後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

日本の行った戦争の歴史を客観的に考える欧米諸国(1)北方四島をロシアへ与える約束

2014年02月22日 | 日記・エッセイ・コラム

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1945年2月に8日間にわたって開催された米英ソ連3国によるヤルタ会談ではおもにドイツ領を大きく取り上げてしまい、戦後のヨーロッパの国境を決めた会議でした。ドイツはその侵略戦争の償いとして広大な領土を失ったのです。

侵略戦争を始めたのはドイツで、負けたのはドイツですから戦争の責任をとって領土を失うのは客観的にみて当然です。これが欧米の考え方です。ドイツ人自身も客観的に考えて仕方のないことだとし、取り上げられた領土を返せという要求はしていません。

ですからこそ日本が戦争で失った北方四島を返せと言うのに対して欧米諸国は冷ややかに見ています。

ソ連が8月9日以前に日本を攻撃したら南樺太と千島列島をソ連領にしてよいと約束したのはアメリカイギリスだったのです。それはヤルタ会談の密約だったのです。

8月9日にソ連が突如攻撃してきたと言って悪いのはソ連だけのように理解している日本人が多いのは事実です。事実はアメリカもイギリスも同罪だったのです。

戦後、アメリカは具合の悪いこの密約を可能な限り報道規制をして隠していました。

ですからこそアメリカもイギリスも北方四島に関しては無言をつらぬいています。

さて千島列島とは何処まででしょうか?地図を開いてみるとエトロフ島、国後島までは千島列島に連なった島々です。客観的に見れば国後島までは千島列島です。

歯舞島と色丹島は千島列島の線から外れています。

しかし客観的に考えれば歯舞島と色丹島は千島列島に付随する島々と理解するのが自然です。

この客観的な考えに立ってロシアと根気よく交渉すれば歯舞島と色丹島は返してくれるかも知れません。

その交渉は残念ながらシベリア抑留とは切り離して相談しないと交渉がまとまらない可能性があるのです。

それが欧米流の客観的交渉ではないでしょうか。

ドイツ兵は日本兵をより多数シベリア抑留され、より過酷な取扱いを受けました。

しかしドイツ人はそのことでロシアを非難しません。口惜しいが我慢しているのです。客観的に考えてそれが敗戦の現実なのだと認めて我慢しているのです。その方が自分の誇りが守れると信じているようです。

ドイツ人は過去の戦争に真摯に対峙して考えているが日本人は真摯に対峙していないと言われて」いる理由はこの辺にあるのでしょう。

参考資料ヤルタ会談の「極東秘密協定」によるロシア領土の拡大の密約:

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%AB%E3%82%BF%E4%BC%9A%E8%AB%87

(1)1945年2月のヤルタ会談に付随して、主に日本に関して、アメリカのルーズベルト、ソ連のスターリン、およびイギリスのチャーチルとの間で交わされた秘密協定。

(2)ソ連の日本攻撃を促すアメリカ。

1944年12月14日にスターリンはアメリカの駐ソ大使W・アヴェレル・ハリマンに対して樺太(サハリン)南部や千島列島などの領有を要求しており、ルーズベルトはこれらの要求に応じる形で日ソ中立条約の一方的破棄、すなわちソ連の対日参戦を促した。

(3)ヤルタ会談ではこれが秘密協定としてまとめられた 。

この協定では、ソ連の強い影響下にあった外モンゴル(モンゴル人民共和国)の現状を維持すること、樺太(サハリン)南部をソ連に返還すること、千島列島をソ連に引き渡すこと、満州の港湾と鉄道におけるソ連の権益を確保することなどを条件に、ドイツ降伏後2ヶ月または3ヶ月を経てソ連が対日参戦することが取り決められた。

(4)真珠湾攻撃直後にアメリカはソ連が日本を攻撃することを要請したのです。

アメリカからソ連に対する対日参戦要請は早く、日米開戦翌日(アメリカ時間)の1941年12月8日にソ連の駐米大使マクシム・リトヴィノフにルーズベルト大統領とハル国務長官から出されている[。このときはソ連のモロトフ外相からリトヴィノフに独ソ戦への集中と日ソ中立条約の制約から不可能と回答するよう訓令が送られた。しかしその10日後にはスターリンはイギリスのイーデン外相に対し、将来日本に対する戦争に参加するであろうと表明した。

(4)スターリンが具体的な時期を明らかにして対日参戦の意思を示したのは1943年10月のモスクワでの連合国外相会談の際で、ハル国務長官に対して「連合国のドイツへの勝利後に対日戦争に参加する」と述べたことをハルやスターリンの通訳が証言している。ヤルタ協定はこうした積み重ねの上に結ばれたものだった。

(5)ドイツが無条件降伏した1945年5月8日の約3ヵ月後の8月9日、協定に従ってソ連は日本に宣戦布告し満州に侵入、千島列島等を占領した。しかし、ソ連参戦の翌日(1945年8月10日)に日本がポツダム宣言受諾を連合国側に通告したため、戦争末期(9月2日の降伏文書調印まで)のきわめて短期間のソ連の戦果に対して日本の領土を与えるという、結果としてソ連に有利な内容になった。


小さな幸せが大きな幸福へ(2)入場料を安くして頂く小さな幸せ

2014年02月22日 | 日記・エッセイ・コラム

昨日、久しぶりに家内と2人で映画を見に行きました。見た映画は下の写真のポスターにある「大統領の執事の涙」というアメリカ映画でした。

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この映画の 内容は昨日の記事、「大統領の執事の涙」というアメリカ映画を見て来ました にご紹介してあります。

さて昨日体験した「小さな幸せ」とは入場料を安くして頂いたことです。

通常なら一人1800円なのに1000円にして頂いたのです。2人で3600円のところを2000円にして頂いたのです。世に言うシルバー料金なのです。

その上、この映画館では1000円の入場料を払うと3時間の駐車料1200円を無料にしてくれるのです。

ここから私の言いたいことを書きます。

この割引はシルバー料金制度だから当然だと考えないで下さい。誰かが差額を払ってくれたと考えると幸せな気分になるのです。

切符を売ってくれる人が親切に安くしてくれたのです。映画会社で働いている人々が自分たちの収入を少し犠牲にして安くしてくれたのです。このように考えると、その人々への感謝の気持ちが湧いてきます。

このような高齢者へ親切な料金の割引は都立の植物園や公園の入場料金にもあります。まじめに働いて都民税を払ってくれている人々へ感謝です。

JRの列車に乗る前にジパング倶楽部に入会すると30%も割り引いてくれるのです。JRで働いている人々が自分達の収入がを少し減っても我慢して高齢者へやさしくしてくれているのです。JRで働いている人々に感謝します。

そしてきわめつきは後期高齢者の医療費の割り引き率が90%という事実です。

昨年、前立腺ガンが局部的に再発したので2ケ月間くらい大きな病院に通って放射線照射の治療を受けました。その費用は大体150万円くらいでした。しかしその10%、すなはち15万円だけを支払って下さいと親切に言われました。

本当に申し訳ありません。とても幸福な気持ちが今まで続いています。

料金の残りの135万円は一体誰が払ってくれたのでしょうか。毎日通勤電車に乗って働いている現役の人々が支払ってくれたのです。感謝の気持で自然に頭が下がります。

結論です。シルバー料金を単に「制度」と考えないで安くなっただけのお金を誰が払ってくれているのかと想像することが重要なのです。するとその人々への感謝の気持ちが湧いてくるのです。感謝している間は人間は絶対に幸福なのです。感謝している時間を長くすれば毎日が幸福になるはずです。

しかし悲しいかな必ずしもそうもいきません。人間は四六時中幸福を感じていられるものではありません。でも考え方を少し変えると、幸福に感じられる時間が少し長くなるものです。

他人へ感謝です。感謝すればするほど貴方が幸せになるのです。

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。後藤和弘(藤山杜人)