上の2枚の写真の左は1920年にポーランドで生まれ、12歳の時の写真で右はローマ法王当時の写真です。(2005年4月2日、84歳で旅立ちました)
このパウロ2世が福者に列せられる事がローマ法王、ベネディクト16世から正式に発表されました。福者とはカトリックの聖者の次の名誉称号であり、いずれ聖者になる可能性が大きいのです。
列福式は5月1日にバチカンのサンピエトロ広場で行う予定で、世界中から200万人の人が集まると予想されています。今日の読売新聞、7ページ目にこのニュースが報道されています。
パウロ2世が死後6年足らずで福者に列せられるのは異例のことで、如何に傑出した法王だったかの証です。
彼の偉大な功績は、何と言っても世界中を隅々まで、法王なのに巡礼のような旅をして各地の言葉でミサをたて、洗礼式や叙階式をした事です。これほどローマ法王が身近に感じ、親しく感じた事はありません。ポーランドの連帯代表のワルサさんに会いに行きポーランドの自由化を支援した事も忘れられません。
もう一つの偉大な功績は、いろいろな宗教間の和解運動を進めたことです。カトリック教会の過去の間違いにも謝罪しました。ガレリオの裁判も間違いだったと謝罪したのです。本当に温かい血の通ったローマ法王でした。
パウロ2世のお葬式へは世界中の国家元主が出席しましたが、日本政府からは首相クラスの人は出席しなかったのです。その事は宗教の問題を離れて国際政治の上で日本の立場を弱くしました。まあ、そんな俗っぽい事は忘れることにします。
やっぱりヨハネ・パウロ2世は偉大でした。傑出していました。熱い血の通った人でした。(終り)
浦上天主堂は250年のキリシタン弾圧の中で、「何時の日か、ローマのパパ様より、お使いが来る」ことを信じて、その迫害に耐えた天主堂であり、そして世界唯一の被爆天主堂でもある。信者は二重、三重の苦しみの中から、天主堂を守り続けて来た。
350年経過した今日、ローマからは、その使者ではなく、パパ様ご自身が「巡礼、司牧、平和の使者」として、私たちの天主堂を直接訪れてくださったのである。
私たち浦上信者にとって、これ以上の感激、喜びはない。
1981年2月25日、浦上天主堂で日本人神父の叙階ミサを司る
昭和56年2月25日午後6時、粉雪まじりの寒風が吹きつける浦上の丘に、信者の嬉しさに弾む心を表わすかのように、力強く嬉しそうに鳴り響く鐘の音に続いて、シスターや信者等の歓声と拍手の中、白いスータン姿の教皇様は何度も手を上げ、これにこたえられた。
天主堂中央の扉が開かれ、ビバ! パパ! の合唱と共に入堂された教皇様は、歓呼で迎える参列者一人一人の手を握り、満面に親愛の笑みをたたえながら祭壇へとゆっくり進まれた。
聖堂内は被叙階者家族、司教、司祭、シスター、浦上小教区の小・中学生、各小数区の信者等、約2,000人余の参列者で立錐の余地もない。
「皆さん、神聖な祭りを祝う前に、私たちの犯した罪を認めましょう。」……流暢な、声量あふれる力強い日本語に参列者一同感激した。
教皇様は日本語での説教の中で、「この叙階式は、私の日本での使徒的旅行の頂点をなすものです」と、訪日唯一の叙階式の意義を詳しく、ご説明になり、更に、「長崎の信者たちが200年以上も一人の神父もなしに、天主堂もなく、公の礼拝もないとう不利な条件にもかかわらず、あらゆる迫害に堪えて信仰を守り続けたこと。私は深い感動をもって、その普、大浦天主堂で、長崎に着いた宣教師と浦上信者等との出合いを思い出します」と、長崎の信者の信仰を称えられた。
なんとありがたい、身にあまる光栄でしょう。
私たちは、このお言葉を胸に刻みつけ、神の証し人として、もっともっと毎日の生活に、この教皇様のみこころを生かしていかねばならないと痛感した。(以下省略)
===上の文章と写真の出典:http://www1.odn.ne.jp/uracathe/kyoukou.htm ====
その他:2月26日、「長崎・殉教者記念ミサ」、5万7000人を前に教皇ミサ、76人の洗礼式を司式。
上の様な記述を転載する訳は、1月16日の掲載記事、「日本のカトリックの本山は長崎、浦上天主堂・・私が勝手にそう言うだけですが」 の理由を説明するためです。
ローマ法王は歴史上初めて日本を訪問したのです。東京にも来ました。天皇を公式訪問し、鈴木善幸首相とも会談しました。バチカン国の元首としての儀礼的な訪問は東京で全て済ませました。そのあとはパウロ2世は一介の巡礼者になって広島と長崎を巡礼したのです。全てのミサは努力して覚えた日本語でなさったのです。
ローマ法王が日本を訪問した事はキリスト教信者にとって感動的な出来事だったのです。
そして、その上パウロ2世は、日本人が宗教の為に殉教も辞さない気高い民族であった事を世界へ公に知らせる事になったのです。欧米諸国が日本人の勇気と宗教的誠実さを尊敬するようになったのは想像に難くありません。
私の愛国心の一部はこのような事実の積み重ねによって出来あがって来ました。決して工業技術レベルの高さや経済的発展だけが愛国心の源泉になっているのではないのです。この麗しい国、日本と呼ぶとき、私は長崎でのザビエルの訪日以来のさまざまな出来事を思い浮かべています。
皆様の愛国心の源泉は何でしょうか?お教え頂ければ嬉しく思います。
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人