月日の流れは速いものです。もう来月は師走。クリスマス、大晦日が近づき今年も暮れようとしています。しかし3年6ケ月前の夏山の花々の姿が心に焼き付いて離れません。
特に印象深い花々を見てしまったのです。そして翌年には切り倒されて見る事も出来なくなったネムノキの夢見るような花が忘れられません。
毎年、冬になると思い出す夏山の光景です。
山梨県北杜市の武川町の山林の中の小屋の付近で2008年の7月に撮ったものです。下の写真がネムノキの花です。大木ですが回りの電柱や電線が邪魔して、満開の大きなネムノキの全体が撮りにくく、カメラアングルに苦労しましたことを思い出しています。
下の写真は小屋の付近の雑木林の中に咲いていたウワズミサクラです。花の咲いていないときは地味な葉だけなので雑木林に溶け込んで目立ちません。この木もその後見ません。誰かが取って行ったようです。
下の写真は野生の藤の花です。野生の藤は他の木に絡まり梢まで登って行きます。それでも足りず、隣の木の梢へ渡り、幹にからまり、枯らしてしまいます。翌年は少し横に這って新しい木の幹を登ります。下の写真は2、3年した野生の藤のように見えます。お転婆な老妻があちこち駆け回って撮りました。
下の写真は山林の中に住み着いている鬼家雅雄さんから鉢ごと頂いたクリンソウです。頂いたときはまだ小さな苗でしたが東京へ持ち帰り庭の樹蔭に置き、水をやり、育てましたところ7月に下の写真のように咲きました。控え目の静かに咲いている様子が日本サクラソウに似ていて可憐です。
この3年前のクリンソウも庭の土に合わないのか消えて無くなりました。
残ったのは写真と私の思い出だけになりました。
このような夏の花々の写真をもう一度見ていると季節の移ろいの早さに驚きます。そして自然界の無常さにも心が痛みます。
これらの写真を撮ったときの回りの風景を昨日のように思い出しますが、あれから3年6ケ月も時が流れてしまいました。趣味を楽しんだり、国内旅行へいったり平穏な日々でした。
皆様はこの横濱の山下公園の写真をご覧になって何を感じられますか?都会のあちこちによくある公園の風景です。
これを見て、私は大きな喜びを感じます。地面に紙屑が一つも落ちていない、その清潔さに吃驚しているのです。人々が決して紙屑を捨てないのです。公徳心が高いのです。
道路も駅も公衆トイレも清潔です。どんな地方の村に行っても全てが完全に清掃され、清潔です。このような国に住んでいる私はしみじみと幸福感を味わっています。こんな時代は日本には無かったのではないかと思っています。もっとも後で書くように戦国時代に来たイエズス会の神父は日本の清潔さに驚いていましたが。
しかし人々の公徳心は一朝一夕に高くなったのではありません。終戦後の混乱期の話は古すぎるので止します。しかし1960年にアメリカへ留学したとき受けた大きなショックを忘れる事が出来ません。彼らの公徳心の高さに打ちのめされたのです。道路も公園も紙屑一つ有りません。当時の日本の公共の場所はゴミや紙屑が一杯でした。人々が勝手に捨てるのです。とくに観光地はゴミの山で、それが当たり前の事だったのです。車の窓からはポイポイとタバコの吸い殻を捨てます。
若く単純だった私は戦争に勝つ国は公徳心が高いものだと吃驚し、純粋に感動しました。
その後、日本人の公徳心は2度大きく上がりました。一度目は1964年のオリンピックから高度成長期です。外国人観光客を大いに呼び込むためにも道路や駅や公衆トイレを清潔にしました。しかしそれは他国の人々を意識した公徳心で、本物ではありません。本物の高徳心が一気に育ったのは1990年のバブル経済の崩壊後です。経済成長が止まった日本人は自信を失うのです。しかし間もなく人々は経済成長だけを目標に生きる愚かさに気がつきます。人生観が多様化します。そして成長神話にとりつかれ足元をみる暇のなかった生き方を反省するのです。
その結果はいろいろな形で現れました。抽象的な言い方で恐縮ですが、日本人が内省的になり、人間らしく生き始めたのです。文化の質が変化したのです。
公共の場所を清潔にするのは自分の心の平和の為にするようになりました。外国から来る観光客の為にするのではありません。
このような公徳心の高い時代は明治維新以来初めての事と思います。
日本の歴史上で最高の時代とは言えませんが最良の時代の一つではないでしょうか?戦国時代にフランシコ・ザビエルとともに来たイエズス会の神父がその本部へ送った書簡で、日本人の公徳心の高さを絶賛しています。日本のどんな片田舎へ行っても道にはゴミが無く掃き清めてある。家家の周りや庭先も整理整頓され乱雑さや不潔感が感じられない。それ以前に通ってきた東南アジアの国々とはまったく違うと報告しています。
誤解を恐れずに断言すれば、公徳心の高低こそが文化の高さを決めているのです。私はこのような時代に日本に生きていることを誇りに思っています。最高に幸せだと思っています。
このように幸せに思う理由はもう一つあります。豊かな食生活に恵まれている事です。
例えば1970年と現在の2010年の間の様変わりを見てみましょう。
当時は経済の高度成長が始まったばかりで、都会と地方の生活レベルに大きな差がありました。都会にはスーパーマーケットが有りましたが、その規模は小さくアメリカと比較するとみすぼらしいものでした。そしてファミリーレストランやマグドナルドやケンタッキーフライドチキンのようなファストフードの店は有りませんでした。街には質素な食堂がありました。ソバ、ウドン、丼物だけでした。店の中も小さく、暗く、テーブルも粗末でした。
人々は毎日自宅で食事をし、弁当を持って職場へ通いました。私も妻の作る弁当を毎日持って通ったものです。1970年当時の食生活は単純でした。朝はコーヒーにトーストと目玉焼き。昼の弁当は米のご飯に梅干し、そして野菜、魚か肉のおかずが隅についています。夜はご飯に味噌汁、そして魚、時々肉料理です。外食はめったにしませんでした。出張で旅に出る時は地方の町にある食堂ですませます。兎に角、ご飯を沢山食べました。
40年後の現在はどうでしょうか?弁当を持って職場へ行く人は非常に少なくなり、外食が普通です。ファミリーレストランがそこかしこに有ります。家庭の主婦も幼児連れで食べています。老人夫婦も昼食はレストランで食べる人が多いのです。その上、レストランの種類が豊富です。和食、寿司、天麩羅専門店、ウナギ屋、イタリアンにフレンチ、中華料理店、韓国料理にタイ料理、こだわりのラーメン専門店、何でもあります。
レストランが増えただけでありません。美味しい食材が世界中から安く入ってきます。品質の良い食材です。1969年に私はドイツへ行き、1年間住みました。ドイツに行って一番驚いたことは卵とソーセージの美味しいことでした。日本の鶏卵は大きいのですが味が魚臭くて淡泊過ぎて不味いものでした。ソーセージは形は同じものが有りましたが品質が劣悪で、まずい代物でした。その上、魚肉ソーセージというものも横行していたのです。ドイツの野菜や果物は形は悪いのですが、味が鮮烈で感動しました。ドイツへ行って食品の美味しいことに感動した思い出があります。
現在は日本の食品の質も上がり、美味です。食べ物の量だけでなく味が洗練され、大げさに言えば文化の香りさえします。それを私のような一般庶民が毎日楽しめる時代になったのです。下の写真は今回、木曽の御岳の中腹の質素な旅館で出た飛騨牛をメインにした夕食のお膳です。この写真の他に、刺身、天麩羅、鮎の塩焼き、蒸し物、などなどが時間をおいて出て来たのです。その豊かさと美味に感動しました。戦後のことを思い出したのです。
このような時代は日本の歴史の中に無かったと断言しても反対する人は居ないと信じています。食生活の事を考えると現在は天国のようです。特に戦前、戦後のひどい食料難を通ってきた高齢の日本人にとっては夢のような世界です。このような国に育て上げてくれたいろいろな立場の人々へ感謝します。
私が最近、戦没画学生の残した絵画を時々掲載しているのには深い理由があります。このうように豊かな日本になったのは貴方がたのお陰です。どうぞ天上からこの日本を見降ろして楽しんで下さいという鎮魂のためです。そしてもう一つは、自分自身がこの最良の時代の日本に生きて居る幸せを骨身に沁みて忘れないようにするためです。忘れなければ感謝の気持ちが自然に湧いて来ます。毎日が幸福感で満たされます。(終り)
今年の夏は電力不足で停電が起きるとさんざん脅かされて来ました。暑い日に冷房を切ったり、停電にそなえてローソクの準備をしたり、何か異常な雰囲気でした。
しかし東京電力の供給可能な発電量は毎日、5200万キロワット前後を推移し、一方毎日の電力消費量は4700万キロワット前後でした。供給可能な発電量は毎日の電力消費量を15%から20%も上回っていたのです。勿論それには電力使用量制限の規制と節電の効果があったのです。
この夏の経験から人々は福島第一原発はもともと不必要だったという事を実感したのです。
「原発が完全に無くても日本はやって行ける」とい考えほど電力会社にとって怖いものはありません。原発は開発費を政府が支払ってくれるので収益性が抜群に良いのです。今回のような水素爆発が起きない限りは大変儲かる発電方法なのです。
ところが今年の夏の実績は、福島原発の不要性をはっきりと示してしまったのです。少しコストは余分にかかりますが火力発電だけで十分なのです。
その証拠には下に示す東京電力の水力発電能力の899万キロワットと火力発電能力の3819万キロワットを加算して見て下さい。899プラス3819はイコール4718万キロワットです。
皆様、是非、驚いて下さい。4718万キロワットは今年の夏の東京電力管内の最大消費電力とほぼ同じなのです。
簡単に言ってしまえば原子力発電所がまったく存在していなくても良かったのです。
このように書くと東京電力の専門化が大声を上げます。「何も分かっていない素人は黙れ!」と叫ぶのです。そしてクドクドと言うのです。火力発電と言っても石炭火力もあるし重油ボイラーを用いた旧式のものもあるし、天然ガスを燃料にした発電所もあるし問題は素人の考えるより複雑なのですと弁解するのです。そして火力発電所は古い施設も多く稼働率が低いので原発がどうしても必要なのです。と原発の必要性をクドクド言います。そして原発をやめたら電気料金が上がると脅かすのです。
私は確信しています。原発の建設費用を老朽化した火力発電所の改良に回し、その発電量を増加する方が安くつくと信じています。
その上、電気料金が一割や二割高くなっても原発を止める方向へ動いて行くなら大賛成です。
東京電力は人々がこのような考えになることを恐れているのです。
さて皆様はどのようなご意見をお持ちでしょうか?
火力発電による炭酸ガスの総量を抑える技術も発展すると思います。そのことに関して以前、以下のような記事を掲載しました。ご参照くだされば幸いです。
日本は原子力発電を止められるか否か(3)日本の石炭火力発電所を見直そう!
磯子石炭火力発電所の先端技術を外国へ輸出すると13億トンの炭酸ガスが削減出来るのです!
火力発電所から出る多量の炭酸ガスを浄化する「二酸化炭素回収・貯留技術」の紹介
そして下には磯子火力発電所の2枚の写真と、
参考資料として東京電力の火力発電所の一覧表を示します。右側の写真は火力発電所の排煙浄化設備です。
============================
それはそれとして、今日も皆さまのご健康と平和をお祈り申し上げます。
後藤和弘
東京電力の火力発電所の一覧表
(1)水力発電所
160箇所、898.7万kW
(2)火力発電所
25箇所、3,818.9万kW(緊急設置電源、関連会社経営の発電所を除く)
発電所名
使用燃料
総出力
所在地
備考
380万kW
6号機建設中、440万kW予定。
石炭
100万kW
発電所名
使用燃料
総出力
所在地
備考
380万kW
6号機建設中、440万kW予定。
石炭
100万kW