40年余、お付き合いのあった近所の老婦人が先月92歳で旅立って行きました。最後までキラキラ輝いていて魅力的な方でした。
旅立の日から1ケ月になりますが、いつも思い出されます。女性が年をとっても美しく輝くのは何故かと考え続けています。
自宅から出棺のとき、その美しいお顔の周りに家内と一緒に沢山の花々を入れました。私は白い大きなユリの花を3本入れましたが、とても足りないような気分でした。そこで今日は思いきって、上と下の写真で千本、いや1万本以上のユリの花々をお供え致します。
このようなユリの花のイメージを連想させる老婦人でした。その連想のせいで輝いて美しく感じたのかも知れません。
どんな女性でも老いれば容色が衰えます。しかし美しい、女らしい精神の灯を燃やし続ければ何時までも魅力的な女性であるのです。
このような言葉は良く聞きます。よく読みます。しかし美しい、女らしい精神の灯とはどんなものでしょうか?
もっと分かりやすく書かないと誰にも判りません。判然としません。そこで旅立ったその方を偲びながら具体的に書いて見たいと思います。
彼女とは散歩の途中の軽い挨拶からお付き合いが始まりました。家内の文学の会に30年余も通っていました。家内はしばしば彼女の様子を話していました。彼女の事は家内の好きな話題だったのです。良い意味で。
家内は知的で上品なその方が大好きのようでした。私は家内の話を通して彼女をとても親しく感じていました。
よく旅行に行ってはおみやげを私の家へ届けてくれました。私が玄関に出ると綺麗な、丁寧な言葉で話します。
帰ったあといつもああ、美しい女(ひと)と話が出来て良かったと思ったものです。電話にたまたま私が出ると、優しく挨拶します。70歳や80歳だったと思いますが、美しい女(ひと)だったのです。不思議でした。
そこで理屈っぽい私は分析をしたのです。何故、年老いても美しく輝けるのかを。
それは少女のような恥じらいの気持ちを持つことです。新婚時代の夫へ対する気持ちを持ち続けることです。
いつまでも好奇心が強く美術関係の展覧会や音楽会へ出かけるのです。本を読みます。旅行もよくします。旅に出れば女らしいお土産をかならず買って、届けてくれるのです。
自宅の庭には花々を絶やしません。ご家族で長く外国に住んで居たと聞きました。知り合ってすぐに家内と何度か自宅へ招んでくれたのでご主人とも話し合ったことがあります。物静かで思慮深い感じの方でした。しかし数年後に亡くなってしまいました。
彼女は西日本のある町の大きな酒蔵のお嬢さんとして育ちました。ご主人との間には一人娘がいて、孫娘が2人、ひ孫が4人います。良い家族に囲まれていつもニコニコしていました。
特に感動的だったことは一人娘の夫、、、お婿さんが献身的に彼女のお世話をしていたことです。車椅子の彼女を旅行へ何度も連れて行くのです。家内の文学会への送り迎えの車もお婿さんが運転します。
それは献身的な親孝行です。他人から見れば「献身的」に見えたのかも知れません。しかし私は彼女の魅力がそうさせたのだと思っています。
そのお婿さんが若くして昨年ガンで逝ってしまったのです。そして彼女は今年、お婿さんを追うようにあわただしく旅立ってしまったのです。
近所が急に淋しくなりました。残念です。悲しいです。
ゆりの花々の写真をお供えしてご冥福をお祈り致します。どうぞやすらかにおやすみください。近所の私も家内とともに時々お祈りいたしております。
撮影場所:宮城県の北西端の栗駒高原の栗原市、一迫町、一迫ゆり園:http://www.ichihasama-yurien.com/ で、2008年7月4日に家内が撮影しました。