後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

開通はしたが通行要注意の中央高速自動車道路の現状

2014年02月19日 | 日記・エッセイ・コラム

中央高速自動車道路は八王子から諏訪まで昨日開通したというニュースが出ていました。山梨県の甲斐駒岳の山麓にある小屋へ長い間行っていないので、中央高速の道路状況を確かめに行ってきました。相模湖まで往復してきました。

正常な状態では2車線の広い道路ですが、開通している部分でも、所々除雪が完全でなく一車線の部分があります。急に一車線になるところもあり、怖い感じです。

そして大月から河口湖方面へ行く高速道路は完全に閉鎖されています。

その上、インターチェンジの除雪が遅れていて、完全に出入り可能なインターチェンジの数がまだ充分でありません。

流入も流出も両方が可能なインタ-チェンジは八王子、相模湖、大月、一宮御坂、甲府南、甲府昭和、双葉スマートIC、韮崎、諏訪南、諏訪です。

あとの相模湖東、長坂、小淵沢のインターチェンジは現在閉鎖中です。

上野原、勝沼、須玉は流入は出来ますが、現在は流出出来ません。

相模湖近辺の国道20号線(甲州街道)は除雪はされていますが路面に固まった雪があちこちに残っています。通行は可能ですが徐行しないと危険です。

不要不急の用事の無い方は行くのをやめた方が安全です。

下に先程撮ってきた中央高速道路の状況を示す写真をお送りします。

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上は高尾山の北側の大垂水トンネルへ登っていく坂です。追い越し車線は完全に除雪されていますが、走行車線は除雪が完全でないので車が急に追い越し車線に入ってきます。左の車線の除雪状況を見ながら走る必要があります。

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上は大垂水トンネルを相模湖側へ抜けたところです。左の走行車線が半分雪道になっていて、追い越し車線しか使えない状況でした。

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相模湖インターを出ると雪の山でした。珍しい光景なのでもう一枚下のような写真を撮りました。

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今回の関東地方と甲信越地方の大雪は50年ぶりとか言われていますが、まさしくそのような感じでした。たまにしか降らない雪なので除雪車も無く、除雪には随分と日数がかかっています。

そんなことがよく判る相模湖への小さな旅でした。(終わり)


この日本に住む幸せ(5)いろいろな差別が消え、完全に平等な社会

2014年02月19日 | 日記・エッセイ・コラム

長い年月を生きてきたおかげでしみじみと幸せを実感出来るのです。いたずらに馬齢を重ねていますが、その馬齢の中にこそ本当の幸福があるのです。馬を馬鹿にすべきでなないのです。

少や若い頃の不幸と悲しみに満ち溢れていた時代を生きてきたから、この幸福が実感出来るのです。比較すると現在の日本が理想の社会のように思えます。

このブログでは、最近、「この日本に住む幸せ」と題する連載記事を掲載しています。

その題目を下に示しますが、それらをご覧になれば、ご自分が如何に幸せか再確認出来ると思います。

この日本に住む幸せ(1)何処に行っても清潔な国

この日本に住む幸せ(2)人々が親切で何処へ行っても安全な国

この日本に住む幸せ(3)世界一豊かな食生活が楽しめる国

この日本に住む幸せ(4)69年間、平和が続いた国に住む幸せ

今日は第五回として、「いろいろな差別が消え、完全に平等な社会」について書きたいと思います。

差別が消え、個人が平等になったのは一朝一夕でなったのではありません。

敗戦でマッカーサーが乗り込んできて、「日本を民主化し、アメリカのように自由で平等な社会にする」と言って、大きな改革を命じました。

日本政府は唯々諾々と命令に従い民主化のための種々の制度改革をしました。そして学校では民主化教育をします。個人の自由と平等の重要性を強く教えました。私も先生方が何度も自由と平等が大切だと言っていたことを忘れていません。

しかしそれが本当に分かり身に着くのに「戦後69年」もかかったと言えば嘘になるでしょうか。

江戸時代から続く封建制度が身に沁みていた人々は、生まれた家の格式や自分の身分を無意識のうちに考えていたのです。

その上、明治維新以後の軍隊の強化で軍隊内の階級制度が世の中全体に深い影響を与えていたのです。

放浪画家の山下清さんは戦後ずいぶんたってからも全ての人を、「兵隊の位でいうとどの位の人」と言っていたそうです。

そして民間会社の中でも重役は将官、部長は佐官、課長は尉官、平社員は兵隊のような処遇を受けていたのです。要するに社会のいろいろな組織の中では役職や階級による差別が当然として受け入れらていたのです。

組織の中で働いていた人々は上役の理不尽な職務命令で、時々、悲しい思いをしたのです。

このような精神的風土の社会では学歴差別、職業差別、男女差別、そして身体障害者への差別は当然のようにあったのです。

私自身も間違いなくいろいろな差別をしていました。恥ずかしい限りですがそんな時代だったのです。

このいろいろな差別が消えたのは経済の高度成長とそれに続くバブルの崩壊の時代と考えられます。

それまでは大会社が多くの子会社を隷属し、独裁的に振舞っていたのです。その経済界の差別体制が一挙に崩壊したのです。子会社は親会社から独立し自由になったのです。もう子会社だからといって差別されなくなったのです。

そしてその頃、アメリカから「差別用語廃絶の思想」が日本へ上陸して来たのです。

この頃から日本の社会からいろいろな差別が急速に消えて行ったのです。

人々は差別が消えると幸せな気分になることに気がついたのです。

差別されない社会。差別しない自分。これこそが本当の幸福ではないでしょうか?

下の写真は先月、甲府市にあるホテルの窓から暮れゆく富士山を撮った写真です。そして富士山の前にひろがる甲府の街の灯を見て、人々の平等な暮らしぶりに独りで感動していました。

それにしても格差のあるのはどう考えれば良いのでしょうか。

「人間は神の前では完全に平等です」という言葉を考えていました。そしてやがて夜のとばりが富士山を隠してしまいました。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)

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