唐突ですが、まず下の数馬の里の写真をご覧下さい。美しい山里の風景のように見えます。しかし昨日久しぶりに行って胸が痛む思いをしました。営業している宿はこの「たから荘」だけで周りの民宿は戸締りして何年も閉鎖している様子です。
あんなに繁盛していた数馬の里も時代に取り残されて寂れ行く運命にあるようです。
日本人が本音で好む観光地の内容が時代とともにどんどん変わって行くのです。
何故か淋しくなり、この上のほうにある三頭山荘と兜屋の様子を見に行きました。流石にこの二軒だけは営業はしていました。しかし建物の手入れが悪く、心が痛み、写真を撮る事が出来ません。お客の気配もありません。仕方無く兜屋の看板の写真だけを撮りました。繁盛していた時代の勢いを示す大看板です。
日本人の観光地へ期待する本音は時代とともに変わって行くのです。古いものはさびれ、新しいものが栄えるのです。人の心に鎖をつけて留め置くことは不可能なのです。
これと全く同じように人々の原発再開に対する本音も時間の経過とともにどんどん変わって行きます。経済発展のためにはそろそろ原発をまた再開しても良いのではありませんか?本音でそのように思う人が増えて来たようです。これだけの大爆発と放射能の被害が出たのだから、原発を再開しても、もう二度とこんなことは無いでしょう。これも人々の本音です。原発の津波対策も進んでいると「思う」ので再開し、再び停電の無いようにして下さい。これも本音です。
消費税についても人々の本音が変わって来ました。「ギリシャのように国家破産の危険性があるのなら、そろそろ消費税を上げた方が良いと思います。これも本音です。なにせ日本が破産すれば自分が持っている国債が紙くずになるのです。
日本の国家財政の破産を防ぐためにはその他の増税もどんどんした方が良いと思います。これも本音です。
普天間基地問題に関する本音もアメリカの強い反発でどんどん変わって行きます。自由民主党がアメリカと取り交わした移転方針通りどんどん実施すれば良いのです。これも本音です。
新聞は本音を書きません。格好の良い建前論だけを書きます。それを悪いと非難しません。新聞とはそのような宿命を背負っているのですから。
人々の本音は時代とともにどんどん変わるのが自然なのです。しかし時代と共に絶対に変わらない本音もあります。家族愛がその例です。他民族を支配したいという本音もあります。戦争を好む本音もあります。それらについて書いて行けばきりがありません。
それにしても、「原発反対!」、「消費税反対!」、「普天間基地移転反対!」と叫ぶ虚しさをどうすれば良いのでしょうか?
昨日、寂れ行く桧原村の数馬の里の写真を撮りながら感じた事を書いて見ました。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。
後藤和弘(藤山杜人)