映画「ドライブマイカー」を映画館でみてきました。
おお!こう来るか、そんな場面に魅せられる。
「ドライブマイカー」は村上春樹の短編集「女のいない男たち」の中にある同題作品が原作である。濱口竜介監督が脚本演出する。題名「ドライブマイカー」はビートルズ「ラバーソウル」の一曲目。この短編集は2014年発売とともに読んでいて、個人的に「シェエラザード」と「木野」が自分のテイストに合う。「シェエラザード」の感想は7年前ブログにもアップした。題名を聞いたとき、「ドライブマイカー」のあらすじをすっかり忘れていたのに気づく。
東出昌大と唐田えりかの不倫話で別の意味で有名になったけど、濱口竜介監督の前作「寝ても覚めても」には強い衝撃を受けた。ヒッチコックの「めまい」のような展開かと思ったら、あっと驚く逆転場面を用意する。好き嫌いが激しい蓮實重彦も「寝ても覚めても」と唐田えりかを絶賛する。元東大総長のインテリじいさんには世間のゴシップ話は一切関係ないようだ。
主人公の舞台俳優、女性運転手、俳優の元妻、元妻が関係を持った青年と主要4人で成り立つストーリーである。妻(霧島れいか)に先立たれてひとりになった舞台俳優家福(西島秀俊)が、チェーホフ作の舞台演出を依頼され、広島に向かう。現地での移動には女性ドライバーみさき(三浦透子)をつけてくれた。演劇には亡き妻と関係があった若手俳優高槻(岡田将生)がオーディションを受け加わる。亡き妻をめぐっての高槻との心の葛藤を持ちながら舞台稽古を進めていくという話である。
原作のベース設定は変わらないが、濱口竜介監督が短編では触れていないストーリーを加える。原作は自分を愛してくれていた元妻がなぜ他の男と寝ていたのかという謎を探る要素があり主人公へのスポットが強くあたっている。確かにそれもあるが、ドライバーと元妻が関係を持った青年の存在感を拡張する。これはこれで悪くはない。
映画を見る前は、3時間というのも随分と長いなあ、チェーホフの「ヴァーニャ伯父」の演劇の場面が多いのかな?と思っていた。でも話の広がりに興味が持て、思ったよりも時間を長く感じない。
カンヌ映画祭で脚本賞と聞いたときは村上春樹の原作短篇もあるので「何で?脚色賞でないの?」と思った。でも、こうやって見終わると、短篇小説で描かれていない「ないもの」を想像して脚本化を進め、映像でわれわれに見せてくれる濱口竜介監督の巧みな手腕に感服する。
⒈シェエラザード
映画の解説に「ドライブマイカー」に加えて、「女のいない男たち」から「シェエラザード」と「木野」からもエッセンスを引き出していると書いてある。自分なりに映画でどう使われるか推測していたが、映画が始まってすぐ「シェエラザード」の中の空き巣に入る話を主人公家福の妻がベッドで語っている。そのシーンが出てきて自分はハズレと気づく。女性ドライバーが語ると推測していた。「木野」については1か所だけかな?
原作では、戦前の日本共産党にいた女性給仕ハウスキーパーのような存在の女がアラビアンナイトの「シェエラザード」の如く語り役になる。高校時代に好きな男の子の留守中の家に忍び入って引き出しを覗いたりした昔話を語っていくのだ。この空き巣感覚は、映画でいうと、香港映画「恋する惑星」やキムギドクの「うつせみ」を想像するような話だ。
元妻音の語りを聞き、そうか、こういうところで使われるんだ。と思っていたら、それだけでは終わらなかった。ベッドで語るその話は夫にだけ話しているわけではなかったのだ。ここからは濱口監督の脚本が冴える。想像を超えるある解釈を聞いて、背筋がぞくぞくした。しかも、岡田将生の語りがいい。濱口監督の前作「寝ても覚めても」で唐田えりか演じるヒロインが予想外の行動をするのを見るときのドキドキと同じような驚きを自分は感じた。
⒉広島と瀬戸内海
主人公家福が演出する演劇を広島で公演する。それに伴い広島に2ヶ月ほど滞在するのだ。期間中はしまなみ海道で瀬戸内海を渡ったところにある島に滞在する。移動する車でセリフを聞いている。泊まる旅館から眺める景色は絶景で、海岸沿いを走る赤いサーブを高所から俯瞰して撮る映像コンテも美しい。
ドライバーは稽古場と島を往復する。市内の島が見える海辺で主人公とドライバーがたたずむ高いアングルからのショットも自分にはよく見えた。当然、原作とは無縁の場所でロケハンには成功している。
⒊演劇の場面
家福が演出を受け持つ演劇は、ちょっと変わっていて、さまざまな人種の役者がそれぞれ母国語で演じるのだ。演劇に詳しくない自分はこんな劇あったんだ。そんな感じである。家福と一緒にコーディネートするプロデューサーが韓国人で、中国、アジア系も含め色んな人種の人がいる。聞くことはできるが、話は出来ず手話で演じる韓国人女性もいる。映画の配役リストを見て外国人が多いなあと思っていたけど、そういうことだ。
この場面については好き嫌いあるかもしれない。韓国人プロデューサーに関する逸話とか、もう少し縮められても良かった気もする。村上春樹作品は同じく短篇を基にした「バーニング」が韓国で製作されている。きっと「ドライブマイカー」も韓国でも公開予定なのかもしれない。
⒋ドライバー
淡々と運転をこなす寡黙な女性ドライバーである。逸話が増えて存在感は原作より増している。北海道の小さい町の出身で23歳、喫煙者だ。実質母はシングルマザーで苦労して育つ。演劇の主催者側から、移動には必ず運転手をつけてくれと言われ、いったん主人公は拒否する。でも、安心して運転を任せられるとわかる。事情があって、中学生から車を運転していたので、年の割には運転歴は長い。
「おそらくどのような見地から見ても美人とはいえなかった。ひどく素っ気ない顔をしている」原作ではこうなっている。村上春樹はこういう感じで容姿を表現することが多い。もともと絶世の美女が出てくることはほとんどないし、少なくとも「女のいない男たち」に出てくる女性は美しくない。三浦透子は適役かもしれない。田畑智子にも似ている。彼女のプロフィールを見ると、自分が観ている映画が多い。え!そうだったんだという気分だ。チャラチャラしたところのないこういう感じの女の子って職場にはたまにいる。この映画の三浦透子に好感を覚える。
彼女が運転している場面で、すべての音が消えてしまうシーンがある。「ゼログラビティ」でも宇宙空間でのシーンで突然音が消えたのを思い出す。映画館の中が静寂に包まれる。別世界にいるみたいで、すごくいい瞬間だった。
でも、最後のワンシーンこれってどう解釈するんだろう?わからない。
おお!こう来るか、そんな場面に魅せられる。
「ドライブマイカー」は村上春樹の短編集「女のいない男たち」の中にある同題作品が原作である。濱口竜介監督が脚本演出する。題名「ドライブマイカー」はビートルズ「ラバーソウル」の一曲目。この短編集は2014年発売とともに読んでいて、個人的に「シェエラザード」と「木野」が自分のテイストに合う。「シェエラザード」の感想は7年前ブログにもアップした。題名を聞いたとき、「ドライブマイカー」のあらすじをすっかり忘れていたのに気づく。
東出昌大と唐田えりかの不倫話で別の意味で有名になったけど、濱口竜介監督の前作「寝ても覚めても」には強い衝撃を受けた。ヒッチコックの「めまい」のような展開かと思ったら、あっと驚く逆転場面を用意する。好き嫌いが激しい蓮實重彦も「寝ても覚めても」と唐田えりかを絶賛する。元東大総長のインテリじいさんには世間のゴシップ話は一切関係ないようだ。
主人公の舞台俳優、女性運転手、俳優の元妻、元妻が関係を持った青年と主要4人で成り立つストーリーである。妻(霧島れいか)に先立たれてひとりになった舞台俳優家福(西島秀俊)が、チェーホフ作の舞台演出を依頼され、広島に向かう。現地での移動には女性ドライバーみさき(三浦透子)をつけてくれた。演劇には亡き妻と関係があった若手俳優高槻(岡田将生)がオーディションを受け加わる。亡き妻をめぐっての高槻との心の葛藤を持ちながら舞台稽古を進めていくという話である。
原作のベース設定は変わらないが、濱口竜介監督が短編では触れていないストーリーを加える。原作は自分を愛してくれていた元妻がなぜ他の男と寝ていたのかという謎を探る要素があり主人公へのスポットが強くあたっている。確かにそれもあるが、ドライバーと元妻が関係を持った青年の存在感を拡張する。これはこれで悪くはない。
映画を見る前は、3時間というのも随分と長いなあ、チェーホフの「ヴァーニャ伯父」の演劇の場面が多いのかな?と思っていた。でも話の広がりに興味が持て、思ったよりも時間を長く感じない。
カンヌ映画祭で脚本賞と聞いたときは村上春樹の原作短篇もあるので「何で?脚色賞でないの?」と思った。でも、こうやって見終わると、短篇小説で描かれていない「ないもの」を想像して脚本化を進め、映像でわれわれに見せてくれる濱口竜介監督の巧みな手腕に感服する。
⒈シェエラザード
映画の解説に「ドライブマイカー」に加えて、「女のいない男たち」から「シェエラザード」と「木野」からもエッセンスを引き出していると書いてある。自分なりに映画でどう使われるか推測していたが、映画が始まってすぐ「シェエラザード」の中の空き巣に入る話を主人公家福の妻がベッドで語っている。そのシーンが出てきて自分はハズレと気づく。女性ドライバーが語ると推測していた。「木野」については1か所だけかな?
原作では、戦前の日本共産党にいた女性給仕ハウスキーパーのような存在の女がアラビアンナイトの「シェエラザード」の如く語り役になる。高校時代に好きな男の子の留守中の家に忍び入って引き出しを覗いたりした昔話を語っていくのだ。この空き巣感覚は、映画でいうと、香港映画「恋する惑星」やキムギドクの「うつせみ」を想像するような話だ。
元妻音の語りを聞き、そうか、こういうところで使われるんだ。と思っていたら、それだけでは終わらなかった。ベッドで語るその話は夫にだけ話しているわけではなかったのだ。ここからは濱口監督の脚本が冴える。想像を超えるある解釈を聞いて、背筋がぞくぞくした。しかも、岡田将生の語りがいい。濱口監督の前作「寝ても覚めても」で唐田えりか演じるヒロインが予想外の行動をするのを見るときのドキドキと同じような驚きを自分は感じた。
⒉広島と瀬戸内海
主人公家福が演出する演劇を広島で公演する。それに伴い広島に2ヶ月ほど滞在するのだ。期間中はしまなみ海道で瀬戸内海を渡ったところにある島に滞在する。移動する車でセリフを聞いている。泊まる旅館から眺める景色は絶景で、海岸沿いを走る赤いサーブを高所から俯瞰して撮る映像コンテも美しい。
ドライバーは稽古場と島を往復する。市内の島が見える海辺で主人公とドライバーがたたずむ高いアングルからのショットも自分にはよく見えた。当然、原作とは無縁の場所でロケハンには成功している。
⒊演劇の場面
家福が演出を受け持つ演劇は、ちょっと変わっていて、さまざまな人種の役者がそれぞれ母国語で演じるのだ。演劇に詳しくない自分はこんな劇あったんだ。そんな感じである。家福と一緒にコーディネートするプロデューサーが韓国人で、中国、アジア系も含め色んな人種の人がいる。聞くことはできるが、話は出来ず手話で演じる韓国人女性もいる。映画の配役リストを見て外国人が多いなあと思っていたけど、そういうことだ。
この場面については好き嫌いあるかもしれない。韓国人プロデューサーに関する逸話とか、もう少し縮められても良かった気もする。村上春樹作品は同じく短篇を基にした「バーニング」が韓国で製作されている。きっと「ドライブマイカー」も韓国でも公開予定なのかもしれない。
⒋ドライバー
淡々と運転をこなす寡黙な女性ドライバーである。逸話が増えて存在感は原作より増している。北海道の小さい町の出身で23歳、喫煙者だ。実質母はシングルマザーで苦労して育つ。演劇の主催者側から、移動には必ず運転手をつけてくれと言われ、いったん主人公は拒否する。でも、安心して運転を任せられるとわかる。事情があって、中学生から車を運転していたので、年の割には運転歴は長い。
「おそらくどのような見地から見ても美人とはいえなかった。ひどく素っ気ない顔をしている」原作ではこうなっている。村上春樹はこういう感じで容姿を表現することが多い。もともと絶世の美女が出てくることはほとんどないし、少なくとも「女のいない男たち」に出てくる女性は美しくない。三浦透子は適役かもしれない。田畑智子にも似ている。彼女のプロフィールを見ると、自分が観ている映画が多い。え!そうだったんだという気分だ。チャラチャラしたところのないこういう感じの女の子って職場にはたまにいる。この映画の三浦透子に好感を覚える。
彼女が運転している場面で、すべての音が消えてしまうシーンがある。「ゼログラビティ」でも宇宙空間でのシーンで突然音が消えたのを思い出す。映画館の中が静寂に包まれる。別世界にいるみたいで、すごくいい瞬間だった。
でも、最後のワンシーンこれってどう解釈するんだろう?わからない。