映画「燃ゆる女の肖像」を映画館で観てきました。
これは傑作だ!
エンディングに向けてのつくり込みはすばらしく心にジーンと残った。
「燃ゆる女の肖像」は18世紀のフランスを舞台にお見合いするための肖像画を依頼された女流画家が孤島に暮らす貴族の令嬢の館で過ごす10日間を描く。女性監督セリーヌ・シアマの映画作りの巧みさに感心した。その他大勢の出演者を除く主要な出演者はすべて女性である。
上野千鶴子先生の推薦文があるので女性映画との触れ込みを感じて一瞬行くのか迷ったけれども思い切って行ってみたら観客の8割が男性だった。フェミニストやLGBT映画的ないやらしさはまったくない。やさしいフランス語で語るので内容は自分にもしっくりくる。
物語は複雑でなく、むしろオーソドックスだ。でも、海や古い館を映し出すカメラアングルと照明設計が見事である。女同士のむずばれない愛を美しく絵画のように描いていてすばらしい。むしろ女性よりも男性が好む映画じゃないかな?
18世紀フランスのブルターニュ地方、ある伯爵夫人(ヴァレリア・ゴリノ)から、若い女性画家マリアンヌ(ノエミ・メルラン)は伯爵令嬢エロイーズ(アデル・エネル)がお見合いするための肖像画を描くことを依頼された。大西洋に浮かぶ孤島に、エロイーズが住む館があった。マリアンヌが小舟でやって来る。
肖像画を描くということは内緒で、散歩のお相手で短期に滞在という口実であった。5日間という約束で夫人は島を離れ、メイドのソフィ(ルアナ・バイラミ)と3人で広いお屋敷に住み、婦人が帰ってくるまでに肖像画を完成させることとなる。
エロイーズは気難しい女性だった。笑顔をみせない状況がつづいたが、時間を経るうちに親しみを感じてくれるようになる。エロイーズの動きを観察しながらこっそり隠れてマリアンヌが肖像画を完成させる。
伯爵夫人が戻ってきて見せる前に、まずはエロイーズ本人に確認してもらおうとする。しかし、自分の身分を明かし、絵を見せるとこれは気に入らないと拒絶される。落胆したマリアンヌはその時点で島を離れようとしたが、エロイーズからもう一度描いてくれといわれ、母親の貴婦人の承諾を経て島に残ることとなる。
今度は肖像画のモデルらしく、エロイーズは協力してくれる。エロイーズは笑顔を見せてくれるようになり、2人はこれまで以上に心が通じ合うようになる。やがて関係が徐々に一線を越えていくようになるのであるが。。。
1.2人の接近
肖像画を描くために島にきたのはマリアンヌがはじめてではなかった。以前は男性画家が来たことがあった。そのとき描いた肖像画には顔がなかった。肖像画を依頼されたマリアンヌには酷な依頼に思われた。修道院にいたエロイーズはこれまで心を許せる人物がいなかったのであろう。2人は徐々に接近を重ねていく。いったんは関係が終わってしまいそうだったが、改めて接近する。
途中まではきわどいシーンを連想させなかった。しかし、2人に性的欲求が生まれる。ノエミ・メルランとアデル・エネルがともにヌードをみせる熱演で2人の衝動を映像にみせてくれる。この映画の照明設計はすばらしく、美しく芸術的に表現する。ここでは令嬢エロイーズが豊潤に生えるワキ毛をみせるシーンがある。このエロさに思わずドキッとしてしまう。アデル・エネルの大胆さに目を奪われる。
2.18世紀の中絶事情
伯爵夫人が島を留守にした後でエロイーズとマリアンヌのお世話をするメイドのソフィが残って3人になる。あるとき、マリアンヌにソフィがいう。「生理が3ヶ月こないの」どうも妊娠してしまったようだ。当然望まぬ妊娠なので、中絶したい。海辺で走ったり、宙づりになったりしたあとで、お産婆さんらしき女性の元に行き中絶の処置をする。まさに18世紀の中絶手術だ。そのときのシーンで中絶するときにソフィの横に赤ちゃんが横たわって一緒に映るショットがある。不思議な気分になる。
3.音楽の使い方の巧みさ
音楽のない映画だ。島に荒々しく打ち寄せる波や風の音以外にあまり多くはないセリフがあるのみだ。これはこれでいい。そう思ったときにマリアンヌがハープシコードの元に行き、音楽を奏でる。音色を聴いていると、無造作に弾いている曲が徐々にヴィヴァルディの「四季」だということがわかる。これでエロイーズがはじめて笑みを浮かべマリアンヌと2人の関係が急激に接近する。
焚き火の粉が舞うなか、祭りに集う地元の女が清らかな歌声が響く。これが2つめの音楽だ。幻想的にマリアンヌとエロイーズを映す美しいシーンである。
結局この2曲と思ったときに最後にあっと驚くシーンをみせる。
さすがにそのときは自分の背筋に電流が走った。今年いちばんのエンディングかもしれない。
これは傑作だ!
エンディングに向けてのつくり込みはすばらしく心にジーンと残った。
「燃ゆる女の肖像」は18世紀のフランスを舞台にお見合いするための肖像画を依頼された女流画家が孤島に暮らす貴族の令嬢の館で過ごす10日間を描く。女性監督セリーヌ・シアマの映画作りの巧みさに感心した。その他大勢の出演者を除く主要な出演者はすべて女性である。
上野千鶴子先生の推薦文があるので女性映画との触れ込みを感じて一瞬行くのか迷ったけれども思い切って行ってみたら観客の8割が男性だった。フェミニストやLGBT映画的ないやらしさはまったくない。やさしいフランス語で語るので内容は自分にもしっくりくる。
物語は複雑でなく、むしろオーソドックスだ。でも、海や古い館を映し出すカメラアングルと照明設計が見事である。女同士のむずばれない愛を美しく絵画のように描いていてすばらしい。むしろ女性よりも男性が好む映画じゃないかな?
18世紀フランスのブルターニュ地方、ある伯爵夫人(ヴァレリア・ゴリノ)から、若い女性画家マリアンヌ(ノエミ・メルラン)は伯爵令嬢エロイーズ(アデル・エネル)がお見合いするための肖像画を描くことを依頼された。大西洋に浮かぶ孤島に、エロイーズが住む館があった。マリアンヌが小舟でやって来る。
肖像画を描くということは内緒で、散歩のお相手で短期に滞在という口実であった。5日間という約束で夫人は島を離れ、メイドのソフィ(ルアナ・バイラミ)と3人で広いお屋敷に住み、婦人が帰ってくるまでに肖像画を完成させることとなる。
エロイーズは気難しい女性だった。笑顔をみせない状況がつづいたが、時間を経るうちに親しみを感じてくれるようになる。エロイーズの動きを観察しながらこっそり隠れてマリアンヌが肖像画を完成させる。
伯爵夫人が戻ってきて見せる前に、まずはエロイーズ本人に確認してもらおうとする。しかし、自分の身分を明かし、絵を見せるとこれは気に入らないと拒絶される。落胆したマリアンヌはその時点で島を離れようとしたが、エロイーズからもう一度描いてくれといわれ、母親の貴婦人の承諾を経て島に残ることとなる。
今度は肖像画のモデルらしく、エロイーズは協力してくれる。エロイーズは笑顔を見せてくれるようになり、2人はこれまで以上に心が通じ合うようになる。やがて関係が徐々に一線を越えていくようになるのであるが。。。
1.2人の接近
肖像画を描くために島にきたのはマリアンヌがはじめてではなかった。以前は男性画家が来たことがあった。そのとき描いた肖像画には顔がなかった。肖像画を依頼されたマリアンヌには酷な依頼に思われた。修道院にいたエロイーズはこれまで心を許せる人物がいなかったのであろう。2人は徐々に接近を重ねていく。いったんは関係が終わってしまいそうだったが、改めて接近する。
途中まではきわどいシーンを連想させなかった。しかし、2人に性的欲求が生まれる。ノエミ・メルランとアデル・エネルがともにヌードをみせる熱演で2人の衝動を映像にみせてくれる。この映画の照明設計はすばらしく、美しく芸術的に表現する。ここでは令嬢エロイーズが豊潤に生えるワキ毛をみせるシーンがある。このエロさに思わずドキッとしてしまう。アデル・エネルの大胆さに目を奪われる。
2.18世紀の中絶事情
伯爵夫人が島を留守にした後でエロイーズとマリアンヌのお世話をするメイドのソフィが残って3人になる。あるとき、マリアンヌにソフィがいう。「生理が3ヶ月こないの」どうも妊娠してしまったようだ。当然望まぬ妊娠なので、中絶したい。海辺で走ったり、宙づりになったりしたあとで、お産婆さんらしき女性の元に行き中絶の処置をする。まさに18世紀の中絶手術だ。そのときのシーンで中絶するときにソフィの横に赤ちゃんが横たわって一緒に映るショットがある。不思議な気分になる。
3.音楽の使い方の巧みさ
音楽のない映画だ。島に荒々しく打ち寄せる波や風の音以外にあまり多くはないセリフがあるのみだ。これはこれでいい。そう思ったときにマリアンヌがハープシコードの元に行き、音楽を奏でる。音色を聴いていると、無造作に弾いている曲が徐々にヴィヴァルディの「四季」だということがわかる。これでエロイーズがはじめて笑みを浮かべマリアンヌと2人の関係が急激に接近する。
焚き火の粉が舞うなか、祭りに集う地元の女が清らかな歌声が響く。これが2つめの音楽だ。幻想的にマリアンヌとエロイーズを映す美しいシーンである。
結局この2曲と思ったときに最後にあっと驚くシーンをみせる。
さすがにそのときは自分の背筋に電流が走った。今年いちばんのエンディングかもしれない。