後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

カモメ達と戯れてきました

2011年01月13日 | 写真

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霞ヶ浦の西北の岸辺でカモメ達とたわむれて来ました。今日は白鳥達は私の相手をしてくれませんでした。実はコンビニで子供用の菓子を買っていったのでカモメが私の回りに群がって飛んでいるのです。菓子を空中に放り上げると、素早くくちばしで捕まえます。白鳥はお菓子が嫌いらしくて、足元にやってもも見向きもしません。カモ類も興味を示しません。カモメの下でハト達がおこぼれを拾って食べていました。


お釈迦様の教える慈悲とはイエス様の教える愛と似ているようです

2011年01月13日 | 日記・エッセイ・コラム

イエス様は罪深い私共を等しく愛して下さいます。従って我々も隣人を愛します。汝の敵をも愛します。自分も他人も、敵でさえ同じように平等に愛しなさいと教えています。

我々もイエス様も、神をも愛します。全身全霊をつくして愛しています。

先日、お釈迦様の教える「慈悲」という言葉の意味を調べて見ました。Wikipedeaの「慈悲」の項目に以下に様な説明がありました。

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慈悲とは仏教用語で、他の生命に対して自他怨親のない平等な気持ちを持つことをいう。一般的な日本語としては、目下の相手に対する「あわれみ、憐憫」の気持ちを表現する場合に用いられる。

慈悲と並べて使用されるが、本来は慈(いつくしみ)、悲(あわれみ)と、別々の単語である。「慈悲」は(仏教用語として)一般に、「慈しみ」と「憐れみ」を区別せずに両方を含んだ意味で使われ、あまり厳密ではない。

アビダルマ教学においては、厳密に「慈・悲・喜・捨」(じ・ひ・き・しゃ)に分別され、四無量心四梵住とも呼ばれる。

  • 慈 - 「慈しみ」、相手の幸福を望む心。
  • 悲- 「憐れみ」、苦しみを除いてあげたいと思う心。
  • 喜 - 「随喜」、相手の幸福を共に喜ぶ心。
  • 捨- 「落ち着き」、相手に対する平静で落ち着いた心。

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このブログで、最近、誰にも愛されたことの無い不幸な人? という記事を掲載しました。この記事の底にはお釈迦様の慈悲の心やイエス様の愛の心が流れているのです。どんなに極悪非道で、孤独な人でもお釈迦様やイエス様は大切に思ってくれます。慈悲を下さいます。愛して下さいます。ですから誰にも愛されない孤独な人は絶対に居ないのです。この世には存在しないのです。

その事を書きたくて掲載した記事が、誰にも愛されたことの無い不幸な人? です。

しかし宗教的な事は峻別して書いたので分かりにくかったと思います。両方を通して再読して頂ければ嬉しく思います。2つの記事を合わせて完成するような構成にしました。如何でしょうか。ご意見を頂ければ感謝いたします。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人

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