後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

冬木立ちの中の散歩道の写真をお送りいたします

2011年01月10日 | 写真

小平市で整備している玉川上水沿いの散歩道です。昨日、往復4kmほど歩いてきました。裸の梢が寒い風に震えています。家内は例によって先に立って歩いたり、走ったりして暑い暑いなどと言っておりました。写真だけですがお楽しみ頂ければ嬉しく思います。

002_2 010 012


老境の怒りと悲しみ(2)乱れる日本語、文学の不毛

2011年01月10日 | 日記・エッセイ・コラム

最近、言葉の乱雑な使い方が平気で流行しています。テレビを見て居ると気が付きますが、男も女も同じ言葉を話し、敬語や丁寧語は消えてしまったようです。お脳の弱い美人タレントが美味しいものを試食する度に、「やわらかーい!アマーイ!」という言葉だけを連呼しています。永平寺のゴマ豆腐は柔らかいに決まっています。それに砂糖たっぷりの小豆餡をかけてあるのですから甘いのは当たり前です。他にもっと表現のしようが無いのでしょうか?

そうかと思うと、美味しいものを食べると、「ヤバイ、超ヤバイ」と連呼します。ヤバイとは最近は素晴らしいという意味に変わっています。昔は都合が悪い事や、困った事が起きた時、ヤバイと独り呟いたものです。

何か説明をし、納得すると男も女も、「そーなんだ!」と言います。昔、男は、「そうでしたか。分かりました」と言い、女は、「そうでしたの。わかりましたわ。」と語尾が違っていました。現在は美しい女言葉は消えてしまったのです。男女平等の結果です。

その上外来語の不愉快な略語を無神経に使っています。デパ地下、地デジ、デジカメ、携帯、などなどは言葉の本来の意味を無視して、単に短くした不愉快千万な言葉です。そこには知性のかけらさえ有りません。長い言葉は理由があって長いのです。その理由を完全に無視して短くしてしまう文化風潮に寒々しい思いをします。

インターネットの普及はもう一つ文化的な破壊をもたらしました。書き言葉と話し言葉を区別する文化が消えつつあります。家族、友人同士の会話をそのまま書きます。昔は話し言葉を書く時には会話の内容を整理して、分かり易く、そして美しい書き言葉にしてから書いたものです。

こんな時代なのに美しい日本語を保存しようといる人がいます。このブログの推薦したいブログとして、mikaさんのkotodamaをご紹介しています。そのkotodama別館という欄に朗読が沢山詰まったブログです。美しい日本語の響きをお聞きになりたい方は、http://koto-dama.cocolog-nifty.com/blog/で朗読をお聞き下さい。

このように言葉が衰退した時代は文学作品を貧弱にします。その上、社会が豊かになり平板化した日本では傑作が生まれません。最近の芥川賞受賞作品のつまらなさは酷いものです。古くから選考委員をしていた人があまりにもレベルの低い候補作品に幻滅して選考委員を辞めたそうです。

と、以上のように書いて居ますが、実は言葉の変化は何時の時代でも起きるものです。文学作品の性格も時代とともにどんどん変化して行きます。私が老化して、その変化へついて行けなくなっただけかも知れません。そんな変化へ理由の無い怒りを感じているのは悲しいものです。老いの悲しさです。元気が出るように下の写真を眺めています。心が静かになります。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人

020_2