映画とライフデザイン

大好きな映画の感想、おいしい食べ物、本の話、素敵な街で感じたことなどつれづれなるままに歩きます。

イエスマン  ジム・キャリー

2009-11-09 20:54:19 | 映画(洋画 2006年以降主演男性)
ジムキャリーらしいコメディ小品。どんなことでも「イエス」といい続けるという話の内容が気になり観た。どうってことないが、うだつの上がらない男がある転機で変わっていく姿は興味深い。

ジムキャリーは銀行員。わずかな結婚生活で別れた女性がいたが、今は一人。前の妻への未練がある。新しい恋に進もうとしてもうまくいかない。銀行では融資の申込を受ける係だ。ほとんど「ダメ」といい続けている。そんな彼がひょんなきっかけで参加したのが、「YES」という言葉を言い続けていこうとする一種新興宗教じみた自己啓発セミナー。初めて参加した彼はその教祖のような男が話すことに、「NO」を連発するが、参加者は彼に対して「NO MAN」とつるし上げにしようとする。参加後も良いことがない彼は、きっと自分は「NO」といい続けているからダメなんだと感じて、方向変換を図りはじめる。そうすると今までと違ったことが起き始める。。。。

ジムキャリーの映画って不思議系の映画が多い。今回も同様である。「YES」といい続けることで、いろんなことが変わっていった。融資の申し込みも「拒絶」がほとんどだったのが、「受諾」するようになる。でもそれはほとんど小口で貸し倒れのリスクがないものがほとんどだと会社に究極的に評価される話はおもしろい。

できれば人生「受諾」で全ていきたいところだが、そうもいかないこともある。仕事でも相手のオーダーが予算とまったく一致しないことはしょっちゅうある。そういうときに「否定」から入るのか「肯定」から入るのかは難しい。商売の永遠の課題だと思う。それでもある程度は「肯定」から入るべきなのかをこの映画を観ながら感じた。

韓国語を習得したり、かなりリスクのあるアクションに挑戦したり体当たりの演技を見せるジムキャリーには脱帽

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中華の真髄

2009-11-08 07:34:46 | 食べもの
圓苑という店に行った。
上海料理である。香港が好きな自分としてはホームグランドは広東料理である。
そんな自分も季節を感じて食べに行った。

個人的には上海蟹はさほど好きではない。日本流で蟹を食べる方がよほど良いと思っている。季節になって食べてもさほどおいしくない。あんな蟹味噌でどうしてあんな金を取るのかいまだに判らない。それよりも蟹のメインは「酔蟹」である。紹興酒でつけてある蟹を食べるそれは見た目も食べ口もたいへんおいしい。珍味だ。

圓苑では、日本風に言うと「鳥の蒸し物」「酔っ払い蟹」「海老の上海風炒め物」「豚ばら肉の上海風料理」「上海かに」「瓜系の野菜」「鳩」などを食べた。
いずれも素晴らしい。絶品は「酔っ払い蟹」だ。11人で行ったのでその人数の割には皿の量は、少ないと思われたので2皿頼んだ。「上海かに」は面倒くさい。
「豚ばら肉の上海風」が写真の通りである。ラーメン屋のような卵がついている。それが実に良い。

お酒が進みすぎたかもしれない。おいしい青島ビールのあと紹興酒を相当飲んだ。
大好物の鳩を食べながら、「鳩山首相」の頭を食ってやろうと、まるごと食べた。景気よくなれ!と祈りながら。。。。
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11月にはいって

2009-11-06 22:15:54 | Weblog
昨日まで3日間家を留守にしていた。
11月2日も月初めであたふたしていて更新もままならず、今日から復活しよう。

先月も会社の方は今ひとつであった。
今日は朝から晩まで会議系で追われた。夕方は成績が上がらないせいもあって、今ひとつの面々を呼んで話をした。どこかピントがずれている気がする。
あるコンサルタントが言っていた。いきなり飛行機を操縦しろといわれて、操縦できる人はいない。やり方がわからないだけで悶々としている人にやれというだけでは無駄だとのこと。確かにそうだが、気を入れてやってもらわないと難しいことも多い。
現代の中国を見ると、コンプライアンスや環境汚染なんて概念は大多数の中国人にはまったく関係ない世界だ。ひたすら自分のことばかり考えて生きている。街の中は今でも歩道をバイクや時には車が走っている。しかし、そのすさまじいパワーは、アダムスミスの「見えざる手」にしたがって、経済発展につながっている気がする。中国は踊り場にいるとは思うが、経済発展はまだまだ続くであろう。恐れ知らずになれない萎縮している日本はますます衰える。がむしゃらさという世界が必要なのであろう。そうしているうちに多少やり方が間違っているときがあっても軌道修正するのではないか?
そんなことを考えていた。
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