後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

男・女のことなど、その四・・・ジムの友情

2011年01月29日 | 日記・エッセイ・コラム

忙しく仕事をしている現役の間は、友情の有難さなどを深く考えませんでした。引退して自分の人生を振り返って見ますと友情が貴重な宝のように思います。それに気が付かなかった自分の愚かさに愕然とします。

アメリカ人のジムと初めて会ったのは1960年の9月でした。オハイオ州立大学の大学院に入学した時、同じクラスにジムがいました。痩せて背の高い、もの静かな男です。私は英語の講義が分からないで苦労しましたが、ジムが助けてくれます。今日の講義の内容はこの本のここに書いてありますとか、明後日は試験があるから準備するようにと助けてくれます。努力家で夜遅くまで実験室にこもって研究に没頭しています。私の実験装置も彼のそばに作りました。作るためには機械工場やガラス細工工場の職人さんと仲良くなり手伝って貰う必要があるのです。その橋渡しをしてくれたのはジムです。

翌年、家内を日本からよんで結婚式や披露宴をしましたが、その折もジムと奥さんのウィディーは世話をしてくれました。少し落ち着くと、ジムとウィディーは4人の幼子を連れて私共の家に遊びに来てくれました。それ以来、ジム一家とは家族同士の付き合いが始まりました。兎に角、性格が優しくて、根気があって何事もやり遂げるのです。難しい実験をいつの間にか成功させてしまうのです。

オハイオでのPh.Dを取るための勉強は非常に厳しいものでした。その厳しさを共に通り抜けたので、ジムとは古い戦友のような親しみを現在でも感じています。

アメリカの学位授与式はCommencementと言い、学長が一人一人へ学位記を手渡す荘重な式典です。

ジムはその後、シカゴの近郊にある国立研究所に就職し、一生そこで働きました。私は東京に帰りましたがその後も彼とは付き合っていました。アメリカで学会がある時は少し回り道をして彼の家に泊りに行ったりしました。彼の趣味は釣りです。大きなモーターボートを車で牽引してミシガン湖に降ろし、一緒に釣りをしました。バスが沢山釣れて、帰宅後、すぐにムニエルにしてジムとウィディーと3人で美味しく食べました。その全ての情景を鮮明に覚えています。

ジムの釣りの趣味はかなりなものです。休暇になるとアラスカへ行き、大きな鱒や鮭を釣るのです。13年前に引退してからはアラスカのガルフ・ショアへ引っ越して本格的に釣りを楽しんでいます。毎年のクリスマスカードと共にその年に釣った大物の写真が同封してあります。

最近のクリスマスカードでは2人の曾孫が出来たと、嬉しい知らせが書いてありました。

彼の友情を思う時、私は頭を垂れて終生、感謝している事が一つあります。それは私が専門書を出版するときジムが原稿の英語の間違いを徹底的に直してくれた事です。勿論、無償で、それも迅速に訂正後の原稿を送り返してくれたのです。

1960年に知り合ってから51年になります。彼の友情はその間変わりませんでした。

ジムとウィディーに感謝しながら私の人生が終りに近づいている事に深い満足しています。不思議な体験です。有難い体験です。

下の写真はジムと私の実験装置が1960年にあったオハイオ州立大学のLord Hall です。実験室は一階で右手の樹木の向こう側にありました。懐かしいです。(終り)

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武蔵御嶽神社と高尾山薬王院の特別展示

2011年01月29日 | 写真

江戸から一番近い山岳宗教の拠点は武蔵御嶽神社と高尾山薬王院です。現在の御岳と高尾山は東京の人々のハイキングコースとして、何時行っても多くの人が歩いています。そこにある御嶽神社と薬王院も参拝者で賑わっています。両方とも奈良時代に行基によって創建されたと言い伝えられています。特に江戸時代は庶民の参拝者が多かった様子が絵本などに残っています。幕府も数十石の知行を与えて支援してきました。この神社と薬王院に残る種々の古文書や絵本、仏画などが展示してありました。期間は1月15日から4月10日迄です。御岳山や高尾山に登った方々はきっとご興味があると思い、ご案内いたしました。下の写真は展示会場の様子です。

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今日の散歩の風景・・・小金井公園の梅林

2011年01月29日 | 写真

もう来週は2月に入ります。ローバイや梅の花も満開になります。そんな事を思いつつ小金井公園の梅林へ行きました。その後で、江戸東京たてもの園をゆっくり散歩して来ました。武蔵御嶽神社と高尾山薬王院の特別展示もあったのでそれも見て来ました。この記事に続いてそれらの写真もお送り致します。毎度、同じような写真で恐縮です。

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このブログは詰まらないと徹底的に非難されました

2011年01月29日 | 日記・エッセイ・コラム

中学生の男の孫がこのブログを見て居ます。有難いと、心温まる思いをしています。

ところが彼が、「このブログの文章、特に写真は詰まらない!」と何度も批判します。何時もは野球の練習で忙しく話も出来ませんが、今朝は珍しく暇らしく、何故詰まらないか幾つも理由を言ってくれました。

(1)毎度、毎度、同じような散歩の風景の写真を繰り返し掲載するのは実につまらない。

(2)その風景写真はただ写しているだけで考えが足りない。

(3)文章は単純で、いつも同じ調子だ。

どれも痛いところを突かれました。悔しくなって反論しましたが論争は負けてしまいました。それでも毎日400件くらいもアクセス数があるんだと自慢したら鼻先で笑われてしまいました。その上、僕が手本の写真を撮ってあげると言います。

その写真を下に示します。テーマが2つあるそうです。一番上の写真は今年の冬の寒さを描いたものだそうです。水盤の氷が厚く張っているので竹トンボを差し込んでも立っている様子を写し、厳寒ぶりを表現しているそうです。

その下の3枚は巨人が子供を手の平の上に乗せたり、指でつまんでいる様子を写真に撮ってあるそうです。最後の一枚は巨人の大きな足の向こうに小人がたっている写真です。

じじ馬鹿な 記事で恐縮です。ご免なさい。

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学校で国歌を唱うのは当然!国旗も掲揚すべし!

2011年01月29日 | 日記・エッセイ・コラム

昨日、裁判所で判決があり学校で国家を歌い、国旗を掲揚するのは憲法違反ではないと言う結論が出ました。

何故、国家や国旗が裁判沙汰になるか皆様ご存知なのでっしょうか?国歌の歌詞が天皇を讃えているから反対というのです。その発想は、戦後一貫して天皇制へ反対して来た共産党の影響を受けた日教組系の教員が訴訟を起こして何年間も係争を続けているのです。

学校を政治的闘争の現場にしているのは共産党が学校を政治闘争に利用しているのです。その結果、子供たちへ日本の天皇制は悪いと理解させているのです。

「君が世は、千代に八千代に、さざれ石の、巌となりて、苔のむすまで」これだけの歌詞です。君が世とは、天皇様の世の事ですから天皇の時代の永久に安泰なことを願う歌詞なのです。天皇は日本のシンボルなのです。ですから天皇の安泰は日本という国家が安泰である必要があります。そのように考えると何も学校で政治闘争をする程の問題では無いのは明白です。

天皇制に反対する政党が存在する事は自由です。大いに反対すれば良いのです。しかし生徒を巻き添えにしてはいけません。

日教組系の教員が政治的な運動をすれば、学校を管理している教育委員会が国歌へ反対する教員を処分をするようになるのは必然です。

昨日の判決で教育員会が国歌に反対した教員を処分するのは合憲という決定をしました。こんな問題で学校の現場を荒らす日教組系の教員は本当に正しいのでしょうか?

国旗はもっと多くの場所に掲揚した方が良いとおもいます。

天皇陛下万歳と叫んで死んで行った兵士の新聞記事や、国旗が出征のとき振られたいた光景を見た私でさえ反対しません。天皇や国旗は狂った軍部が利用しただけで、天皇や国旗が悪いのではありません。もう少し合理的に考えて頂きたいと思います。自分の国を大切に思う。愛する。それが日本では弱過ぎると感じて居る一老人の感想でした。

今日も皆様のご健康と平和をお祈り致します。藤山杜人