映画とライフデザイン

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映画「ブレードランナー2049」ハリソン・フォード&ライアン・ゴズリング

2017-11-03 08:56:51 | 映画(洋画:2016年以降主演男性)
映画「ブレードランナー2049」を映画館で観てきました。


もともと未来ものは苦手である。子供のころからSF小説は読まない。飛躍がありすぎると、本当にそうなるのか?と思ってしまう。逆に歴史好きだったせいもあるのか、むしろ過去にあった事実を探る方が好き。それもノンフィクションのほうがいい。それでも、予告編に映るハリソン・フォードの姿を見ると、好奇心をそそられる。

結果的に言えば、つまらなかった。映像表現が素晴らしいという声が聞こえてくるので、大画面スクリーンの映画館で前方に座って見た。確かに見ごたえはある。「ダンケルク」の時も素晴らしいと思ったが、緊張感を持たせるハンス・ジマーの音楽はいい。デイヴィッド・リンチ監督の作品を思わせるようなずっしりくる音楽がジーンと響きわたる。でも話にまったくなじめない。これは好みなので仕方ない。

前作では日本びいきのリドリー・スコットらしい日本の夜の繁華街らしき映像が目立った。新宿のしょんべん横丁や歌舞伎町の街を意識している。今回も同様に登場するが、一度は荒廃しきったという前提でこういう感じが残るのか?疑問が残った。


2049年、貧困と病気が蔓延するカリフォルニア。人間と見分けのつかない《レプリカント》が労働力として製造され、人間社会と危うい共存関係を保っていた。危険な《レプリカント》を取り締まる捜査官は《ブレードランナー》と呼ばれ、2つの社会の均衡と秩序を守っていた―。LA市警のブレードランナー“K”(ライアン・ゴズリング)は、ある事件の捜査中に、《レプリカント》開発に力を注ぐウォレス社の【巨大な陰謀】を知ると共に、その闇を暴く鍵となる男にたどり着く。


彼は、かつて優秀なブレードランナーとして活躍していたが、ある女性レプリカントと共に忽然と姿を消し、30年間行方不明になっていた男、デッカード(ハリソン・フォード)だった。いったい彼は何を知ってしまったのか?(作品情報より)

ドゥニ・ビルヌーブ監督には「灼熱の魂」であっと言わされた。ものすごい傑作である。その後も作品を追いかけている。出演者には自分の好きな俳優がそろっている。ハリソン・フォード「刑事フック」「逃亡者」といったサスペンスものや「インディージョーンズ」シリーズを通じてずっとファンである。近年出番の増えたライアンゴズリング「ドライブ」「ラ・ラ・ランド」で一層好きになる。

2人ともここでの演技は全く悪くない。荒廃しきったラスベガスと思しき建物で2人が出会うシーンは個人的には感動的だ。むしろ助演の女優群が個性的な役柄を見事にこなす。美人ぞろいの人造人間を欲するアキバ的ボーイが増えそうな予感。


手塚治虫の漫画に出てくる世界を思い浮かべた。「火の鳥」にはロボットと共生する社会が出てくる。そして、人間の形をした気まぐれな人造人間が出てくる。ある意味、今から40年以上前に書かれたこの漫画にこの映画のストーリーに類似した点が多々見受けられる。


クローン人間というわけではないが、AIの進歩は加速度的に著しい。ロボットも普通の歩行ができるだろう。近未来にはそういう人造人間がでてくるとなれば、そういう社会を予言したような気がする。でも、映画の中にある退廃と進歩の混在に矛盾を感じる。空飛ぶ車が走る一方でごみダメみたいな世界がある。人類はそこまでバランスを崩すように思えないが、私の希望的観測が強すぎるのか?

最後に向けて雪の中映し出されるライアンゴズリングとハリソン・フォードの姿は美しい。大画面の手前で観ると、はたして30年後にライアンゴズリングがもう一回「ブレードランナー」をやるのか?そう考えてしまう。あと2年でどう変わるかわからないが、前回の「ブレードランナー」で想像した世界には今はなっていない。あと30年後にこの映画のつじつまが合うか見ものだ。

ブレードランナー ファイナル・カット
歌舞伎町と思しき街角の映像が懐かしい

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