中央高速多摩川橋の下に広い無料駐車場があります。今日はそこに車を停め、1.5km位上流の日野橋まで、遊歩道を歩きました。日野橋を過ぎると多摩モノレールの橋まで見えます。そこまで行って引き返しました。往復3・0km位です。途中で、旧、青柳村の貝殻坂を下りますが、そのあたりに江戸時代の万願寺の渡しがあったそうです。江戸時代は多摩川には橋が無く、櫓を漕いて舟で渡ったのです。旧甲州街道の道筋も随分と変わってしまって、現在の甲州街道とは違う所を通っていました。そんな事を偲びながら散歩して来ました。今日は家内は源氏物語の研究会に出掛けましたので一人で写真を撮って来ました。下に示します。つまらない写真ですが、皆様の散歩道の風景と比べながらお楽しみ頂ければ嬉しく思います。
このブログの1月23日に、軍事同盟国、ドイツは戦後、日本へ何をしてくれたか?という記事を掲載しました。それに対してJ182さんからコメントを頂きました。反対意見ですが、その内容が理路整然としていて感心しましたので以下に掲載いたします。
J182さん有難う御座いました。
=======J182さんからのコメント=============
ドイツのキリスト教徒が、日本の教会の支援をしたことで、なぜキリスト教徒でない日本人が戦後のドイツになにをしたかを問われ、負い目を感じるような表現に飛躍するのでしょうか。戦火にあった寺社仏閣を支援したというならまだしも、白人の先人が布教のため日本にできた教会を支援することは、キリスト教徒以外の日本人には関係ありません。支援を受けた日本のキリスト教徒が、それを返していけばいい話です。
またなぜ軍事同盟がいけないのでしょうか。憲法9条のもとでも、アメリカと軍事同盟を結ぶしかないのではありませんか。日独伊軍事同盟のことを言っておられるのでしょうか。親米英か親独か国論が分かれる中、リッペンドロップ主導のドイツの宣伝工作にも乗せられて国論は、親独へ傾いていきます。ヒトラーの「わが闘争(マインカンプ)」は日本でも翻訳され広く読まれます。生出寿著「最後の海軍大将井上成美」によると、海軍親英米条約派三羽烏と呼ばれた井上成美軍務局長は、原文を読み日本人を代表とするアジア人蔑視の箇所を敢て削除して邦訳していることを喝破し、ファシズムのいかがわしさを見ぬいています。もし原文どおり「わが闘争」を日本国民に知らせていたら、三国同盟はありえたでしょうか。ドイツ軍の技術指導のもと造られたトーチカとドイツ製の兵器を相手に、海軍特別陸戦隊が、上海事変を戦ったことを日本国民が知らされていたら、決してドイツと同盟など結ぼうとは思わないはずです。私が生まれる20年近く前、伯父は、この事変で敵迫撃砲により戦死しました。
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このコメントの内容は多くの人々の参考になると思います。
私の記事とこのコメントのどちらが正しいか、あるいはどちらが好きか嫌いかは読書の皆様へお任せいたします。
さてほんの少しだけ補足します。カトリック東京司教区は歴史的にはドイツよりもフランスの神父さん達によって強い支援を受けて来た教区でした。それなのに戦後ケルン教会が支援に入ったのにはいろいろな経緯があったのだろうと想像しています。その経緯も調べれば面白い事実が存在していると思っています。
さて軍事同盟の事について明快に書き直します。日独伊三国軍事同盟は結果論的には日本の敗戦の原因になったので歴史的には日本にとって失敗でしたと書きたかったのです。その他の世界中にある軍事同盟についてはその善悪を判断しても無力感を覚えるだけです。悲しい現実として受け入れざるをえないと言うのが多くの人々の理解ではないでしょうか?私もそのように理解しています。
さて以下はこのブログの全ての記事の底流にある考え方です。
「日本を低く見て、全ての外国を高く見る」という姿勢です。低く見るとは卑屈になるという事ではありません。どんな国でも自国の良いことを誇大に自慢する傾向があるものです。従って国際的な問題は日本がまず謙虚になる方が良いと信じています。このブログでは、韓国や中国のことを褒め過ぎる傾向があります。しかし私は日本が一番好きです。日本を誇りに思っています。そんな姿勢でドイツの事も描きました。恩返しをするドイツ人と書きました。しかしそれはドイツ人の極く限られた少数であると思います。しかし国際友好とは少数の善意ある人々が重要な役割を果たすものと信じています。信じたいのです。
今回ここにご紹介しましたJ182さんのコメントのような反論や批判はこのブログの内容をより深く、より豊かにするので大歓迎です。どうぞこのようなコメントをお送り下さい。
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人