映画とライフデザイン

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Netflix映画「日曜日の憂鬱」バルバラ・レニー&スシ・サンチェス&ラモン・サラサール

2020-12-06 10:52:19 | 映画(欧州映画含むアフリカ除くフランス )
Netflix映画「日曜日の憂鬱」は2018年のスペイン映画


Netflixの中をふらついているときに「日曜日の憂鬱」に出くわす。富豪の婦人の前に8歳の時にあなたと別れたという女性が現れる。10日だけ付き合ってくれという娘の頼みを聞いて過ごす日々の物語である。スペイン映画はペドロアルモドバル監督の一連の作品をはじめとしてその独特の色彩感覚に魅せられることが多い。出演者に見覚えのある女優がいる。映画マジカルガールでみた女性バルバラ・レニーだと気づく。この映画も変わった映画だった。スシ・サンチェスはペドロアルモドバルの「私の生きる肌」での印象が強い。

映像が美しい。室内インテリアも外部の風景もきれいだ。緻密な映像で作られている。おそらくは丹念にカメラアングルを練ったと思われる最高の映像コンテである。セリフが極端に少ない構造だ。観客に頭を使わせる。説明が少ないのでこちらの方で推測をしなければいけない部分が多々ある。娘の行動は奇怪な感じで途中までこの映画の締めをどうするのかがよくわからない。謎をラスト前までのこすというのはラモン・サラサール監督の脚本のうまさであろう。不思議な余韻を残す良作である。

富豪が主催する崇高なお屋敷での豪華なディナーの席で、作法が稚拙な女性がいた。ディナーが終わって主催の夫人アナベル(スシ・サンチェス)の前にその女性キアラ(バーバラ・レニー)が現れる。それは女性が8歳の時に夫人と別れた子供であった。別れてから30年以上たっていた。

改めて面会して何で自分の前に現れたか聞くと、金銭的な要求は何もいらないので10日間自分と付き合ってくれという頼みを受けた。アナベルは夫に相談して、弁護士とともにキアラにあう。他の要求は一切しないという書面を弁護士がだすと、内容も読まずにキアラはあっさりとサインした。


約束通りキアラの家に向かった。それは山奥の小屋であった。一緒に暮らすというもののお互い干渉せずに生活していた。母と娘の関係はギクシャクしている。お祭りの日には2人で向かったが、キアラは勝手に自由奔放に男とダンスして酒に酔い潰れていた。そのあとでキアラが体調を崩す。病院に向かい病状を聞くのであるが、様子が徐々におかしくなっていることに気づいていくのであるが。。。

1.何で10日間一緒に生活するの?
キアラの住まいは山奥で携帯も使えない。そんなキアラが母アナベルの前で感傷に浸るわけでもないし、ベタベタするわけでもなくお互い自由に生活している。「何で10日間一緒に生活するの?」と思ってしまう。キアラの行動は奇怪でかつ不審である。まずは湖のそばで弱っている鳥に危害を与えるシーンに驚く。動物愛護協会からどなりこまれそうなむごいシーンだ。知人の家にいる犬を自宅に連れてきて、井戸で困っている犬(本当は違う)を連れてきたといい泥だらけになので水をかけて洗ってくれとアナベルにいう。そしてそのホースの水を高そうな服を着ているアナベルにかけるのだ。なんか変??というストーリーが続く。


意味不明なシーンが多く戸惑うが、いくつかのシーンの美的センスが抜群だ。アナベルが自身の娘にこれから実の娘に会うと告げる場所のインテリア設計のすごさ、アナベルがキアラの家のステレオの曲にあわせてダンスをするシーンの優雅さ、メリーゴーランドでアナベルとキアラが遊ぶシーンなどスペイン映画らしい奇想天外なイメージで生まれたとおぼしきシーンが数多い。

この後はネタバレあり映画を観ていない人は読まないでください。

2.原題「La enfermedad del domingo」
英題は「Sunday's Illness」である。「日曜日の病気」?英語版だけ訳が違うのかと思ったら、スペイン語「La enfermedad del domingo」の訳も同じである。もっともこれを知ったのは映画を観た後、ただ映画を見終わっていればわかる。でもこの訳ってわかっていれば映画の途中は別の見方をしたかもしれない。ある意味日本のNetflix映画の担当者はうまいと感じる。

2人が雪の中ジェットコースターらしき乗り物に乗るシーンでキアラが目を閉じてくる。途中キアラが倒れて病院にいくシーンがある。そのときも何も説明がない。セリフもない。キアラが注射をしている。痛み止めのようだ。若いときにヘロインを摂取したことがあったというセリフがあったが、今はやめているという。


何それ?そんなことを考えながら最後のシーンに近づく。そうか、この映画が終活の映画だとわかるのは最後に近づいてである。コソコソ母親の耳で娘がささやくのがこういうことだったのか!自分も鈍いのか気づかなかった。

最後のシーンでは、渡辺淳一原作「白い影」を思い出した。ここでの主人公であるエリート医師はがんに犯されていることに気づき、民間の病院に移る。そこでがんに犯されている患者に処方されているモルヒネを大量に自ら摂取しているのである。しかし、もうこれ以上無理と感じたときに自ら死を選ぶ。北海道の湖の底に沈むのだ。自ら望んで湖の底に向かうその姿とキアラの姿がだぶった。でも何で裸になるんだろう?これは真意がわからなかった。

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