後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

新宿御苑の風景写真をお楽しみ下さい

2011年11月09日 | 写真

兎に角、時間があります。暇な毎日です。今朝もブログに「いさぎよく死ぬ方法」を書いてから、さて何処に遊びに行くか考えて見ました。家内は源氏物語の会で留守です。

そこで暫く行っていない新宿御苑と明治神宮へ行くことにしました。独りで気軽に車を走らせて、まず新宿へ出ました。

私は昔から、御苑のヨーロッパ風の樹木の景観が大好きです。そして日本庭園もあるので楓も植えてあります。紅葉しているのではないかと期待して歩き出しました。

残念ながら紅葉はまだでした。11月の末が見ごろだそうです。

それにしても広々した公園が都心にあることに吃驚しました。昔から何度も行った公園ですがその広さに改めて吃驚です。曇りで写真は鮮明でありませんが、お楽しみ頂ければ嬉しく思います。

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公園の東寄りにヨーロッパ風に作った庭園が広がっています。下のようにスズカケの並木もあります。

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まだ黄色に変化していませんが落ち葉が地面に散り敷いていました。

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新宿御苑には和風の庭園も広くとってあります。そちらへ歩いて行くとほの暗い木々の下に目の覚めるような ツワブキの花が咲いています。

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そしていろいろな様式の和風庭園があります。下は池と石灯篭を中心にした回遊式の庭園です。カモ達が池の中心で泳いでいました。

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新宿公園の中は不思議な位静かです。しかし門を出ると自動車が轟音を立てて走っています。駐車場から車を出して私もその轟音の中に溶け込んでしまいました。山の手通りを少し走って明治神宮の駐車場へ車をいれました。(続く)


老境の人々がいさぎよく死ぬための3つの準備

2011年11月09日 | 日記・エッセイ・コラム

昨日、親しい友人から一通のハガキをもらいました。数年続けていた透析の副作用がいろいろ出て来ましたので、友人達への年賀状は止めることにしました。ご勘弁下さい。そして最後の文章が書いてあります。「長い間のご厚誼にたいして篤くお礼もうしあげます、さようなら」と結んでありました。さようならとは悲しいです。この世とも、さようならという意味も含んでいるようです。

ああ、いさぎよい死に方だと思います。

どうせ死ぬのだからいさぎよく死にたいと願っていた私はこの手紙に強く同感しました。

ここ数年、私はいさぎよい死の為の準備をしながら老境を楽しんでいます。準備と言っても良いし、条件と言っても良いのかも知れません。

その条件は3つあると信じています。そのうちの1つだけでもいさぎよく死ねます。

1、趣味を止める。本などを処分してしまう。食器などの日用品は必要なもの以外は処分してしまう。

これを少しずつして行きます。急にするのではなく、ゆっくり進めて行くのです。そうしてこの世への執着心を捨てる訓練を重ねて行きます。

執着心を捨てるという事はそう簡単な事ではありません。訓練でその意味が理解出来れば良いと思っています。この世に執着がなくなれば自然といさぎよく死ねます。

2、周りの人々へ感謝の気持ちを伝える。妻、子供、孫、友人への深い感謝の気持を伝えるのです。周りの全ての人々へ感謝します。

自分がこの世に生まれたことに感謝します。どんな過酷な人生であっても現在まで生きて来れたことに感謝します。このブログを読んで下さる方へ感謝します。

感謝をすると相手の人を自然に愛することになります。愛するとその人も自分を愛してくれます。そうです。愛に包まれて死ぬのです。楽しいものです。いさぎよく死ねます。

3、自然の風景をじっと眺めて居る。例えば下の奥多摩湖の写真を飽きずに眺めるのです。すると自然の風景が次第に好きになります。

雲の輝き。対岸の黒々とした力強い山の存在感。太陽の光芒を浴びた湖面の輝き。手前にあるカラマツの紅葉。これら全てが私を囲んでいます。自分は自然の一部なのです。この実感を何度も持つ訓練をします。すると自分と自然が一体になったような気分になれます。自分の死がほんのささやかな自然現象の一つとして見ることが出来ます。気楽になります。いさぎよく死ねます。

最近、このブログでは39歳で夫や子供を残して旅立って行った女性のことを書きました。織田美保子さんの遺稿集「風を愛したひと」の書評(2)結婚しようとしている男性、夫婦生活をしている夫が読むべき書 です。この文章の最後に、「この方はガンに勝っていた。その勝利は夫、子供、そして多くの友人の愛で支えられたお陰です」という意味の言葉を書きました。ですから織田美保子さんは安らかに旅立ったと私は信じています。それにしても悲しいです。

ですからこそ、いさぎよい死は老人だけに薦めるべきです。若い時の死はあまりにも悲しいものです。残念です。ですから上の文章は老境に居る人々の為だけのものです。

それはそれとして、今日もこの文章を読んで下さった方々へ深く、深く感謝致します。後藤和弘(藤山杜人)

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