後藤和弘のブログ

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中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

日本の行った戦争の歴史を客観的に考える欧米諸国(2)日本よりも韓国へ同情的なアメリカ

2014年02月24日 | 日記・エッセイ・コラム

この記事で私は2つの客観的歴史的事実を書きたいと思います。

一つは1910年の朝鮮併合はアメリカとの合意によって行われた事実です。

しかしその合併は安重根による伊藤博文の暗殺の原因になり、朝鮮民族の恨みは現在も消えていないという事実です。

もう一つはアメリカ軍と韓国軍は朝鮮動乱とベトナム戦争とイラク戦争で共同作戦のもとに戦った軍事同盟国だという事実です。お互いに血を流しあった同盟国なのです。

その結果、アメリカは最近の日韓抗争において日本より韓国へ同情的なのです。

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さて朝鮮併合ですが、それは1905年の「桂・タフト協定」によってアメリカ政府の合意のもとに実行されたのです。その代わり日本はアメリカがフィリッピンを植民地として領有することに合意したのです。この協定は後にイギリスとロシアの合意まで得たのです。

判りやすく言えば日本が朝鮮を領有し、アメリカがフィリッピンを領有するという領土の山分けをしたのです。

事前にアメリカ、イギリス、ロシアの合意を得ていたので、日本が朝鮮を併合しても欧米諸国は黙認したのです。詳しくは末尾の参考資料をご覧ください。

この歴史的事実は満州建国と大変違います。満州国に関しては事前に欧米の合意を取らなかったのです。

その一方、朝鮮の人々やフィリッピン人の意見は完全に無視したのです。

その結果、安重根は朝鮮初代総督の伊藤博文をハルピン駅頭で暗殺したのです。

この朝鮮併合の恨みは深く、現在まで続いています。その証拠は昨年、韓国大統領の要請で中国がハルピン駅に「安重根記念館」を開設した事実です。

さてそれはそれとして、戦後のアメリカと韓国の共同軍事行動の歴史を見てみましょう。

(1)1950年から始まった朝鮮動乱ではアメリカ兵と韓国兵が肩を組んで北朝鮮軍と中国軍と戦ったのです。38度線まで押し返し現在の大韓民国が独立したのです。

(2)1966年から1976年まで続いたベトナム戦争では、韓国はアメリカにつぐ世界第二位の軍事力をベトナムに送り、アメリカの作戦を支援したのです。これにはアメリカ人が恩義を深く感じているのです。

(3)2004年にジョージ・W・ブッシュ大統領の要求に応じて韓国はイラクにザイトゥーン部隊という実戦部隊を派遣したのです。この時日本は実戦部隊を送っていません。

このような韓国軍とアメリカ軍の親密な関係から、アメリカはどうしても韓国の肩を持ちます。日韓抗争では韓国側に同情します。

その証拠はアメリカ国内に従軍慰安婦像や記念碑の建立がなされているのです。そして日本海という地名を韓国の呼び名の東海と書くようにしたのです。

アメリカの地方自治体がそれを決定しています。この事実はアメリカは日本より韓国へより同情的だということを示しています。

このような日韓関係のもろもろの歴史的事実を日本人はもっと客観的に、そして真摯に考える方が良いのではないでしょうか。その方が日本の国益のためになると私は信じています。

下に関連の写真を示します。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りしてまいります。後藤和弘(藤山杜人)

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上は昨年の韓米合同軍事演習の様子です。出典は、

http://japanese.irib.ir/news/latest-news/item/35369-%E7%B1%B3%E9%9F%93%E3%80%81%E6%9D%A5%E6%9C%88%E4%B8%AD%E3%81%AB%E5%B9%B4%E6%AC%A1%E5%90%88%E5%90%8C%E8%BB%8D%E4%BA%8B%E6%BC%94%E7%BF%92%E3%82%92%E5%AE%9F%E6%96%BD です。

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上は韓国の公園にあるマッカーサー像です。下は朝鮮動乱の犠牲者を韓国とアメリカ軍が共同で慰霊式典をしている様子を示す写真です。

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===参考資料:桂・タフト協定とは==============

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%93%E5%9B%BD%E4%BD%B5%E5%90%88

日本は日本海海戦での勝利を経て、ロシア軍もセオドア・ルーズベルトによる講和勧告を受け入れていた1905年7月29日、アメリカ合衆国のウィリアム・タフト陸軍長官が来日し、内閣総理大臣兼臨時外務大臣であった桂太郎と、アメリカは韓国における日本の支配権を承認し、日本はアメリカのフィリピン支配権を承認する内容の桂・タフト協定を交わす[10]。桂・タフト協定は、1902年の日英同盟をふまえたもので、以下の三点が確認された。

1、日本は、アメリカの植民地となっていたフィリピンに対して野心のないことを表明する。

    2、極東の平和は、日本、アメリカ、イギリス3国による事実上の同盟によって守られるべきである。

      3、アメリカは、日本の韓国における指導的地位を認める。

      会談の中で、桂は、韓国政府が日露戦争の直接の原因であると指摘し、朝鮮半島における問題の広範囲な解決が日露戦争の論理的な結果であり、もし韓国政府が単独で放置されるような事態になれば、再び同じように他国と条約を結んで日本を戦争に巻き込むだろう、従って日本は韓国政府が再度別の外国との戦争を日本に強制する条約を締結することを防がなければならない、と主張した。 桂の主張を聞いたタフト特使は、韓国政府が日本の保護国となることが東アジアの安定性に直接貢献することに同意し、また彼の意見として、ルーズベルト大統領もこの点に同意するだろうと述べた。この協定は7月31日に電文で確認したセオドア・ルーズベルト大統領によって承認され、8月7日にタフトはマニラから大統領承認との電文を桂に送付した。桂は翌8月8日に日露講和会議の日本側全権として米国ポーツマスにいた外相小村寿太郎に知らせている。

      桂・タフト協定および、第2次日英同盟、日露戦争の結果結ばれたポーツマス条約によってロシアにも韓国に対する優越権を認めさせた結果、事実上、英米露が大韓帝国に対する日本の支配権を認めた結果となった。なお、韓国の歴史家ではこの桂・タフト協定が日本によって韓国が併合された直接の原因であるとするものもいる。

      ===参考資料:韓米共同軍事行動=============

      http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%B3%E9%9F%93%E9%96%A2%E4%BF%82

      大韓民国とアメリカ合衆国は1953年に軍事同盟を結ぶ事に同意した。彼らは同盟を「血で作られた関係」と呼んだ。更に、約2万9千人の在韓米軍が韓国に駐留している。2009年には、韓国とアメリカは将来の防衛協力の為に同盟を展望させると誓約した。

      アメリカ側の要求によって、朴正煕大統領はベトナム戦争の時にアメリカ軍を補佐する為に韓国軍をベトナムに送った。韓国軍はアメリカ軍に次いで世界第二位の規模の外国分遣隊を維持した。その替わりに、アメリカは韓国に対し軍事的かつ経済的援助を増加させた。リベラルな土壌から選ばれたにも拘わらず、盧武鉉大統領も2004年にジョージ・W・ブッシュ大統領の要求に応じてイラクにザイトゥーン部隊を派遣する事を承認した。

      アメリカのシンクタンクピュー・リサーチ・センターによると、韓国国民はアメリカ合衆国やアメリカ人に対して最も大きな好意を寄せている(世界中の国々の中でアメリカは4位以内にランクされている)。同様に、韓国のギャラップの調査でも、韓国はアメリカを世界中の国々で最も友好的だと見ている。

      政治的側面では、アメリカ合衆国は1945年以降、韓国が独裁政権に支配されていた頃でさえ、韓国を「誠実な防共の砦」として支援した。2011年3月のギャラップの世論調査では、74%の韓国人がアメリカ合衆国の世界での影響に好意的だと信じている。同様に、アメリカ国民は韓国をより前向きに見る事に堅実である。2011年のギャラップの調査では、65%のアメリカ人が韓国に好感を持ち、最も高い数字を出した。従って、両国が共に友情の精神で取り組み続けなければならないより小さな課題が残ってはいるものの、両国関係は堅実に改良されている。