後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

フォトアルバム「中古のヨットの見分け方写真集」と「山の中の小屋」へアクセスされた方々への感謝の辞

2011年01月07日 | 日記・エッセイ・コラム

フォトアルバム「中古のヨットの見分け方写真集」と「山の中の小屋」へアクセスされた方々へ:

遅ればせながら、新年明けましておめでとう御座います。

出来の悪いフォトアルバムへアクセスして下さった方々へ深く、深く感謝申し上げます。

お陰さまで開設以来のアクセス数が、17万5000件と5万2000件、合計22万7000件以上になりました。

今年も写真を更新して行きたいと思いますので、宜しくお願い申し上げます。

2011年 正月、七草の日に、藤山杜人


老境の怒りと悲しみ(1)使い捨て風潮へ対する怒り

2011年01月07日 | 日記・エッセイ・コラム

善い老人のふりをして、このブログでは格調高そうなことを多く書いて来ました。しかしそろそろ本音を書いてもよいのではないかと思います。老人になったお陰で感じる怒りや悲しみをシリーズ記事として連載してみたいと思います。

あまり深遠なことではありませんが、今日は酷く怒っています。食堂の電灯がソケットの接触不良で点かなくなりました。ドライバーを持ちだしてソケットを開けて見ました。中の真鍮の部品が折れています。早速ホームセンターへソケットを買いに行きます。ありません。店員さんに聞くとそのように古い型のソケットは売って居ませんと言います。どうしたら良いでしょうか?「この電球と傘ごとそっくり新品を買って、天井のところのジョイントへ差し込むと良いですよ」と言います。それが当然という雰囲気です。有難う。チョット考えてみますと礼儀正しく答えましたが、腹の中は怒りで煮えくりかりそうです。

電気器具の部品は次から次へと変化し、大部分が使い捨てになっています。その方が製造会社の利潤が大きくなるからです。仕方なくソケットに似た部品とスウィッチを買ってきて修理を済ませました。まだ怒りで手が震えています。

つい数週間前に山小屋の薪ストーブの煙突が壊れたので取り替え用の煙突の筒を東京のホームセンターで探しましたが見つかりません。あれは昔は置いていましたが、現在は置かないことにしました。と店員がすまして言います。東京には無いことが分かりました。

散々探したあげく地方の金物屋にあるのを見つけました。しかし安価なブリキ製の煙突筒は消えてしまい、高価なステンレス製ばかりです。若い女店員に聞くとブリキという言葉を知っていません。そうですか、そういうものが昔はあったのですか。と聞き返してくれます。ああ、年は取りたくないと悲しい思いをしました。

最近は電気製品でも機械製品でも全て修理をしません。故障したら新型のものを買い、古いのは捨て去るのです。怒りと悲しみが混じって不幸な思いが渦巻きます。

テレビだってそうです。なぜ地デジにして新しいデバイスを購入しなければいけないのか理解に苦しみます。切り替えが遅いと混んで出来なくなるとテレビの画面に脅迫文が出ます。昨年9月にJーCOMへ申し込んで対応措置は済ませました。しかし変換器がいろいろ付いて、操作も煩雑になりました。その事で毎日、テレビを見るたびに怒っています。操作が難しい事はその製品の完成度が悪いことを示しています。

いろいろな機能を付けても操作は簡単にする技術開発が遅れているのです。そして改良が進むと古い型の物は捨てるのです。携帯電話しかり。カメラも同じ運命です。

このような使い捨ての精神に怒りを感じます。丁寧に故障を直しながら何十年も使う文化が懐かしいです。

年をとった老人をも捨て去るのが当たり前のような風潮には悲しみを感じています。皆様はどのようにお考えでしょうか?

怒ってばかりいると短命になるので、下の様な風景を見て浩然の気を養っています。

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展覧会、「FLOWERS AND VESSELS」のご案内です

2011年01月07日 | うんちく・小ネタ

JR目黒駅下車、東口を出て、左の方向にある、素敵なギャラリーで下記の展覧会が明日から開催されます。謹んでご案内申し上げます。

2011年1月8日~10日
目黒 ギャラリーやさしい予感

「FLOWERS AND VESSELS」

RYAN FENCHEL & REIKO YAMASAKI


アメリカ在住のアーティスト、ライアン・フェンチェルのドローイング、立体と生け花のコラボ。1月最初の三連休です。
お時間がございましたら是非覗いてみて下さい。

DMはこちら。ギャラリーのサイトはこちら

FLOWERS AND VESSELS
GalleryA:1月8日(土)~10日(月) 生け花と陶芸アート
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RYAN FENCHEL
ライアンフェンチェル

REIKO YAMASAKI
山﨑礼子

新年最初の展覧会は生け花と現代アート陶芸のコラボレーションです。
年始めのお出かけに是非お立ち寄りください。


アメリカの人権外交の空虚さ・・・人権より食物の大事さ

2011年01月07日 | 日記・エッセイ・コラム

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アメリカ政府は人権の無視されている国々へ人権を守れと強要しています。一見立派な事のようですが、強要によってアメリカへ有利な譲歩を引き出そうとしているのです。人権を利用して利益を得ようとしているのが寒い光景を作っています。しかしそれも外交交渉のテク二ックの一つとして私は我慢しています。

今日は北朝鮮や中国の人々がこの人権という事を、そして人権外交をどの様に思っているか考えて見ましょう。まず人権外交という言葉は報道禁止される種類のものですので、人々は知りません。両国政府ともに人々が人権に目覚めることを恐れるので禁句です。中国大陸の歴史を見ると、交代する王朝の治世に上手に対応して、人々は自分の生活を楽しむ知恵を持っています。それこそが伝統的な文化遺産なのです。清朝が孫文、蒋介石、毛沢東、周恩来、鄧小平、胡錦濤と交代しても人々は微動だにしません。自分の生活を守る知恵を発揮するだけです。生活で一番大切なことは食べ物です。栄養価のある美味しい料理を食べる努力をするのが中国の文化なのです。人権は食べることが出来ません。従って一部の知識人以外はアメリカ流の人権には関心がありません。

もう一つ重大に考えるべき事は現在の中国人は国内の平和を非常に重要に考えていることです。1966年から1976年まで10年間続いた文化大革命という名前の凄惨な国内戦争の体験から政治の権力闘争を忌み嫌っています。人権闘争で政府に権力闘争が起きるくらいなら寝て暮らすほうが良いのです。国内に波風を立てることは本能的に一切消そうとしています。ですからこそ中国人は戦争前の日本人のように遮二無二に団結しようとしています。

ルースベネディクト流に言えば、中国人民の文化もアメリカ人民の文化に優劣がありません。しかし多くの日本人はアメリカ文化が中国文化より優れて居ると思い込んでいます。あなたは如何にお考えでしょうか?

ところで、人権は神様が人々へ与えた基本的な権利です。それを蹂躙するような国は尊敬出来ません。外交上のテクニックとして人権外交を使うのは疑問ですが、ノーベル賞委員会のような民間人組織が中国人に平和賞を与えるのは快挙です。人権の重要性は政府の権力によってではなく、民間人の情熱で伝えるものです。それは宗教の宣教と同じように慎重に、注意深く進めて行く必要があると信じています。中国人が人権に目覚めるのが一日でも早く来ますように祈っています。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人