。これは原作および脚本のうまさだろう。用心深くない息子のパフォーマンスがちょっと安易と感じさせる。フランクの逃亡がやばくなっていくが、どうなるかわからない展開に持ち込んでいる。


3.ケイトウィンスレット
以前より熟女ぽい体つきになってきた。「タイタニック」レオナルド・ディカプリオと肌を合わせたころの若さはない。「愛を読む人」「レボリューショナリーロードなどいくつかの映画で見せた熟女ものAVのようなパフォーマンスを見せるかと思ったけど、そうはならなかった。でもこの映画では露骨に裸を見せていないのにもかかわらず、ケイトの強烈な性欲がにじみ出ていた。40代女性の熱い疼きを脱がずに感じさせる。このあたりはうまい。
クリントイーストウッドとメリルストリープの共演である「マディソン郡の橋」で見せてくれた大人の愛の様なものを感じさせてくれた。「LAギャングストーリーの警部役が実にうまいと思ったジョシュ・ブローリンとのコンビは絶妙だ。今回は髭をたくわえて、誰だかわからないくらいにもなっている彼の方が、ディカプリオに比べると、一気におばさんになったケイトにはちょうどよくあっている。

最後はちょっと出来過ぎかな?
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映画「メイジーの瞳」

2014-10-13 15:06:37 | 映画(洋画:2013年以降主演女性)
映画「メイジーの瞳」は2014年日本公開のアメリカ映画だ。


離婚した父母と、その2人がその後に再婚する継父母の合わせて4人の間で彷徨う6歳の女の子の話をネタばれ気味に語る。
ちょっと日本では考えづらい展開だが、政府が女性の地位向上に必死になっている日本でも近い将来こんな話があるかもしれない。少女は純粋である。ところが、実の父母はまったくそりが合わないし、離婚した後もまったく自分勝手だ。逆にその結婚相手のほうが優しくしてくれる。人間らしい生活を送っている。

この話の展開は見る前は想像つかなかったけど、実際にありそうに見えてくる。
メイジー視線で大人のいやらしさが語られる。

メイジー(オナタ・アプリール)は、ニューヨークマンハッタンに住む6歳の少女だ。ロック歌手の母スザンナ(ジュリアン・ムーア)と美術品のブローカーである父ビール(スティーヴ・クーガン)は常にののしり合っていたが、2人は離婚することになる。裁判官の調停で父母の共同親権となり、二人の家を10日ごとに行き来することになった。ところが、父も母も、子供に割く時間を持っていなかった。


やがて、ベビーシッターだったマーゴ(ジョアンナ・ヴァンダーハム)が父の新居に来ることになる。メイジーは元々仲良しだった彼女にすぐに打ち解け、父は再婚する。一方で、その当てつけのように母は若くて男前のバーテンダーリンカーン(アレキサンダー・スカルスガルド)と結婚する。彼もメイジーの大切な友だちになった。


だが自分のことに忙しいスザンナとビールは、次第にそれぞれのパートナーにメイジーの世話を押し付け始める。そんなある日、彼らの気まぐれに我慢の限界を超えたマーゴとリンカーンは家から出て行くことを決意。スザンナはツアーに出発し、メイジーは独り夜の街に置き去りにされてしまうが。。。

メイジーにとっては継父母となる若者たちとの関わりがやさしく映しだされる。。
日本では、継父による幼児虐待の記事がよく目立つ。元ヤンキーのママさんが見つけてきた男は、たいていDVの固まりなんて構図がある。ここでは対照的だ。若くて背が高くてカッコいい新しいお父さんを娘は学校で自慢げに友人たちに紹介する。彼の仕事場であるバーカウンターにちゃっかり座って、ジュースを飲んだり、公園で遊んでもらったりするのだ。継母も同様に親しく接する。


メイジーは、実の父母といるときより、むしろその若い継父母と一緒にいるときの方が心安らかに過ごせるようになる。
多忙を極める母親は常にイライラしている。内田樹がよく語っているが、アメリカ映画ではこういう母親は悪く描かれるケースが多い。男性からの嫌悪感がむき出しに表現される。日本で「女性嫌悪」の映画がヒットしたことがないけど、「危険な情事」や「ディスクロージャー」などアメリカでは正反対だ。

メイジーは継母とだって仲わるくはない。


そんな中意外な展開に進んでいく。
あまりに自分勝手な元々の2人に呆れている継父母が仲良くなってしまうのだ。
メイジーにとって、実の母親は怖い存在でしかない。その恐れる姿がこの映画のキーポイントなのであろう。
ジュリアン・ムーアはそのヒステリーババアを実にうまく演じる。

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映画「LUCY ルーシー」 スカーレットヨハンソン

2014-09-01 04:46:43 | 映画(洋画:2013年以降主演女性)
映画「LUCY ルーシー」を映画館で見てきました。
予告編でスカーレット・ヨハンソンが並みいる敵をなぎ倒す姿を見てゾクゾクしてしまう。しかも、リュックベッソン監督作品とあれば見に行くしかない。


全米興行収入№1になったくらいで、映画館も開演30分前にいったのに最前列の席だ。山盛りのポップコーンを持ったカップルだらけである。あの予告編のインパクトは強い。思わず映画館に足を運んでしまう魔力があるのであろう。見せ場はいくつかあったが、普通かな?

ごく普通の生活を送っていたルーシー(スカーレット・ヨハンソン)は、ある日台湾で韓国マフィア(チェ・ミンシク)の闇取引に巻き込まれ、下腹部に新種のドラッグの入った袋を埋めこまれる。


だが体内でドラッグが漏れ出すアクシデントによって、彼女の脳は突如覚醒し始める。
「頭脳拡張20%」――驚異的なスピードで言語をマスター、「頭脳拡張40%」――目に見えない電波をコントロール……。
脳科学者ノーマン博士(モーガン・フリーマン)が見守る中、ルーシーは次々と人智を超えた能力を発揮する。


同時に人間性が失われていき、自身でさえもコントロール不能な状態となって暴走を始めるのだった。やがて、彼女の脳は100%覚醒へと近づいていく……。(作品情報より)

いやいやながら運び屋まがいのことを友人に強制される。そのスーツケースを持った男が消され、ルーシーは韓国人マフィアのもとへ連れ去られるが、このスーツケースに入っているのが、青色の粉末だ。気がつくと身体の中に埋め込まれている。この成分が突如彼女を変えていく。

リュックベッソン監督は「ニキータ」「ジャンヌダルク」と女性のスーパースターがお好きなようである。実際うまい。「レオン」も見ようによってはそうだ。ただここではがちょっとCGに頼りすぎな印象を持つ。一部彼らしいスピード感を感じさせる場面もあるが、意外に緩慢だと感じる。


1.スカーレットヨハンソン
ウディアレン監督「マッチポイント」以来、彼女の作品は欠かさず見ている。ボリューム感はあるが、サイボーグのようなモデル体型ではなく、親しみを感じる風貌だ。ウディアレン監督のドラマ形式の作品などに交じって、SFアクション系の作品にも出演する。予告編で見た通り、男たちをバッタバッタ倒していく姿はカッコいい。女性にも支持されるのではないか。
覚醒した脳でパリの街を逆走しながら運転していく姿にドキドキしてしまう。「トランスポーター」や「TAXI」をつくったリュックベッソン監督だけにカーチェイスはお手のものだ。パリの古い建物の間を猛スピードで走るシーンはさすがに見応えある。


2.チェミンシク
韓国サスペンスアクション映画に欠かせない存在になっている名優だ。ついこの間「新しき世界」を見たばかりだ。「悪魔を見た」や「悪いやつら」の活躍は凄まじく、リュックベッソン監督の目にも止まったことだろう。ただ、この映画での彼の起用は正解と言い難い部分がある。悪くはないのであるが、泥臭い韓国の裏社会の風景が似合うので、ハイセンスな映像にちょっと合わない印象を持った。


3.脳の潜在能力は10%しか使われていない。
よく言われる話である。
以前クリストファー・チャブリス&ダニエル・シモンズ著「錯覚の科学」という本を読んだ。なかなか面白い本だった。そこには「モーツァルトを聞くと頭がよくなる」などの説が信じられていることと同様に「脳は10%しか使われていない」という俗説への反論がある。

この本によれば、「ふつうの人は脳の潜在能力を10%しか使っていない」ということを72%の人が信じているという。90%の能力がまだ眠っているとしたら、問題が多すぎる。理由を引用する。
まず第1に、人の「脳の潜在能力」を測定する方法も、その能力のうち個人がどれくらい使っているのかを計測する方法も知られていない。第2に、長い間働いていないと脳組織は死んでしまう。もし10%しか使っていない場合、その割合を増やせる可能性はない。そして、人が脳のごく一部しか使っていないなら、自然選択によって脳はとっくの昔に小さくなっていただろう。

この話はわかっていても、もっと賢くなり、人知を超えた能力を得たいという願望は自分にもある。誰にもきっとあるので、このうたい文句には引き寄せられてしまうのであろう。怖いもの見たさとスカーレットヨハンソン見たさについつい映画館に足を運んでしまう。

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映画「アナと雪の女王」

2014-08-28 19:55:58 | 映画(洋画:2013年以降主演女性)
映画「アナと雪の女王」は大ヒットアニメ作品
現題はFROZENだ。


何を今さらという感じだが、日本で250億円の興行収入を得た映画を見ないわけにはいかないだろう。
ちょっと小休止の気分で見てみる。

普通であれば、洋画の日本語吹き替えは見ない。
実際に演じている人の肉声が、一番リアルと感じられるからだ。でも、アニメの場合は少し違う。もともとリアルな映像ではないのだから、オリジナルの声である必要性はないと自分は感じる。これまでディズニー系のアニメは何度となく見てきたが、日本語でも全然不自然さを感じなかった。しかも、今回は2人の主役が予想以上の活躍である。

運命に引き裂かれた王家の美しい姉妹、エルサとアナ──触れるものを凍らせる“禁断の力”を持つ姉エルサは、妹アナを傷つけることを恐れ、幼い頃から自分の世界に閉じこもって暮らしていた。
美しく成長したエルサは新女王として戴冠式に臨むが、力を制御できずに真夏の王国を冬に変えてしまう。
城から逃亡した彼女は、生まれて初めて禁断の力を思うがまま解き放ち、雪と氷を自由自在に操り、冬の王国を作り出す。
愛する者を守るため本当の自分を隠して生きてきたエルサは、“雪の女王”となることで生きる喜びと自由を手に入れたのだ。一方、妹を守るために姉が払ってきた犠牲と愛の深さを知ったアナは、エルサと王国を救うため、山男のクリストフとその相棒のトナカイのスヴェン、“夏に憧れる雪だるま”のオラフと共に雪山の奥深くへと旅に出る。アナの思いは凍った心をとかし、凍った世界を救うことができるのか?そして、すべての鍵を握る“真実の愛”とは…?(作品情報より)

ここでは松たか子と神田沙也加が予想以上に活躍する。2人とも人並み以上の歌唱力を持っているので、安心して見ていられる。特に神田さやかが母親譲りの美声を披露している。ディズニー映画らしい声だ。世間ではエルサの歌がクローズアップされすぎているけど、一歩皮がむけた印象だ。



松たか子の歌では、背筋がぞくっとくる。妙な快感だ。
それを感じただけでも見たかいがあった。

著作権にうるさいディズニーなので、松たか子の出番がなかなか見られないというが、紅白くらいは神田さやかとともに歌ってもらいたいものだ。
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映画「眠れる美女」 マルコ・ベロッキオ

2014-08-16 20:44:00 | 映画(洋画:2013年以降主演女性)
映画「眠れる美女」は2013年日本公開のイタリア映画だ。
2011年日本公開の愛の勝利を ムッソリーニを愛した女は素晴らしい作品だった。ムッソリーニと愛人とのラブストーリーに実際のムッソリーニが映るドキュメンタリー映像を挿入してリアル感を増す。撮影、美術も完璧で、映像コンテがすばらしい。バックに流れる音楽も場面に合わせて情感にあふれ、ドキドキしながら映画を見た。傑作だと思う。監督はマルコ・ベロッキオである。
あのレベルの作品をつくる監督なら外れはないだろう。そう考えてdvdを手に取った。ロードショーはいつの間にされていて、機を逃した感じだ。


イタリア全土を揺るがした尊厳死事件を基に、マルコ・ベロッキオ監督がオリジナルストーリーを完成させた。妻を看取った政治家とそんな父に不信感を持つ娘、昏睡する娘の目覚めを願う元女優、自殺願望のある女を救おうとする医師、この三組の物語を同時展開させる。命が生と死の狭間を彷徨っているとき、周りがどういうまなざしで反応するのかをベロッキオは丹念に追う。
個人的にはアバズレ女の自殺を止めようとする医師の話が感慨深かった。



2009年、イタリア全土を揺るがすある女性の尊厳死事件が起こる。17年前、21歳で交通事故に遭い、植物状態となってしまったエルアーナ・エングラーロ。両親は延命措置の停止を求め、カソリックの影響が強いイタリアで、長い間裁判闘争を行なってきた。2008年10月に最高裁判所がようやくその訴えを認めたが、彼女の延命措置の停止を行う病院はなかなか見つからなかった。
翌年2009年1月、イタリア北東部の町ウディネの病院が受け入れを表明し、2月にエルアーナはミラノからウディネへ搬送された。しかし、カトリック信者や尊厳死反対の保守層からの支持を集めるベルルスコーニ首相は、エルアーナの延命措置を続行させるべく、法案の強行採決を画策していた。
こうした尊厳死をめぐる賛否の激しい対立の最中に、三つの物語が同時進行で展開されてゆく。

【第一の物語】
議員のウリアーノ・ベッファルディ(トニ・セルビッロ)はエルアーナ・エングラーロの延命措置を続行させる暫定法案に賛成票を投じるかで頭を悩ませていた。それは、彼自身が逡巡の末、妻の延命装置を停止させた過去があるからだった。


母を死なせた父に、娘マリアはずっと不信感を抱いていた。マリアはウディネの病院へ移送されたエルアーナの延命措置が続行されるよう、ウディネでのデモに参加する。現地の食堂でマリアはある兄弟と衝撃的な出会いを果たす。兄弟はマリアとは反対のデモ団体に属していたが、マリアは兄ロベルトに恋をしてしまう。


一方、ベッファルディは自分の信念を曲げて、賛成票を投じるくらいなら、議員を辞して娘と向き合うことを考えていた。

【第二の物語】
医師パッリド(ピエール・ジョルジョ・ベロッキオ)は勤務先の病院である女(マヤ・サンサ)と最悪の出会いを果たす。女の名はロッサ。彼女は出勤してきたパッリドの金をかすめとろうとしたのだ。そんな幸先の悪い朝から、いつもの日常が始まる。同僚の医師は仕事もそっちのけで、エルアーナの死の時期を賭けごとにしている。患者の家族たちは医者への不信感むき出しで、治療への不満をぶつけてくる。いささか疲れを感じながら廊下を歩いていると、薬を盗もうとしたロッサが看護師たちにかかえられてきた。


万事休すの状態で、ロッサはパッリドたちの目の前で手首を切るのだった。幸い一命を取り留めるが、眠った彼女は一向に目を覚ます気配がない。パッリドはそんな彼女の傍らに寄り添うのだった。

【第三の物語】
伝説的な女優(イザベル・ユペール)は輝かしいキャリアを捨てて植物状態の娘ローザの看病に専念していた。


娘のために毎日のように祈りを捧げ、エルアーナと娘を重ねて、報道を目にしては涙を流すのだった。俳優志望の息子フェデリコは、母を盲信的に愛し、女優として尊敬のまなざしを注いでいるのだが、その愛が彼に返ってくることはなく、愛に飢えていた。彼女の夫も妻のかたくなな態度に心を傷め、夫婦仲は冷め切っていた。息子は母に振り向いてもらいたいがために、ある行動に出るのだった。
(作品情報より)

尊厳死問題は、脳死問題とあわせてよく議論される。公になると何かと問題が多い話だけど、実務上は各病院で密かに行われているのではなかろうか?末期がんの患者については、病院から「医師の処置に任せる」という一筆を保護者が書かされる。 それは死に至っても文句は言わないという意味だと思う。延命の機器を外すなんて単純なことではない。患者に処方するモルヒネの量の加減を強めにするだけで、明らかに血圧が下がり痛みはなくても死に近づいていく。
医師の判断でそういう処置はされていると推測されるが、公にはならない。

「終の信託」は主治医が患者から万一の時の処理を依頼されていた。強い痛みを和らげようと尊厳死にいたったが、大沢たかお演じる検察官に草刈民代演じる医師が徹底的に追及されイジメ抜かれた。なかなかきつい映画だった。

今回は植物状態の2人を支えた家族物語と、ならず者で生きている価値もないような女が自殺しようとしているのに医師が助けるという対照的な話が語られる。上記でいうと、自ら死のうとする人間を助け得る第2の物語がむしろ心に残った。
マヤ・サンサ演じるイタリア女性が、感情をあらわにする演技がすばらしい。

マルコ・ベロッキオ監督の映像構成力には今回も唸った。
それぞれのショットのカメラ配置が美的に練られてされている。我々の目に映る映像コンテが完ぺきだ。前作でも感じたが、不安を感じさせるような暗い場所でのショットがうまい。照明の加減が巧みにされているからだ。 それを引きたてるバックの音楽がすばらしい。映画全般に流れ続けるわけではないが、場面を選んで効果的に不安要素を高めている。音響効果がイメージの強化を巧みに操る。そして、編集もすばらしい。今回も現代イタリアのニュース系データをうまく物語に組み合わせている。

テーマの暗さにはまいったが、さすがに映像のレベルは極めて高い。
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映画「ブリングリング」 ソフィアコッポラ

2014-08-14 21:42:36 | 映画(洋画:2013年以降主演女性)
映画「ブリングリング」はソフィアコッポラ監督の2013年の作品

ソフィア・コッポラ監督が、ハリウッド・セレブの豪邸を襲ったティーン窃盗団という題材に取り組む。第66回カンヌ国際映画祭「ある視点部門」でオープニング上映された。


舞台はハリウッドスターや人気モデルが数多く暮らす、ロサンゼルス郊外の高級住宅地カラバサス。セレブリティの生活に憧れるニッキーたち5人の少年少女は、セレブの豪邸をインターネットで調べ、次々に侵入し、きらびやかなブランド服やジュエリーの数々を盗み出す。悪ふざけのつもりが次第にエスカレートしていくという話だ。


カリフォルニア州カラバサス。ニッキー(エマ・ワトソン)は学校へ行かず、養女である妹サム(タイッサ・ファーミガ)、末の妹エミリーと共に、母ローリー(レスリー・マン)の自宅授業を受けている。ローリーが教えるのは「ザ・シークレット」に書かれた“引き寄せの法則”について。
一方、マーク(イズラエル・ブルサール)は前の学校を退学した後、1年間自主学習を続けてきた。新しい学校への登校初日、周囲から「キモい」とバカにされる中、唯一優しい声を掛けてくれたのがレベッカ(ケイティ・チャン)だった。放課後、語り合ううち、ふたりは意気投合していく。
レベッカやクロエ(クレア・ジュリアン)と一緒にナイトクラビングに出掛けたマークは、そこでニッキーとサムに出会う。写真を撮り、フェイスブックにアップする彼ら。


パリス・ヒルトンがベガスでパーティーをするとインターネットを見て知ったマークとレベッカは、パリスの自宅周辺を地図検索サービスなどで調べ上げ、彼女の家に侵入する。豪奢な家の様子に圧倒されたふたりがそれを吹聴すると、ニッキーは言った。
「泥棒したい」


やがて、パリスがマイアミでパーティーと知り、今度はニッキーやサム、クロエを加えた5人で留守宅に押し入る。広いクローゼットを埋め尽くす服、靴、ジュエリー、サングラスの数々に目を輝かせ、邸宅に完備したクラブ・ルームではしゃぐ彼女たち。夢中になった5人はパリスの家にとどまらず、オードリナ・パトリッジやミーガン・フォックス、オーランド・ブルームとミランダ・カー夫妻などセレブの予定を次々に調べ、留守宅への侵入と窃盗をくり返していく。


しかし、彼女たちの悪ふざけがそう長く続くはずもなかった――。 (作品情報より)

主人公の男の子が、よくこんな三流学校に来たねと言われるシーンが出てくる。遊び人ぞろいの男女がそろっている。こういう犯罪をやったことを他の第三者に自慢げにペラペラしゃべっている。この馬鹿さ加減は信じられない。

でもちゃんとした家にみんな住んでいるから、下層階級というわけではない。
実際のセレブの家を使って撮影しているようだけど、どれもこれもすごい家だなあ!!
夜に車で徘徊するシーンはデイヴィッドリンチ監督「マルホランドドライブ」を連想させる。
こんなすごい家ばかり建ち並ぶ住宅街は日本にはない。


まず感じたのが、ロスのセレブ達が家のセキュリティーにここまで無防備なのかということだ。
昔はともかく、今の日本ではセコムやアルソックのホームセキュリティで周辺のカメラを装備するだけでなく、関係ない第三者が入ってきたらただちに感知して、周辺で待機している警備員がやってくる。

そう考えると、日本ではほとんどありえない犯罪と言える。
こんなすごい家なのに、玄関前のマットの中に合い鍵が置いてある。
ましてや高価な宝飾品が豪邸の中に無防備に置いてあるのをみると、あきれてしまうしかない。

盗まれる方が無防備すぎるよ。そう思っているうちに終わってしまう。
バカな奴らいるんだなあ。という印象をもつだけだった。

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