後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

宗派の違うキリスト教信者が一緒に神へ祈りました

2011年01月30日 | 日記・エッセイ・コラム

私は宗派間の違いや争いに心を痛めていました。宗派間の争いはあってはならないものです。イエス様も悲しみます。

そこで一昨年から色々なプロテスタント系の教会やロシア正教系の教会も訪問して見ました。そして自分の行っているカトリックの教会と比較して見ました。

そこで重要な発見をしました。どんな宗派でも一番大切にしているのはイエス様の教えを書いた福音書です。それは感動的なまでに共通しているのです。違いはたった一つです。礼拝式やミサの仕方の細部が少しずつ違うのです。

小金井市にある宗派の違う11の教会が一緒に集まって神へ祈る祈祷会をしようという運動が日本キリスト教団系の教会に生まれ、次第にその運動が大きくなって行ったそうです。そして昨年の1月31日に第一回の小金井市一致祈祷会が実施されました。その具体的な推進には日本キリスト教団の小金井教会の丸山牧師様とカトリック小金井教会の前の主任司祭の山本神父様でしたと、今日の司式をなさった宮川浩二牧師様からご紹介がありました。

その第一回の共同祈祷会の様子は昨年の1月31日にこのブログで、キリスト教の宗派間の争いはありませんと題して掲載しました。

今日の午後2時30分から東京フリー・メソジスト小金井教会で第二回の小金井市一致祈祷会が開催されました。

参加したのは小金井市にある11の教会の司祭さん、牧師さん、一般信者です。フリーメソジスト教会は以前何度か訪問した頃より立派になり礼拝堂も綺麗になりました。祈祷会はフリーメソジスト教会の宮川浩二牧師様の司式でした。祈祷会は普通の礼拝式のような式次第です。

はじめに全員が立って讃美歌493番、「いつくしみ深い」を歌います。

いつくしみ深い 友なるイエスは うれいも 罪をも ぬぐい去られる。

なやみ 苦しみを かくさず のべて、重荷の すべてを み手に ゆだねよ。

全員が情熱的な声で歌い出しました。私は何故か感動して、涙が出そうになり、声が止まってしまいました。こんなに一生懸命に一般信者が讃美歌を歌うのを聞いた事があまり無かったのです。それは宗派を超えて一緒に祈祷会をする喜びに溢れているのです。宗派間の争いに心を痛めて居た人々が一瞬にして癒されたのです。実を言うと何故私が涙の出るほど感動したか今でも理解出来ません。何時かその原因が分かったらまた書いてご報告します。

祈祷会の後は礼拝堂の2階の広間に上がって茶話会をしました。初めて会う人々と何故か楽しく雑談をして帰って来ました。下の写真はフリー・メソジスト小金井教会の建物と、その次の写真は茶話会でご挨拶をする我らがディン神父様です。一番下の写真は昨年の第一回共同祈祷会の様子です。司式しているのが前の主任司祭の山本神父様です。宗教的な話で失礼しました。宗教にご関心の無い方々のご寛容をお願い申し上げます。(終り)

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江戸、明治、昭和と日本の家はこんなに大きく変わりました

2011年01月30日 | 写真

東京都立小金井公園の一角に「江戸、東京たてもの園」という家々の屋外展示場があります。何度も見に行きましたが行く度に展示してある家が増えています。展示の内様も充実しています。

江戸時代から明治、昭和と時代が移るにしたがって家の材質や構造がどのように変化したかが明快に分かるように展示してあります。

江戸時代の農家から始まって、商店と住宅を兼用した東京の商店街の家、勤人の住む郊外の住宅などなど時代順に、そして住人の職業別に展示してあります。

明治維新以来の日本の住宅の変化の大きさに驚きます。そして現在の住宅に比較すると、昔の家の貧しさに胸が痛みます。材料が質素で、小さな間取りなのです。商店では居住部分が狭いのです。しかしそんな事とは別に、当時の人々が懸命に生きていた息吹が感じられます。江戸幕府が明治維新によって終焉し、やがて時代は明治、大正、昭和、平成とめまぐるしく変わって行きます。戦争もありました。そんな社会の風潮を想像しながら家を見て回ると興味が尽きません。

昨日、撮った写真3枚と、「江戸、東京たてもの園」のHPから転載したいろいろな家の写真をご紹介いたします。是非、一度お出掛けになってみて下さい。

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私のゴッドファーザーへの追憶と感謝

2011年01月30日 | 日記・エッセイ・コラム

30年以上前、アメリカ映画の名作といわれる「ゴッドファーザー」が日本でも公開されました。音楽も哀愁にみち、美しいメロディーなので有名になった作品です。家族を愛し、友人を信じるイタリア系マフィヤの親分の悲しみと怒りを描いた名作です。

ゴッドファーザーとはカトリックの洗礼を受けるときの後見人であり、洗礼を受ける人が男なら代父、女なら代母といいます。ですから、ゴッドファーザーとはこの代父のことを意味します。

1971にカトリック立川教会で塚本金明神父様から洗礼を受けました。私のゴッドファーザーは山本大二郎先生でした。家内のゴッドマザーは教会で神父様の生活の世話をしていらした荒垣さんの奥様でした。

代父になって頂いた山本大二郎先生はある有名な大学の化学の教授でした。1975年までの3年間、立川教会で日曜日毎にお会いしました。いつも変わらぬ温顔で、「お元気ですか?」とお声をかけて下さいました。

1975年、小金井にも教会が出来て立川へは行かなくなりました、それから30年近く年賀状を頂きました。年賀状には毎年必ず多摩山地の珍しい山野草の花の写真がついていて楽しいものでした。毎年その年賀状を頂くのが楽しみで、家内と一緒によく話をしました。もう亡くなって何年にもなりますが、私の心の中には山本先生のニコニコとしたお顔が生きて住んでいます。

今から11年程前に、カトリック小金井教会へ新しい主任司祭様が赴任して来ました。驚いた事にその神父様は私のゴッドファーザーの山本大二郎先生のご子息の山本量太郎神父さんでした。毎日曜、神父様の説教を聞きながら代父のことを追想していました。

家内の代母の夫の新垣氏は沖縄出身の作曲の才がある方です。カトリックの本部へ転勤になった後、数多くの作曲をし、宗教音楽の世界で活動をしています。日曜日毎に歌われる聖歌のなかに時々新垣さんの作った曲が混じっています。歌うたびに立川でお会いした若々しく、新婚夫婦のようだった夫妻の様子を思い出します。心の中では人間は年を取らないものです。

今日はこれからミサへ行きます。私のゴットファーザーの為にお祈りをしてきたいと思っています。

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今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人