お寺の門はいつも開いています。出入り自由です。
静かなので何度も、何度もいろいろなお寺を散歩してきました。
山門をくぐり本堂でお邪魔しますとお祈りします。そして裏手に回ります。裏の広い墓地が散歩に良いのです。新鮮な空気が流れています。
それにしてもお寺もいろいろです。善いお寺もありますが、あまり感心しないお寺もあります。
私が善いお寺と思うところには、広い無料駐車場があります。本堂や鐘突堂や庫裏の配置が自然で、建物があまり華美でありません。そして一番重要なことは無縁墓を大切にしているのです。
昨日、石神井公園の隣にある三宝寺という古刹を散歩して来ました。上に書いた善いお寺の三つの条件が全て満たしています。
ああ、善いお寺さんだと思いながら静かに散歩を楽しんできました。
皆様もその三宝寺へご案内しましょう。写真だけですが散歩を楽しんでいるご気分になって頂けたら嬉しく存じます。
この山門の右手に無料駐車場があります。この山門は江戸時代に徳川家康が狩りに来たときくぐったという記録があるそうです。2回狩に来て、このお寺で休息をとったそうです。
本堂です。木立に囲まれています。華美でないごく普通の本堂です。
本堂の裏には無縁墓が並んでいます。
江戸時代や明治時代の、遺族や子孫が来なくなってしまった墓石が丁寧に並べてあります。
墓石には江戸時代の年号が刻んであります。明治時代のもあります。
中心にある供養塔の左右に無数の無縁になってしまった墓石が祀ってあります。
この墓石の反対側には高さ5m位の観音像が立っていて、その観音様の眼が無縁墓を見下ろしているのです。その配置に住職さんの気持ちが感じられます。善いお寺です。
お釈迦様は死んだら墓を作ってはいけないとおっしゃいました。立派な墓を作ってもいずれは無縁墓になってしまうのです。
しかし全ての死者へ感謝して、その冥福を祈ることは大切なことと思います。私の生は過去の全ての人々に支えられていたのです。
無縁墓の列を見ながら自然とそのような気持ちがわいてきます。それがお釈迦様の慈悲の心へつなっがっているのかも知れません。
今日は日曜日です。そんなことも含めて教会のミサで全ての死者への祈りをしたいとと思います。
それはそれとして、
今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)