後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

別荘は絶対に持ちません・・・あくまでも小屋にこだわっています

2011年11月24日 | 日記・エッセイ・コラム

別荘は絶対に持ちません。粗末な小屋は持っています。この違いが分からない人が多いので往生しています。

詰まらない私の道徳観が贅沢は敵ですと叫んでいるのです。戦争中に少年だった私は、「贅沢は敵だ!パーマネントは止めましょう!欲しがりません(米英に)勝つまでは!」と面白半分、叫びながら遊んでいました。戦後、パーマネントは解禁になりましたが、贅沢は長い間してはいけないという道徳が存在していたのです。

若い頃、ストックホルムの工科大学へ集中講義に行った時スエーデンの人々が質素な夏の小屋を島に持っているのを見ました。そこへ招待されたこともあります。キャンプ生活と同じような泊り方をするのです。要するに別荘と言う概念からひどくかけ離れた小屋なのです。これなら私の道徳観にも合格です。帰国してすぐ、1973年に甲斐駒の麓に小屋を作りました。

別荘ではないので当時は電気も水道もガスもありません。現在は電気だけは引きましたが。その小屋の表と裏の写真を下に示します。

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いかがでしょうか?皆様の持っている別荘のイメージとはかけ離れた小屋ですね。その南と北側の樹木の様子を下に示します

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いわゆる別荘地ではないので眺望は悪いのです。

100 しかしこの小屋には唯一自慢できる贅沢があります。それは庭の中を年中水の枯れない小川が流れ岩魚が棲んでいることです。左の写真でその様子を示します。

昼間は明るい太陽の光を浴びながらこの小川と遊んでいます。

川岸の落ち葉を掃除したり川床に綺麗な砂を広げたりして飽きずに遊んでいます。小さな木の橋を作って回遊しながら散歩できるように小道を繋ぎます。

そんな事をしていると晩秋の夕方は急に暗くなります。そして窓の外は漆黒の闇にになります。小川の向こう岸に灯したガーデン灯が心細く光っています。その様子を下の写真で示します。

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闇夜の空を見上げると星が木々の梢の間に輝いています。

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外はあまりにも寒いのですぐに室内に入り、上のような薪ストーブを燃やしながらビールをゆっくり飲みます。そして薪ストーブで煮た赤い鍋のビーフシチューの肉が柔らかくなったら夕食にします。近所のスーパーから買って来た焼き立てのパンと一緒に食べます。

食後は勝沼の有機栽培で作ったブドウの新酒を飽きずに飲みます。

本を読んでいると小川の水音だけがして、夜が更けて行きます。

夜ふかしはせずに10時には東京から車に積んで持ってきた布団を敷いて寝てしまいます。

夜は冷えるので電気ストーブをつけたまま寝ます。

朝目が覚めて、薪ストーブを燃やしてから東の窓の鎧戸を開けます。

丁度、下の写真のように太陽が上がってきて、部屋の中が明るくなります。

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そして又新しい日が始まるのです。何十年通っても同じようなことの繰り返しですが、実は季節によって、そしてその日の天候によって決して同じではないのです。自然の息使いは微妙に変化し、その変化こそが楽しいのです。山小屋で一夜を明かす事は決して楽ではありません。辛いのです。しかしそれを我慢して朝日を見た時の感動が良いのです。太陽の有難味が身に沁みます。

小屋の生活の必需品は薪ストーブと室内に設置した「流し」と水洗トイレです。これを私は3種の神器と思っています。

水は小川に流れていますが、飲むと枯葉の味がして不味いのです。白州の名水を汲んで来てコーヒーを淹れます。

この小屋に一泊するとヘトヘトになって帰宅します。兎に角生活が厳しいのです。その厳しさがあるからこそ楽しさが倍加するのです。この点こそ安逸な生活が出来る別荘とは決定的に違うのです。

この違いをご理解して頂くために説明したのです。しかし考えて見るとそんな詰まらない違いにこだわる私はまだまだこの世に執着している証拠です。困ったものです。次回に山林の小屋の記事を書く時はこの執着心を卒業するつもりです(乞うご期待!)。しかし別荘と小屋の違いがあるのも良いものですね。(終り)


晩秋の山里の風景(5)別荘を取り囲む紅葉の樹林

2011年11月24日 | 写真

都会の人が農村に行くと、そこの人々の暮らしぶりに興味が湧いてきます。そのような場合には水田が有るか無いかを観察します。水田が出来る土地の農家は昔から豊かな生活をしています。白い壁の土蔵や白壁の塀があります。母屋も瓦葺です。

ところが台地で水掃けが良すぎる土地では水田が出来ないので畑作だけになります。この場合も土地が黒土か赤土かで明暗が分かれます。黒土なら野菜や果物がよく実り収入も大きいのです。赤土の全てがそうとは限りませんが、土が痩せていてトーモロコシやサツマイモくらいしか出来ません。

もっとやせている時は肥料を充分に撒いて牧草を育てます。牧畜をするのです。牧草地は観光客が見て楽しいものですが、牧畜はリスクの大きい作業らしく、ところどころに廃業した畜舎が散在しています。

そのような牧畜地帯は一般に眺望も開け、別荘地として好まれます。

ですから牧畜をしている地域のある農村には大小さまざまな別荘が立っています。

経営の困難な牧場の片隅を都会の人が買って別荘を立てるのです。牧場の人も助かるので歓迎します。そのような別荘地が北杜市の八ヶ岳の山麓に沢山あります。

紅葉の樹林に囲まれた様子が美しかったので下に写真をご紹介いたします。

11月21日と22日に撮って来た写真です。

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・上の2軒の別荘は明らかに牧場地の隅を買って作ったような場所にありました。前は広々した牧草地です。

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・牧草地に続く雑木林の中には上のような道が出来ていました。そこを入って行くと下のような別荘がありました。

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・この別荘には人が定住している様子でした。都会にも家があり行ったり来たりしているのかもしれませんが。

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・この別荘は私の小屋の隣にあります。持ち主のNKさんとは30年以上のお付き合いで、よくお酒を一緒に飲んだものです。一昨年に急病で亡くなりました。私より年下でしたのでショックを受けました。気持ちのサッパリした好男子でした。その後は息子さん一家が時々泊りに来ます。息子さん一家とは丁寧に挨拶はしますが親しく話をしません。それが何故か亡くなったNKさんへ忠義を尽くすような気分なのです。私の考えは間違っているでしょうか?

詰まらない老人の独りごとでした。失礼します。(終り)


豊かな地方の生活レベル・・・その大津波被災地との落差に心が痛む

2011年11月24日 | 日記・エッセイ・コラム

この11月もあと1週間で終わり、あわただしく師走がやって来ます。

10月末に26年打ち込んでいたヨットの趣味を完全に止めてしまったので時間が余ります。そこで山林の中の小屋に3回も泊りに行きました。近辺は今が盛りの紅葉が見事です。小屋の回りの落ち葉の掃除もしないで、車を走らせ遊び回ってきました。

その時改めて気がついたのですが山梨県の農村地帯の生活が実に豊かなのです。家々が新築や改装されています。ゴミ一つ落ちていない舗装道路が紅葉の雑木林の中を縦横に走っています。村落が静かに広がっていて人々はあくせくしていません。農家の庭先には綺麗な車が2台置いてあります。下にそのような村落の写真をしめします。北杜市の花水地区です。

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このの後ろの山を登ると下のような牧草地が広がっています。写真の奥の方に牧畜農家が見えます。

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このような家々に住んでいる人はどのような食生活をしているのでしょうか?上の家々から車で10分から15分の所に白州町道の駅の大型売店とスーパーの「食彩館エブリ」があります。スーパーの方には朝9時から近辺の農家の人々が買い物に集まってきます。全国から取り寄せた鮮魚の部門が人気の中心です。珍しい貝類や活きの良い魚が廉価で売っているのです。肉類も、香り豊かな信州牛や地元の良質な豚や鶏を売っています。もちろんアメリカ産やオーストラリア産のより廉価なステーキ用の肉も並んでいます。朝らかに農家のおばさんやおじさんがカゴ一杯買物をしています。果物も全国のものが豊富に集められています。

食生活に関しては東京以上に新鮮で種類が多く、廉価なものを買って生活しているのです。

私が小屋に泊りに行く時、以前は東京から食料を車に積んで行きました。しかし最近では現地の「食彩館エブリ」で買って揃えています。

特に震災以来、東北地方の魚や果物を意識的に選んで買っています。魚は三陸産のサンマや秋田のハタハタ、ワカサギなどを買いました。最近、工場が復興したのか東北地方の笹かまぼこやオデンの種が揃っています。

そのような東北産の物を見る度に大津波で流されてしまった岩手、宮城、福島、茨城の海岸よりの町々のことを考えています。人々の落胆がすこしでも復興の方へ心が向くようにと祈らざるを得ません。

昨夜もNHKのテレビで三陸、高田町の地元の酒蔵を復興させて「酔仙」という銘柄の酒を復活させる努力を丁寧に紹介していました。さきの大津波で酒造工場が一切流されてしまったのです。まだ若い杜氏頭も波にさらわれて、現在は自宅の仏壇の中です。

残った酒造メーカーの社長と杜氏達が山の中の古い工場を借りて必死の努力で新酒を作ったのです。その新酒の瓶を社長が亡くなった杜氏頭の家に届けます。

年老いた父が仏壇の息子の写真の前に「新酒」を供えます。「今夜は息子と一緒に静かに飲みます」と言っていました。

被災地の人々も支え合って生きています。日本全国の多くの人々も間接的にではありますが、被災地の人々と支え合って生きています。

豊かな山梨県の農村地帯を見るたびに大津波の災害を受けた地方のことを遥かに偲んでいます。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)