後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

曾遊の地、伊豆の爪木崎の野水仙の花を懐かしく想う

2014年02月26日 | 写真

伊豆半島の突端、下田にに近い爪木崎へは家内と数回行きました。交通の便の無い岬にあるので車で行きました。

そこは海に向かって、たなだらかな丘が連なり、暖かい南風が吹いています。

12月から1月、2月に訪れると一面に野水仙が咲いています。

海の青さと空の色に競うように水仙の花々が咲いています。

もう体力も衰え遠方過ぎて簡単には行けないところになってしまいました。

その風景を想いながら、日向ぼっこをしています。

下の写真は2009年12月と2011年1月に撮った写真です。

いかがでしょうか?お楽しみ頂けたら嬉しく思います。

詳しくは、こんな冬の最中に野生のスイセンが満開になっている地方があります と 伊豆半島突端、爪木崎の満開の野水仙の群落の写真をお楽しみ下さい に御座います。

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群馬県下仁田町の大雪の記

2014年02月26日 | 日記・エッセイ・コラム

このブログに時々、寄稿してくれている下仁田町にお住まいの横山美知彦さんから今回の大雪に関する記録をお送り頂いたのでご紹介いたします。

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大 雪 そのⅠ

一昨日の夜半からの雪で路上は20cmも積もりました。小学校校庭は、まさに銀世界です。

蒟蒻加工業の荻野商店の社長さんが、ショベルカーを持って来て路上の雪を清掃してくれ、大いに助かりました。

何年ぶりかの雪かきはつかれました。そして翌朝しばらくは、腰痛で布団から出られませんでした。高齢者にはつらい作業でしたが、もつと苦しんでおられる農家の皆さんのことを考えると、そんな我が儘は云えませんね(平成2629日)

大  雪  そのⅡ

 9日の雪も解け出し、歩行が出来るようになった矢先、14日一晩で100

 間もなかった異常降雪となり、自宅近辺も70cmもの雪があり、除雪も出来ない

 状態になってしまいました。町内の幹線道路も、その規模の除雪車を保有してお

 らず、不通個所があちこちに出来て混雑しています。

 15日は、歯の治療を予約してあったので、午後雪の上を歩いて遠回りして行

 くつもりで早めに家を出たのですが、とても歩ける状態ではなく、途中で引き返して来ました。

 17日は小学校、中学校も臨時休校となる様です。何ともひどいことになってい

ます。(平成26216日)

 子供達が通学可能になったのは、24日からで生活道路も一寸した空き地には雪が山になっています、平常に戻るにはまだ時間がかかりそうです。

 テレビのBSの共聴ANTが雪の重みで横を向いてしまいました。修正するには屋根の上の雪が解け出し、道路上に落ちた雪を除かないと、高所作業車が近寄ることが出来ません。しばらく様子を見ることになりそうです。(平成26225日)

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日本の行なった戦争の歴史を客観的に考える欧米諸国(3)中国を占領し満州国を作った事実

2014年02月26日 | 日記・エッセイ・コラム

日本人が忘れたい満州国のことを今更持ち出して恐縮しています。

しかし安倍総理が村山謝罪文を変えようとし、アメリカの反対を押し切って靖国参拝をしました。そして安倍総理は東京裁判を否定しています。

これらの行動は日本の中国侵攻と満州建国の正当性を主張しているように判断され、アメリカ政府は本気で怒り出したのです。これを敷衍すれば真珠湾攻撃も正しかったと主張しているようなものです。

終戦後、このような思想の持ち主が総理大臣になったのは初めてのことです。

それは日本の歴史の一齣として静かに眺めるほかありません。

しかし欧米諸国は日本の行った中国占領と満州建国を客観的に見ているのです。そうして中国へ同情しています。それが人間の心情というものではないでしょうか。

1910年に朝鮮を併合したときは、事前にイギリス、アメリカ、ソ連の合意を得ていたのです。しかし満州j建国の場合には事前合意無しに関東軍が勝手にしてしまったのです。

当然、アメリカ、イギリス、ソ連が怒り出し、中国が国際連盟に提訴し、1932年に国際連盟からリットン調査団が派遣されたのです。

リットン卿の報告書は2つの結論を示しています。

張作霖を爆殺し、柳条湖事件を起し、満州事変を行っている日本軍の行動は自衛の戦争とは認められないと総括しています。

その上で満州地方における日本のいろいろな既特権は尊重されなければいけないと明らかに書いてあります。

この報告書を受けて、後に国際連盟は満州国を国際管理する決議をし、日本はそれを不服として国際連盟を脱会するのです。これが真珠湾攻撃とその後の太平洋戦争への一番大きな原因になったのです。

三国同盟のドイツ、イタリアなど枢軸国側の国々は満州国を承認しました。

しかしそれ以外のイギリス、アメリカ、ソ連、フランスなどなどは日本が中国を侵略し、勝手に満州を建国したと非難したのです。

その満州建国を指導して、続いて太平洋戦争をした東條首相らの当時の指導者を東京裁判で死刑にしたのです。この裁判の正当性を日本はサンフランシスコ講和会議で認めているのです。それから日本の戦後体制が出来上がってきたのです。

安倍総理は正式発表ではありませんが東京裁判は間違っていると言っています。その東京裁判に基いて出来上がった戦後体制(戦後レジーム)はご破算にして本当に独立した日本を取り戻すべきだというのが安倍総理の主張なのです。

安倍総理はその主張を軽々しくは言いません。慎重です。しかしアメリカ政府は1年位前から安倍総理の真意を見抜きはじめ本気で怒りだしたのです。

例えば親日派で有名なアーミテージ氏すら安倍総理の靖国参拝を厳しく非難しているのです。

以前に能天気な鳩山総理が米軍基地は沖縄から撤廃すると言ってアメリカ政府の失笑を買いましたが、今回のアメリカ政府の怒りは非常に根深いものなのです。

あなたは「アメリカ政府が怒りたければ勝手に怒れば良い」と簡単に言いきれますか?

非常に複雑で厄介な歴史的な展開になって来たものです。

それも時代の変化なのでしょうか。それも日本という国の運命なのでしょうか。

===参考資料:リットン調査団と報告書の骨子==========

1931年(昭和6年)、南満州鉄道が爆破される柳条湖事件が発生した。翌年、関東軍は清最後の皇帝溥儀を執政として満州国を建国した。同年3月、中華民国の提訴と日本の提案により連盟からリットン卿を団長とする調査団が派遣され、3カ月にわたり満州を調査、9月に報告書(リットン報告書)を提出した。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%B3%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E5%9B%A3

調査団はまっすぐ満洲入りするのではなく、日本、中華民国(上海、南京、北京)の視察も行っている。日本では荒木陸相、中華民国では蒋介石、汪兆銘、張学良、満洲国では当時「執政」の座にあった溥儀と会談している。さらに満洲で抗日活動を続ける馬占山将軍との会見も試みたが、日本側の反対に会い実現できなかった。調査団の視察は1932年6月に完了。8月より北京で調査報告書の作成を開始し、10月2日、報告書を公表した。

報告書では、もと不毛の荒野であった満州の住人の大半がいまや支那人でありこれは日本の地域経営の成果である、この地域の主要勢力であった張作霖はこの地域の独立を志向していたのではなくあくまで支那の政権であると自認していた、支那中央政府の権力が極めて微弱であり日本人が保護されていない、といった中華民国と満洲国の実情を述べた後、下記のように論じている。

(1)柳条湖事件及びその後の日本軍の活動は、自衛的行為とは言い難い。

(2)満洲国は、地元住民の自発的な意志による独立とは言い難く、その存在自体が日本軍に支えられている。

と、中華民国側の主張を支持しながらも、

(3)満洲に日本が持つ条約上の権益、居住権、商権は尊重されるべきである。国際社会や日本は支那政府の近代化に貢献できるのであり、居留民の安全を目的とした治外法権はその成果により見直せばよい。一方が武力を、他方が「不買運動」という経済的武力や挑発(irritation)を行使している限り、平和は訪れない。

などの日本側への配慮も見られる。

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上の写真は靖国神社に参拝したリットン卿(杖を持っている人)とその一行。  http://www.asahi.com/international/history/chapter05/01.html

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の写真では杖を手にした人物がリットン卿です。 http://ktymtskz.my.coocan.jp/agia/mantetu3.htm

それはそれとして、今日も皆様のご健康と平和をお祈りしてまいります。後藤和弘(藤山杜人)