映画「パトリシアハイスミスに恋して」を映画館で観てきました。
映画「パトリシアハイスミスに恋して」はアランドロン主演「太陽がいっぱい」、ヒッチコックの「見知らぬ乗客」などの名作映画の原作者として名高いパトリシアハイスミスの人生に接近するドキュメンタリーである。レズビアンで惹かれ合う2人を描いた近年のヒット映画「キャロル」の原作は別名義で出版している。
パトリシアハイスミス原作の映画はほぼ観ていて、「見知らぬ乗客」はアルフレッドヒッチコックの小技炸裂の映画で最初観たとき終盤の遊園地の場面におったまげた。他にもヴィゴモーテンセン主演「ギリシャに消えた嘘」が好きだ。パトリシアハイスミスが書いた「サスペンス小説の書き方」は謙虚に彼女自身の小説の書き方にふれている。書棚にあってたまに覗き込む。そんなパトリシアハイスミスの人生をもっと知りたいと思っていた。
「キャロル」の映画を地でいくパトリシアハイスミスは男性よりも女性に惹かれる人生を歩んだ。このドキュメンタリーでは、ウマの合わない母親との関わりやルーツをたどる。そして、まだ存命の付き合った女性たちへのインタビューでパトリシアハイスミスの人間像に迫っていく。
パトリシアハイスミスに関心のない人には退屈なドキュメンタリーかもしれない。でも興味深い。
映画では「キャロル」、「見知らぬ乗客」、マット・デイモン主演の「リプリー」のいくつかのシーンが引用される。われわれの同世代より上の世代にアランドロンの強い印象を残した「太陽がいっぱい」は「リプリー」が取り上げられているので省略ということだろう。
映画「キャロル」で、デパートのおもちゃ売り場の売り子だったルーニーマーラが遠目に見た美貌の婦人ケイトブランシェットに一瞬にして目を奪われる。視線に気づいたケイトがルーニーの売場に来て語り合うシーンがある。恋のはじまりである。この印象的なシーンをクローズアップして、パトリシアハイスミスのレズビアンの恋に結びつける。
映画によれば、当時のニューヨークにはかなりの数のゲイバーがあったようだ。(レズビアン向けもゲイバーとするのは初めて知った。)そこで数々の女性と知り合う。ただ、当時はまだオフィシャルにできるような話ではなかった。「キャロル」もあえて正体を見せず別名義で書き上げているし、パトリシアハイスミスの小説の大半は男性が主人公である。
パトリシアハイスミスはアメリカにずっといたわけではない。ニューヨークを後にしてロンドンに移り住む。それからフランスの郊外の田舎町に居を構え、最終的にはスイスに家を建てて生涯を終える。それぞれに恋人がいた。
この映画ではパトリシアハイスミスの執筆手法についてはあまり触れていない。若干期待していたので残念である。逆に映画を観たあとで「サスペンス小説の書き方」のこの部分が気になったので引用する。
主人公に視点をおきつつ, 3人称単数で語ることを好んでいるのは、おそらくあらゆる点でその方が簡単であるからだ。かつ男性の視点にしている。。女性の方が人や状況を動かすより動かされやすく、「こうしよう」や「こうする予定だ」と言うよりも「こうできない」と言いがちだと考える癖がある。p125
女性をよく知っているパトリシアハイスミスならではの著述だ。
映画「パトリシアハイスミスに恋して」はアランドロン主演「太陽がいっぱい」、ヒッチコックの「見知らぬ乗客」などの名作映画の原作者として名高いパトリシアハイスミスの人生に接近するドキュメンタリーである。レズビアンで惹かれ合う2人を描いた近年のヒット映画「キャロル」の原作は別名義で出版している。
パトリシアハイスミス原作の映画はほぼ観ていて、「見知らぬ乗客」はアルフレッドヒッチコックの小技炸裂の映画で最初観たとき終盤の遊園地の場面におったまげた。他にもヴィゴモーテンセン主演「ギリシャに消えた嘘」が好きだ。パトリシアハイスミスが書いた「サスペンス小説の書き方」は謙虚に彼女自身の小説の書き方にふれている。書棚にあってたまに覗き込む。そんなパトリシアハイスミスの人生をもっと知りたいと思っていた。
「キャロル」の映画を地でいくパトリシアハイスミスは男性よりも女性に惹かれる人生を歩んだ。このドキュメンタリーでは、ウマの合わない母親との関わりやルーツをたどる。そして、まだ存命の付き合った女性たちへのインタビューでパトリシアハイスミスの人間像に迫っていく。
パトリシアハイスミスに関心のない人には退屈なドキュメンタリーかもしれない。でも興味深い。
映画では「キャロル」、「見知らぬ乗客」、マット・デイモン主演の「リプリー」のいくつかのシーンが引用される。われわれの同世代より上の世代にアランドロンの強い印象を残した「太陽がいっぱい」は「リプリー」が取り上げられているので省略ということだろう。
映画「キャロル」で、デパートのおもちゃ売り場の売り子だったルーニーマーラが遠目に見た美貌の婦人ケイトブランシェットに一瞬にして目を奪われる。視線に気づいたケイトがルーニーの売場に来て語り合うシーンがある。恋のはじまりである。この印象的なシーンをクローズアップして、パトリシアハイスミスのレズビアンの恋に結びつける。
映画によれば、当時のニューヨークにはかなりの数のゲイバーがあったようだ。(レズビアン向けもゲイバーとするのは初めて知った。)そこで数々の女性と知り合う。ただ、当時はまだオフィシャルにできるような話ではなかった。「キャロル」もあえて正体を見せず別名義で書き上げているし、パトリシアハイスミスの小説の大半は男性が主人公である。
パトリシアハイスミスはアメリカにずっといたわけではない。ニューヨークを後にしてロンドンに移り住む。それからフランスの郊外の田舎町に居を構え、最終的にはスイスに家を建てて生涯を終える。それぞれに恋人がいた。
この映画ではパトリシアハイスミスの執筆手法についてはあまり触れていない。若干期待していたので残念である。逆に映画を観たあとで「サスペンス小説の書き方」のこの部分が気になったので引用する。
主人公に視点をおきつつ, 3人称単数で語ることを好んでいるのは、おそらくあらゆる点でその方が簡単であるからだ。かつ男性の視点にしている。。女性の方が人や状況を動かすより動かされやすく、「こうしよう」や「こうする予定だ」と言うよりも「こうできない」と言いがちだと考える癖がある。p125
女性をよく知っているパトリシアハイスミスならではの著述だ。