国家によって束縛されると書きましたが、もう少し正確に言えば中央省庁の官僚達と政権与党の政治達と言い替えることが出来ます。要するに国益というあいまいな概念を振り回して権益拡大を活動目的にしている人々のことです。そのような人々を非難しているのではありません。私共が無意識に影響を受け、束縛されているのです。その事を静かに考えてみたいと思います。
今回の「国家によって束縛される私共の考え方や人生観」と題する連載記事では権力者が私共の考え方を束縛している様子を幾つかの例を示しながら明らかにして行きたいと思います。
第一回のこの記事では外国に住んで見て感じた事を書いてみたいと思います。
個人的な経験ですが、私は家族と一緒にアメリカとドイツに住んでいたことがあります。この時家族と一緒ということがその国のいろいろな側面を知る上で非常に重要だったと思います。
まず驚いた事はアメリカでもドイツでも人々の考え方が日本と非常に違う事です。そしてアメリカとドイツの間も非常に違うのです。
1962年から64年に住んだアメリカは日本で観念的に考えていた自由と平等の国ではなかったのです。自由と平等は人生の勝者だけの間にあったのです。負け組の白人と黒人は差別され苦難の人生を送っていたのです。彼等はそれが当たり前の人生だと考えていたようです。すくなくともキング牧師が活躍するまでは。
もう一つ驚いた事は白人も黒人も徴兵制度に賛成し、愛国心に燃えていたことです。
世界を制覇してアメリカがローマ帝国のようになる事を望み、またそれを信じていたのです。当時の最大の敵は共産主義のソ連圏と中国でした。当時はイスラム圏はアメリカの敵ではなかったのです。
その後の歴史展開は皆さまご存知の通りです。
さて一方、西ドイツには1969年から1970年にかけて住んでいました。住んでみるとドイツ人の考え方はあまりにもアメリカと違います。彼等はアメリカの自由と平等など絵空事と笑い飛ばします。そして何事においても伝統を重視し、伝統的な考え方で問題を解決しようとします。解決しない場合に初めて自由な考え方をします。
人生観や職業観においても中世の親方(マイスター)を尊敬する徒弟制度が背景にあります。ですから一生の間、職業を変えず、可能なら子供に継がせようとします。
その上宗教改革の折に起きた30年戦争の話題を好んでします。そしてドイツという国家は昔の幾つかの王国の連合体のような考え方をします。その考え方は日本の人の国家観と非常に違います。
私共の住んでいたシュツットガルトは昔シュバーベン王国でした。そこの新聞の空き家の広告を見ると、「借り手はシュバーベン人に限る」という条件が付いているのです。そこで私は研究所のシュバーベン人を連れて行って、保証人になって家を借りた経験があります。
アメリカでは黒人は別にして誰にでもアパートを貸していました。
ドイツは日本と組んで第二次世界大戦を戦いました。それはドイツの国家方針でした。その昔の国家方針の影響で日本人に親切にする人が多かったのも吃驚ものでした。ある時、夜のパリーの通りで酔ったドイツ人にお前は日本人かとドイツ語で聞かれたことがあります。ドイツ語でそうですと答えると途端に喜んでフランス人は英語を知っているくせにフランス語だけを使うけしからん連中だと愚痴るのです。そして最後は日本と組んでもう一度戦争をやろうぜと険呑な台詞を吐いて消えて行きました。彼の心の中には昔のドイツ帝国の国家の考え方が影響していたのです。
これから何回かに別けて、国家の意思や方針が人々の考え方や人生観に深い影響を与え、束縛している事を出来るだけ明らかにして行きたいと思います。
下に、一番初めに外国体験をしたオハイオ州立大学の金属工学科の建物の写真を示します。個人的な思い出の写真で済みません。
それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)