時代の流れは激流のようにいろいろなものを押し流して行きます。私の生きた昭和もすでに遠くなり、霧のかなたへ消えてゆくような気がいたします。
それではいけないと思い、昨日は旧甲州街道の面影をもとめて府中という古い町をさまよい歩いて見ました。昭和、明治をとび越して、江戸時代の旧甲州街道の面影を探す小さな旅でしす。
府中は律令国家の武蔵野国の都として江戸幕府が出来るまで1000年近くも多摩川流域の中心地として栄えたのです。古い時代の中山道が後に鎌倉街道と名前を変え、南北に通っていました。江戸時代になりそれと直角に交叉する甲州街道が作られたのです。下の写真がその交差点で、江戸時代には高札場になっていました。
この写真の奥の方向が甲州で、手前方向が江戸です。鎌倉街道はこの写真の5m手前を左右に交叉しています。左が鎌倉で、右が国分寺、そして川越へ続きます。
この場所に屋根のついた高札板が掲げられ、江戸幕府の掟や指示、そして罪人の罪状などが書かれていたそうです。
後ろの柵の中が大国魂神社のお神輿の旅所です。お神輿の休憩所です。
この交差点の東側に大国魂神社があります。大和朝廷の成立以前からあった大きな神社で賑やかな集落があったのです。その理由でこの場所が律令国家の武蔵野国の都になったと言われています。
下に大国魂神社の拝殿の写真をしめします。
大国魂神社の大鳥居の前から外を見たのが下の写真で左右に伸びているのが旧甲州街道です。右が江戸、左が甲州です。
向こうのケヤキ並木は、鎌倉幕府を開いた源頼朝の祖先、源頼義・義家父子が1065年頃に作ったものです。その右には伊勢丹という大きなデパートがあり、左側の商店も近代的になってしまって江戸時代の面影は一切ありません。そこでもう一度鎌倉街道と甲州街道の交差点の高札場へ戻って、古い感じの店を探して写真を撮ることにしました。
旧甲州街道に沿って古い感じの店はたった2軒しか見つけることが出来ません。ひとつは幕末に創業された酒店で、もう一つは大国魂神社の右側に隣接してある紙専門店でした。店内の写真を気持ちよく撮らせてくれました。
4枚の写真のうち上の二枚をクリックして、拡大してご覧下さい。
太い電柱と電線が写っています。大きな高層マンションが古い店を押しつぶしそうです。
私は本当にガッカリしました。いつも美しい風景写真を撮ろうとすると高圧線があるのです。それを支える巨大な鉄塔があるのです。それを避けて撮ると写真の構図が決まりません。
昨日も府中の旧甲州街道の面影を撮ろうとして苦労しました。電柱と電線とマンションが画面に入らないようにするのに苦労するのです。
結論です。江戸時代の面影を探すという感傷趣味は止めるべきです。文明開花の時代です。新幹線が走り、原子力発電の時代なのです。電線はどんどん太くなり、空に這いまわります。
美的感覚など完全に無視なのです。冷房も暖房も炊事も全て電気が便利なのです。便利が神様です。コンピューターやインターネットが神様です。その力には逆らえません。
時代はどんどん凄い勢いで変わります。人々の考えかたも変わります。お釈迦さまの教えた「無常」です。その当時、お釈迦さまの生きていた時代もどんどん変わったに違いありません。この世は変わるのが当然なのです。変わるからこそこの世なのです。
そんな他愛も無いことを思い浮かべながらすっかり昔の面影が消えてしまった府中の町を散歩して来ました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。
後藤和弘(藤山杜人)