映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

亡き父と行ったおいしい店

2008-07-19 19:05:56 | 食べもの
先週死んだ父は昔からおいしいものすきだった。

今ではみんなあまり食べなくなったが、キャンベルスープのような輸入物の缶詰が好きだった。
五反田のガードの下に輸入物のスープや肉の缶詰を売っている店があった。同じように渋谷の井の頭線の下にも「シブヤ食品」?といったけか、そういう缶詰類を売っている店があって、カマンベールチーズをはじめとした白カビチーズやアオカビチーズが売っていて家で食べた。

五反田には「京浜ベーカリー」という洋食屋があった。パンもおいしかったが、ビーフシチューがおいしかった。いわゆるビフテキを最初に食べたのもその店である。

(昭和43年京浜ベーカリー付近 品川写真館より引用)

五反田駅横には「日本食堂」があった。そこでおいしかったのが「ロシアスープ」である。いわゆるボルシチとほぼ同じなのだが、クリームがのっかってものすごくおいしかった。

渋谷でビーフシチューというとやはり井の頭線ガード下にあった洋食屋「芳松」である。平成の時代にあったかどうかは自信がない。ロシア料理でいうと「サモワール」である。東急本店を左に曲がって、ラブホテル街に向かってすぐにあった。ここの歴史は本当に長く、大学生時代や入社間もないころよく使った。ツタのからまる建物が印象的だったが、1年強前に解体工事中に出くわした。非常に残念だった。

上の4つの店には昭和50年代前半くらいまで父とかなり行った。思い出すとしめっぽくなる。

渋谷は本当に変わった。昔からの店が次から次になくなっていく。
小さいころ夜歩くと渋谷のセンター街には黒いサングラスをした男たちがいっぱいたむろしていた。昭和40年代前半までは渋谷は怖いまちだった。西武百貨店のところが映画館だったころだ。突如としてセンター街に若者が増えて怖さが消えたのはやはりパルコができて公園通りができた後だろうと思う。
小さいころは父におっかなびっくり渋谷の夜をついていった気がする。大衆酒場でシラスを食べながらこの魚の親は何かな?なんていっていた気もする。

父との思い出は尽きない。
この際もう少し追いかけてみたい。
コメント (9)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

通信簿

2008-07-19 03:36:27 | 家族
映画が10日ほどまったく見れていない。
父がなくなったのだから仕方がない。普通の生活に戻るには時間がかかりそうだ。

出社初日は挨拶の電話ばかりしていた。
昨日は朝から会議だった、今月の仕事の業況はもう一歩のようだ。家に電話したら母の様子は今ひとつとの妹の話。気になる。

中一の娘の通信簿が返ってきた。家に帰ったが、母娘両方とも何も言わなかったので、もう一歩の成績かと思い、黙ってそのまま寝てしまった。夜中にもう一度見ようと思い、寝苦しかったせいもあるが見た。
英語と数学が5だった。国語、社会、理科が4だった。
英語、数学とも中間、期末の平均が95点を超えていたから順当だが、中間テストが簡単すぎたからもしかしたら4かもと思ったが良かった。社会、理科は期末テストもう一歩なので仕方がない。ただ社会は中間テストの点数からして十分5をとれる状況にあっただけに残念

他の4教科は4の美術を除いて3。
昔とちがって家庭科だけでなく技術もやるようだ。そうか男女平等という発想か?
でもかえってその方がよかったかも?家庭科50点中17点だった。これは笑うしかない。あまりに潔い点数に笑った。

会社の女子社員が葬儀の時にうちの娘の顔を見ていたので、「顔が瓜二つだ。」「歩き方までそっくりだ。」と異口同音に言われた。妻に言ったら、このくらいの年代の子はそういわれるのはいやなんだよ。といわれた。
通信簿も父親の傾向に似ている。理科は高校で言えば「生物」の内容なので、見てもまったくわからなかった。4を取れていれば十分だ。高校時代、360人中350番生物でとった自分の子供だけに上出来だ。国語はまだ自分が苦手とする古文がないので4になるんだなあ。今だったら5も狙えそうだ。主要科目以外は僕もダメだったので、仕方がない。

これから理科と社会どっちが得意になるかで彼女の運命は分かれそう。
理系にせよ文系にせよ自分の母校に行ってもらいたい気がするが、母親は東京は物騒だからと言い切る。こまった。
まだまだ先は長い。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする