いきなりで恐縮ですが下の2枚の写真をご覧下さい。上の写真は平成9年に郷土出版社から出た「八王子・日野の100年」という本の表紙です。下の写真はこの本の26ページと27ページに掲載されている写真を示しています。右端に土方歳三の写真があり左上には近藤勇が腕組みをして坐っています。その下に立って写っている男は山口清之助(左)と有山彦吉(右)です。ニューヨークで撮影した写真です。
この有山彦吉(右)の一生を偶然調べ始めましたが、その燃えるような事業慾に圧倒されました。日野村の地方実業家として活躍したのです。その様子が明治時代の熱気を感じさせます。明治時代の地方社会の雰囲気を直接感じるような気がします。そこで少し調べた結果を、写真の下に簡略な伝記としてご紹介したいと思います。
日野宿の有山彦吉が生まれたのは幕末の1961年でした。佐藤俊正の4男でしたが有山家へ婿に入り、明治20年、1887年、26歳の時、写真に一緒に写っている山口清之助(左)と一緒に渡米します。
有山彦吉は若い時から自由党に入り自由民権運動をしていましたが、やが実業家を目指し、渡米して貿易業を始めようとしたのです。しかし数か月後には帰国し、金融業へ転身し日野銀行を興し、その頭取になります。そして銀行家として成功しながら多摩川の砂利採取の権利を得、それが大きな利潤を生んだのです。当時は甲武鉄道の敷設や建築土台として砂利の需要が爆発的に有ったのです。有山彦吉所有の砂利採取会社の荷車や馬車が砂利を満載して長い列になって甲州街道を行来したそうです。
日野村有数の資産家で、山林や農地を広く所有していました。その後県会議員になるのです。当時、日野村は神奈川県だったので神奈川県の県会議員です。しかし有山彦吉は実業家でした。政治家としてはあまり成功しなかったようです。
明治時代の実業家と言えば岩崎弥太郎や渋沢栄一など、全国的に活躍した人だけを学校の歴史で習います。しかし全国の地方、地方にには有山彦吉のような故郷の興隆のために情熱を燃やした人々が沢山居たのです。文明開花で燃えていたのは東京だけではなかったのです。それが明治時代の地方の雰囲気でした。
日清戦争に勝ち、日露戦争に勝った明治時代に活躍し、第二次大戦のころは引退していたそうです
それは日本の激動の中を明治、大正、昭和と活き活きと活躍した地方実業家の一生でした。
先日、小金井公園にある江戸東京たてもの園の図書室で偶然家内が上の写真を見つけ、撮ってきて祖父の若い頃の姿だと説明してくれたのです。その後、「有山彦吉」を検索して見ました。ネット上に幾つか情報が存在しています。
老年になって地方史を調べるのも趣味の一つになりました。今日はその一例を書いて見ました。皆様の住んで居る地方地方の幕末から明治の頃の歴史を調べると興味深い物語を沢山発見されると思います。それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。
藤山杜人