毎年、元旦にはカトリック小金井教会のミサへ行きます。新年にあたって自分の罪を悔い改め、神の祝福を頂くのです。そして世界中の、特にイラクやアフガニスタンのような戦争地域の人々の為に平和をお祈りします。
今日はクリスマスから8日目で、生まれた赤子へイエスという名前を神がつけた日で、聖マリア様の祝日でもあります。ローマ法王、ベネディクト16世のイラクにおける平和のメッセージの朗読も聞きました。左の写真は司式して下さった主任司祭のディン神父様の写真です。昨年の11月に小金井教会の主任司祭として着任されました。
私はミサの間中、このディン神父様のきびしい生涯のことを考えていました。ベトナム戦争の中、神学校へ通っていました。共産軍の勝利で戦争が終わると一層過酷な統治が始まります。死線を乗り越え、船で海に逃れ、日本へ来たのです。通りがかった船に助けられるまでの間、彼はきっと希望を捨てなかったと信じています。神様がお望みなら地の果てまで逃れて、神父になろうと祈っていたに違いありません。
日本の難民収容所から日本のカトリック組織へ連絡し、東京大司教区の当時の白柳大司教が身元を引受けたと想像できます。それから日本語を習ったようです。完璧な日本語を話します。ベトナムの神学校でキリスト教の神学は習ったでしょうが、日本語でもう一度習う必要があったと思います。私共へ説教するためには神学を日本語で話す必要があります。
16世紀に禁教の嵐の吹き荒れる日本へ波濤万里の苦難を乗り越えて来日したイエズス会の神父さん達がいました。ディン神父様はベトナム戦争の過酷な試練を乗り越えて日本へ来たのです。神様がそのような方を日本へ送ってくださったのです。
私はディン神父様を見るたびに16世紀に日本で殉教したイエズス会の神父様を連想します。現在の日本は信仰の自由があるので、「殉教」はありません。
苦労をしたに相違ないのですがディン神父様は実に陽気で親切です。今朝もミサの後で、新年明けましておめでとうございますと言ったら、「ブログ更新していますか?」と笑いかけて下さいました。いつか個人的にお会いしてディン神父様のお話をお聞きしたいと思っています。ディン神父様はカトリック小金井教会の誇りです。
ディン神父さまへ神様の慈しみが豊かにありますようにお祈りいたします。(終り)