忙しく仕事をしている現役の間は、友情の有難さなどを深く考えませんでした。引退して自分の人生を振り返って見ますと友情が貴重な宝のように思います。それに気が付かなかった自分の愚かさに愕然とします。
アメリカ人のジムと初めて会ったのは1960年の9月でした。オハイオ州立大学の大学院に入学した時、同じクラスにジムがいました。痩せて背の高い、もの静かな男です。私は英語の講義が分からないで苦労しましたが、ジムが助けてくれます。今日の講義の内容はこの本のここに書いてありますとか、明後日は試験があるから準備するようにと助けてくれます。努力家で夜遅くまで実験室にこもって研究に没頭しています。私の実験装置も彼のそばに作りました。作るためには機械工場やガラス細工工場の職人さんと仲良くなり手伝って貰う必要があるのです。その橋渡しをしてくれたのはジムです。
翌年、家内を日本からよんで結婚式や披露宴をしましたが、その折もジムと奥さんのウィディーは世話をしてくれました。少し落ち着くと、ジムとウィディーは4人の幼子を連れて私共の家に遊びに来てくれました。それ以来、ジム一家とは家族同士の付き合いが始まりました。兎に角、性格が優しくて、根気があって何事もやり遂げるのです。難しい実験をいつの間にか成功させてしまうのです。
オハイオでのPh.Dを取るための勉強は非常に厳しいものでした。その厳しさを共に通り抜けたので、ジムとは古い戦友のような親しみを現在でも感じています。
アメリカの学位授与式はCommencementと言い、学長が一人一人へ学位記を手渡す荘重な式典です。
ジムはその後、シカゴの近郊にある国立研究所に就職し、一生そこで働きました。私は東京に帰りましたがその後も彼とは付き合っていました。アメリカで学会がある時は少し回り道をして彼の家に泊りに行ったりしました。彼の趣味は釣りです。大きなモーターボートを車で牽引してミシガン湖に降ろし、一緒に釣りをしました。バスが沢山釣れて、帰宅後、すぐにムニエルにしてジムとウィディーと3人で美味しく食べました。その全ての情景を鮮明に覚えています。
ジムの釣りの趣味はかなりなものです。休暇になるとアラスカへ行き、大きな鱒や鮭を釣るのです。13年前に引退してからはアラスカのガルフ・ショアへ引っ越して本格的に釣りを楽しんでいます。毎年のクリスマスカードと共にその年に釣った大物の写真が同封してあります。
最近のクリスマスカードでは2人の曾孫が出来たと、嬉しい知らせが書いてありました。
彼の友情を思う時、私は頭を垂れて終生、感謝している事が一つあります。それは私が専門書を出版するときジムが原稿の英語の間違いを徹底的に直してくれた事です。勿論、無償で、それも迅速に訂正後の原稿を送り返してくれたのです。
1960年に知り合ってから51年になります。彼の友情はその間変わりませんでした。
ジムとウィディーに感謝しながら私の人生が終りに近づいている事に深い満足しています。不思議な体験です。有難い体験です。
下の写真はジムと私の実験装置が1960年にあったオハイオ州立大学のLord Hall です。実験室は一階で右手の樹木の向こう側にありました。懐かしいです。(終り)