戦後体制すなわち戦後レジームはポツダム宣言の要求をマッカーサーが五大改革として日本政府に実施させ出来上がった体制を意味します。
それをアメリカ軍による押しつけだったと非難する人もいます。
しかし完膚なきまでの敗戦で自信を喪失し、呆然としていた日本国民にとってはそれこそが希望の光に見えたのです。多くの国民が喜んで大歓迎したのです。
私自身もその大衆の一人だったので、随分と明るい気持ちになったことが忘れられません。
五大改革とは以下の5つです。
(1)婦人へ参政権を与え解放する。
(2)労働者の組合結成の促進。
(3)自由主義教育の推進と学制改革。
(4)特高の廃止と検察や警察制度の改革。
(5)農地解放と財閥解体による経済体制の民主化。
これらの五大改革は多くの国民な当然だと感じたのです。
それは戦前のひどい男尊女卑、労働者の悲惨な生活、軍国教育の強制、警官の横暴、小作人の搾取、そして財閥の産軍協同体制を苦々しく見てきた庶民の心に心地良く響いたのです。
戦前に虐げられてきた大多数の大衆を喜ばしたのです。因果応報だ、ザマを見ろという感じがしたのです。
ですから現在、占領軍に押し付けれたと主張されても、当時の雰囲気を知っている我々高齢者にとっては、「それは違う!」という感じがするのです。押しつけでなく大歓迎したのです。
現在、「戦後レジーム」は悪だと言う人が多くなりました。悪だからご破算にしろと言います。私には納得できないのです。
いったい五大改革のどれが悪なのでしょうか?
この改革があったればこそ日本の経済の高度成長があったのです。
しかしもう少し詳しく考えていくと(3)の自由主義教育の推進と学制改革には弊害もあったと思います。
共産党の影響の強い日教組が教育現場を支配し、子供達の良い意味での愛国心教育をしなかったことです。
客観的歴史観を身につけさせるような公平な歴史教育をしなかったことです。
断片的な知識を丸暗記させ、自分の頭で考える能力を育てなかったことです。
「戦後レジーム」の改革がこの教育問題の改革に限定されるなら私も賛成です。
その上、五大改革ではありませんが、平和憲法も押しつけだと言われています。
しかし戦争の悲惨さを見た大多数の国民は平和を熱望していたのです。したがって理想主義的過ぎるこの平和憲法も喜んで大歓迎したのです。
しかし、時代が変わったからと言って、それを改正して軍拡することも良いでしょう。そのためには、国際友好外交を全方位に徹底するという条件が約束出来るなら私は賛成です。
平和は憲法で守るのではなく、強大な軍備による抑止力と徹底した友好関係の樹立によって守られるのです。日中友好と日韓友好は戦争の抑止の為に必要なのです。
下に参考資料として五大改革の詳細を示しておきます。(続く)
=====マッカーサーの要求した五大改革============http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14102054944 より。
戦後の五大改革とは、昭和20年(1945)10月11日にマッカーサーが出した「五大改革指令」のこと。
1945年8月15日、天皇が国民に「ポツダム宣言」を受諾したことを玉音放送で伝え、日中戦争から8年に及んだ戦争が終わった。
日本は連合国に占領されることになり、8月末にアメリカのダグラス・マッカーサー元帥が占領政策を実施する連合国軍最高司令官として来日した。マッカーサーをトップに連合国最高司令官総司令部(GHQ)がつくられ、占領は間接統治の形をとりGHQの意向は日本政府を通して実施された。
この占領機構の上部組織として極東委員会がおかれた。極東委員会とGHQの間にはアメリカ政府があり、極東委員会の決定に対する拒否権や、緊急事態が生じたときに委員会の決定を待たずに指令を発する中間指令権などをアメリカ政府がもっていた。また、対日理事会もあったが名ばかりであった。
昭和20年10月11日、新任挨拶のためにGHQを訪れた幣原首相はマッカーサーと会談し、この中でマッカーサーはポツダム宣言に基づき占領政策の基本を示し、「五大改革指令」と呼ばれる意見を表明した。
「五大改革指令」
① 選挙権賦与による婦人の解放:
1945年12月に選挙法が改定され、20歳以上の男女全てに選挙権が与えられた。1946年4月に戦後初の衆議院議員選挙が行なわれ、女性が初めて投票し、39人の女性議員が誕生した。
② 労働の組合化促進:
労働組合結成など、労働者の権利を保障する法律の制定し、労働者保護のため労働条件の最低基準を定めた「労働基準法」など「労働三法」が制定され、労働組合が多数結成されていった。
③ 自由主義的教育を行うための諸学校の開設:
教育を通じて民主主義を根付かせようとし、教育基本法など教育三法が制定され、それまでの地理、日本の歴史、修身の三教科は軍国主義的とされて、教えることが停止され、教科書も回収された。
④ 検察・警察制度の改革:
GHQは「人権指令」を日本政府に通達し、戦前、社会主義者、共産主義者などの反対勢力を弾圧するために作られた治安維持法や特別高等警察を廃止。政治犯の即時釈放などが行なわれ共産主義者などの政治犯およそ500人が釈放された。
⑤ 経済機構の民主主義化:
経済の民主化として、大資本家の一族が経営した巨大企業である財閥が解体され、2度の農地改革により地主制が解体された。GHQは、本経済を支配していた財閥を軍国主義の基盤の一つと見なし、三井、三菱、住友、安田など15の財閥は、持ち株を売却させられ、解体された。さらに2度にわたる農地改革によって地主の土地所有が制限され、優先的に小作農に売り渡され、小作農の大部分が自作農となり、地主制度はほぼ解体した。