私は50歳で小型ヨットスクールへ通い免許を取り、53歳の時、琵琶湖へ行ってヤマハ19という中古のクルーザーを初めて購入しました。水郷汽船(株)経営の霞ヶ浦マリーナへ陸送しました。
ヨットをクレーンで吊って水に入れてくれたのがSTさんです。それ以来、23年間、STさんにお世話になったのです。
優しい性格でいつも笑顔を絶やさずヨットの修理の仕方や扱い方を根気よく教えてくれました。ヨットのことは何でも知って居て、全てを教えてくれます。霞ケ浦マリーナでの係留を止め、茨城県管理の係留地へヨットを動かした後でも変わらず親切にしてくれました。水漏れを直してくれたり、エンジンの調整をしてくれたり、セイルの特注を受けてくれたり、何でもしてくれました。
ヤマハ19に10年乗り、少し大きな中古ヨットへ買い変える時もSTさんが見つけてくれました。その上、古いヤマハ19を引き取ってくれました。買い変えた26フィートのアメリカ艇に現在まで13年も乗り続けています。
私が安心してヨットの趣味を続けられたのは、このSTさんのお陰です。
霞ヶ浦マリーナはその後、経営者が変わり、京成マリーナになり現在はラクス・マリーナと言います。経営者が変わってもSTさんがマリーナにとって絶対に必要な人なので変わりません。
私は時々用も無いのに彼を訪ねて少しだけおしゃべりをして来ます。
昨日も寄って見ました。不在でした。マリーナを散歩していたら23年前のいろいろな事が思い出しました。旧懐の情やみがたく思い出を楽しんできました。
初めてクルーザーを係留したとき隣に下の写真のような2本マストの大きな木造艇が係留してありました。STさんはすぐに持ち主のKさんを紹介してくれて、夜のビールパーティに呼んでくれました。
この船は本当に大きくて前部に寝室とトイレ、後ろの部屋はパーティ用のテーブルがあり、隅に流し、料理台、食器棚、冷蔵庫がついています。桟橋から100ボルトの電源と水道を船の中に取り込んでありました。マホガニーの艶のある室内で明るい電灯の下、数人が冷蔵庫で冷えたビールを飲みながら、談笑を楽しむことが出来ます。隅の料理台の上ではKさんがツマミに簡単な料理を作ってくれます。
パーティが終われば隣の自分のヨットに帰り、寝てしまえば良いのです。KさんはSTさんを尊敬し、パーティの時は必ず招待していました。私も数回、そのパーティへ呼んで頂きました。そして私の艇へ来ては丁寧にセイリングの事を幾度も教えてくれました。
そんなお付き合いが2年ほど続きましたが、ある時Kさんが忽然と消えてしまったのです。STさんに聞くと、返事に困ったような顔をします。何か深い訳がありそうです。それ以来、私はSTさんへKさんの話は一切しません。人生にはそんな事もあると思い、楽しかった光景だけを胸にしまいこんでいます。
昨日、そのKさんの大型ヨットが係留してあった所に下の様な28フィートのヨットが係留しているのを見つけました。独りの老人がエンジンの調整をしています。ヒョットしてKさんではと思い、帽子をとって背後から丁寧に挨拶をしました。別人です。しかし何故か昔からの知り合いの様な気分になり、ヨットの中に入れて貰い話しこんでしまいました。
マストを倒し、低い橋の下を何箇所もくぐり抜けて銚子に出て、大島までセイリングをした体験を楽しそうに話してくれます。つい長居をし過ぎたようです。気が付くと真冬の陽が傾き、冷たい風が沖の方から吹き付けてきます。お邪魔した失礼を詫びて岸へ上がり、帰ってきました。
このように用も無いのにマリーナを散歩するのは、長い間お世話になったSTさんのことを考え、そして楽しかったいろいろな場面を思い出すからです。
それにしてもSTさんには長い間お世話になったものです。彼はまだ50歳台ですが、私はヨットが出来なくなる年齢に近づいています。STさんへ感謝しながらお別れなければなりません。STさん、本当に有難う御座いました。(終り)