イエス様は罪深い私共を等しく愛して下さいます。従って我々も隣人を愛します。汝の敵をも愛します。自分も他人も、敵でさえ同じように平等に愛しなさいと教えています。
我々もイエス様も、神をも愛します。全身全霊をつくして愛しています。
先日、お釈迦様の教える「慈悲」という言葉の意味を調べて見ました。Wikipedeaの「慈悲」の項目に以下に様な説明がありました。
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慈悲とは仏教用語で、他の生命に対して自他怨親のない平等な気持ちを持つことをいう。一般的な日本語としては、目下の相手に対する「あわれみ、憐憫」の気持ちを表現する場合に用いられる。
慈悲と並べて使用されるが、本来は慈(いつくしみ)、悲(あわれみ)と、別々の単語である。「慈悲」は(仏教用語として)一般に、「慈しみ」と「憐れみ」を区別せずに両方を含んだ意味で使われ、あまり厳密ではない。
アビダルマ教学においては、厳密に「慈・悲・喜・捨」(じ・ひ・き・しゃ)に分別され、四無量心、四梵住とも呼ばれる。
- 慈 - 「慈しみ」、相手の幸福を望む心。
- 悲- 「憐れみ」、苦しみを除いてあげたいと思う心。
- 喜 - 「随喜」、相手の幸福を共に喜ぶ心。
- 捨- 「落ち着き」、相手に対する平静で落ち着いた心。
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このブログで、最近、誰にも愛されたことの無い不幸な人? という記事を掲載しました。この記事の底にはお釈迦様の慈悲の心やイエス様の愛の心が流れているのです。どんなに極悪非道で、孤独な人でもお釈迦様やイエス様は大切に思ってくれます。慈悲を下さいます。愛して下さいます。ですから誰にも愛されない孤独な人は絶対に居ないのです。この世には存在しないのです。
その事を書きたくて掲載した記事が、誰にも愛されたことの無い不幸な人? です。
しかし宗教的な事は峻別して書いたので分かりにくかったと思います。両方を通して再読して頂ければ嬉しく思います。2つの記事を合わせて完成するような構成にしました。如何でしょうか。ご意見を頂ければ感謝いたします。
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人