後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

2万年前の日本人の生活の様子を示す

2013年01月07日 | 日記・エッセイ・コラム

先日、このブログで神奈川県相模原市の田名向原遺跡について、相模川中流は考古学的史跡の宝庫・・・3層、4層と住居跡や古墳が集中という記事を掲載しました。2万年前の住居跡が発見された場所です。

しかし少し疑問が残ったので、今日そこへもう一度行って来ました。

その疑問とは2万年前という年代決定の誤差の範囲です。そうしてもう一つの疑問は当時の人々の生活の実体です。

年代決定の誤差については別の記事でご報告したいと思います。そこで今日は当時の人々の生活の実体の想像を展示に従ってご報告いたします。学芸員の説明を聞くと展示はかなり考えて作ってあると思いました。

2万年前の日本は寒冷期で年間の平均気温が8度近く低かったと推定されています。当時の日本は樺太やシベリア北部位の気温だったのです。

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冬は非常に寒いので、現在のイヌイットのように分厚い獣の毛皮の服を着て寒さを防いでいたと想像出来ます。足には毛皮のブーツを履かないと氷の上は歩けません。上の絵は木々が緑ですから冬ではありませんので裸足のようです。手前にあるのが毛皮のブーツの複製品です。

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この絵は現在は絶滅したオオツノジカを数人で槍で狩っている様子です。川は相模川で向こうの山は丹沢連峰の前山です。

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木の実や食用の植物を採集するのは女の仕事ではなかったという想像図です。勿論、こういう仕事が好きな男性もこうして採集していたに違いありません。植物は現在のシベリアの植生に似せて描いてあります。

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これは女性が「なめし皮」を作っている様子を示す絵です。

出てくる石器には皮を掻いて脂肪分を取り除いて「なめし皮」にする「掻器」という石器が沢山あります。布を織ることを知らなかった旧石器時代には「なめし皮」の需要が大きく、貴重な材料だったのです。「なめし皮」は多量の食料と交換出来たと想像出来ます。

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獣の皮で覆った小屋の前で石器を作っている様子です。冬の寒い時期は小屋の中で石器を作っていた証拠が残っていました。この2人はまだ一人前でなく石器の下準備をしているようです。

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これは石器作りの名人あるいはマイスターの絵です。石器作りの名人になると裕福な生活が出来た筈です。切れ味が良くて頑丈な石の刃物は多くの食料と交換出来ると考えれられます。四季折々一年を通じて食料に困ることは無かった筈です。

この遺跡には3000個もの石器が出て来たので石器作りのセンターだったと想像されます。

さて最後に当時の人々が食べていたと考えられる動物の絵を示します。

現在の日本では絶滅したマンモスやナウマンゾウやバイソンやヘラジカなどがいたのです。北海道とカラフトはシベリア大陸と陸続きになっていて、そのような動物が日本へも歩いて来たと信じられています。

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如何でしょうか?

次の縄文時代になってやっと土器が出来たのです。旧石器時代の日本人は焚火で獣肉を焼いて食べました。生でも食べたでしょう。そして焼いた石で覆い、埋め込んで蒸し焼きにもしました。遺跡からは料理に使った石が多量に出て来たので「蒸し焼き」が好まれていたようです。

家族関係はどのようなものだったのでしょうか?考えると興味が尽きません。(終わり)


今日は春の野に出て七草を摘み粥を作る日です

2013年01月07日 | 日記・エッセイ・コラム

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セリ

ナズナ

ゴギョウ

ハコベラ

ホトケノザ

スズナ

スズシロ

(出典:http://www.kikkoman.co.jp/homecook/college/10shoga/nanakusa.html

陽光の射す初春の野原に出て七草を摘む光景を想像してみましょう。

お正月を2月の旧暦で祝っていた大和・山城の国では野に出ると本当にセリやナズナやハコベくらいは芽を出していたのでしょう。

少女たちが丁寧に摘んで小さな竹籠に入れ持ち帰ったのでしょう。家で待っていた母親がそれを入れたお粥を作ります。

一家で食べてその年の無病息災や豊年を祈るのです。

食べようとしない夫へ言っています。「とにかく縁起ものだから嫌がらずに食べてください」と。

食べてみるとすがすがしい野原の匂いがして悪くありません。なかなか良いと言えば男の沽券にかかわるので黙って食べます。

野に出て若菜を摘む平安の世の習慣がお粥と一緒になって江戸時代から定着したのでしょう。

東北地方で育った私は結婚して初めて七草粥をたべました。新婚の妻が何処からか七草を持ってきて作ったのです。何処から摘んで来たと聞くほど重要な問題でもないので毎年言われるままに七草粥を食べてきました。

しかし随分あとになって八百屋さんで売っていることを発見しました。

初春の野に出て若菜を摘む人はもういなくなったのでしょうか?

しかし3月になると山小屋の近所の小川にセリが出てきます。野には何処からか飛んできたナノハナが咲きます。ハコベも出ています。

それらを摘んで来て、今年は本物の七草粥を作ろうと考えています。

そんなことを一所懸命に考えるのもよほど暇な老人になったからです。

それはそれとして、

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

七草がゆ:出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E8%8D%89%E3%81%8C%E3%82%86

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七草がゆ七草粥(ななくさがゆ)・七種粥とは、人日の節句(17日)の朝に食べられている日本の行事食(料理)である。春の七草や餅などを具材とする塩味の粥で、その一年の無病息災を願って食べられる。祝膳や祝酒で弱った胃を休める為とも言われる。

この行事は、平安時代には行われていたが、室町時代の汁物が原型ともされている。

以下は、関東地方の例である。16日の夜、あらかじめ用意したセリ、ナズナ、ゴ(オ)ギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロの「七草」を俎板の上に載せ、以下の歌を歌いながらしゃもじやお玉杓子、包丁の背などで叩いて細かくする。七草なずな 唐土の鳥が 日本の国に 渡らぬ先に ストトントン

明けて7日の朝に粥を炊き、叩いた七草を入れて七草粥にする。そして朝食として食べる。七草粥は神社で振舞われる場合もあり、新年の季語とされる。現在では、七草をセットした商品が、多くの八百屋など小売店にて販売される。

七種の節句:この七草がゆを食べる行事を言う。

地方での差異

七草粥は七草すべてが使用されるわけではなく、また地方によっても食材が異なる場合がある。気候や降雪の関係で七草が摘めない東北地方では、七草を使わない粥を炊く。山形県の村山市周辺ではゴボウ、ニンジン、こんにゃく、ずいき、油揚げなどを入れた納豆汁、七草汁17日の朝食として食べる。最上川流域では17日に新米の握り飯を12個作り、箕の上に乗せて柳の箸を刺して「おみ玉」として飾る。その後で握り飯を崩して煮込み、野菜、昆布、干し柿、栗を入れたものを「七草粥」と呼ぶ。また、青森県や秋田県では17日に行事を行う地域は少数である。そのかわり、116日の小正月には、けの汁という根菜を大量に炊き込んだ精進料理を味わって祝う。

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